「お前は一生を掛けて六眼を欺くんだ」って言われた件   作:赤福かき氷

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存在しない記憶

 労働はクソである。

 

 

 日本の中心地であり、数多の人が狂乱と共に練り歩くハロウィンの渋谷。毎年懲りもせずによくやるものだと溜息をついていた記憶すら今では懐かしい。

 

 今日は何もかもが狂っている。東京の地に降ろされた数多の帳に闊歩する呪詛師、何よりも笑えないのは五条悟の封印である。この状況が続くならば、日本の終わりが近いこと程度簡単に想像が出来てしまう。

 

 

(南国へ行きたいとは言ったが、こんな形で実現して欲しくはなかった)

 

 

 太陽光を浴びてきらきらと反射する砂浜に立ち、眼前に広がる青々とした海を眺める。砂浜には実をつけたヤシの木が風に揺れ、背後には真紅のハイビスカスが咲き誇る。

 

 眼前の拍子抜けするほどのどかな光景に思わず舌打ちが溢れる。ここが特級呪霊の領域内でなければどれほど良かったことか。

 

 先ず、現在進行形で己らが置かれている状況を打破しなければならない。

 

 四方から襲いかかってくる無限に湧く式神に対処しつつ領域の主の討伐。式神の対処で手一杯だというのに、四苦八苦して式神の嵐を潜り抜けた先に待ち受けるのは特級呪霊。式神の攻撃により肉が削がれ、血が失われていく。

 

 満額ボーナスを貰ったとて割に合わない。受け取る時点で己が死んでいるのならば何の意味もないのだから。

 

 1級2人に1級査定中の学生1人。とはいえ彼女にとって四方からの式神攻撃はクソ程相性が悪い上に、禪院特別1級とて明確な対処法は確立できていない。それは己にも言えることであり、端的に表現するならば状況は詰んでいる。

 

 

「"死累累湧軍"」

 

 

 特級呪霊による死刑宣告が領域内に響き渡り、母なる海から無数の巨大な式神が湧き出てくる。頭上から降り注ぐ空の欠片を纏い、牙を剥き出しにした巨大魚らがこちらへ突進してきた。

 

 心からの舌打ちと共に鉈を構え直すが、己らが式神による暴虐に晒されることはなかった。式神の群れが不可視の質量によって押し潰され、水飛沫をあげて海底へと沈んでいく。

 

 

 

 ひとつに括った白銀の髪を靡かせ、黒スーツを身に纏った男性が青い空を背後に浮遊する。白銀の睫毛がはたと瞬きを繰り返し、ソレが大海から跳躍した式神を認識すると重力によって空間が歪む。

 灰色の瞳が眼下を見回し、我々を認識した灰色が僅かに見開かれた。

 

 

 

 空の欠片と共に領域内に降り立ったのは己の学生時代の先輩であり、この場にいる少女の担任教師。そして、1級最強の名を冠する最善で()()の援軍。

 

 彼ならば勝利をもぎ取ってみせるだろうという希望的観測と、我々と同じ末路を辿る羽目になる可能性。五条さん以外に"絶対"はない。

 

 

「全員無事か?」

 

「四方から無数の式神!」

 

 

 安否確認の言葉に対し、領域の効果を端的に伝える。そのひと言で概ねの現状を察したのか、領域内にいる3人の周囲の重力を弄り纏わり付かんとする式神を一掃した。

 

 特級が塵と化した式神に眉を顰め、追加オーダーと言わんばかりに海から大量の魚が頭を出す。間藤さんが海に向かって右手を掲げ、空中へと躍り出た式神に向かって振り下ろした。

 

 

「よかった、真希も無事そうだな」

 

 

 端正な顔に柔和な笑みを浮かべた彼が溢す。純粋な安堵から来るであろう表情に、この人は変わらないなと場違いにも感心してしまう。

 

 

「ガハハ、こりゃまた予想外の援軍だ」

 

 

 彼の鼻は酒気の匂いを感じ取ったのであろう、物言いたげな視線が向けられたため首を振っておく。1時間やそこらでアルコールは抜けまい。  

 彼は自身の弟が"泡盛"の瓶を抱えて家入さんと酒盛りしていた事実を認知しているのであろうか。隣に並ぶ彼の教え子も同罪ではあるが。

 

 

「自ら領域に侵入するとは愚かな」

 

 

 空にあいた穴はとっくに塞がれ、水輪を纏った特級呪霊が海上に浮く。甚だ不満ではあるが、己とてあの特級呪霊の意見に賛成せざるを得ない。

 領域内において、その主を討伐することは基本的に不可能。何故ならば、領域は術者にとって圧倒的なアドバンテージがもたらされる理不尽な戦場だからだ。

 

 "死累累湧軍"という詠唱と共に再び四方から無数の式神が現れる。各々捌き続けてはいるが、間藤さん以外碌な遠距離攻撃を所持していないため、どうしたって式神の接近を許して以降の対応になる。

 

 間藤さん1人ならば問題などなかったのかもしれない。しかしながら、彼が同業者を捨て置かない性格であることは10年にも及ぶ付き合いで十二分に理解していた。

 

 何より、この場には彼の教え子がいるのだから。

 

 

「白蓮、そっち集中しろ!」

 

「そういう訳にはいかないだろう」

 

「.....あの馬鹿はどうした?」

 

「ヒカリエの方にすっ飛んでっちまった」

 

「それで通じるんですか」

 

 

 何処の馬鹿だ。

 

 結局の所、彼は4人分の攻撃の対処に追われる羽目になっていた。僅かに息は上がりこそすれ、傷を負った様子がないのは流石"1級最強"と言うべきか。

 

 

「このままではジリ貧だぞ」

 

「禪院特別1級、対処法に心当たりは?」

 

「"落花の情"にも限界があるな」

 

「...出し惜しみして全滅したら元も子もないか」

 

 

 五条さん封印の件は突然伝わっている訳で、今後を考えるに余力は可能な限り残しておきたいのだろう。

 

 渋谷を屯する特級連中と正面からやり合えるのは、間藤さんや彼の弟を含めて本当に少ない。五条さんが足止めを喰らった今、呪詛師らも一斉に活性化し出すであろうことは想像に易い。

 

 一瞬迷う様に白銀の瞼が伏せられるが、次の瞬間には腹を括った様に特級呪霊を見据えていた。

 

 一際強力な重力攻撃によって特級呪霊が怯んだ隙に、間藤さんが胸の前で両手で掌印を結ぶ。刹那、領域内に呪力が溢れ出す。

 

 

 

「"領域展開  三千世界"」

 

 

 

 場違いなほどのどかな南国風景が塗り潰され、空には満点の星空が広がる。さざなみの音は消え、不純物のない無音が場を支配した。雲ひとつない星明かりが照らす地面は、クレーターの点在する無機質な灰色の大地だ。

 それはかつて人類が到達した未開の地たる月面の如く。

 

 我々を食い尽くさんとした式神は消滅し、星空に()()()呪霊が恨めし気な視線を此方に向けた。

 

 

「ふざけるな...私の領域が打ち消されただと!?」

 

 

 我々4人は凹凸の点在する大地を両足で踏み締めているのに対し、特級呪霊は自身の身体に己が意志とは関係なく作用する重力によって空中に浮遊していた。

 術式の焼き切れたであろう呪霊の周囲から水輪は消え、膨大な呪力消費によってその勢いは衰えている。

 

 領域勝負においては、より術の洗練された方に軍配が上がる。特級呪霊より間藤白蓮という男の領域精度が上回ったのだ。

 

 術式が使用困難となった特級呪霊になす術もなく、間藤さんが右手を振り下ろすのと同時に地面へと叩きつけられる。圧力が絶え間なく呪霊に襲いかかり、叩きつけられた地点は陥没して周囲の地面まで崩壊していた。

 

 

(本当に、とんでもない方ばかりだ)

 

 

 肉の潰れる不快な音と共に、特級呪霊の気配が消失する。多少の疲労は見えど間藤さんに損傷は見られない。

 

 

「全員無事か?」

 

 

 間藤さんが端正な顔に心配の色を浮かべて駆け寄ってくる。人外揃いの先達の中、彼は不釣り合いな程に善良だった。太陽の様だった今は亡き同級生の顔がチラつく。

 

 同じ1級の称号を持っているとして、彼と同列に語られるのは御免だ。反転術式から領域展開に至るまで会得した彼の実力は、限りなく特級連中に近しいのだから。

 

 

「中々に相性の悪い領域だったな...悪い、俺じゃ怪我は治してやれない。硝子の所まで行くぞ」

 

「こんくらい問題ねぇよ。それよりお前は自分の方に集中しろ」

 

「生徒優先だ」

 

 

 無事を主張する彼女に困った様に眉を下げるものの、元気そうな様子をみてホッと胸を撫で下ろしていた。いつまでも領域を展開しておくわけにはいかない為、間藤さんが月面世界の如く世界を解除する。

 

 満点の星空が崩壊し、星のかけらがこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界に荒れたフロアの様子が映り、頭上でバグを起こした電光掲示板が点滅していた。

 

 南国風景から月面世界と非日常を経たため、脳味噌が現実との乖離に違和感を訴えている。その霞がかった様な脳内も、新たな脅威の出現によって冷や水を浴びせられたかのような状態となった。

 

 

「.....冗談であって欲しいものだな」

 

 

 直毘人さんの言葉が全てを物語っていた。先程の特級呪霊より明らかに格上の、畏怖すべき呪力を撒き散らす特級呪霊。

 

 次の瞬間には、鉈を構える間もなく眼前へと迫っていた。手のひらが腹に添えられ、指先から炎が噴き出る。身体の反応は全く間に合っていないのに、視界の先の光景だけは不自然な程鈍い。

 

 "死"の一文字が脳裏を占める中、視界に現れたのは燃え盛る炎ではなく呪霊が吹っ飛んでいく光景であった。

 

 

「七海、生きてるか?」

 

「ご迷惑をおかけしました。術式は?」

 

「しばらく使えそうにない!」

 

 

 死の淵から己を引っ張り上げたのは、やはりあの先輩であった。しかしながら余裕などないようで、額からは汗の粒が飛んでいる。

 

 

「呪霊は?」

 

「禪院特別1級が戦闘中だ。......出来れば術式回復まで持ち堪えて欲しいが」

 

 

 異次元の速度を誇る投射呪法による攻撃。それでも決定打を与えるには至っていない。原因は2つ。禪院特別1級が先程の領域内において軽くない怪我を負っている点、もう一つは特級呪霊が強すぎる点。

 

 領域展開まで会得した特級呪霊を討伐したと思ったら、次の瞬間には更なる格上に襲われる。

 本当に、この世界はクソだ。

 

 幾ら間藤さんとはいえ、術式の焼き切れた今現在においてあの呪霊は重すぎる。

 

 

「真希、一旦離脱しろ。アレは流石に不味い」

 

「わかった」

 

 

 彼女も事態の深刻さは察しているようで、大刀を構えてフロアを後にしようと動き出す。

 あの化け物相手に何処までが安全地帯となり得るのか全く想像がつかないが。

 

 

「虫ケラ1匹逃がさん」

 

 

 今度こそ視界が橙色で染まる。吸い込んだ熱気が肺を侵食し、焼けた喉のせいで咽せる。

 

 間藤さんが真希さんの腕を掴んで後方に放り投げた為、辛うじて死人は出ていない。だが、回避の遅れた彼の腕は焼け爛れて諸々が露出していた。駅構内の床に彼の血液が点々と模様を描く。

 

 

「白蓮!」

 

「大丈夫だ!こちらは気にせず走ってくれ、悪いが長くは保たない」

 

 

 目の前の術師の討伐よりも、特級呪霊の仇と言わんばかりに全員の殲滅を選んだようだ。

 

 

「貴様が1番やるようだな」

 

「まだ渋谷で生徒が奮闘してるんだ。俺だけリタイアする訳にはいかないだろ」

 

 

 重力は未だ戻らない。領域解除直後の襲撃であり、全員が陀艮とやらの領域によって消耗している。禪院直毘人の方に視線を向けるが、重度の火傷により息も絶え絶えだ。アレでは当分戦線復帰など困難であろう。

 

 火山頭の特級呪霊は恐ろしく強い。普段の間藤さんならば話は異なるのであろうが、今は呪力も術式も消耗した後である。

 

 間藤さんが火山頭の呪霊を殴り飛ばした。中々の勢いで壁にめり込むが、彼自身も余力は限りなく少ない。反転術式に回す呪力も無限ではないのだ。

 

 打撃によって拳が焼け爛れ、スーツも所々焦げている。真希さんを投げ飛ばした際に焼かれた腕は反転術式によってある程度治っているが、スーツが焼け落ちたことによって左腕の()()()()()()が顕になっていた。

 

 時々七海の方へ飛んでくる攻撃を捌くも、肉体と精神が削られる一方だ。古来より人類にとって脅威である"大地"の呪霊なのだから。

 

 

(術式なしで特級とあそこまでやりあえるなんて、という評価は何の意味もないのでしょうね)

 

 

 死んでしまったら何の意味もないのだから。

 

 有効打のない己が歯痒かった。呪術界では時にどうしようもない理不尽に直面する。どれ程努力したとて、仮に命を投げ出したとして、どうしようもないことは存在するのだ。

 

 爆炎でシャツが捲れ上がり、間藤さんの左脇腹の傷が外気に晒された。

 

 

「七海、2人を連れて撤退しろ」

 

 

 苦悶の表情を浮かべた、頬の焼け焦げた先輩に告げられる。それは痛みによるものではなく、私に()()()()()()()()という決断をさせてしまうという事実に対して。

 

 

「大丈夫だ。少なくとも睡蓮が成人するまでは死ねないからな」

 

 

 この様な状況でも先輩は笑ってみせた。術式が回復するまで粘れば可能性はある。先に呪霊の方がガス欠する可能性もある。それでも戦況は最悪だ。

 

 時間を稼いで1()()()()人材を生かすべきか、1人を犠牲に残りの戦力を生かすべきか。どちらが正しいかなどわからない。

 どちらを選んでも全員死ぬ可能性はあるし、後悔する自信はある。

 

 呪術師には地獄の様な選択肢しか残らない。

 

 ここ1番の火力で呪霊が術式を練り上げる。決断の間すら与えてくれないのか。

 

 

「死ね」

 

「テメェが死ね」

 

 

 眼前を馬鹿げた威力の呪力砲撃が通り過ぎる。腕に業火を纏った特級呪霊は炎諸共ガラスの向こう側へ吹き飛ばされた。

 

 

 天井から()()()きたのは高専の制服に身を包んだ、先輩に瓜二つの少年。派手に駅の天井を破ったらしく、コンクリートのかけらがパラパラと舞う。

 割れたガラスが床に散らばり、点灯する照明の光を受けて場違いにキラキラと輝いた。

 

 

「兄さん無事か?」

 

「睡蓮!」

 

「めっちゃ火傷してんじゃねぇか!反転術式も碌に効いてねぇし」

 

「大丈夫だ。ありがとう、助かったよ」

 

 

 兄の安全を確認すると、灰色の瞳に安堵の色が現れた。間藤さんも回復時間を与えられたことで、焼け爛れた頬や腕がゆっくりと再生していく。回復した手のひらで白銀色の髪を撫で回す。

 

 周囲に同級生の姿を見つけたらしく、名前を呼びながら駆け出していった。真希さんも領域での怪我に加えて所々焼けてはいるものの、軽口を返す程度には元気ではあるようだ。

 

 

「七海、悪かったな」

 

「間藤さんが謝罪することなど何もありません」

 

 

 何が、とは言わない。

 彼が謝る必要など本当にないのだ。彼がいなければ我々は全滅していた。呪霊の領域をやり過ごせた可能性は限りなく低いし、火山頭の襲撃も無理があった。

 

 そもそも、彼が領域に割って入らなければならない事態を引き起こしたのは我々だ。不可抗力であるためどうしようもないが。

 

 

「睡蓮も本当に良いタイミングできてくれた。やっぱり俺の弟は最高だな」

 

 

 自慢げに弟を語り、同級生と戯れ合う当人へ温かい視線を向ける。状況はクソを下水で煮込んだ様な有様だが、この瞬間だけは人間の温かみに触れてもバチは当たらないだろう。

 

 だって、現状はマシになっただけで何も解決していないのだから。

 

 

(それにしても本当に強い)

 

 

 間藤睡蓮という少年は、己にとって学生時代の五条悟を彷彿とさせる。合同任務で特級呪霊をあっさりと吹き飛ばしてみせた光景を眺め、彼は()()なのだと納得してしまった。

 

 

「睡蓮、悟はどうなった?」

 

「封印現場に何もなかった!多分トンズラしやがったな」

 

「現場の様子は?」

 

「悟くんの残穢がヤバすぎて呪霊がいねぇ。後はスタンした一般人と殺戮死体の山。正直言って地獄絵図だぜ」

 

 

 ヒカリエの方へすっ飛んでいった間藤君だったが、既に輩の気配はなかった様だ。あちこちで呪力が爆ぜ安全地帯など皆無に等しい渋谷の中で、1()()ヤバい気配のする現場へ急行したようだ。

 

 

「がははは、五条の衰退を肴に呑もうと思っていたのだがな」

 

 

 かなりの重症ながらふらつき一つ見せずに此方へ歩いてくる禪院家の現当主は流石と言うべきか。当然ながら五条家に好印象などある訳もなく、先程の様な現状を笑う豪快な言い草が飛び出してくる。

 

 

「誰だよこの不謹慎ジジイ」

 

「うちのジジイだ」

 

「失礼だぞ2人とも!」

 

 

 間藤さんが2人の頭に手を乗せる。間藤君は気にする様子もなくゲラゲラと笑い、真希さんも我関せずと言った様子だ。禪院特別1級も特に気にした様子はない。

 この状況で随分と気の抜けたやりとりだ。

 

 

(...まだ火山頭の件は解決していないでしょう)

 

 

 正直に言うならば、気が抜けていたのだ。張り詰めていた糸が切れてしまった。呪霊の領域を潜り抜け、火山頭の業火から逃れ、元凶はガラスを突き破って渋谷の夜へと消えたのだから。

 

 

「じゃ、オマエら全員撤退な」

 

 

 間藤君が自分以外の全員を指差す。その表情には焦りの色など一切なく、今自身が下した決断に臆する様子はない。

 

 

「アイツはまだ生きてる。そろそろ殺しにくるんじゃねぇの?」

 

 

 灰色の瞳を破られたガラスの向こう側へやり、すぐにこちら側へと戻す。単なる確認作業の一端であり、彼の意識はこちらに向いている。

 

 最愛の兄が、親愛なる友人がこの場を生還するにはどうすればよいか。少年の善意ではあるが、あの恐るべき特級呪霊への感情は二の次だ。

 

 自信に満ち溢れているという訳でも、コミックの中のヒーローのように"自分なら勝てる"というある種の高揚感を抱いている訳でもない。己の二足歩行にわざわざ"できている"と感慨深く考えることがないのと同じだ。

 彼の脳内を占めるのは"どうしたら勝てるか"ではなく"どうやって勝つか"という部分なのだろう。

 

 

「絶対に死なないでくれ」

 

「兄さんこそ」

 

 

 この場に最愛の弟を1人残していくのは気が咎めるようだが、術式の焼き切れた今は妨害にしかならないことを理解しているのであろう。

 

 己が鍛え上げた最愛の弟が人智を超えた領域に足を突っ込んでいることを、兄だからこそよく理解しているのだ。

 

 次の戦場へと走りだす。背後で再びガラスが割れる音と共に、通路に熱波が吹き荒れた。

 

 

 間藤さんは振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「渋谷に何しに来たワケ?」

 

 

 眼前の餓鬼が己に問う。片手をちぎられ瞳から血を流す己とは対照的に、餓鬼の方には怪我らしい怪我などない。

 

 

 

 陀艮の仇共を殺し損ね、夜の闇へと吹っ飛ばされた。再び建造物の中に侵入したら、1人を残して全員が去った後であった。気配からそう遠くには行っていない筈だが、目の前の男は追跡など許すはずもない。

 

 かつて湖で五条悟と相対した記憶が蘇る。己の勝利を疑わない、余りにも生意気で不愉快な態度。

 

 人差し指と中指を振り、壁に火口を生成して燃やし尽くす。壁や地面は高温で液体の様に溶け辺りを黒煙が覆った。五条悟の様に無下限で防ぐ訳にもいかず、周囲に餓鬼本体も見当たらない。

 

 

(...直撃したか?)

 

 

 状況からみて間違いはないが、呪術師を見下して不覚は取らない。少なくとも、あの餓鬼は油断して良い相手ではない。

 

 殺気を感じて身を捩る。同時に黒煙の中から鋭利な紅の帯が伸び、己の腕を一閃した。回避が一瞬でも遅れていたなら漏瑚の首は飛んでいたであろう。

 

 加熱された室内の空気が冷えた10月の夜へと流れ出し、空気の流れと共に黒煙が外へ逃げていく。

 紅い帯で囲まれた球状の繭の様なモノが鎮座していた。呆気に取られた次の瞬間、繭が解けて駅の構内が無数の紅い帯で覆われる。

 

 

「"式業呪法 赤血 血帯"」

 

 

 帯先は極めて強固かつ鋭利であり、炎を無視して暴れ回るソレは漏瑚諸共周囲を切り裂いていく。

 

 

「不可侵の真似...ってもあんま上手くいかねぇな。術式の重ねがけにも限界はあるし」

 

 

 完全に防御しておきながら不満気な表情に苛立ちが募る。ポテトチップスの新作に挑戦してハズレだった際の様な、些細な後悔に対する不満。何処までも舐め腐っていた。

 

 

「馬鹿にしているのか!」

 

「それはねぇよ。オマエめっちゃ強いし」

 

 

 間藤睡蓮は漏瑚という特級呪霊が極めて強力であることを理解していた。1級連中をあっさり屠りかけるくらいには強いし、幾ら術式使用困難とはいえ己の兄を殺しかける程やべぇことは理解していた。

 ただ、それだけ。

 

 

 思ったよりもあっさりと認められて言葉に詰まる。斬り飛ばされた腕を再生させ、先程の問いかけを反芻する。

 

 

「世界をあるべき姿に戻すためだ」

 

「呪霊のクセして宗教やってんの?」

 

「嘘偽りのない負の感情から生まれた呪いこそ真に純粋な本物の“人間”であり、偽物は消えて然るべき」

 

「あんま難しい話しないでくんね?」

 

 

 白銀頭の男は眉を顰め、舌を出して心底嫌そうな表情を浮かべる。年端もいかぬ餓鬼だ、我々の真意が伝わらずとも仕方がない。

 

 

「だから人間全員殺すって?」

 

「その通りだ。この国から不純物を一掃する」

 

「それは大層なこった」

 

 

 義憤に駆られるでもなく淡々とした返事が返ってくる。野望を馬鹿にされているでも賛同されているでもなく、言の葉という音に対する返答。

 

 

「同胞が殺されんとするのというのに、非情だな」

 

「非術師皆殺しにしようとするヤツもいれば、魔女狩りするクソ宗教もあんだよ。皆殺し派がいても驚かねぇな」

 

 

 灰色の瞳と己の視線が交差する。発言を噛み砕く様に瞼を瞬かせ、腕を眼前に構え直した。

 

 

「オマエの望みはわかった。その上で言うが、俺の望みと相反するから死んでくれ」

 

 

 私情丸出し、めちゃくちゃな言い草である。己の意見が通らねば駄々をこねる、ガキ大将の様な子供の我儘だ。

 

 それでも、不思議な気分であった。心の内では絶対に相入れないと思っていた。

 皆殺しを宣告された人類側からしたら不相応にも怒り狂うであろう内容であることは理解していたし、実力で物理的に黙らせるまでが一連の流れだと。

 

 奴は怒るでも共感するでもなく、己の希望と異なるから死んで退けと言った。博愛主義者とか度量が大きいとかそう言う話ではない。

 

 他人が何と言おうが、己の我を押し通すだけの力はある。だからこそ動じない。彼の余裕は、強さ故に。

 

 

 

「正義は何処にある」

 

「勝者に」

 

 

 

 どちらともなく拳を合わせる。普通の術師なら触れた時点で消し炭になるのだが、変わらぬ様子で二撃目が飛んでくる。先程の術師といい、現代の人間は随分と強い。

 白銀の餓鬼が右手を掲げたのと同時に、指先に高密度濃縮された呪力の塊が現れる。避ける間もなく砲撃が駅構内を一閃した。

 

 

「火礫蟲」

 

「ばくおんぱかよ」

 

 

 眼前の敵が鳴り響いた大音量に眉を顰めた瞬間、渋谷マークシティの一角が爆発によって吹き飛んだ。通常の術師ならば初手で鼓膜が破れていても不思議ではないが、随分な耐久力である。

 

 

(流石に死んだか)

 

 

 先程の紅帯の展開もなく四方を囲んでの爆撃だ。弾け飛んだコンクリートがパラパラと落ちる中、頭上からガラスの欠片が降ってくる。

 

 天井に目を向けて後悔した。

 

 照明の設置された屋根には穴が空き、露出した鉄筋に足を引っ掛けて器用にぶら下がっている。碌にダメージが通った気配はない。

 

 

「"式業呪法 煉獄"」

 

 

 同心円状に炎が燃え広がる。白銀の餓鬼と己自身を囲む様に赤々とした壁を作り、餓鬼の気分に合わせてゆらゆらと揺らいでいた。

 

 

「オマエやっぱ強いな。昔術式パクったジジイよりいいモン持ってるよ」

 

 

 同じ炎系統でも式は違うんだな、と訳のわからない戯言を垂れ流している。

 仮に漏瑚と()()()()術式を持つならば、最終的には呪力量勝負になる。不可解なことに目の前の敵の呪力量に変化は見られない。

 

 

(何故呪力が減っとらん)

 

 

 灰色の瞳を煌めかせ、意味あり気な視線が漏瑚に向けられる。見開かれた灰色の瞳に映るのは己の手が纏っている()

 秋の夜空を背負い、白銀の餓鬼がこちらを見下ろす様に立つ。冷や汗をかく己とは異なり、彼に一切の負の感情は見てとれない。

 

 

「オマエ領域使えるだろ?」

 

 

 そうは言うものの、餓鬼の声色に焦燥感などない。領域を展開されたとて問題ないからこその余裕なのだろう。

 

 

「...碌なことにならんのは判っとる」

 

「へぇ。悟くんに負けたから?」

 

 

 苦い記憶に土足で踏み入られる。かつて相対した五条悟という人間に手も足も出ず、一方的に蹂躙されたのだ。先程とてなす術なく花御が祓われ、己自身もまともに戦うことが出来なかった。

 

 

「五条悟は封印された。貴様ら人間が調子に乗っていられるのも今の内だ」

 

「臭い物には蓋をするって?術師は悟くんだけじゃねぇよ。少なくとも、オマエ俺より弱いだろ」

 

 人間の顔の造形に興味などない。それでも、大層整っているであろう顔立ちに笑みすら浮かべて見せる相対者は、まるで絵画の1場面を切り取ったかの如き光景だ。

 

 新たな人類として、偽物に負ける訳にはいかない。漏瑚の生物としての矜持が脳裏を怒りで染め上げる。

 

 腹の底から呪力を掻き集め、己の出力した炎により戦闘フロアが溶解し始めた。赤々とした炎が餓鬼の顔を染め上げるが、己の炎が押しやられているはずの奴に焦る様子はない。

 

 半ばギャンブルだ。この餓鬼自身の手数は異様な程に多いが、その分頭抜けた火力はない。刃の嵐という洒落にならない殺傷力を誇る技こそ持てど、火力勝負になると話は違う。

 

 

「いいねぇ、火力勝負?」

 

 

 それでも尚、奴に焦る様子はない。

 

 

「不安か?」

 

「いいぜ。渋谷マークシティには人っ子1人残ってねぇしな」

 

 

 本当に腹立たしい。戦場が建造物外へ延びることはなく、旧人類の鏖殺という目的は叶わなかった。今なら理解できる。この餓鬼が()()()に妨害していたのだ。もういい。この餓鬼を殺して街を炎熱地獄へ叩き落としてやる。

 

 星空を背景に、白銀が嗤う。

 

 白い指先が印を結び、異質な呪力が練り上げられていく。呪力の圧によって吹き抜けから見上げる天井にはヒビが入り、空気が揺らいで空が歪む。

 

 

「"極ノ番・隕"」

 

「"虚式 業"」

 

 

 破壊された建造物に転がる瓦礫を呪力で覆い、灼熱の大質量弾を全力投球する。漆黒の夜空は夕焼けの如く赤々と染まり、炎熱に晒された建物は崩壊を始めた。

 

 迎え撃つように、轟音と共に己の方へ向かってくるのは馬鹿気た火力の呪力砲撃。障害物などまるで無かったかのように、一切の火力減衰無しに"業"と紡がれた爆撃が漏瑚を襲う。

 

 燃え盛る瓦礫は炎諸共消し飛ばされ、非燃焼物を失った漏瑚の"極ノ番"はみるみる押し切られて行った。

 

 

『.....貴様は何を望む』

 

『俺の愛する人達が健やかに暮らせる世界』

 

『くだらん』

 

『オマエだってそうだろ。仇討ちに俺の最愛を殺そうとする程度にはな』

 

 

100年後の荒野で笑うのが我々でなくとも、我々の同胞であれば良い。そう思っていたのだ。

 

 仇討ち目的に餓鬼の兄と拳を交えなければこの化け物と相対する機会も無かったであろうし、同胞との交流を放棄すれば思考に情が絡み合うことはなかったのだろう。

 

 

『儂は全てを捨てるべきだったのか?』

 

『俺が知るかよ。まぁ、日常を踏み躙った先にオマエの望む結末があったんじゃねぇの?』

 

 

 とある世界線において、"復讐"という目標を諦め陽だまりの様な日常に浸って生きていく選択肢も存在した。それでも少年は青い春の全てを蹂躙し、己の定めた"復讐"をやり遂げた。友人や恩師との未来を捨てた先に存在した結末を掴み取ったのだ。

 

 誰も知らぬ世界の話ではあるが。

 

 眼前に迫った呪力の塊が最後の風景となり、漏瑚の記憶は永久に途切れることとなる。

 




リクエスト下さった方、ありがとうございます。
兄弟が健在だった場合の世界線。

誤字報告ありがとうございます。
10/31 1:39 修正しました
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