帝国連合軍に敗れた魔国の惨状は語るまでもなく、各地における治安の悪化は留まることを知らなかった。戦争に際して圧倒的な武力を見せつけ、当初は連合軍を蹂躙するだろうと見られていた魔国であったが、その実情は戦争による国内での不満の高まりと、魔王失脚を狙う様々な勢力による足の引っ張り合いによって自滅の一途を辿っていた。
国外では戦争、国内では革命軍が発足されるほどの反乱及び混乱、もはや祖国にすらも裏切られ板挟みになった魔王の心中は想像を絶するほど傷心していたに違いない。
敗戦後、帝国占領下を経て魔国内の治安は幾分改善されたものの、それは単純に今まで表舞台で我が者顔をしていた組織が、姿を隠しただけに過ぎず、その存在自体が消えた訳では無い。
今でも彼らは暗躍し、魔王の残した莫大な利権や財産を手中に収めるためにしのぎを削っている。
1章
死にかけたことは今まで何度もあった。だが、死んだことは無かった。
多少の傷は負ったが、それでもしぶとく生き残った。
親もいなければ嫁も子も居ない。愛人は何人か居たが、しばらく連絡もしていない。独り身でこれ程身軽だと言うのに、死んでいくのは常に周りの誰か、自分には死神とはまた違った存在が取り憑いているのかと思うほど、糞を煮つめたような修羅場を命からがらくぐり抜けてきた。
齢39。
40を手前にした2008年の夏、俺は敵対組織の投げ込んだ手榴弾に巻き込まれ即死した。よく人間は、死ぬ間際には走馬灯が見えると言うが、あれは嘘だ。死ぬ時に待っているのはどこまでも続く深い闇、まるで底のないプールに重りをつけられて沈められたような、逃げ出すことの出来ない闇へと抵抗虚しく誘われるのが、死というものだ。
再び浮上することは決してない。一寸先すら見えぬ闇に身体が錠剤のように溶けて、消えてなくなったその時、魂は消え失せる。
はずだった。
目が覚めた。
ゆっくりと、静かに。
背の高い木から漏れる眩い光に目を細めながら、俺は身体をすくりと起こした。着ている服は生前に
そして革製のベルト、その背中部分に挟まる慣れた違和感。
ゆっくりと手を伸ばし、木製のグリップの感触が伝わった時、死後の世界には
愛銃 ブローニングハイパワー
真っ黒な銃身に、木製のグリップ、サイトはミリタリー仕様。
昔のヤクザはトカレフやマカロフなどのロシア製の銃…を中国で製造した粗悪なコピー品ばかりを使っていたが、今どきのヤクザは欧米から流出した設計図を元に、フィリピンで製造された銃火器を所有している者も少なくは無い。
暴対法が出来てから、まともかつ合法的なシノギを主流とするヤクザが増えただけに、肩身が狭くなる時代の流れとは反比例に、皮肉にも懐が潤いつつある昨今、こうして高値で取引される上等な道具を持つ者も少なくはなかった。
腰から銃を取り出し、マガジンを開ける。
黄銅色に輝く13発の9mm弾がみっちりと詰まったマガジンは、今俺が立たされている奇っ怪な状況に対して、あまりにも心強い信頼を抱かせた。マガジンを戻し、スライドを引く、滑りよくカシャリという音とともに弾を装填すると、安全装置をかけて再び腰に戻した。
首を鳴らしながら立ち上がり、全身に着いた土汚れを手で払うと、俺は宛もなく鬱蒼とした森の中をさまようことにした。
とりあえず意思の疎通ができるような存在と出会わなければ、永遠にこの森をハイキングすることになる。銀座で仕立てた高級スーツで山中キャンプをするのは真っ平御免だ。
果てしなく続く森。
暗くは無いが、木漏れ日と木々のざわめきが妙に不気味に感じられた。神隠しにでもあったような、神聖な不気味さに警戒心を高めながら、闊歩を続けた。
もしかしたら、この森には俺以外の人間がいないかもしれないという不安に蓋をしながら、歩みを進める。
やがて、日が沈みかけた夕刻頃、俺はようやく、人と接触をすることが出来た。そいつは、俺より少し背の低い痩せこけた男だった、体には毛皮と薄い布で作られたボロボロの衣服を身にまとっており、腰からは反り返ったサーベルが収まっていた。
さながらその姿は山賊そのもの、いかにも怪しい出で立ちだが、5時間以上探してようやく接触できた人間である、襲ってくるかもという懸念を払いながら、俺は話しかけた。
ここがどこか知らないか
という言葉に対する相手の返答は端的かつ明確だった。
金と食料、その服をよこせ
男は腰から下げたサーベルを引き抜いた。刀身は錆果て、変色した血がべっとりと着いていた。あんな
俺は問答無用で、腰から取り出した
一発の破裂音とともに、男は悲鳴をあげながらその場に倒れた。俺はサーベルを握っていた手を、革靴で踏み砕くと、ひしゃげた指からサーベルを手に取り男の首筋に刃を当てた。
「応えろ、ここはどこだ、お前は何者だ、仲間の有無、仲間の場所は」
「…ぃ、痛ぇ゙」
撃ち抜いた膝を踵で踏み付ける。銃創は、撃ち抜かれた時にできる裂傷と弾丸の熱による火傷で、息を吹きかけられただけでもかなり痛む。そんな所を硬い革靴で踏めば、それはもう立派な拷問になる。一度経験したことがあるが故に、その効果は身をもって知っている。
踏みつけられた膝の穴から、どくどくと黒にも似た血が溢れ出てきた。静脈から出ているドス黒い血は、辺りに生える草花を赤く染めあげた。
「そうか、痛ぇか…なら早く応えろ、悪いが俺は優しい人間じゃない。端的に分かりやすく、ほら練習だ…犬はなんて鳴く?」
「え、え?ァァァァァァアア゙」
「え…じゃねぇだろうがよォ、犬が『え』って鳴くか?鳴かねぇだろ、ワンだろうが。今度、聞き返したら、ふくらはぎ切り裂くぞ」
嗚呼、ダメだ。
自分の中のネジが段々緩まって行くのを感じる。
昔から、何事もやりすぎだと兄貴分からぶん殴られていたが、狂った自分を止めてくれるストッパーが周りに居ないと、如何せん度が過ぎてしまう。
「忠告はしたからな…じゃあ、初めに聞く、ここはどこだ」
「…こ、ここはハルゲント…大森林公園」
「ハルゲント…巫山戯てるのか?」
「ふ、ふざけるもんか…ここはハルゲント大森林公園、帝国の国境にある広大な森林だっ…」
「…で、お前は?」
「え」
「聞き返すなと言ったは…「フェイディ!アントニオ・フェイディ!」
人の話を遮るな嫌われるぞ、アントニオ。はぁ………それに言ったはずだ、質問を聞き返すなと、だから俺は今からお前のふくらはぎを切り裂く、大丈夫だ死にやしない、めちゃくちゃ痛いがな」
今の自分が理不尽極まりないことを重々承知しつつも、俺は持っていたサーベルをアントニオの足に突き立てた。そのまま勢いよく、体重を乗せようとした瞬間、俺の首筋に鋭い何かがプスリと突き刺さった。
俺の意識は再び深い闇へと溶けていった。
目が覚めると、そこは薄暗い洞窟の中だった。
仰向けになりながら、自分の手足が拘束されているのを感じ、攫われたのだと確信した。若かりし頃、攫われたことは何度かある、歩いていたところをいきなり黒塗りの車に遮られ、中から出てきた中国人マフィア数名にリンチされたうえ、廃倉庫に拉致監禁された。今から20年以上前、ヤクザが大手を振って新宿を闊歩していた頃の話だ。
拳銃で撃たれたのもその頃で、腹部に残る銃創が当時の殺伐とした時代をありありと感じさせる。
昔の思い出に浸るのもいいが、今はこの状況を理解しどうするべきかを思案する方が先決だ。
心の中の第三者的な何かが自分に指図をした。
俺はその言葉を素直に受け入れると、首だけを動かし周りを見回す。
薄暗い洞窟、壁がけの松明がやんわりと壁を照らし、岩肌には気色の悪い虫が何匹も這っていた、恐らくゲジゲジ系のなにかだろう。
昔、エアマックス狩りをしていたチーマーの鼻の穴にヤスデを…といかん、思わず昔話を考えてしまう。
気を取り直して再び周りを見回す。
今自分が縛り付けられているのは、ささくれの残る木製の台で、両手は太い紐、足は枷が付けられている。背中は接着剤のようなもので台に貼り付けられており体を起こすことも出来ない。ちなみに服装は全裸、銃もない。
周りに人はおらず、当然ながら見張りも無し。時間をかければ拘束から抜け出すことは出来そうだが、その場合、無傷では済まないだろう。少なくとも、手足に関しては擦り剥く程度の傷で済むだろうが、完全に台と接着された背中に関しては、下手したら皮が剥がれる可能性がある。
非常にめんどくさい。
死に際をめんどくさいで片付けてしまう自分にも驚きだが、一度死を経験していると、死に際なんてただの状況で、生きているのだから問題無いと思えてしまう。
もはや、さっきから何を言っているのか分からないが、簡単に言うと…俺はもう死が怖く無くなっていた。
であるが故に、この危機的状況でさえも過去の思い出に浸れるほど余裕を持てる、これが世間一般で言う『無敵の人』になった気分なのだろうか。
壁を這う虫を見ながら時間を潰していると、数名の足音が近づいてくるのがわかった。洞窟の中にいるが故に、微かな音もよく反響する。足音に反応するように、虫がワラワラと動き始め何匹かが俺の身体に落ちてきた。
「あぁ、マジかよクソ…」
虫は平気だが、さすがにこれはきつい。昔、些細なミスの落とし前でチャバネゴキブリを食わされたことがあったが、あれの数段、脚の数が数え切れない虫が全身の肌を這う感覚は気色悪かった。
気持ち悪さに顔を顰めつつ、首を傾けて足音の方向を見やる。
パラパラと響いていた足音が、やがてドスンドスンという怪獣でしか聞かないような音に変わる頃には、足音の主が目視できる位置まで近づいていた。
このクソ狭い洞窟の中に象でも連れてきているのかと思ったものの、その音の正体が人間だとわかった時には、思わず口を開けて驚愕した。
あまりにもデカすぎるのである、周りを取り巻く4,5人程度の子分が目算して平均的な身長である170cmだとしたら、その巨人のでかさは倍、ちょうど170cmの人間の頭が腰の位置に来る…と言えばわかりやすいだろうか。
恐らく身長3~4m、歴史上長身と言われてきた人物を羅列しても誰も3mという、物理的にも生物学上的にも高すぎる壁を越えた者はいない。
しかしながらこちらへ向かってくる巨漢は、3mを優に超すどころか、その肉体はボディビルダーと見紛うほど筋骨隆々としていた。身長が高いだけで力の強さは、鍛え抜いた人間を遥かに上回るものだが、身長がバカ高い上に分厚い筋肉を身にまとっているとなれば、早速それは野生の羆に比類する化け物以外の何者でもない。
そんな化け物は、手下が走るほど広い歩幅でゆったりとこちらまで歩み寄ると、遥か高い位置から俺の顔を見下ろしながら、手下に言った。
「こいつが、森の中で遭遇したっつうスキル持ちか」
「へ、へぇ…」
「なんでも…"死なねぇ"らしいな」
「そうでございやす、お頭。ここに連れてきた時、腹かっさばいて中のもんを色々引きづり出してやったんですがね、ものの数秒で元通り、オマケに痛みもねぇみたいでして」
「ほう…んじゃあ、ちょっと試してみるか」
「あ」
巨漢はそう言うと、ズボンの部分から小さなナイフを取りだし、俺の腹に迷いなく突き刺した。
小さなナイフ…とは言いつつも、大きさ的には柳刃包丁くらいの刃渡りがある。当然ナイフは腹を貫通し、俺の寝そべっている岩に刃先がくい込んだ。
血が流れる、辺りがみるみるうちに赤く染まる中、自分の腹に何ら痛みが無いことに気がついた俺は、眉間のシワを深く刻んだ。
石の冷たさや虫が這う間隔など、触覚は確かにある、しかし痛みという感覚だけがまるで断ち切られたように、腹に深々と刺さった刃物に対して何ら苦痛を感じない。
自分の身体の変化に眉をひそめていると。巨漢は、試すように俺の頭を掴んで、両手で強く締め付け始めた。
「本当に死なねぇなら、脳みそが潰れても生きてるはずだよな」
大きすぎる手で挟み込まれた頭はみるみるうちにミシミシと軋みながら、骨がひび割れ、やがて弾けた。一瞬思考が停止する、やはり脳が潰れると思考も鈍るようだ。
そしてものの数秒で脳みそが形成されると、徐々に思考も明瞭になり、やがて目玉、鼻、皮膚までもが元通りに戻った。その間、わずか20秒、当然ながら痛みは全くない。
「はっ、すげぇな…これなら臓器売買にも
「へへ、ありがとうごぜぇやす」
「明日、その筋のブローカーに話つけてこい、目の前で取りだした新鮮な膵臓はきっと相場の5倍で売れるぞ。そうすりゃ、俺たちの活動範囲も増える、本格的に臓器売買ビジネスに参入することだって可能だ」
そう言いながら巨漢は、上機嫌で踵を返して去っていった。
明朝前。
部下の一人が眠気眼を擦りつつ、男の様子を見に洞窟へ向かうと、そこにはおびただしい量の血液と、ちぎり取られた手首、そして足首がだらりと紐の先に括り付けられ、拘束台からぶら下がっていた。
拘束台から洞窟の岩肌へ、洞窟から外へ、と果てしなく血の跡は、やがて草木生い茂る山賊達の根城"旧エルフの里跡地"まで続いていた。里を物色するかのように右往左往にちらばった血の跡を追う、やがて跡が細くなり段々と水滴に変わる頃には、里中央に鎮座する巨大な屋敷へとたどり着いていた。
巨大な屋敷、かつてこの里に住んでいたエルフたちの里長がいたとされる大きな屋敷、その屋敷は当然ながら現在、山賊の頭目である『グレゴリオ』が使っている。
血の跡が、自身のボスの元へと続いていると察した山賊は、大きな声を張り上げた。
「逃げたッ!!!!奴が逃げた!!!!!」
里に響き渡る声、その声に反応するように寝ていた山賊総勢214名が、武器を片手に各々の家から出てくる。
いつ逃げたのか、もうお頭の寝室へと向かったのか、全員が冷や汗を流しながら屋敷へと突入しようとしたその瞬間、屋敷の寝室と思われる部屋の窓から激しい光が一瞬漏れ出た。
耳をつんざくような破裂音と共に、巨大な何かが窓を突き破って、地面に落ちる。
山賊は寄ってたかってその落ちた物を囲った。
そこには片目を潰され瀕死状態になった、彼らの
山をも更地にしてしまう『豪腕』という
主人公の名前をタイトルにしておきながら、4話目で別の主人公を登場させるという暴挙。いきなりの展開でついていけないという人もいるのであえて補足すると、エルフ=長命種なので、60年という年月はリーティアにとっては6年程度の時間と大差ありません。なので、二人の主人公がいずれ交差し、出会うという展開を描きたかったわけです。
ちなみに次回から、またリーティア視点です。