心が織りなす仮面の軌跡(閃の軌跡×ペルソナ)   作:十束

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65話「包囲網の裏側(後編)」

 ──7月16日深夜のトリスタ礼拝堂。

 薄暗い明かりが揺らめく礼拝堂の中で神父、シスター見習いのロジーヌ、そして士官学院の保険医を務めるベアトリクスの3名が話し合っていた。

 

「……それで、薬について何か当てはありましたか?」

 

 小じわを携えた神父がおそるおそるベアトリクスに問いかける。

 今の彼女は一介の保険医だが、元は帝国正規軍に所属し ていた軍医だ。七耀協会とは異なるパイプを持っているからこそ不足した薬が手に入るのではないかと、神父は一縷の望みをかけていた。

 

「ええ、その件については、口頭で説明するよりもこちらをご覧になった方が早いでしょう」

 

 そう言ってベアトリクスは神父に1通の封筒を手渡した。

 

「これは?」

「つい先ほど届いた旧友からの返事です」

 

 神父はベアトリクスに促されるままに封筒の中身を取り出し、綴られた文字を視線で追う。

 

「なになに……”以前の戦役で貴女から受けた恩義に報いたい。ひいては私が運営する病院に薬を分けるよう申し伝えるので、同封した紹介状を──” ……こ。これは本当ですか!?」

「勿論です。帝都ヘイムダルにある病院の住所も書かれていましたので、そこに行けば薬も手に入るでしょう」

「おお、それはありがたい。これで子供たちの熱も下げられます」

 

 ベアトリクスからもたらされた吉報を受けて神父の顔が緩んだ。

 

「この巡り合わせも空の女神のお導きというものでしょうか。早速、薬を受けとりに──」

「……あの、パウル教区長」

「む、どうかなさいましたか? ロジーヌ」

「お喜びのところ大変恐縮なのですが……」

 

 妙に歯切れの悪いロジーヌの声を聴いて、神父パウルは手紙から視線を離す。

 喜ばしい情報である筈なのに暗いロジーヌの表情。それに加え真剣な顔で時計を見つめるベアトリクスの様子を見て、パウルはオルソラの言わんとする事を理解する。

 

「…………ああなるほど、最終列車の時間、ですか」

 

 そう、今の時間は深夜。

 列車の便は片道分しか残っておらず、今日中に薬を持って帰るのは難しい状況だ。

 状況を把握したパウルは、一転して苦い表情をしながら封筒をベアトリクスに返す。そんな彼の元に、昼間ケインズの息子を診ていたロジーヌが近づいて来た。

 

「ケインズさんの所のカイ君なんですが、症状が悪化していて今夜が山場になりそうなんです。何とか解熱剤を見つけないと……」

「……分かりました。万が一の可能性もありますし、改めて教会の備蓄を確認するとしましょうか」

「はい。戸棚の隅から隅までひっくり返すつもりで頑張ります」

 

 教会の2人はどうやら夜通し薬を探す覚悟を固めた様だ。

 薬棚のある部屋へと向かうロジーヌに追従しようとしたパウルだったが、途中で足を止めてベアトリクスに向き直る。

 

「ベアトリクス医師、そういう事なので申し訳ないですが今夜は……」

「別に構いませんよ。ひと休憩しましたら私の方でも探してみますので」

「ご厚意、心から感謝します」

 

 そう言ってパウルもまた、部屋の奥へと消えていった。

 

 

 ……

 …………

 

 

 1人になったベアトリクス。

 彼女は重々しく礼拝堂の長椅子に腰掛けると、ポツリと、こう呟いた。

 

「──さて、お待たせしてしまいましたね」

 

 彼女の視線が向かう先は天井近くの梁。

 その上に音もなく潜んでいたライを捉える。

 

(気づかれてたのか)

 

 これは降りた方が良さそうだ。

 ひとまずライは梁の上から飛び降りて、盗み聞きしていた事について謝った。

 

「済みません」

「謝る必要はありませんよ。人前に姿を出し辛い事情は把握してます。……それよりも、ここに来た目的が別にあるのではないですか?」

 

 流石の観察力と言うべきか。この一瞬で、ベアトリクスはライの目的を正確に把握していた。

 ライはスムーズに話を進められる事に感謝しつつ、彼女にディスシックを手渡して今回のあらましを説明する。

 

「あの異界で手に入れた、病気治療の妙薬ですか」

 

 手元の小瓶を揺らしてまじまじと眺めるベアトリクス。

 この薬が効けば、今苦しんでいるあの子も助ける事が出来る。ライはその可能性に賭けていた。……のだが、

 

「……誠に残念ですが、医師としてこの薬の処方を認める訳にはいきません」

 

 ベアトリクスの判断によりその可能性は潰えた。

 

「そう、ですか……」

 

 まあ当然と言えば当然の判断だ。

 異世界で手に入れた得体の知れない薬。それも子供への投与実績のないものである。医者として不許可の判断を下す可能性はライだって考えていた事だ。

 

 しかし、だからと言って止まる訳にはいかない。

 トワの仕事を減らす為。なにより、依頼を受けた身としてケインズ達の願いを無下には出来ない。

 

(──それに、まだ方法はある)

 

 正確には、ついさっき見つかったと言うべきか。

 パウル達が話し合っていた最終列車の件には1つ見落としがあった。

 確かに最終列車は往路も復路も1本のみで、片方に乗ればもう片方には間に合わないだろう。

 

 ……だが、エレボニア帝国行きの線路を走る列車は、何も人を乗せるものだけではない。

 

(回送列車だ。あれに乗り込めたなら、帰りの列車にも十分間に合う)

 

「ベアトリクス教官、失礼ですが先ほどの封筒をお借りしても?」

 

 ライの突然の提案を受け、ベアトリクスの目がやや丸くなる。

 

「一応ですが、理由をお聞きしましょうか」

「当然、薬を調達しに行く為です」

「そうですか……。……ふむ」

 

 何やら考え込むベアトリクス。

 しかし、すぐに答えが出たのか、彼女は手元の封筒をライに差し出した。

 

「どうやって、という問い掛けについては聞かないでおいてあげましょう」

「感謝します」

 

 ライは再度礼をして手を伸ばす。が、

 

「──ですが、その前に1つ対価をいただくとしましょうか」

 

 その手は途中で止められた。

 

 対価? 

 取引をしたいと言う事なのだろうか? 

 

「何、少し老婆のお小言を聞いてもらうだけですよ」

 

 ベアトリクスは少し茶目っ気交じりの笑顔で答える。

 まあ、その程度の対価なら問題ないだろう。ライは交渉成立と言わんばかりに封筒を手に取った。

 

「よろしい。では──」

 

 ベアトリクスは姿勢を正し、ライの顔を正面から見つめ、

 

「ライ・アスガード。貴方は自身の持つ”影響力”についてもう少し自覚するべきでしょう」

 

 はっきりとそう断言した。

 

「……影響力?」

「人間社会に所属している以上、人は誰しも影響を与え合って生きています」

 

 それは糸で織りなす布の様に、密接に絡み合ってます。と、ベアトリクスはハンカチーフを広げながら語る。

 

「ただ、その影響力は皆が皆同じ訳ではありません。庶民が日々何気なく行っている行動も、貴族や金持ち、有名人が行えば周りの人々を大きく動かしてしまう。──貴方の場合は特にそれが顕著と言えるでしょう。シャドウ事件の中心にいるという立場。ペルソナという力。そして他者の嫌悪感を引き出す異変。どの視点から見ても強大な影響力があると言わざる得ません」

 

 柔らかな表情で丁寧な説明を続けるベアトリクス。

 だが、その眼光だけは、一語一句聞き逃すことは許さないという気迫が込められていた。

 

「これ以上、下手な真似を続けていると、国中を巻き込むような大騒動に発展するかも知れませんよ。行動には責任が伴うもの。くれぐれも注意しておくように」

 

 ……国中を巻き込むは言いすぎな気もするが、彼女の言葉は確かに真実を告げているのだろう。

 

「肝に銘じます」

 

 今後はもっと周囲に気を配るべきか。

 ライはベアトリクスの言葉を胸に刻み込み、トリスタ駅へと向かっていった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 ……まあ、結論から言うと、その方針転換はまったく持って手遅れであった。

 

『──怪盗に告げる。貴様は我々が完全に包囲した。大人しく投降したまえ』

 

 トリスタ駅の周囲を囲む貴族クラスの面々に加え、野次馬の様に集まってくる庶民クラスの人達。

 彼らの近くには大型のスポットライトが備え付けられており、その強烈な光を屋根の上で一身に浴びるライは、まるで舞台に上がった俳優のような気分にさせられる。

 

 今にして思えば、昼間に貴族クラスの生徒達が躍起になって探していたのは、他でもないライ自身だったのだろう。

 

(この状況を無難に収めるには、俺が捕まるのが一番か)

 

 歴史を守ると言う貴族の立場を失念していたのは間違いなくライの落ち度だ。

 その責任を負うのが真っ当な流れである事も理解している。

 ……けど、

 

「けど今は、ここで止まる訳にはいかない」

 

 ライにだって曲げられない理由はある。

 その為なら彼らを敵に回しても構わない。無難など知った事か。

 

 迫りくる追手。ライは変装用の眼鏡を投げ飛ばし、彼らに相対する。

 かくして深夜の駅屋上にて怪盗の脱出劇が幕を開け、ライは無事、帝都行の回送列車に乗り込むことに成功するのであった。

 

 

 …………

 

 ……そして、手に入れた薬を届け終えた後。

 真っ暗な生徒会室にて。

 

「……これは?」

 

 地面に落ちた紙を拾い上げ、ライは友人2人からの願いを受け取った。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ──

 ────

 

 ──深夜の医務室にて。

 もう1人のワーカーホリックであるトワは、ベッドの上で眠りについていた。

 

 時折苦し気に咳こむ小柄な少女。

 額には汗が浮かび、解かれた髪はシーツの上でぐしゃぐしゃに広がっている。

 寝巻代わりのシャツが肌にべったりと貼りついている様子から見ても、高熱にうなされている事は明らかだろう。

 

 そんな彼女の頬にある時、吹くはずのない風が通り過ぎた。

 

「…………ん、……う、ぁれ……?」

 

 うるんだ目が薄っすらと開いたトワは、枕に身を預けたまま、かすんだ視界を窓の方へと向ける。

 

 ──いつの間に開かれていた窓。

 その手前には、月明かりを背に、上着をなびかせた青年が静かに佇んでいた。

 

「……えっと、らい、……くん?」

 

 暗い灰色の髪を目にしたトワがおぼろげな意識のまま問いかける。

 それを聞いた青年は一歩歩み寄り、短く「ええ」と答えた。

 

「だめ、だよ。ここにいたら、ライくんにも風邪がうつっちゃう……」

「大丈夫です。侵入するついでに換気もしましたので」

 

 入ってきた窓に視線を向け淡々と答えるライ。

 普段のトワだったなら、きっと窓から侵入してきた事に疑問を覚えただろう。

 もしかしたら窓1つで予防した気になっている事を咎めたかも知れない。

 

 しかし、今のトワは高熱で頭がぼーっとしてしまってる為か、ライの主張を素直に受け取って頬を緩めた。

 

「そっかぁ、だったら安心だね……」

「ハーシェル先輩。熱の方はどうですか?」

「熱? ……うん、少しは下がったと思うけど」

 

 自分の額に手を当てて熱を確認する。

 今も苦しくて体が重い事には変わりないけれど、ほんの少しは楽になった様な、そうでもないような……。

 

 と、そんな自問自答をトワが繰り返していたところ、いつの前にかライが枕元まで近づいていた。

 

「えっ?」

 

 音もない接近に身を起こして目を丸くするトワ。

 そんな彼女の驚きを他所に、ライはコップとオブラートに包まれた粉を差し出した。

 

「これって……」

「薬です」

 

 くすり……薬?

 反芻して意味を理解したトワは内心戸惑う。

 ぼんやりとした記憶だけれども、薬は切らしているとトワはベアトリクスに聞いていた。

 そんな貴重なものを自分なんかの為に使って良いんだろうか? もっと必要な子の為にとっておいた方が良いんじゃないか? そう問いかけようと顔を上げるトワ。

 

 ──しかしその言葉は、ライの青い視線と合った瞬間、消え失せた。

 

 まるで月明かりを宿したかのように淡く光る瞳。

 一見無表情にも見えるが、その目はただただ真剣にトワの体を心配している者の目だ。

 そんな相手に"自分なんか"なんて言える筈もない。

 トワは一旦開いた口を閉じて、小さな手でライから薬を受け取った。

 

(そういえばライ君の顔、久しぶりに見たかも……)

 

 薬を渡せた事で安心したのか頬を僅かに緩ませるライ。

 トワはそんな彼の顔を眺めてながら、自身の心がぽかぽかと温かくなるのを感じる。

 

 思えばこの数日間、2人はお互いを想いながらも顔を合わせる事はなかった。

 2人に本当に必要だったのは、案外そんな単純な事であった……。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ……薬を飲んでから幾何の時が経った後。

 冷たいタオルを額に乗せたトワは、薬で幾分か楽にはなったものの、中々寝付けずにいた。

 

 暗い石造りの天井。

 体はぞくぞくと冷たく、逆にのぼせる程に熱い頭。

 シンとした静寂の中、時折ぺらり、ぺらりと紙をめくる音が聞こえてくる。……どうやらライは机で書類作業をしているらしい。

 

「もし眠れないなら、質問しても良いですか?」

 

 トワが眠れない事に気づいたのか、カーテンの向こうからライが声をかけて来た。

 

「うん、いいけど……」

「先輩はどうして俺に気をかけてくれるんですか?」

 

 ライの率直な疑問。

 それはトワにとって意外なものだった。

 

「私って、そんなにライ君を特別扱いしてたっけ?」

「ええ」

「そうかなぁ。……まぁ、そうかも?」

 

 トワ自身あまり意識してなかったけれど、確かに他の生徒より意識しているかも知れない。

 もちろん能力とかも考慮してはいるが、1年早々に生徒会へと誘うのは中々異例だ。

 特別実習のときだって毎回心配させられる。……まあそれは、毎回大変な目にあってるからってのもあるけど。

 

 どうしてそんなに気になるのだろう?

 曖昧な意識のまま、トワは自分の心に問いかける。

 そして──

 

「……それはたぶん、きっと、私がなんでもないライ君を知ってるから、なのかな」

 

 と、答えを出した。

 

「ライ君ってさ。入学式のあの日、この部屋で目覚めたんだよね?」

「そういえば」

 

 まるで他人事のようなライの返答を聞いたトワはくすりと笑う。

 そして、ベッドの中から天井を……恐らくあの日、目覚めたライが最初に見たであろう光景を眺めながら、今は遠い入学式の日に思いを馳せた。

 

 あの日は確か、新入生を出迎えるために朝早くから校門の前に立っていた筈だ。

 事前にクロウから”経歴不明の新入生”について聞いていたので、トワは初々しい新入生達に声をかけながらもライの事を探していた。

 しかし、待てども待てどもそれらしい人物は来ず、そのまま入学式が始まる事に。

 結局のところ、ライが昨夜の駅で倒れて医務室に運ばれていたと言う話が伝わってきたのは、リィン達のオリエンテーリングを見守っていた夕方頃であった。

 

「あのとき、実はけっこう緊張してたんだよ? だってライ君、経歴がほとんど真っ白だったんだから」

 

 ほぼ白紙のまま提出して受理されるなんて、まるで”自分を怪しんでくれ”とでも言いたげな経歴書だ。

 いったいどんな経緯で入学して来たのか。どうしてそれを隠そうともしないのか。医務室の扉を開ける手が少し重くなったのを、トワは今でも覚えている。

 

 ……けれど、そんな緊張は本人に会った時、本当にあっけなく解けた。

 

『あ、いたいたー! ライ・アスガード君、だよね。丸1日寝てたけど体は大丈夫かな?』

『ああ、君は?』

 

 医務室の隅で書類をめくっていた灰髪の青年。

 トワの声に反応して振り返った彼は、事前の予想とは裏腹に至って普通な人物だった。

 それは記憶喪失のせいかも知れないけれど、トワの見たライ・アスガードはどこまでも透明で、まるで数字の0の様な青年だったのだ。

 

 そんなライの印象を、トワは本人を前にありのまま伝えた。

 ぼんやりとした頭のまま、浮かんだ言葉をそのままに、懐かし気に呟く少女。

 

 しかし、その声色はある時、暗く沈み込んだ。

 

「……けど、その日の内にあの異変が起きて、ライ君は普通の男の子じゃいられなくなった」

 

 旧校舎の異変。ペルソナの覚醒。

 あの瞬間からライを取り巻く何かが変わった様にトワは感じていた。

 立場だけじゃない。ライ自身も、歯車が噛み合ったみたいにどこか変わってしまった。

 

「べつにライ君が悪いわけじゃない……けど、このまま前に進んでいったら、ライ君はいったいどうなっちゃうんだろうって、そう思っちゃうのも、たぶん、嘘じゃない」

 

 ペルソナに覚醒した後のライは、まるで”命の答え”でも知ったかの様に揺るぎない目をするようになった。

 

 道を定めたらひたすらに全力で、一片の躊躇なく進み続けるその生き様。

 例えそれが取り返しのつかない破滅の道だったとしても、例え自らの命を捨てる事になったとしても、彼は立ち止まったりしないだろう。

 

「それでも俺は──」

「うん、止まらない事くらい分かってるよ。……でもね? それならせめて、ライ君が体験するはずだった日々の事は忘れないで欲しいなって思うんだ」

 

 トワは目を閉じて、絞り出すような声を出す。

 

「ライ君はお父さんやお母さんの姿も、友達も、故郷の光景も覚えてないんだもん。だから、この士官学院が代わりになったらいいなって。ここが拠り所になったら嬉しいなって……。……そうじゃないと、ライ君はきっと、本当に後戻りできない場所に進んじゃう」

 

 そう呟くトワの声は震えていた。

 後戻りできない場所。決してトワの手が届かない場所。……端的に言えば”あの世”。

 実際に”似た”経験をしているのか、彼女の焦燥感は切実なものだ。

 

 ──と、その時、カーテンの向こう側から聞こえていた作業音がぴたりと止まった。

 

 不気味な程に静まり返った室内。

 その変化に驚いたトワが視線を横に向けると、そこには音もなく立つライの姿があった。

 

「…… ライ、くん?」

 

 恐る恐る問いかけるトワ。

 確かに目の前にいるのに気配を感じない。

 まるで先ほど思い浮かべたライの姿──幽霊でも見ているかのようで、ゾクリと冷たい汗が頬を伝う。

 

 けれど──、

 

「大丈夫です」

 

 そんな彼の口から紡がれたのは、短く、けれども温かみのある声だった。

 

「リィン達やクロウ、それにハーシェル先輩だって大事な仲間ですから。どんな道に進もうと、皆がいる限り、ここが俺の居場所です」

 

 トワの不安を解きほぐすように、一語一句ゆっくりと伝えるライ。

 その言葉を聞いたトワは安心したのか、体の力を抜いてベッドに深く身を預ける。

 

「そっか」

 

 さっきまで感じていた焦燥感はいつの間にか消えていた。

 何だか今なら眠れそう。そう感じるトワであった。

 

 ……が、今の会話に何か引っかかるものがあったのか、彼女の意識はぎりぎりのところで踏みとどまる。

 

「ぇ、あれ? そういえばライ君って、クロウ君のこと、名前で呼んでるんだ」

「──? ええ」

 

 そう、それはトワからして見れば見過ごせない変化だった。

 彼の文化圏がそうだったのかは定かではないが、ライは基本的に相手をラストネームで呼んでいる。そんな彼がクロウの事を名前で、それも呼び捨てで言っていたのだ。

 リィン達は同級生だから名前で呼んでるのはまだ分かる。

 しかしクロウは別だ。年齢だって同じだし、立場的にはむしろトワの方が近いくらいだ。

 

 そう思うと、心の底から疎外感のような寂しさが湧き出してくる。

 

「……ずるいなぁ。わたしだって、ライ君と会ったのは同じ日だったのに」

 

 思わずトワの口から零れ落ちた独り言。

 それは、図らずも静かな医務室内に響き渡る。

 

「なら同じように呼びますか?」

「え、あ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんだけど」

「遠慮する必要はないかと。ハーシェル先輩は同じ生徒会の会長ですし、それに──」

 

 ライが途中で言葉を区切る。

 何かを思い出しているのだろうか。彼は数瞬考え込み、そして改めて口を開いた。

 

「それに、病人は我がままを言うものです」

 

 病人は要望を言ってなんぼである。

 故にトワが遠慮する必要は何もない。むしろ遠慮などするなと、ライは視線が泳ぐトワに対しきっぱりと言った。

 

「……そーだね。なら、これからは”トワ”先輩って呼んでくれる、かな?」

「承りました。トワ先輩」

 

 トワ先輩と言う呼び名を聞いて、トワの頬が自然と緩んだ。

 

 再び訪れる深い眠気。

 この感覚に身をゆだねれば、きっと次に見るのはまばゆい朝日なのだろう。

 

「ねぇ、せっかくだから、もう1つ、わがまま言ってもいいかな……?」

「ええ」

「ありがと。それはね──……」

 

 まぶたが閉じていく中、ライにゆっくりと要望を伝える。

 そうしてトワは暖かな眠りへと落ちていった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ……

 …………

 

(──手をつないで欲しい。か)

 

 トワが眠りについてから暫く経った後。

 ベッド脇の椅子に座るライは、彼女の手を握りながらも先ほどの言葉を反芻していた。

 

 くしゃくしゃな茶髪に埋もれる様にして眠るトワ。

 ライの手に包まれた片手はとても小さく、どこからどう見ても幼い少女の様にしか見えない。

 けれど、そんな彼女がライに語った願いは、賢母のような慈愛に満ちたものだった。

 

「このままじゃ駄目、だよな」

 

 ライの脳裏によぎったのはトリスタ駅で起きた一連の騒動だ。

 トワに伝えた事は嘘ではない。……が、ここがライの居場所だと言うのなら、彼らとのいざこざを無視する訳にもいかないだろう。

 フィレモンの鍵や嫌悪感などは諦める理由にならない。

 トワの願いを無下にしない為にも、ただ前に進み続けよう。

 

 そう決意を新たにするライであったが、次の瞬間、唐突な眩暈が彼を襲った。

 ぶれる視界。ライは空いたもう片手で頭を支える。

 

(……流石に、5徹は少し不味かったか)

 

 少し仮眠を取った方が良いだろう。

 ライは椅子に座ったまま、静かに目を閉じる。

 

 かくして2人のワーカーホリックは、深夜の医務室にて深い眠りへと落ちていく。

 そんな彼らを見守るのは、ほの暗い月明かりだけであった。

 

 

 “我は汝、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり。汝が心に芽生えしは正義のアルカナ。誠実なるその絆が、汝の道標とならんことを……”

 

 

 

 

 




正義(トワ)
 そのアルカナが示すは平等や正しさ。正位置では誠実や均衡を示し、逆位置では偏向や一方通行を意味する。カードに描かれている剣と天秤を携えた女性は支配・公平を暗示しており、生徒会長であるトワもまた、誠実な上に立つ者としての在り方を体現していると言えるだろう。



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