──トリスタ駅での大騒動があった翌日の7月17日。
太陽も沈みかけた夕暮れの中、ライは第3学生寮への帰途についていた。
正面玄関のドアノブに手をかけて寮内に入る。
この経路を使うのも数日ぶりか。と、聞く人が聞いたら理解を拒みそうな考え事をしていると、入り口のすぐ隣、郵便受けが並べられている場所から声をかけられた。
「ライ、帰って来たのか」
それは白い封筒を手にしたリィンだった。
彼は普通に帰宅したライを見て、全てを理解した様に頷く。
「昼間は聞けなかったけど、どうやらトワ会長とはしっかりと話せたみたいだな」
「……ああ」
リィンとクロウが出した依頼は、ただの看病だけでなく、微妙にすれ違ってた2人を対峙させる事を目的としていた。
例えライ自身が止められなかったとしても、2人を正面からぶつけてしまえば負の連鎖はそこで止まる。リィンが気づいた攻略法は的を射ていた訳だ。
「迷惑をかけた」
「全くだよ。1つ貸しだからな?」
「勿論だ」
そんな短いやり取りで一連の騒動を締めるリィンとライ。
男同士の謝罪など案外そんなものである。
まあ、そんな感じで一通り会話を終えたリィンは、手元の手紙へと意識を移した。
嬉しいようで後ろめたいような複雑な表情だ。その理由が気になったライは遠慮なくリィンに問いかける。
「──それは?」
「ああ。これはエリゼからの手紙さ」
「エリゼ?」
聞き覚えのない女性の名だ。
「あ、そう言えばライにはまだ伝えてなかったっけか。エリゼは俺の妹って言うか、シュバルツァー家の長女なんだ」
リィンを引き取ったシュバルツァー男爵家。
そこの子供であるのなら、妹とは言っても義理の妹なのだろう。
ライは、妹がいたのか、とリィンの家族構成に関する情報を更新しつつ、話を続ける。
「実家からの手紙だったのか」
「ああいや、エリゼは今、帝都の聖アストライア女学院に通ってるから」
「帝都の? 案外近いな」
「あ、ああ、そうだな。……そうだよな」
妙に言い淀むリィン。
やはり実家とは確執でもあるのだろうか。
もう少し話を聞いた方が良いか?と考えるライであったが、その瞬間、背後の正面玄関がバタンと大きな音が鳴り響く。
「ねぇねぇ! ライが帰って来たって本当!?」
入口にいたのは大急ぎで帰って来たであろうミリアムの姿。
肩から息をしており、大急ぎで駆けつけて来たのが一目で分かるだろう。
ライの姿を見て目を輝かせるミリアムに対し、ライは何時のもペースで向かいなおった。
「本当だ」
「やったぁ! やっと捕まえられたよ!! ──それじゃあ、ライ? さっそく本題なんだけど、何で今回ボクを誘ってくれなかったのさ」
「誘う?」
「まったくライも薄情だよねぇ。隠密行動のスペシャリストであるボクをないがしろにするなんてさ。ライとボクの仲なんだから、怪盗なんて面白イベントを始めるならまずボクに相談するってのが当然の流れでしょ?」
「スペシャリスト?」
マシンガンの様に畳みかけてくるミリアムと、頭に?を浮かべるばかりのライ。
今回の騒動が単なるイベントだと思ってる彼女とのズレがありありと出ている状況だが、とりあえず仲間外れにされたのが不満である事だけは、今のライでも何とか理解できた。
そう、即ちこれは──
「依頼か」
一緒にやりたかったと言うミリアムの願い。
ならば早速生徒会室に赴いて、適当な依頼を受けなければ……!!
キラリと光る眼光。スイッチが入って動き出そうとするライであった。──が、しかし、それはリィンがライの肩を掴んだことで強制的に中断される。
「おい待て」
「……リィン?」
「ライ、今日はもう寝よう。な?」
リィンの顔が笑っているのに笑っていない。
何故だろう。
今の「今日はもう寝ようぜ」という言葉に、ライは逆らえない気がした……。
◆◆◆
──パトリック・ハイアームズ。
名門貴族フェルナン・ハイアームズ侯爵の3男であり、由緒正しい血筋を背景に貴族クラスI組に所属する彼は、近頃悩みを抱えていた。
「パトリックさん! 私達も怪盗捕縛に協力しましょうよ! この士官学院を我が物顔で蹂躙するなど許される筈がない。いえ、たとえ女神が許しても私達が許さない!!」
第一学生寮のソファに座っていると、取り巻きの1人が熱心に勧誘してくる。
しかし、当のパトリックはあまり乗り気ではなかった。
(奇妙な話だ。以前に会った際は底の知れなさはあったけれど、今ほどの強烈な嫌悪感はなかった。それにあの男から感じる印象……。あれは彼と言うよりはむしろ、1カ月前の僕自身じゃ──)
嫌な記憶を思い出したパトリックは頭を振るい、重々しくソファから立ち上がる。
「えと、パトリックさん?」
「君達が参加する事には反対しないが、僕には私用があるので遠慮させてもらうよ」
「それなら私もお供を……」
「いや不要だ。1人にさせてくれたまえ」
「は、はい」
狼狽える取り巻きを背にして、パトリックは第一学生寮を後にした。
◇◇◇
外に出たパトリックが何処に向かったかと言うと、意外な事に第三学生寮前の曲がり角であった。
曲がり角の物陰に佇み、ちらちらと第三学生寮の入口を確認するパトリック。
今が7月18日の自由行動日であるとは言え、こんな彼らしくない光景を見れる機会など早々ないだろう。
偶にコホンと体裁を整えて第三学生寮に向かおうとするものの、すぐに考え直して物陰に戻り、こそこそと入口を確認することを繰り返す白制服の男。明らかに不審者な彼の背後から突然、抑揚のない声が投げかけられた。
「──いったい何を?」
「うぉあ!?」
パトリックは驚き飛び上がる。
心臓をバクバクさせながら振り向くと、貴族生徒達が探し求めた怪盗の顔がそこにあった。
「お、お前はライ・アスガード……」
「久しぶり」
「いやいや待ちたまえ。君と僕はそんな馴れ馴れしい挨拶をする間柄じゃないだろう?」
1か月前のいざこざを感じさせない態度にパトリックは毒気を抜かれる。
だがしかし、パトリックはこれでもハイアームズ男爵家の子息。いくら相手が奇々怪々な存在であろうとも、自らの在り方を曲げる訳にはいかない。
何とかプライドで立ち直ったパトリックは、堂々とした佇まいに戻ってライの疑問に答える。
「いや何、これは敵情視察に来たのであって他意は「実のところ坊ちゃまは前回の武術教練で言い過ぎた事を気にしておりまして、特に酷い事を言ってしまったリィン様に謝るタイミングを、こうして探しておいでなのですよ」──おい、セレスタン!」
が、その釈明は横から入った第三者の訂正によって遮られてしまった。
その第三者とは、整った執事服を身にまとった眼鏡の男性。彼はライに向けて畏まったお辞儀をする。
「初めまして。私はハイアームズ家に仕えておりますセレスタンと申します。ライ様のご活躍はハイアームズ侯爵閣下より常々伺っておりますので、どうぞお見知りおきを」
「その節はどうも」
そんなセントアークでの一幕を交えた挨拶を交わすと、ライは再びパトリックに意識を戻す。
「仲直りがしたかったのか?」
「ば、馬鹿を言うな! 僕ともあろう者がそう易々と頭を下げるなど「ライ様、少しよろしいでしょうか」──今度は誰だ!」
パトリックの釈明は、またもや横から入った第四者の言葉によって遮られてしまった。
この場に居合わせた4人目とはメイド服のシャロン・クルーガー。
どうやら彼女はライに用事があったらしい。ライの視線が彼女に移る。
「急用ですか?」
「ええ、実は先ほど緊急の連絡が入りまして、ライ様にはエリゼ様を探す手伝いをして欲しいと」
「エリゼ……リィンの妹ですか。彼女がこのトリスタに?」
「はい。なんでも先ほどリィン様と言い争いになってしまったらしく、そのまま走り去ってしまったらしいのです」
なるほど。と、何やら考え込むライ。
パトリックとしてはこのままいなくなってくれた方が正直ありがたい。……のだが、彼の口から次に出た言葉は、かなり意外なものだった。
「ハイアームズ、1つ取引をしないか?」
「は?」
……
…………
短くも的確な言葉でパトリックは取引とやらの説明を受ける。
「──なるほど、彼の妹探しに協力する、か。確かにシュバルツァーに貸しをつくるのは悪くない考えだ」
ライが提案した捜索への協力は、パトリックにとってまたとない機会だった。
現状の問題は、パトリックは自らのプライドにより中々謝る事が出来ずにいる事だ。
しかし、リィンに対して貸しをつくる事により、ある程度は対等の立場で話し合う事も可能だろう。
加えてライが対価として要求するであろう内容についても、彼は大よその検討がついていた。
「そして君は、僕の一声で貴族生徒からの悪評を拭う事ができる。と言う訳か」
先日も騒動があったと聞いている。
ならばこれだろう。と述べるパトリックであったのだが、
「いや、それはいい」
「……何?」
意外なことに、推論は否定されてしまった。
「ハイアームズには貴族生徒の依頼を受けるための仲介を頼みたい」
「依頼だと?」
「ああ。その後は俺が何とかする」
まさかこの男、自分自身で貴族クラスの生徒達を攻略するつもりなのか?
嫌われている相手に何の冗談だと思うパトリックであったが、本人の表情は至って真剣そのものだ。
むしろ末恐ろしい程に淀みのない視線。それを見たパトリックは、心の何処かで何かが噛み合ったかの様な感覚に陥る。
「……分かった。その取引、受けようじゃないか」
「助かる」
「では、僕は士官学院の北側をあたるとしよう」
いつの間にかパトリックは心の冷静さを取り戻していた。
取引を終えた彼は片足を引き、そのまま士官学院への道を歩み始める。
けれど、その途中で一旦足を止め、
「それと1つ、君に忠告しておこう。貴族にとって家名は特別な意味を持っている。僕の事は特別にパトリックと呼んでくれたまえ」
と、ライに告げるのだった。
◆◆◆
……一方その頃。
トールズ士官学院の裏道を、見慣れぬ制服を着た黒髪長髪の少女が歩いていた。
彼女の名はエリゼ・シュバルツァー。
リィンの妹である彼女は、人目をやや避けつつも、見知らぬ学院の中を当てもなく彷徨っていた。
事の発端はリィンがエリザに当てて出した手紙の内容だ。
養子である事の後ろめたさか、実は疎まれているんじゃないかと言う不安か、はたまた将来の道に迷っている事の表れか。彼はエリザへの手紙に『いずれ家を出ていく』と付け足していた。
無論それは養子が長男である事による諸問題を回避する意味もあったのだが、それに猛反発したのが他でもないエリゼだ。彼女は事前に一報を送った後、自ら列車に乗って士官学院に乗り込んできたのである。
しかしながら、いざ屋上で話し合った時、リィンの行動が無意識だった事が判明。
エリゼは自らを蔑ろにする兄に対し激しい感情をぶつけ、そのまま勢いに身を任せて屋上を走り去ったのだ。
「兄様のばか……」
艶やかな黒髪を揺らし涙目になりながら、ふつふつと兄への不満を漏らすエリゼ。
何故だか周囲に人影はない。少し変には感じるけれど、今はそれが心底ありがたかった。
木々がざわめき、暖かな風が頬を撫でる。
そんな中、エリゼはかすかな声を耳にした。
「──よし。人除けを済ませて見張りも寝かせたし、これで問題なく旧校舎まで行けるわね」
そこそこ高い女性の声。
ひとけのない中で聞こえた声が気になったエリゼはそちらを見る。……が、そこに人の姿はなく、綺麗な毛並みの黒猫がいるだけだった。
(あれ? 今のは空耳?)
不思議がるエリゼを尻目に、黒猫は奥の方へと走り去っていく。
元より目的地などないエリゼは誘われるようにして、その後をついて行くのであった。
◇◇◇
……黒猫の後をついて行ったエリゼを待っていたのは、林の中に建てられた古い建物だった。
暗色の石で作られた物々しくも神秘的な雰囲気を纏う建造物。エリゼはここが何なのか分からないまま、不安半分興味半分の心持ちで、舗装されていない土の道を歩いていく。
「これが異世界に繋がる門ね。心が関係してるなら魔女の術が有効な筈。不甲斐ないエマの為にも私が何とかしないと……」
ふと、先ほども聞いた女性の声が耳に入る。
声の主を探すエリゼだったが、聞こえて来た方向──建物の入口付近に見えたのは、またもや黒い猫と、不可思議に光る正面玄関だけだった。
(え、光る扉……?)
「おい、そこの君! そこで何をしているんだ!!」
光る扉に驚いた刹那、エリゼの後方から大きな男性の怒号が飛んでくる。
長いスカートを翻して振り返るエリゼ。自らが来た道を視界におさめると、そこには白い制服を着た金髪の青年が立っていた。
青年はやや焦った様子で駆け寄って来る。が、エリゼの姿を見て表情を変えた。
「……おや、その服は聖アストライア女学院の制服? という事は、君は部外者だったのか」
どうやら青年はエリゼの事を学院の生徒と勘違いしていたようだ。
先ほどの怒号は同じ生徒に向けてだったようで、彼は若干目を泳がせていた。
「失礼、この旧校舎は現在立ち入りが禁止されていてね。生徒の立ち入りは厳しく制限されているんだ」
「そうだったのですね。……すみません。黒猫を追いかけていたらここに来てしまいまして」
「ああ、危険だから君は早くこの場を離れ──、いや待ちたまえ」
話の途中で、青年は一旦待ったをかけた。
改めてエリゼの姿をまじまじと眺める貴族の男。
エリゼは少し身を引いて警戒しながらも、彼の次なるアクションを待つ。
「君はもしかして、エリゼ・シュバルツァーと言うのではないか?」
「え? ええ、そうですが……」
「僕はパトリック・ハイアームズだ。実は君を──」
──その時であった。
旧校舎の入口から、余裕のない叫び声が聞こえて来たのは。
「嘘っ!? 逆干渉だなんて!」
突然の叫び声に身構えるエリゼとパトリック。
急ぎ旧校舎を視界に入れると、扉の光が膨れ上がるように変形していた。
まるで爆発前を思わせる程の極光。
それは即座に弾け、無数の手となって2人にも降り注ぐ。
「きゃっ!!」
「あ、危ない!!」
パトリックは咄嗟に動こうとしたが、圧倒的に遅すぎる。
なす術もなく光の濁流に飲み込まれるエリゼとパトリック。
その数瞬後、まるで何事もなかったかの如く光が消え、元の姿に戻る旧校舎。
しかし、そこに2人と黒猫の姿は残されていなかった……。
◇◇◇
……
…………
真っ白に染まったエリゼの視界が元に戻った時、周囲の環境は恐ろしい程に一変していた。
ここは彼女が今まで一度も見た事のない世界だ。
道路は継ぎ目のない石のようなもので舗装されており、読むことの出来ない文字や線がペイントされている。
建物の間隔も狭く、道のいたるところに建てられた柱からケーブルが繋がっている光景は異様とすら感じられた。
「な、なな、何なんだここは……!!」
一緒に取り込まれたパトリックも、腰が引けた姿勢を正す余裕もなく、おろおろとするばかり。
そばの地面で周囲を見渡している黒猫と比べると情けない姿だが、無理もない話だ。
肺に入る空気すら重い。
夕暮れに染まる空もどこか違う。
何とか状況を理解しようと努めるエリゼとパトリック。
そんな2人の肌に、ズシン、ズシンと、重厚で巨大な足音の振動が届く。
「何か、来ます」
「あ、ああ。あれは……巨大な甲冑?」
建物の影から近づいて来たのは、場違いな甲冑姿の魔物。
頭部がなく、高さ5アージュを優に超えるその甲冑は明らかに人のそれでない。
臆しながらも剣を構えるパトリック。
人の身長ほどもある剣を構えた甲冑は、2人の前に来て足を止める。
そして、
『ダ、ダ第四拘束、解除──……。コレ、コレヨリ、第一ノ試シヲ展開ス、スススル──……』
と、壊れかけの機械を思わせる声を発し始めた。
『原因不明ノ、ノフ、不具合ガ発生──。修復不能。修復、不能。試シノ進行二、支障ガ、ガガガガガガ────…………』
壊れかけの機械を思わせる声を発した甲冑は、そこで不自然に身じろぎし、動作を停止する。
まさか、壊れたのだろうか?
そんな考えがよぎった次の瞬間──胸部の装甲が突然、はじけ飛んだ。
「ひぃっ!!?」
パトリックの足元に轟音とともに落ちる装甲。
だが、彼らは甲冑から目を離すことは出来なかった。
穴があいた甲冑の中。
そこに見えたのは巨大な、生々しい”人間の目”だったからだ。
『──我らが、名を求め■さい』
甲冑の内側、人が丸々入りそうな程に巨大な眼が2人に語り掛けてくる。
『我■が、至高の光…満…た、■らが名を求…なさい』
同時に、側面から鎧を突き破りつつ伸びる4本の無機質な腕。
その姿はまるで何かが甲冑の中に寄生しているかの様に無秩序。
ノイズがかった声も段々と鮮明になっており、今もなお鎧を内側から侵食しているのは間違いない。
そんな敵の姿を見て、誰かが息を飲む音が聞こえた。
指先も足も震えが止まらない。圧倒的とも言える威圧感が場を支配する。その最中──、
『我ら■神……。我■が名はアントロー■ス=■■レシア。”人”として、”教会”として、今こそ人々に許しを与えましょう……』
甲冑の中にいる”何か”は、まるで異形の天使が如く、4本の腕を広げるのだった。
皆さまに1つ報告があります。
フィーのアルカナについてなのですが、プロットと相談した結果、今更ですが女教皇から女帝に変更させていただきました。
当初、大人の女性を暗示する女帝とは合わないんじゃとも思ったんですが、実のところこっちの方がフィーに合ってるんですよね。
それに合わせてではありますが49話、52話を加筆修正しております。
話の流れ自体は変わらないので、とりあえず「フィーは女帝になった」とだけ覚えていていただけば幸いです。