美継姫と黄金の針   作:帆速やこぬ

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美継姫と千響の国

 

 

 

 

 

千花の国を後にして、次に美継姫たちが向かったのは、『千響の国』でした。

千響の国は千の響き、つまり音楽の国です。

あらゆる楽器の工房、その演奏者、歌い手、作曲家たちがひしめき合い、競い合い、切磋琢磨しています。

そして音楽を専門としていなくても、昼間は肉屋を営む親父さんが実は弦楽器の名手だったり、なんて事のない宿屋の女主人が素晴らしい歌い手だったりと、別の仕事をしている人々も皆、この国ではなにかしら音楽に関わっているのでした。

 

 

 

ところで、たまたま千花の国や千帆の国ではその気配はありませんでしたが、この世界には確かに魔法が存在しました。

めったにお目にかかる事はありませんが、魔女も魔法使いもいますし、竜や巨人や小人や妖精といった不思議な生き物だってちゃんといます。

ただし、力のある魔女や魔法使いはこの辺りで一番大きな国である『千塔の国』に集められて仕えていましたし、自由を好む者はその目を逃れ、隠れて暮らしていました。

その為、周辺の小さな国々ではあまり出会う事がないのです。

それでも人々は魔法の存在をちゃんと知っていました。

竜や巨人に近づいてはいけない事、小人や妖精を怒らせてはいけない事、そして運悪く、または運良く出会った時には、上手くいけば大きな幸運を手に入れられる事を知っているのでした。

 

 

 

千響の国に入り、点在する村を通り過ぎて、美継姫たちは千響の国の王さまの住む大きな街にやってきました。

音楽の国と聞いて、いたるところで音楽が奏でられ、歌が聞こえてくると思っていた美継姫は、あまりに静かな街の様子に驚きました。

まるで国中が喪に服しているようです。

「どうしたのでしょう? 仮にも“千の響き”を謳われる国が、こんなに静かなはずはないと思うのですが……」

春風も不思議そうに馬車の窓から外をうかがいます。

店などは開いていて人もたくさんいるのですが、人々はなにかを恐れるようにヒソヒソと話し、活気というものがまったく感じられません。

「様子がおかしいですね」

白銀もいぶかしげに見回します。

「日も暮れてきましたし、今日のところはどこか宿をとり、少し話を聞いてみましょうか」

春風の言葉に、皆がうなずきました。

 

 

「――王子さまが、悪魔にさらわれた?」

美継姫たちは顔を見合わせました。

(先ほどは言い忘れていましたが、悪魔や小鬼もこの世界にはいるのです)

宿屋の主人に街の様子がおかしい理由を訊ねてみたところ、初めは話すのを渋った主人も、前払いの宿代をはずんだ途端、その口はなめらかになりました。

 

 

――それは17年前、王さまが西の森で狩りをしていた時の事。

森深くまで立派な牡鹿を追いかけた王さまは、急に立ち込めた霧のせいでお付きの者たちとはぐれ、森に迷ってしまいました。

空腹と疲れで倒れ、眠りこんでしまった王さまがふと目を覚ますと、悪魔が覗きこんでいます。

悪魔は王さまに、森から抜け出す道を教える代わりに城に戻った時に一番最初に目にした新しい魂をくれるように要求しました。

戻る頃に生まれるのは馬の子供だったはずだと考えた王さまは、それを了承しました。

ところが、無事お城に戻る事ができた王さまが一番最初に目にしたのは、予定よりも早く生まれた、3番目の王子の姿でした。

そう、悪魔に渡さなければいけないのは、王子の魂だったのです。

5日後、魂を取りに来た悪魔に、王さまは懇願しました。

どうか、王子が大きくなるまで待ってほしい、と。

王さまがあまりにしつこく頼むので、悪魔もしぶしぶ折れ、15年の猶予をくれたのでした。

 

 

「では2年前から王子さまは行方不明だったのですか」

「そうなのです。馬に乗った途端に突然馬が駆け出し、そのまま城門をくぐり、街を抜け、丘を越えて、姿を消されてしまったのです」

「王子さまはどのような方だったのですか?」

「とても物静かで、ご自分から発言される事はほとんどなかったそうです。体つきも華奢で、武芸よりも書物を読むのがお好きな、お優しくてご聡明な方だとか」

「王さまのご様子は?」

「王子さまが姿を消す少し前からとてもお悩みの様子だったそうです。きっと悪魔が王子さまを受け取りにくる期限が近づいて、苦しんでおいでだったのではないでしょうか」

「まあ……」

「話はそれだけではないのです。いなくなってしまった末王子を探しにいくと出かけたまま、2人の兄王子たちも戻ってきていません。つまり王子さま方3人とも、行方不明なのです」

クーンと稲妻が悲しげに鳴きました。

「手がかりはないのですか?」

「末王子さまについてはないようです。ただ、2人の兄王子は突然現れた黒い竜巻にさらわれたらしいという噂があります」

「竜巻……」

「あれから王妃さまは悲しみのあまり、床に臥せってしまいました。そんなわけで、にぎやかで楽しい音楽は皆、控えるようになったのです」

「まぁ、どうしたの!? 稲妻?」

ふと美継姫が膝に抱いた小さな白い犬を見ると、大粒の涙を浮かべています。

「そういえば、この国に入ってから、ずっと元気がありませんでしたね」

「具合が悪いのかもしれないわ。静かに眠らせてあげましょう」

ブランケットを敷いた籠に稲妻をそっと横たえると、閉じた目から涙がこぼれました。

 

 

 

次の日の朝、支度を終えると美継姫たちは千響の国の王さまにご挨拶する為に宿屋を出発しました。

「そういえば、王子さまたちのお名前を聞いた?」

「消えた末王子さまが『流歌王子』、2人のお兄さまが『奏音王子』、『連音王子』だそうです」

春風が答えると、稲妻がふり返りました。

「稲妻、あなたは元気になるまで静かにしていなさいね」

いつもなら、まるで美継姫の言葉を理解しているようにおとなしく言う事を聞く稲妻ですが、今日ばかりは小さな脚をふんばって窓から外を眺めています。

と、ふたたび稲妻の目に涙が溢れ出しました。

「稲妻……」

美継姫は稲妻を抱き上げると窓に背を向けてもたれ、小さな頭を肩に乗せました。

「これでよく見えるでしょ?」

震える小さな身体を励ますように抱きしめ、美継姫は稲妻と出会った時の事を思い出しました。

 

 

あれは2年ほど前の夏。

美継姫が千塔の国との国境近くにある湖へ、遊びに行った時の事でした。

深く澄んだ水をたたえた湖は涼しく、夏の避暑にはぴったりで、おまけに運がよければ妖精や精霊の姿を見る事ができました。

そんな夏のある日、別荘を囲む頑丈な塀の入り口の傍に小さな犬が倒れていました。それを見つけたのが美継姫だったのです。

真っ黒に汚れひどく弱っていたその犬を美継姫はつきっきりで看病し、少しずつ元気になっていく様子を愛情深く見守りました。

すっかり元気になってから姫の傍を片時も離れようとしなくなったこの小さな騎士に、美継姫は『稲妻』と名付け、それからはいつも一緒にいるのでした。

 

美継姫にはどうして稲妻があんな場所で、しかもボロボロの姿で倒れていたのかまでは分かりませんが、千響の国に来てからソワソワと落ち着かず様子のおかしい事から、もしかしたら稲妻は美継姫の前に現れるまでこの国にいたのかもしれない、と思いました。

記憶にある景色や匂いで、母犬や元の飼い主の事を思い出し、懐かしんでいるのかもしれません。

そう思うと何かしてあげたいと思うのですが、確かめる事のできない以上、今はこうして抱きしめて“わたしが傍にいるよ”と元気づけてあげる以外に美継姫にはどうする事もできないのでした。

 

 

 

さて、お城に到着した美継姫はさっそく千響の国の王さまにお目通りを願いました。

案内されるお城の中も街と同様、息を潜めたように静かです。

千響の国の王さまはとても疲れた印象でしたが、3人の王子が行方不明で王妃さまも寝込んでいるとあっては無理もありません。

賓客として迎えられたものの美継姫たちはどうにも心苦しく、楽しむという感じではありませんでした。

 

「わたしたちで何とかして差し上げられないかしら」

「王子さまたちを見つけるという事ですか?」

白銀の言葉に美継姫は頷きました。

「確か、2人の兄王子さまは“黒い竜巻にさらわれた”と言っていましたね」

「黒い竜巻……それが悪魔なのかしら?」

「そうかもしれません」

頷く春風の隣で、白銀が首をひねりました。

「黒い竜巻……黒い竜巻……どこかで聞いた事が……」

そうつぶやくものの、どうしても出てきません。

「他に、なにかないかしら」

「そういえば……」

春風が思い出したように言いました。

「宿の主人が言っていました。“王さまは魔法を使う事ができる”と」

「まあ、それは本当なの?」

もしあの王さまが、魔法を使える――悪魔に対抗しうる力を持っているのだとしたら、疑問が生まれます。

「そのようです。ですがそうすると、王子を引き取りにきた悪魔を、なぜ魔法を使って追い返さなかったのでしょう? それに15年もの猶予があったのに、なんの対策も講じていなかったというのもおかしくないでしょうか」

「そうなってくると、そもそも道に迷って悪魔と契約したという話自体、本当にあった事なのか怪しいですね」

「お待ちなさい。早急過ぎるわ。単に悪魔の力が千響王の力や対策よりも上だったという事なのかもしれないのだし。第一、悪魔の話がうそだったとしたら何の為にそのような事を?」

春風と白銀の視線が交差しました。

「少し、調べてまいります」

 

 

春風と白銀は、城にいる人間にさり気なく話しかけ、他愛もない会話の端から情報を集めてきました。

そこから分かったのは、流歌王子がいなくなったところを誰も見ていない事、流歌王子も少しだけ魔法が使えた事、流歌王子が時折、塔の最上部にある小さな部屋に閉じこもっていた事、などでした。

「塔?」

「北側にある塔です。鍵は王と流歌王子だけが持っていて、誰も入る事はできません」

「つまり今は誰も使っていないという事ね」

「なにか分かるかもしれません。今夜、忍び込んでみます」

「まあ、だめよ。見つかって外交問題になったらどうするの。相手は魔法が使えるのよ」

「ではいかがいたしましょうか」

美継姫はちょっと悪戯っぽく微笑んだ。

「開けられないなら、開けてもらえばいいのよ」

 

 

夜も更け、人々が寝静まった頃。

絹を裂くような悲鳴が城中に響き渡りました。

誰もが驚いて飛び起き、悲鳴のもとへと駆けつけます。

悲鳴を上げたのは、千彩の国から来たというお姫さまでした。

ベッドの上に起き上がり、泣きじゃくる姫を、侍女がなだめています。

「どうされました?」

千響の国の王さまが近づくと、姫は震えながら答えました。

「夢を見たのです」

なんて迷惑な――。

夢と聞いて、腹立たしさと同時に安堵の空気が流れる中、姫が必死に訴えました。

「なんだ、夢か、なんて思わないでください! とても不思議な、恐ろしい夢だったのです」

「どのような夢だったのですかな」

「北側にある塔の部屋に王子さまが閉じ込められていて、なにか黒い影が襲いかかるのです。まるで本当に見ていたように現実的で、今でも震えが止まりません! わたし、時々夢が現実になる事があるのです! ああ、恐ろしくて、とても今夜は眠る事なんてできそうにありませんわ!」

寝入りばなを起こされた腹立たしさを押し殺しながら、王さまは微笑みました。

「あそこには何もありませんし、誰もいませんよ。それに、夢というのは逆さまになるものです。きっと旅の疲れがそんな夢を見せたのでしょう。さあ、ゆっくりお休みなさい」

ところが姫は、頑として譲りません。

今から塔に行って、自分の目で何もない事を確認しなければ眠る事などできない、と言い張るのです。

それほど付き合いの深い国ではないとはいえ、一国の王女を無下に扱うわけにもいきません。

仕方なく、王さまは姫と付き添いの侍女を伴い、北の塔へやってきました。

――事情の知らぬ者が見たところで、気づかれる事もないだろう。何もない事だけ確かめさせればいい……

王さまは鍵を開け、明かりを手に階段を上ってゆきます。

塔の上にある部屋は、綺麗に片付き、置かれた家具や調度品に何一つ乱れはありませんでした。

「気が済みましたかな?」

部屋を見回し、大きな衣装箪笥の中を確認した姫は、扉を閉じるとにっこりと笑いました。

「なにも問題はないようですね。――一点を除いて」

侍女も頷きます。

「ここ、女性の部屋だわ」

 

 

 

「――流歌王子は、本当は王子ではなく王女だったのですね」

北の塔から戻り、美継姫と春風は白銀と日向も交えて千響の国の王さまの部屋にいました。

美継姫の言葉に王は疲れたように溜め息をつきます。

「そうだ」

「なぜ、そのような事を?」

 

「千塔の国から、魔法の使える女の子が生まれたら花嫁に差し出すよう要求されておったからだ。魔力はほとんどの場合、家系で継承されるからな。千塔の国は集めておるのだよ、強い魔力を持つ者を生み出す為に。おまけに王族から娶れば、こちらの力を削ぐ事ができると同時に、いざとなれば人質にもなる。そして、差し出さねば我らは彼の大国から滅ぼされてしまう。だが、わたしはあの国がこれ以上強くなるのを是としない。だから王女が生まれた事を隠したのだ」

 

そうして流歌王女をこれまで王子として育てていましたが、年頃になり、綺麗な衣装などに興味を持つようになってくると、だんだん王子として振る舞う事が難しくなってきてしまいました。そこで王さまは、塔の上に王女と自分と王妃以外入る事のできない部屋をつくり、女の子として過ごす事のできる息抜きの場を与えたのです。

 

「あれほど、“決して窓から姿を見せてはいけない”と言い聞かせておったのに」

王さまは両手で顔を覆いました。

千塔の国に仕える魔法使いに千里眼を持つ者がおり、2年前のある日、小鳥と戯れて窓から身を乗り出したところを見つかってしまったのです。

「では、流歌王子――いえ、流歌王女は、千響王自らが逃がしたのですね」

「千塔の国の千里眼ですら見る事が叶わぬ、遠い異世界へな」

これで王子が消えたところを誰も見ていなかった事の説明がつきます。

悪魔が連れ去ったというのは、千塔の国への言い訳だったのです。

ところが千塔の国はその言い訳に納得せず、今まで騙してきた報復として、2人の王子に呪いをかけました。

王女を逃がす為に魔力を使い果たしていた王は、その呪いを退ける事ができませんでした。

 

「ひどい……許せないわ」

「姫さま、落ち着いてください。千塔の国は力の強い魔法使いや魔女を集める強国です。あからさまに逆らったりすれば、周辺の小国など簡単に滅ぼされてしまいます」

「王妃さまはもちろんご存知なのですね?」

「ああ、流歌ひとりでは心配だと、あやつもついていったよ」

「では、王妃さまも一緒に? 悲しみのあまり臥せっている、というのは……」

「姿を見せない口実だ。いずれ、訃報を流す予定だった」

少しの間、王妃さまと流歌王女、2人が遠く異世界で無事に、そして幸せに暮らしている事をお祈りすると、美継姫は顔を上げました。

「ところで、“呪い”というのは具体的には?」

王さまは首を振りました。

「王子たちの消えた場所には魔力の痕跡が残っておったが、なんの呪いを受けたのかまでは……死んだわけではないという事くらいしか……」

ずっと黙って考え込んでいた日向が、口を開きました。

「王さま。“何か”を見て、それが魔法の影響なのか、どうしたら元に戻るのかというのは分かりますか?」

「魔法の影響なのかは分かるだろう。だが元に戻す事ができるのは、その魔法をかけた本人だけだ」

「では、少しお待ちいただけますか?」

そう言うと日向は部屋を出ていってしまいました。

戻った日向の腕に抱えられていたのは、稲妻でした。先ほど一芝居打った時には、騒いだら困るので別の部屋で休ませていたのです。(もちろん、美継姫の悲鳴を聞いてかなり吠えていましたが、離れた部屋だったので美継姫たちの演技の邪魔にはなりませんでした)

日向から小さな白い犬を渡された王さまは、その目を見つめました。

稲妻も、いやがる素振りもなく見つめ返します。

と、王さまの顔色が変わりました。

「そんな―――奏音なのか?」

稲妻は尻尾を振りながら、一言「ワン」と鳴きました。

 

 

「いつ気づいたの、日向?」

美継姫の問いに、日向は真っ赤になりながら答えました、

「その……ずっと、稲妻の事を妙に賢い犬だと思っていました。でもこの国に来てから様子がおかしかった事や王さまの話を聞いていて、ふと閃いたのです」

動物とすぐに仲良くなれる、心優しい日向らしいお手柄でした。

「王さまの魔法が上手くいくといいですね」

「魔法を解く事はできないけれど、別の魔法をかける事はできるのね」

そう言うと、美継姫はこっそりあくびをしました。

 

暗かった空が白々と明るくなり、夜明けの近い事を告げています。

“かのん”と呼ばれ、返事をする小さな白い犬は、いなくなった王子のひとり、奏音王子に間違いないようでした。

事の経緯を知る為、今、千響の国の王さまが、言葉を話す事のできる魔法を試しているところです。(犬のままでは話を聞くのは無理ですものね)

結局、お芝居で王さまに訴えたとおり、一晩中眠る事のできなかった美継姫たちは、魔法が上手くいくのを待ちながらついコクリコクリと船を漕いでいました。最後まで見守るつもりでしたが、そのうち美継姫は本当に寝入ってしまいました。

 

 

「――姫さま。姫さま」

春風に起こされ美継姫が目を覚ますと、椅子にちょこんと座った稲妻の姿が見えました。

寝ぼけていた姫は、いつもそうしているように稲妻を抱き上げると、ひざに乗せて小さな頭を優しく撫でました。

「おかしな夢を見たのよ、稲妻」

稲妻が首をかしげます。

「あなたが、呪いのせいで姿を変えられた王子さまなの」

「それは、夢ではありません」

稲妻が口を開くと、人の言葉が流れ出しました。

「…………」

美継姫が驚きのあまりポカンとしていると、稲妻が悲しそうに耳を伏せました。

「僕の事がきらいになってしまわれましたか?」

ようやく全てを思い出し、慌ててかぶりを振ります。

「稲妻――いえ、奏音王子。決してそういうわけでは……」

そうは言っても、王子をひざに乗せて会話するのも失礼な気がしたので、そっと元の椅子の上に戻しました。

「美継姫がその方がよければ、今まで通り“稲妻”で構いませんよ」

「本当に――奏音王子だったのですね」

「そうです。父とはつい今しがたまで話をしてきました。そして美継姫、あなたにも聞いてほしいのです」

小さくて可愛らしい犬が涼しい声で話すのが、なんだか不思議な感じでした。

「聞いてください。僕がこのような姿になった経緯を」

 

 

流歌が本当は弟ではなく妹だったというのは、父からお聞きかと思います。

父は魔力を持った女の子が生まれた時の事を考えて、悪魔との契約の話を準備していました。

そして女の子なのに僕らと同じ格好をしている理由を、僕らにも――僕と弟の連音にも“悪魔との契約を欺く計略の為だ”と言い聞かせていました。

そうです。敵を騙すにはまず味方から、というわけです。

僕らは悪魔の目から――実際には千塔の国の目からでしたが――逃れる為に、流歌の秘密を守り通すつもりでした。同時に、何かあった時の為に剣や武術の腕も磨きました。

でもやはり、この計画には無理がありました。

子供の時分にはそれで通用していましたが、成長すればするほど体つきや声などに違いがでてきてしまい、それを千塔の国の魔法使いが怪しんで、千里眼に見張るよう命じたようです。

 

ですが父も、この時がくる事をまったく考えていなかったわけではありませんでした。

長い間魔力を溜め、千塔の国の大魔法使いを欺くほどの魔法を使ったのです。

千里眼にも見つけられない流歌を“悪魔のもとにいる”という事にはできましたが、これまで偽り隠してきたという事実は知られてしまいました。

まんまとしてやられた腹いせに、千塔の国は僕と連音に呪いをかけて、このような獣の姿に変えてしまったのです。

 

と、このあたりはすでに父からお聞きおよびかと思いますので、ここからは僕の身にあった事をお話しさせてください。

 

妹がいなくなったのは悪魔にさらわれたからだと思い込んでいた僕は、国中あちこちに探しに出かけました。ええ、流歌を遠くへやったのが父だとは、その時は知らなかったのです。

どこを探しても見つからず、手がかりさえつかめずに諦めかけた時、西の森近くに小鬼がたくさん住むほら穴があるという話を聞き、それが流歌を連れ去った悪魔ではないかと思って向かいました。

ほら穴を進むと奥には広間のような空間があり、岩陰からこっそり覗いてみると、中ではこうもりのような黒い羽を持った真っ赤な小鬼が何百匹と押し合いへし合いしながら騒いでいました。そんなにたくさんの小鬼、さすがに僕ひとりでは手に余ります。

ところが、戻ろうと後ずさりした時にうっかり物音を立ててしまい、僕は小鬼たちに捕まってしまいました。

 

「侵入者だ!」

「人間だ!」

「なんだって?」

「ちょうどいい! 酒のつまみにしてやろう」

 

小鬼たちは、僕を小突き回しながら広間の中央へと引きずり出すと、キーキーと一斉にわめき始めました。

あまりの騒がしさに、ほら穴がうわんうわんと唸りをあげたほどです。

耐えきれなくなった僕は、いつも持ち歩いている横笛を――ああ、そうです。僕は笛を奏でるのが得意なので――取り出して短い旋律を吹きました。笛の音を聞けば、小鬼たちが冷静になるんじゃないかと思ったからです。

思惑通り小鬼たちはピタリと静かになったかと思うと、ふたたび騒ぎ始めました。

 

「もっと! もっとだ!」

 

そこで、短いけれど陽気な曲を1曲演奏すると、小鬼たちは大喜びで踊り出しました。

もっと、もっと、とせがまれ、僕はほぼ一晩中笛を吹き鳴らしました。

陽気な曲、楽しい曲、華やかな曲、穏やかな曲、もの悲しい曲。小鬼たちは特に陽気な曲が気に入って、まるでお祭りのような馬鹿騒ぎでした。小鬼たちは意外といいやつらで、曲と曲の合間に酒や食べ物を勧めてくれ、僕の演奏の腕前を褒めたり、小鬼の踊りを教えてくれたりと、一緒に過ごすうちにだんだんと楽しくなり、古くからの友人のような気さえしてきていました。

 

朝がきて、小鬼たちは大喜びで満足すると、楽しませたお礼に何かひとつ、願いを叶えると言い出しました。

そこで僕は、千響の国の王子である事、妹を探している事、もし契約の悪魔が小鬼たちの事ならば、返してほしいという事を話しました。

ところが小鬼たちは話を聞くと怒り出し、事もあろうに口々にこんな事を言い出すのです。

 

「無実だ!」

「そうだ!」

「おいらたちはここ百年くらい魂なんて要求してない!」

「あんなやつらの魂なんて、いるもんか!」

「人間ってのは、本当に恐ろしい!」

「そうだ!」

「まあ、聞いてくれよ、王子ちゃん」

「おいらたちが何をした!」

「助けてやった見返りに魂を要求したのに、必ず踏み倒そうとする!」

「助けてやったのにだぜ!?」

「自分で了承しておいてだぜ!?」

「挙句、請求に行ったおいらたちに、いつだってひどい仕打ちをするんだ!」

「約束を守りもせずにね!」

「見てくれよ、これ!」

小鬼たちは一斉に体のいたるところを見せてきます。

これは、ひどい。

体のあちこちに、焼きごてを押し付けられた跡や鞭で打たれた跡があります。

「だからおいらたちは、もう人間を助ける事をやめたんだ」

「絶対に助けないぞ!」

「そうだ!」

「人間は恩を仇で返す!」

「契約を守らない卑怯者!」

「ひどいやつらだ!」

とても嘘をついているようには見えません。僕は改めて確認してみました。

「では、妹をさらったのは、君たちではないのか?」

小鬼たちが口をそろえます。

 

「もちろんだとも!」

 

僕は困ってしまいました。

これ以上、どこを探したらいいのでしょう?

途方に暮れ、頭を抱えた僕をなぐさめるように小鬼たちは、この先困った時には力を貸してくれる事を約束してくれました。

また遊びにくる事を何度も念を押されながらほら穴を後にし、ひとまず城に戻ろうと丘にさしかかった時です。

突然強い風が吹いたかと思うと渦を巻きはじめ、目の前に真っ黒な竜巻が現れました。

そして声が轟き渡りました。

 

「我らに飼われている事を自覚するがいい」

 

そう。黒い竜巻は千塔の国の大魔法使いだったのです。

小鬼たちの助けを呼ぶ間もなく黒い竜巻に巻き上げられ、呪いで犬に変えられた僕は、この国の国境を越えて千塔の国に落とされました。そしていたぶるように雷を落として、逃げ惑う姿を笑う魔法使いから命からがら逃げおおせ、走って走って走って千塔の国を抜け、反対側にある千彩の国に行きついたのです。

 

そうです、美継姫。あの日あなたに見つけてもらい、助けられなかったら、きっと僕は死んでいたでしょう。

本当にありがとう。ずっとあなたにお礼が言いたかったのです。

恐怖と不安、疲れと痛みで震えている事しかできなかった僕の傍にずっとついていてくれた事、励ましてくれた事、居場所を与え慈しんでくれた事、本当に僕は嬉しかった。

あなたとの穏やかな時間は、僕にかけがえのない安らぎをもたらしてくれました。

何度も、“千響の国の事も弟の事も忘れて、ずっとこのままここにいたい”と思いました。

ですが、やはり運命の女神はそれを許しませんでした。

ええ。あなたが“世界を見たい”と言い出した事です。

あなたの計画にはこの国も含まれていました。

それを知った時、運命が動き出した事に気づいたのです。この姿では何もできない、帰る術も力ももうないとあきらめていた僕にとって、それは啓示でした。僕は決心し、旅の荷物を積み込む隙を見て、荷物と荷物の小さな隙間に潜り込んだというわけです。

実を言うと、山道で馬車の揺れがひどくて春風さんに見つけてもらわなかったら、もう少しでつぶされてしまいそうでしたが。

 

千帆の国を通り過ぎ、千花の国での滞在期間中、僕は気もそぞろでした。

千響の国はもう目の前で、“一刻も早く出発したい”という気持ちを、“焦らずとももう少しで行く事ができる”と何度も自分に言い聞かせました。

ようやくこの国に到着した時には、懐かしさともどかしさで気が狂いそうでした。

何とかして僕がここにいる事を伝えたいのに、呪いのせいでどうにもできません。

いいえ、犬の姿だから話す事ができないとかそういう事ではなく、“僕が奏音である事を伝えるという行為”自体を呪いで封じられていたのです。例えば“鼻や爪をつかって地面に文字を書く”とか“身ぶり手ぶり”とかね。

 

ですが、美継姫。そして春風さん、白銀さん、日向さん。

あなたたちの優しさと機転のおかげで、こうしてなんとか父に会い、ずっと心配していた僕がいなくなった後の事を知る事ができました。

この犬の姿の呪いを解く事は、かけた本人――千塔の国の大魔法使いにしかできませんから、これだけはもうあきらめるしかありませんね。次に会えば、殺されかねません。

いえ、あきらめならとっくについているのです。それに犬の姿だって、意外と悪くないのですよ。

 

ただ、唯一心残りなのは弟の連音の行方です。

連音もまた、僕と妹を探す為に出かけ、黒い竜巻に襲われたらしいと聞きました。

おそらく、千塔の国の大魔法使いでしょう。

僕と同じ、犬の姿に変えられたのか、それとも別のものなのか、どこへ行ってしまったのか。

父ですらこの2年間、手がかりはつかめなかったのです。

僕が夢中で逃げるうちに千彩の国へ行きついたように、弟もまた、よその国に逃げ延びている事を願っています。

 

ですからどうか、僕をこのまま、あなたがたの旅に同行させていただけませんか?

どんな些細な事でもいい、弟の行方の手がかりをつかみたいのです。

この決意はすでに父にも話しました。

お願いです、美継姫。僕も一緒に連れていってください。

 

 

美継姫は最後まで奏音王子の話を聞くと小さな白い犬をしばらく見つめ、そっと溜め息をついてから視線をそらせました。

「……困ったわね」

「美継姫……駄目ですか?」

奏音王子が耳を伏せて目を潤ませると、美継姫は少しだけ頬を赤らめました。

 

「男の人だと知ってしまっては、これからは今までみたいに抱っこできないじゃないの」

 

 

 

 

 




音楽の国、という事で王子たちの名前は、奏音は”カノン”、連音は”レオン”、流音は”ルネ”です。
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