【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
「やっぱりね……。ここに来るまでの道中、曜の様子を観察してたんだ。普通の人には認識されないニョロニョロを、わざと目の前で振ってみたり」
やたらと過剰な仕草が多かったのはそういうことだったのか。
抜かった。まさか岬がこちらに疑念を向けているとはついぞ思わず、無警戒に吻を目線で追ってしまっていた。
「曜は──そんな私をどう思う?」
「…………」
返答を探す俺に愁眉を開き、深々と嘆息した岬は、ソファに重く沈み込んで、液体と見紛う脱力を披露する。ずるずると背もたれから滑り、ついには床に倒れ込んでしまった。
びたんと餅を叩きつけたように、若干の粘性を感じさせる音を立てて、床で動かなくなる岬。
心配に駆け寄ると彼女は機敏に立ち上がり、「ぐがぁ」と何やら理性の宿らぬ声を上げ、吻を振り乱す。ちょうど髪を掻きむしるように。
「じゃあさ、じゃあさ、じゃあさ! 曜にも私のことが化け物に視えてるならさ、今までの『あっはーん』で『うっふーん』なアプローチは逆効果だったってことじゃんか‼」
シリアスな空気がぶっ壊れた。
別の意味で唖然とした俺と妹は、やはり口を開けずに岬の蛮行を眺めるばかり。
「おかしいと思ってたんだよね! 垂涎の的である私の美貌を以てしても堕とせない男子高校生なんて! そんなの性欲がないか、ヘテロセクシャルじゃないかのどっちかじゃんね!」
「どうどう」
「私は暴れる犬じゃない! いやもっと酷い何かだね、この場合は‼」
自虐に荒ぶりつつ、岬は情けない声でリビングを駆けずり回る。まさに暴れる犬のようだ。本人に伝えたら余計に悪化しそうだから言わないけど。
己の姿が化け物にしか認識できなくなったら、まず間違いなく発狂すると思うのだが、どうやら彼女はその状況を茶化せるほどには冷静なようだ。いや違うニュアンスでは発狂しているのだけれど。そういう意味ではなく。
もはや暴れるのにも疲れたのか、キッチンに居た妹を抱きしめてソファに連行した岬は、胸元で抗議の息を漏らす相手をも無視して、ひたすらに寝転がり、ひたすらに「うーうー」喚いている。
局面の変化が早すぎてついていけない。
俺はただ百合百合しい二人を眺めていた。百合といっても綺麗なものではなく、悍ましい何かと何かが絡み合うという、クトゥルフも真っ青な光景だけど。
苦しそうに妹からSOSが飛んできた。
が、取り敢えず聞かなかったことに。
さっと耳を塞いでキッチンに足を運ぶ。それでもなお指の隙間から入り込んできた悲鳴が鼓膜を叩いた。しかし無視。とにかく無視。
数分ほどして動かなくなった妹に飽きたのか、次なる獲物を探していた岬が、ずんずんとキッチンに入ってくる。
「おっと、そこまでだ」
「曜は既に包囲されているよ。観念しな」
「勘弁」
妹の惨状を見れば分かる。今の岬は危険だ。
抱きしめられたら最後、あるいは最期、視界にはピンク色の表皮しか映らず、呼吸困難に苛まれるまで解放されないだろう。地獄である。
ゆえに俺はヴェロキラプトル四姉妹に囲まれたオーウェン・グレイディのように腕を伸ばし、彼女がそれ以上近づくのを阻止した。
獰猛な野犬のように鼻息を荒くする岬は、がるるるるる……と肩を怒らせ、少しずつ少しずつ距離を詰めてくる。水道から滴る雫の音すら、この緊張感では爆竹のように感じられた。
ただひたすらに恐ろしい。見た目とか関係なく恐ろしい。
俺は身震いする。
「──曜」
「何」
「やっぱり、曜も怖いよね……こんな私は」
「別に見た目とかどうでもいいんだけど、隙を見せたら抱き着いてやろうという魂胆が透けて見えるその姿勢が、何よりも怖い」
「おや驚いた。こんなところで古典落語を聞くことになるとは」
「『まんじゅうこわい』じゃねぇよ」
理解しているだろうに理解していないふりをしやがる。
間抜けを演じる岬との距離が、じりじりと詰まっていく。
合わせて後ろに下がるが、踵が壁にぶつかった。これ以上下がれない。つまり詰み。
絶望にも似た郷愁が胸を強襲してきた。ああ、日常が懐かしい。具体的には高校に入学する前の日常が懐かしい。日常に化け物が侵食してくる前の、当たり前で普遍的な何の変哲もない尋常でない平凡さが。
それが今ではどうだ。目の前には興奮したヒモムシが迫り、最悪の場合、ヒョギフ大統領の貴重な産卵シーンを生み出してしまうかもしれない。とても正気とは思えない地獄絵図だ。阿鼻叫喚。
自分がそんな絶望を生み出そうとしていることに気づいているのか、多分そこまで頭が回ってないんだろうけど、とにかく俺は彼女に冷静さを取り戻させようと、必死に必死に呼びかけをおこなった。
「岬、落ち着いて。今の君は錯乱している」
「これ以上ないくらい落ち着いてるよ……まるで地上波放送のゴールデンタイムに雛壇で座っているときくらいね」
「それは錯乱と表現して差し支えない状況だ」
「私にとっては朝飯前だよ。赤子の手を捻るより簡単……ひっひっひ」
鍋を掻きまわす魔女みたいな引き笑いを上げ、吻をにょろにょろぶわあぶわあ荒ぶらせて、ついに一メートルほどの距離まで近づいてきた岬は、俺に確認を取ることもせず、さりとて痛みなど感じさせないよう配慮された力加減で、ふわりと抱き着いてきた。
「…………」
押し倒された俺は無言で彼女の頭を撫でる。
まぁ、なんだ。
余裕ぶってはいるけれど、自分の姿が化け物にしか見えなくなって、そのうえ友達にもそう見えると知ったのだ。受ける衝撃は他人には推し量れないほどだろう。
だから少しくらいは、こうして過激なスキンシップを許しても、バチは当たるまい。
俺は岬が落ち着くまで、時間にしてざっと五分が経過するまで、黙り込んだまま彼女を胸に掻き抱き、頭を撫でていたのであった。