【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない   作:音塚雪見

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静寂に沈むリビング

 慰めの嘘という感じではない。

 うだうだ恥ずかしがっていた岬も流石に襟を正し、きちんとソファに座ると、床に転がる闇に視線を向けた。そしてそっと視線を逸らした。慣れていない人間に等身大の闇はレベルが高すぎたらしい。

 

 

 しかし自分の身体が何とかなるかもしれない可能性を前にして、恐怖に打ち震えるのみという弱者のごとき振る舞いを、岬はしなかった。

 吻で己の頬を叩く。異形の身体が自由自在に動かせることに、若干の怯えと困惑が見られるものの、強い意思を感じさせる態度だった。

 

 

「妹ちゃん。その方法を教えてもらってもいいかな」

 

 

 再び沈黙が落ちる。

 一度は何か言いかけた妹だが、口をつぐみ、まるで自分の発言が間違っていないか、あるいは別の答えがあるのではないかと存在しない選択肢を探す科学者のように、闇の触手を震わせた。

 

 

「──岬さんには、酷な話だけど」

「大丈夫。私は全てを受け入れる覚悟があるよ」

 

 

 不退転の断言である。

 きっぱりとした彼女の言葉に腹をくくったらしい妹は、二三(にさん)呼吸すると、躊躇しながら呟いた。

 

 

「化け物に関する記憶を丸ごと消してしまえば、向こうの世界とのつながりを失った岬さんは、自分を異形の姿として認識できなくなる」

「記憶を──?」

 

 

 僅かに揺れる岬。

 どうやら予想していなかったらしい答えを聞いて、彼女は黙り込んだ。

 静寂に満ちるリビングが痛い。

 肌に刺さる無音に耐えかねた俺は、ゆったりと顔を上げ、妹に顔を寄せる。

 

 

「化け物だという自覚が、薄々でもあった頃のことは……つまり俺とのことは、全部忘れるってこと?」

「……そうなるね」

「それは、まぁ」

 

 

 随分とあんまりな話だ。

 背もたれに体重を預けて、天井を見上げる。

 普段よりもずっと低く感じた。狭苦しくて圧迫されているようだ。

 

 

 三人も居るのに誰一人声を上げず、ひたすらに押し黙る今の状況は、およそ異様と言っても差し支えないほど、違和に溢れていた。

 

 

 今までの思い出が蘇る。

 人気アイドル様の我儘な言動、邪知暴虐の王ミサキウスの横暴、何処にでも居る普通の西塔岬のちょっとした仕草。

 バンジージャンプもしたし、スイーツバイキングにも行ったし、色々なことをした。それら全てが消えてしまうのだ。

 とても「はいそうですか」なんて大人しく認められるようなことじゃなかった。

 

 

「…………」

 

 

 音もなく吻が腕に絡みついてくる。

 横を見ると岬が嗚咽を漏らしていた。

 彼女は何も喋らず、ただ、静かに泣いていた。

 

 

「……曜のこと、忘れたくないよ」

「うん」

「でも……でもさ、水着を着るとき、凄い手間取ったんだ。何処が何処だか分からなくてさ。鏡でも自分の姿が確認できないし、こんなんじゃ、アイドルなんて続けられないっ……」

 

 

 自分からどう見えているかを把握していなければ、アイドルを続けるなんて難しいだろう。

 岬なんかは特に、幼い頃から地位を盤石にしてきた分、それが崩れる恐怖は如何様なものか。

 

 

「アイドル辞めたくないし、曜とお別れもしたくないし、私……どうしたらいいの⁉」

 

 

 悲痛な叫びだった。

 聞いているこちらが、思わず目を伏せてしまうくらいに。

 慟哭が鼓膜を叩く。空気に震えが肌に伝わってくる。しんと静まり冷えた空気が骨身にこたえ、息が白冷めるのではないかと錯覚した。

 

 

 心の底から湧き上がる衝動に、嘆きに、俺は岬を抱きしめる。彼女は抵抗しなかった。胸の中で小さく丸くなる。

 

 

「曜……」

「うん」

「私、どうしたらいい?」

 

 

 簡単に答えられる問いではなかった。

 簡単に答えていいものではなかった。

 あるいはそもそも、自分が答えるべき問題ではないのかもしれない。

 彼女が真に悩み抜いて、ようやく答えを出すべき問題なのだと、自然と思った。

 

 

 だから俺は何も言わず、ひたすら岬を抱きしめつづける。

 彼女もこちらの意図を理解したように、ただ息をするだけだった。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 どれほどの時間が経っただろう。時計を見る気力もない。信用できない感覚によれば十分はくだらないか。

 ソファに二人沈み込み、抱き合い、一言も喋らずに横になっていた。妹も口を挟まなかった。視界の隅で小さく俯いている。

 

 

 カーテンの隙間から月光が差し込むほど夜が更けた頃、僅かに身じろぎをした岬が、甘えるように囁いた。

 

 

「……ねぇ、曜」

「ん」

「サイクリング行こうよ」

「サイクリング?」

「そ。私の趣味なの」

 

 

 ──もともとは体重管理のためにやってたんだけど、自分の力でペダルを踏み込むのとか、風を切り裂くのとか、いつの間にか癖になっちゃってて。今では完全に趣味なんだ。

 

 

 そう彼女は笑った。

 もちろん否やを告げるはずもなく、ソファから起き上がった俺は、頬を緩めて岬を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこである。

 

 

「きゃっ⁉」

「玄関までエスコートしようか? 女王様」

「……そうやって何人の女の子を泣かせてきたんだよぅ」

「残念ながら、今まで一人もないね」

「曜に弄ばれる子が可哀想だよ。私も含めてね」

 

 

 二人見合って、どちらからともなく噴き出す。

 鬱屈とした空気を晴らすように、不自然なほど、大笑いした。

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