【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない   作:音塚雪見

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夜を駆ける

 東京の夜は寒い。

 純白の月の下、俺達は自転車で駆けていた。

 薄らと冷えた空気が袖口を揺らす。

 

 

「あはは──曜!」

「ん」

「楽しいねぇ‼」

 

 

 車通りもこの時間帯になると少なかった。流石に渋谷駅近辺を走ったときは手間取ったが、そこを抜けた今では、信号に引っかからない限りは、我武者羅に速度を出して駆けつづける。警察にでも見つかれば、間違いなく止められると断言できるほどに。

 

 

 目的地はなかった。

 心の赴くままに、走っている。

 先頭を行く岬はずっと笑っていた。

 まるで何かを忘れようという強迫観念に駆られているようにすら思えた。

 

 

 御所を超え何もかもを超え、ペダルを漕ぎ続けていると、青白く光る橋が見えてきた。夜の闇の中にぼんやりと佇む威容は、俺達の足を止めるのに十分だった。

 

 

「ね、少し休憩しようよ」

「結構走ったからね」

 

 

 夜のサイクリングは妙に気分を高揚させるもので、気がつけば一時間と三十分ほどが経過していた。

 自転車を停め両の足で地面を踏みしめると、鈍く響くような痛み、あるいは疲れが襲ってくる。

 

 

 あやめ橋地下道という名前の、まるでダンジョンのような道を目前にして、岬はその傍ら——公衆トイレの前に自転車を停めた。

 

 

「私、お花摘んでくる」

「待ってるよ」

「覗かないでね」

「覗かないよ」

 

 

 誰がヒモムシのあられもない姿を暴こうとするのものか。そんなことをしようものなら、化け物と謗られることは避けられない。俺は平凡な男子高校生を標榜しているので、全く以て蛮行を犯す気はなかった。

 

 

 辺りは暗いというのに交通量が多い。

 走行する車を眺めているだけでも、寸暇を紛らわすには十分だった。

 

 

「お待たせ~」

 

 

 五分程待っていると岬が公衆トイレから出てくる。

 髪を整えるように吻を動かし、

 

 

「ちょっとメイク整えたんだ。どう?」

「違いが分からない。いつも通りの引きずり出した腸」

「……曜は私のことが化け物──ヒモムシに見えるんだもんね」

「うん」

「私も感覚だよりにお化粧したからさぁ、普通の人にどう見えてるか分かんないや!」

 

 

 ──それにしてもさ、ヒモムシって酷くない? 私これでも立派な乙女なんですけど? 引き摺り出した腸みたいな見た目って言われたら、布団被って引きこもっちゃっても仕方ないよ!

 

 

 ぷりぷりと擬音が聞こえてきそうな振る舞いで、彼女は吻を揺らした。

 近くに寄ってきて、破顔する。

 

 

「……ま、サイクリングに付き合ってくれたから、君の失礼は許しましょう」

「ありがたき幸せ」

 

 

 二人並んで自転車を押す。

 地下道へ続く階段の横には、おそらく自転車用であろうスロープが付いていて、角度が急なため苦労はしつつも、一番下まで辿り着いた。

 

 

「幽霊でも出そう」

 

 

 甘ったるい声で岬が引っ付いてくる。言葉のうえでは怖がっているようだが、こちらを騙そうという気が感じられないほど、彼女の声にはやる気がこもっていない。

 

 

「…………」

「やっぱ曜は優しいよね」

 

 

 俺が黙って地下道を進むと、岬がぽつりと呟いた。意図は分からない。ただ、訊いてはいけないのだろうと思わせる、不思議な湿度が含まれていた。

 

 

 急勾配のスロープと悪戦苦闘し、ついに地下道を踏破する。

 目の前に大きな橋が出現し岬は黄色い歓声を上げた。

 

 

「わあっ!」

 

 

 ぱたぱたと自転車を押していく。

 橋の(たもと)まで来ると、この橋の名前が「清洲(きよす)橋」であることが判った。

 

 

 清洲橋の説明が書かれた看板の辺りに自転車を停め、俺たちはゆったりと橋を渡りはじめる。

 

 

「綺麗だね……」

 

 

 夜風が冷たい。橋が青くライトアップされているから、余計に。

 隅田川の上を通り過ぎる風に髪が巻かれ、視界の隅でちらちら踊る。隣を盗み見ると、岬もまた髪を押さえるように、吻で自身の頭部辺りを押さえていた。人間だった頃の癖だろう。

 

 

「うう、結構寒い……」

「厚着してくればよかった」

「雪山では人肌で温めるのが定石と聞くから、私達も実践してみよう」

「ここは雪山じゃないんだけどなぁ」

 

 

 ぴたりとくっついてくる岬。

 彼女の身体が少し震えていることに気づき、振りほどく気にもならない。

 

 

「やっぱ、優しいや」

 

 

 小さい声。

 黙って清洲橋を進んだ。

 

 

 右手には曇天を明るく染め上げる摩天楼と、近未来的に輝く橋——あるいはジャンクションが佇んでいた。

 左手には一際異彩を放つスカイツリー。螺旋状に回転する光を眺めていると、催眠術にでもかけられている心地になって、音が出るほど強く瞼を閉じ、頭を振った。

 

 

「あっ」

 

 

 ばしゃばしゃという水音。

 魚でも跳ねているのだろうかと川を見下ろすと、赤い提灯を大量にぶら下げた、遊覧船が水面を滑っていた。

 

 

「遊覧船って実在したんだ」

「岬は乗ったことないの?」

「テレビとかで見たことしかない。曜は乗ったことあるの?」

「ないけど」

「滅茶苦茶『自分は乗ったことありますけど』みたいな口ぶりだったよね」

 

 

 岬は咎めるように額を突いてきた。

 

 

「せっかくだから下に行こうよ」

 

 

 対岸まで辿り着くと新聞社があって、その方向に川沿いの道へ降りられる階段があった。

 岬は吻を腕に絡みつけてくると、俺を川の側へ連行する。捕まった宇宙人の気分だ。どちらかというと、外見的に岬のほうが宇宙人っぽいけれど。

 

 

 下へ降りると存外に人が多かった。

 鋭い音を響かせロッドを投げる釣り人、恋人と愛を囁き合うカップル、大声で歌う酔っ払い、ストイックに走る人。こんな多種多様な属性の持ち主が一堂に会すなど、違和感を覚えるほどに、自然に彼らは存在していた。

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