【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない   作:音塚雪見

110 / 138
ケルンの眺め

 隅田川の流れに逆らうように歩いていく。

 釜蓋のようなベンチがあり、子供のように岬が走り寄った。よいしょよいしょと片足立ちになり──脚なんて存在しないのに──大笑いする。

 

 

「私が世界の中心だぁ!」

「馬鹿なことしてないで先に行くよ」

「親みたいな発言だね。親ってよりも夫になってほしいけど、私は」

「はいはい」

 

 

 くだらない申し立ては無視。

 川沿いに歩いていると、右回りのカーブの向こうに、ライトアップされた石像を発見した。

 

 

「わ、何あれ」

 

 

 素っ頓狂な岬の声。

 俺は夜の闇に目を凝らす。

 

 

「『芭蕉庵史跡展望庭園』って書いてあるね」

「芭蕉ってあの松尾芭蕉?」

「だろうね」

「意外なところで、意外なものに出会えるものだ」

 

 

 哲学者のような声色で岬は呟いた。

 庭園は川の向こうにあったから、橋を渡って向かう。

 橋には色彩センスが、あるいは世界観が独特な絵が飾ってあった。何枚も何枚も。さながら美術館である。

 

 

「なんでこんなに絵が飾ってあるんだろう」

「さぁ」

「注視すれば、知ってる街でも知らない街みたいになるんだね」

 

 

 岬は楽しそうに呟いた。橋をすたすた歩いて、無骨な鉄骨を撫で、吻を指先に絡めてくる。俺も掌に力を込めると、彼女は何も言わなかったけれど、雰囲気が柔らかくなったような気がした。

 

 

 渡りきってから、この橋が萬年橋というらしいことを知った。というのも、橋の名前を示す看板と、葛飾北斎が描いた絵が鉄板に刻まれていたからだ。その説明も記載されている。

 

 

「なんてことない橋だと思ったけど、歴史の深い橋なんだね」

「きっと、こうやって見落としていることが、たくさんあるんだろうね」

「曜もよく見落としてるよね」

「何を」

「例えば……女の子の気持ちとか」

「…………」

 

 

 俺は化け物を女の子と認める性癖は持ち合わせていないので、それは見落としているのではなく、むしろ適切な判断のもと、もしくは無意識的に無視していると捉えたほうがいい。

 

 

 揶揄いに喉を鳴らす岬をスルーして、再び階段を降りようとすると、その袂に説明書きがあった。

 

 

『ケルンの眺め』

 ここから前方に見える清洲橋は、ドイツ、ケルン市に架けられたライン河の吊橋をモデルにしております。

 この場所からの眺めが一番美しいといわれています。

 

 

「へぇ」

「見落とさなくてよかったね」

 

 

 まるで「私に付いてきたおかげだよ」とでも言いたげな雰囲気で、岬はドヤ顔らしきものを披露した。

 イラッとしたので額の辺りを指で弾く。

 

 

「あ痛っ! 暴力だ! 女の子に対して暴力を振るうなんて、サイテーなんだ!」

「俺にとってはヒモムシだから」

「動物虐待だぁ‼」

 

 

 ヒモムシは動物なのか? 虫と名前に付いている以上、昆虫と捉えたいところである。しかし身体の作りは昆虫の定義に当てはまらない。非常に議論が必要な話題だが、ここは閑話休題といこう。

 

 

『ケルンの眺め』の名に恥じず、ここから清洲橋を眺めると、なるほど渡っていたときよりも、確かに美しく見えるような気がした。遠くから客観的に捉えられているせいだろうか。とにかく、綺麗な景色だった。

 

 

 風景に心を奪われていると、いつの間にか芭蕉の像にも近づいていて、ライトアップされた姿が近くに見えた。地面近くには俳句の刻まれた鉄板もある。

 

 

「ちょっと歩き疲れちゃった。休憩しようよ」

 

 

 清洲橋がよく見えるベンチに腰を下ろし、俺達はしばらく何も喋らず、隅田川の水音に耳を傾けていた。青白い光を反射する水面が、跳ねる魚によって時々崩れる。空は先程まで曇っていたのに、気がつけば雲が割れて月が顔を出していた。夜風が木々を揺らし、熱を奪ったみたいに、恐ろしく冷たく吹きつけてきた。

 

 

「……んー」

 

 

 静寂を終わらせたのは岬だった。

 のんびりと息を吐き、こちらに視線を向けてくる。

 

 

「曜」

「ん」

「私のこと、好き?」

「随分と直球だね」

「ストレートじゃないと曜ってば受け取ってくれないでしょ? 捕手としては最悪の心構えだよ」

 

 

 いつも通り茶化すような返事をしようかと思ったのだが、言葉とは裏腹に、真剣な雰囲気を纏う彼女を見て、そんな気もなくなった。

 ベンチを撫でて嘆息する。脳の奥まで潜り込んで、回答を探す。

 

 

「──うん、そうだね。好きだよ」

 

 

 自分でも呆気なく思うほど端的な答えだった。

 しばしの沈黙が満ち、「そっか」と岬は笑う。

 

 

「ふふ、そう、曜は私のこと好きなんだ」

「岬は俺のこと好き?」

「愚問だね。好きじゃないよ」

「想像だにしていなかった返答」

「好きじゃなくて──大好きだぁ‼」

 

 

 なんて、彼女は抱き着いてきた。

 押し倒されて視界が薄桃色に染まる。

 吻がにょろにょろと首筋を撫で、世界に二人きりになってしまったかのように、息が詰まった。

 

 

「私達、相思相愛だね」

「そうかもね」

「……うん。そっか」

 

 

 十数秒ほど俯いたのち、岬は俺の上から立ち退く。軽いとはいえ同年代の人間が腹に乗っていたのだ。流石に肺の容量も大きく変わり、呼吸のしやすさが段違いによくなった。何度か咳ばらいをし起き上がる。

 

 

「ねぇ、曜」

「ん」

 

 

 ベンチから立ち上がった岬は、川のすぐ傍まで走っていくと、水を搔くように振り返った。

 

 

「──私、アイドルに戻るよ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。