【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
隅田川の流れに逆らうように歩いていく。
釜蓋のようなベンチがあり、子供のように岬が走り寄った。よいしょよいしょと片足立ちになり──脚なんて存在しないのに──大笑いする。
「私が世界の中心だぁ!」
「馬鹿なことしてないで先に行くよ」
「親みたいな発言だね。親ってよりも夫になってほしいけど、私は」
「はいはい」
くだらない申し立ては無視。
川沿いに歩いていると、右回りのカーブの向こうに、ライトアップされた石像を発見した。
「わ、何あれ」
素っ頓狂な岬の声。
俺は夜の闇に目を凝らす。
「『芭蕉庵史跡展望庭園』って書いてあるね」
「芭蕉ってあの松尾芭蕉?」
「だろうね」
「意外なところで、意外なものに出会えるものだ」
哲学者のような声色で岬は呟いた。
庭園は川の向こうにあったから、橋を渡って向かう。
橋には色彩センスが、あるいは世界観が独特な絵が飾ってあった。何枚も何枚も。さながら美術館である。
「なんでこんなに絵が飾ってあるんだろう」
「さぁ」
「注視すれば、知ってる街でも知らない街みたいになるんだね」
岬は楽しそうに呟いた。橋をすたすた歩いて、無骨な鉄骨を撫で、吻を指先に絡めてくる。俺も掌に力を込めると、彼女は何も言わなかったけれど、雰囲気が柔らかくなったような気がした。
渡りきってから、この橋が萬年橋というらしいことを知った。というのも、橋の名前を示す看板と、葛飾北斎が描いた絵が鉄板に刻まれていたからだ。その説明も記載されている。
「なんてことない橋だと思ったけど、歴史の深い橋なんだね」
「きっと、こうやって見落としていることが、たくさんあるんだろうね」
「曜もよく見落としてるよね」
「何を」
「例えば……女の子の気持ちとか」
「…………」
俺は化け物を女の子と認める性癖は持ち合わせていないので、それは見落としているのではなく、むしろ適切な判断のもと、もしくは無意識的に無視していると捉えたほうがいい。
揶揄いに喉を鳴らす岬をスルーして、再び階段を降りようとすると、その袂に説明書きがあった。
『ケルンの眺め』
ここから前方に見える清洲橋は、ドイツ、ケルン市に架けられたライン河の吊橋をモデルにしております。
この場所からの眺めが一番美しいといわれています。
「へぇ」
「見落とさなくてよかったね」
まるで「私に付いてきたおかげだよ」とでも言いたげな雰囲気で、岬はドヤ顔らしきものを披露した。
イラッとしたので額の辺りを指で弾く。
「あ痛っ! 暴力だ! 女の子に対して暴力を振るうなんて、サイテーなんだ!」
「俺にとってはヒモムシだから」
「動物虐待だぁ‼」
ヒモムシは動物なのか? 虫と名前に付いている以上、昆虫と捉えたいところである。しかし身体の作りは昆虫の定義に当てはまらない。非常に議論が必要な話題だが、ここは閑話休題といこう。
『ケルンの眺め』の名に恥じず、ここから清洲橋を眺めると、なるほど渡っていたときよりも、確かに美しく見えるような気がした。遠くから客観的に捉えられているせいだろうか。とにかく、綺麗な景色だった。
風景に心を奪われていると、いつの間にか芭蕉の像にも近づいていて、ライトアップされた姿が近くに見えた。地面近くには俳句の刻まれた鉄板もある。
「ちょっと歩き疲れちゃった。休憩しようよ」
清洲橋がよく見えるベンチに腰を下ろし、俺達はしばらく何も喋らず、隅田川の水音に耳を傾けていた。青白い光を反射する水面が、跳ねる魚によって時々崩れる。空は先程まで曇っていたのに、気がつけば雲が割れて月が顔を出していた。夜風が木々を揺らし、熱を奪ったみたいに、恐ろしく冷たく吹きつけてきた。
「……んー」
静寂を終わらせたのは岬だった。
のんびりと息を吐き、こちらに視線を向けてくる。
「曜」
「ん」
「私のこと、好き?」
「随分と直球だね」
「ストレートじゃないと曜ってば受け取ってくれないでしょ? 捕手としては最悪の心構えだよ」
いつも通り茶化すような返事をしようかと思ったのだが、言葉とは裏腹に、真剣な雰囲気を纏う彼女を見て、そんな気もなくなった。
ベンチを撫でて嘆息する。脳の奥まで潜り込んで、回答を探す。
「──うん、そうだね。好きだよ」
自分でも呆気なく思うほど端的な答えだった。
しばしの沈黙が満ち、「そっか」と岬は笑う。
「ふふ、そう、曜は私のこと好きなんだ」
「岬は俺のこと好き?」
「愚問だね。好きじゃないよ」
「想像だにしていなかった返答」
「好きじゃなくて──大好きだぁ‼」
なんて、彼女は抱き着いてきた。
押し倒されて視界が薄桃色に染まる。
吻がにょろにょろと首筋を撫で、世界に二人きりになってしまったかのように、息が詰まった。
「私達、相思相愛だね」
「そうかもね」
「……うん。そっか」
十数秒ほど俯いたのち、岬は俺の上から立ち退く。軽いとはいえ同年代の人間が腹に乗っていたのだ。流石に肺の容量も大きく変わり、呼吸のしやすさが段違いによくなった。何度か咳ばらいをし起き上がる。
「ねぇ、曜」
「ん」
ベンチから立ち上がった岬は、川のすぐ傍まで走っていくと、水を搔くように振り返った。
「──私、アイドルに戻るよ」