【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない   作:音塚雪見

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さよーならまたいつか!

 えっちらおっちら自転車を漕いで、何とか家まで戻ってきて。

 妹に出迎えられ、俺達はリビングに立ち入った。

 

 

「……どうやら、覚悟は決まったようだね」

「そう見える? なら私の演技力も捨てたもんじゃないね」

 

 

 岬は苦笑する。

 身体を僅かに揺らし、

 

 

「本音を言うと、まだ全然覚悟なんて決まってないよ」

 

 

 数秒ほど言葉に詰まり、こちらに視線を投げた。

 眼球なんて存在していないはずなのに、何故か彼女の感情が痛いほど理解できる。

 

 

「曜のことは大好きだし、忘れたくない。でも曜を想うのと同じくらい、アイドルに戻りたいっていう気持ちもあるんだ」

 

 

 一言一言を噛みしめるような声に、俺達は口を挟むことはできなかった。

 戦場へ赴く戦士を見送るように、表情を引き締め、再び彼女が動き出すまで、沈黙を保つしか。

 

 

「やって、妹ちゃん」

「──本当にいいんですね」

「止めてよ。尻込みしちゃう」

 

 

 ぱたぱたと岬が駆け寄ってくる。

 お互いに何も言わず、目も合わせず、吻と指を絡める。

 静かに佇んでいた妹はリビングから出ていこうとして、言うべきことを思い出したように振り向いた。

 

 

「お兄ちゃんは岬さんのマネージャーとして活動してたんだよね?」

「仮の仕事だったけどね」

「じゃあ岬さんの状態のこと──お兄ちゃんから離れると、姿が見えなくなるってことも?」

「伝えてる」

「その人の記憶もどうにかしないと」

 

 

 発言だけ聞くと怪しげな組織の構成員みたいだ。メンインブラックとか。まぁ「怪しげ」という形容詞は「組織の構成員」にかかるよりも、「見た目」にかかるほうが適切かもしれないが。怪しげを通り越して不気味である。真っ暗な空間で直視すれば、思わず悲鳴を上げてしまうこと請け合い。

 

 

「これから岬さんの記憶を弄るけど──その場にお兄ちゃんは居られない」

「どうして?」

「〝向こう側〟の存在に力を借りるから。薄いとはいえ、お兄ちゃんにも影響があるかもしれない。危険な橋は渡れない」

 

 

 何が「薄い」のか妹は言わなかった。あえて濁したようなニュアンスも漂っていたが、詮索しないでくれという意志も感じられたため、俺は無理に突っ込むことなく首肯する。

 

 

 彼女は今度こそリビングから姿を消して、扉の向こうから闇の触手だけを揺らし、逡巡に塗れた言葉を吐いた。

 

 

「──きっと、お兄ちゃんと岬さんはもう二度と会えない。だから悔いが残らないよう……それは無理だろうけど、後悔だけはしないように、最後にいっぱいお話してね。私は邪魔したくないから廊下に出てるよ。準備が出来たらこっちに来て」

 

 

 そうして、ぱたんと扉が閉められた。

 二人だけが残されたリビング。

 岬は壁に寄ると電気のスイッチを切った。

 部屋が宵闇に包まれる。

 

 

「岬?」

「……最後の瞬間くらい、化け物じゃなくて『私』を見てよ」

 

 

 ああ、と。

 俺は小さく呟いた。

 

 

 普段であれば、彼女のことだから抱き着いてきたりしていたのだろう。しかし岬は全く近づいてくることもなく──まるで自分の姿を視られることを恐れているかのように、壁際で笑った。

 

 

「ねぇ、私達、随分と短い付き合いだったね」

 

 

 実際に二人の間を隔てるのは数メートルの空間。

 しかし俺には、それより遥かに断絶したもののように感じられた。

 気体分子の存在しない真空のごとく、たった少しの距離でも、熱が伝わらない。

 無窮(むきゅう)の蒼然が意地悪くのたまう。喉を鳴らし口角を歪め、何も聞こえないはずなのに、意識もない秒針の音ですら、くすくすと嘲笑う声のように錯覚した。

 

 

「私が曜のこと忘れても、曜は私のことを忘れないんだよね」

「……うん」

「それって不公平じゃない? だって、曜が苦しんじゃうよ」

「自分に随分と自信があるんだね」

「当たり前じゃん。曜が好きなアイドルだよ? 藤原道長もびっくりの自意識を持っていますとも」

「おっしゃる通りです陛下。この世は貴方様のものでございますよ」

 

 

 暗闇のなか感触だけを頼りに、椅子へ腰を下ろす。

 もう足に力が入らず立ち上がれそうになかった。

 

 

「…………」

 

 

 電気が消えていてよかった。

 こんな姿──顔を岬に見られようものなら、今後一生、笑いの種にされること間違いなしだから。

 

 

 まぁ……現実は、「一生」も「今後」もないのだけど。

 俺達は今日で「終わり」だ。

 

 

 しばらく彼女も喋らずに沈黙が横たわった。あまりにも静かすぎて、鼓膜が心臓の拍動に震える。些細な音がやたら大きく聞こえた。視界が殆ど機能していないのもあるのだろう。家を構築している木々が軋むのが、鮮明に分かった。

 

 

「ねぇ、曜」

「ん」

「もし曜が『アイドルなんて辞めろ』って言ってくれたら、私……何もかも捨てて曜の隣で生きるよ」

 

 

 まさか、あの西塔岬がそんなことを言うとは。

 反射的に続きを促そうとして、自分の浅ましい様子が心の底から嫌になり、瞼を固く瞑って背もたれに深く身体を預ける。

 

 

「……何も言ってくれないんだね」

「岬を縛り付けるには、俺という鎖は短すぎるよ」

「曜のためなら、翼を()いでもいいって言ってるのに」

 

 

 壁の辺りで服が擦れるような音が鳴った。

 おそらく岬が立ち上がったのだろう。

 この時間が終わる──。

 そう思うと、ますます視界が暗くなった気がした。

 

 

「曜」

「ん」

「目、閉じててよ」

 

 

 おとなしく従う。もはや自分で何かしようという意志もなかった。ただ疲れていたのだ。

 幽闇(ゆうあん)が揺れ、気配だけが近づいてくる。

 かすかな体温が隣に立った。

 

 

「さようなら──」

 

 

 頬に、柔らかい感触だけが残った。

 

 

「ごめんね」

 

「私、やっぱり曜のこと忘れたくないからさ」

 

「曜の心に呪い残すね」

 

「絶対忘れられないように……キス、しちゃった」

 

「ほんとにごめんね」

 

「苦しいよね」

 

「私の自己満足かな」

 

「……そう」

 

「ありがとう」

 

「本当に思ってるんだよ」

 

「曜と出会えてよかった」

 

「もう行かなくちゃ」

 

「これでお別れ」

 

「あは、何その顔」

 

「馬鹿にしてるわけじゃないよ」

 

「曜には見えないけど」

 

「私もそんな顔してるもん」

 

「いや……もっと酷いかな」

 

「アイドルなんて出来ないくらい酷い顔」

 

「だからこれが最後」

 

「もう泣かないよ」

 

「私が弱いところを見せるのはこれが最後」

 

「これからは強い『西塔岬』しか見せないから」

 

「だから……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「だから、画面の向こうでずっと見守っててね」

 

「……うん」

 

「ありがとう」

 

「好きだよ」

 

「うん」

 

「……曜」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ふふ、舌が重たいや」

 

「言いたくないなぁ」

 

「でも言わなくちゃ」

 

「うん」

 

「ありがとうね、曜」

 

「今の私が居るのは曜のおかげです」

 

「私は曜のこと忘れるかもしれないけど」

 

「今のこの想いだけは、絶対に忘れないよ」

 

「…………」

 

「うん」

 

 

 扉が開く音がした。

 誰かがリビングを後にする。

 

 

「さよーならまたいつか!」

 

 

 ぱたん。

 扉が閉まった。

 俺の瞼も閉じられたままだった。

 ずっと閉じられたままだった。

 縫い付けられたように、重たかった。

 

 

     ◇

 

 

 フラッシュが煌めく。

 私は監督の指示に従いながら、胸元を強調するポーズを取った。

 まぁ水着だとか露出の多い服装ではないから、何処まで魅力が増しているのか分からないけど。

 

 

「いいねぇ岬ちゃん!」

「ありがとうございます」

「以前もよかったけど、最近は一回りも二回りよくなってるよ!」

 

 

 何だか儚い感じっていうのかな、とにかく魅力的だよ!

 と監督は機嫌よさそうにメガホンを振った。

 狭いスタジオだからあれを使う必要はないんだけど、彼は「こっちのほうが雰囲気出るだろ?」なんて(うそぶ)いている。

 

 

「今日の撮影は終わり!」

「……もう、ですか?」

「岬ちゃんの表情が素晴らしかったから、予想よりも早く撮り終えたんだよ!」

「はぁ」

「お疲れ様!」

 

 

 釈然としないものを覚えながら、私は監督に頭を下げた。

 別に仕事が好きなわけではない。

 だから早く終わる分には問題ないはず。

 

 

「岬、納得いかない?」

「私って結構リテイクするタイプだったじゃん」

 

 

 控室に戻り、ペットボトルのお茶を差し出してきたマネージャーに愚痴を零す。

 彼は苦笑した。

 

 

「今までの岬はぼんやりしてたというか」

「集中してなかったってこと?」

「そうとも言えるね」

「こんな美少女アイドル捕まえて、まだ文句を付けるの?」

「褒めるための助走だよ」

 

 

 正面の席に座って眼鏡の位置を正す。

 普段はあまり顔立ちに意識を向けないから、緩んでいる口角は珍しく感じた。

 

 

「最近噂になってるんだよ」

「私が?」

「そ。仕事頑張ってるって」

「自覚ないけど……」

「そんなもんじゃない?」

 

 

 周りに自分の働きが認められるのは嬉しいけど、意識していないことが原因だと、なんだか腑に落ちない。

 

 

 しかしマネージャーは、揶揄うような表情で尋ねてきた。

 

 

「好きな人でも出来た?」

「なにいってんですか」

「あはは、カタコト。図星かな」

「くだらない質問に呆れてるんだよ。年齢だけじゃなくて、精神のほうまでおっさんになってきたのかな」

「これでもまだ二十代なんだけどな……」

「なおさら酷い」

 

 

 彼は肩を落とした。

 まぁこの程度で落ち込んでいるようでは芸能界でやっていけないのだろう。数秒も経てば平然とした顔で、次のスケジュールなんか告げてくる。

 

 

 もう少し乙女を揶揄った反省というか……。

 私は仏頂面を隠そうともせず、遠慮なく机に肘を突いて、見せつけるようにため息をついた。

 随分とそれが子供っぽい仕草だったのか、マネージャーは思い切り噴く。

 

 

「あーあーあー! 怒りのボルテージが頂点に達したよ! 私は私の尊厳のためにストライキを起こします!」

「困るんだけど……」

「恨むなら配慮の足りない自分を恨んでね!」

「女子高校生は難しいなぁ」

 

 

 なんて頬をぽりぽり。

 全く反省の色がない。

 私は激怒した。

 

 

「スケジュールの話くらい聞いてくれない?」

「私はストライキ中です。機嫌が悪いので馬耳東風です」

「シュークリームでも渡したら直るかな」

「銀座で買ってきてね」

「微妙に遠い……」

「文句があるなら、私は聞かないよ」

 

 

 スマホを取り出して、ひけらかす。

 こちらは注意散漫ですよと言外に主張するのだ。

 マネージャーは「困った困った」と立ち上がり、地図アプリを開いて、控室を出ていこうとした。

 

 

「……あ」

 

 

 その時、何か思いついたのか止まる彼。

 ドアノブに手をかけたまま振り返り、指を一本立てる。

 

 

「分かってると思うけど、また家出しないでよ」

「しないですって。子供じゃないんだから」

「誰がどう見ても子供の癇癪だけどね……」

「ん?」

「はいはい、申し訳ございません女王陛下」

 

 

 一切申し訳ないと感じていない様子で、マネージャーは扉の向こうに消えていった。

 

 

「家出なんてそんな——」

 

 

 あれ。

 ……そういえば私、どうして家出したんだっけ?

 

 

 思い出そうとしても、脳の片隅に鍵が掛かっているように、濃い霧がふわふわと漂っている。

 頭を捻って「むむむ」と唸る。

 

 

「まぁいっか。思い出せないってことは、大したことじゃないってことでしょ」

 

 

 パイプ椅子に深く座り直した。

 控室に一人取り残された哀れなアイドルである私は、暇潰しにラインを開く。

 何か連絡来てないかな……と……?

 

 

「誰だろ、これ」

 

 

 連絡先には見知らぬ名前。

『ダーリン』だなんて馬鹿げたネーミングセンス、まず間違いなく私のものではないだろう。

 迷惑メールか詐欺だろうか。

 とにかく登録しておいても百害あって一利なし。消そう。

 

 

 ——削除しますか?

 

 

 という問いに迷わずイエスと答え、画面をタップした。

 ちょっぴり怖かったぁ。詐欺に引っかかる気はないけれど、警戒するに越したことはないからね。

 私は安堵に胸を撫でおろし、ソファにでも寝っ転がろうと立ち上がる。

 

 

「あれ」

 

 

 ぽたり。

 つー。

 

 

 何故か頬に涙が流れていた。

 掌に零れた雫を眺めて、首を傾げる。

 

 

「なんで私……泣いて……」

 

 

 止まらない。

 涙が止まらない。

 

 

 心臓の奥がきゅうと締まって、立っていられないくらいに足が震える。

 取り返しのつかないことをしてしまった。

 そんな確信が胸を打つ。

 

 

「どうしたの、私……」

 

 

 あぁ、分からない。

 何も分からないのに、心では理解していた。

 きっと私と「あの人」はもう交わらない。交われない。

 住む世界が違う。あれは一瞬の夢だった。

 

 

「なにこれ、なにこれ」

 

 

 涙が止まらない。

 手で押さえても後から後から溢れ出る。

 

 

 薄れる視界の中、自分ではない自分が、肩を竦めるように、泣き出す寸前の子供のように、晴れ晴れとした顔で笑ったような気がした。

 

 

 ——さようなら、私の大好きな人。

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