【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
開かれた扉。
目に飛び込んでくるのは極々一般的な内装。
間違ってもコズミックホラーな聖遺物が置かれもいなければ、これぞ死体という亡骸の山が積もってもいない。
「お邪魔します」
俺は玄関で靴を脱ぎ、雪花が用意してくれたスリッパを履いた。
綿の感触が温かいもこもこの奴である。
彼女の足元に視線を落とすと、雪花は風化寸前の襤褸衣に足を突っ込んでいた。
爪先には無数の穴。
飛びだすはインソール。
およそ普通の住宅に似つかわしくない装備だ。
「……? やけに見てくるわね、私のことを」
「何せ初めてのお家だからね。見慣れない物ばかり。そこに見慣れた者が居るなら自然と視線が誘導される」
「どうだか。そんなこと言って、私の美貌を堪能したいだけじゃないの?」
それだけはない。
という言葉を我慢するだけの度量が自分にはあった。
化野君は英国紳士も敬礼を抑えきれない紳士なのである。
何を勘違いしたのか自慢げに微笑んで、雪花はリビングに足を踏み入れた。
「お姉ちゃん、ただいま」
「あ、雪花。おかえり──」
そして。
ソファでだらしなく溶けていた菜々花と。
ばっちり視線が合った。
まぁ彼女に眼球という優れた器官はないので、気分の問題だが。
「あ、化野さんんん……⁉」
「言い忘れてたわ。丁度そこで会ってね、鍋パーティーに誘ったの」
「連絡する選択肢はなかったのかなぁ⁉」
「連絡しないほうが面白いと思ったもの」
「お姉ちゃんを虐めてそんなに楽しいかな⁉ め、メイクしなきゃ──って、必要もないか」
すん、と落ち着く。
自分が肉塊であることを思い出したのだろう。
それにしても己の身体が人間のそれと異なるのに、よくもまぁ今まで通りの生活ができるものだ。
本人的はなんらかの感覚が働いているのだろうか。
視力を失った者が聴力や嗅覚などで世界を知るように。
「急に落ち着かないでよ。こっちが落ち着かなくなるわ」
机にレジ袋を置いてため息をつく雪花。
台所に向かって、
「じゃあ鍋の準備するわ。お腹の具合は?」
「このためにお昼を抜いたからね」
「オーケー。人数も増えたし食べきれないくらい用意するわ。まぁ残ったら化野が頑張ってくれるでしょ。男の子だし」
棚からエプロンを取り出して装備する。
次々に鍋などを支度し始める彼女。
実に手慣れた様子だった。
雪花は家事全般得意だと聞いたことがあるし──実際、今の彼女とは育った環境が違うが、根っこの部分が同じである妹がうちで家事をしてくれているし──普段から手伝いをしているのだろう。
「五分くらいキッチンで作業するから、そっち行くまで暇潰してて」
そう言って、包丁の音が聞こえてきた。
とんとんとん。
とんとんとん。
思わず眠たくなるような、規則的な音だった。
「…………」
「…………」
しかし話せと言われても。
俺は菜々花に眼差しを向ける。
「…………」
「…………」
ふい、と。
どちらからともいえず、視線は切れた。
壁にかかるカレンダーに注視する。
別にそれが気になったわけでもなく、ただ、菜々花と目を合わせているのが気恥ずかしくなっただけだ。
眼球が存在しない肉塊と目を合わせる、ってのも変な表現だが。
「…………」
「…………」
重たい沈黙が流れる。
時間が流れる。
淀みのない湖面のように、静かに波紋が広がって。
触手を持ち上げた菜々花が端を発した。
「……化野さん」
「……ん」
「こうして会うのは、久しぶり……ですね」
「……そうだね」
「…………」
「…………」
重い。
会話が続かない。
以前の俺達は、いったいどうやって喋っていたんだっけ?
長らく会っていなかった家族の呼び方を忘れてしまったみたいに、全く滑らかでない不自然な対話だった。
とん、とん、とん。
かち、かち、かち。
とん、とん、とん。
かち、かち、かち。
……ぷっ。
「ふっ、ふふふふふ」
菜々花が肩らしき部位を震わせる。
ソファに居住まいを正し、
「こうして緊張してるの──なんだか、変な感じですね」
「うん」
「凄い秘密を共有してる私達なのに……こんな距離を取ってるのも、変な話です」
呟いて。
彼女は触手を俺の腕に絡めてきた。
絡めて、ぐいと引っ張る。
必然、ソファに倒れ込んでしまう。
「……雪花に見られたら騒ぐんじゃない」
「大丈夫ですよ。多分」
一言で纏めると、俺は菜々花を押し倒す格好になっていた。
ソファに手をついて肉塊を見下ろす。
なるほど、相手が美少女であればドキドキのシチュエーション。
「興奮しますか?」
「すると思う?」
「しないと思います。私、お肉の塊ですから」
苦笑して、彼女は触手を背中に回してくる。
人間で例えると丁度抱きしめられているような。
「──本当に、嫌がらないんですね」
「その証明は村で済ませたと思ってたけど」
「……そうですね」
ありがとうございます。
小さな囁き。
二人の間に漂っていた薄い氷が溶けた。
そんな気がした。
──そこに。
「あ、あ、アンタら……!」
鍋を持ったゾンビが肩を震わせる。
今にも爆発しそうな自分を抑えているかのように。
穏やかに具材の入った鍋を机に置き、
「私に作業させて、自分達は楽しくイチャコラ……⁉」
「ゆ、雪花。勘違いだよ。私達はイチャコラなんて……」
「鏡を見たことがないのかしら⁉ 人の家のソファで抱き合うなんて……破廉恥、欲望の塊、若さだけが取り柄!」
悲鳴じみた叫びだった。