【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
「せっかくだから上がっていく? お風呂くらい貸すよ」
無事我が家に到着し、さて帰ろうかしらと呟いている雪花に提案した。
彼女は驚いたように目を丸くし、顔を顰め、幻聴でも疑ったのかこめかみを指で叩き、咳払いする。
「悪いんだけど、もう一度言ってくれる?」
「せっかくだから上がっていく? お風呂くらい貸すよ」
「驚愕だわ。私の聞き間違えじゃなかったみたい。だとすると明日は大雨どころか槍でも降りそう」
まったく失礼なことをのたまうゾンビ。
確かに普通の人間であれば腐乱死体を家に上げようとなぞするまい。吸血鬼を家に招くようなものだ。単純に考えれば自殺行為である。
しかしこの大雨の中、わざわざ相合傘までして送ってくれたのだ。濡れている姿を放置して帰してしまえば男が廃る。
いやゾンビを相手にかような誘いをするほうが廃る──あるいは腐るかもしれないが。
「アンタ、その言葉が何を意味してるか知ってるの?」
「他に解釈のしようがないでしょ。寒そうだね、ちょっと温まってく? くらいの意味だよ」
「嫌だわ、送り狼じゃなかったの」
「この場合は送られ狼だけどね」
「やっぱり私のこと狙ってるの?」
「いんや?」
妙なことを疑うものである。俺が雪花を相手に貞操を狙う訳があるまい。何処の世界にゾンビを恋愛対象にカウントする人間が居るのか。化野くんは一般的趣向をしているので、そのような蛮勇は冒さない。
「でも……そうね。寒いわ。このまま帰ったら風邪でも引いちゃいそう。ご厚意に預かるわ」
「そう。じゃあどうぞ」
玄関を開けて雪花を招き入れる。
靴の数からして、両親は何処ぞへ出かけているらしい。
つまりこの家には俺とゾンビと闇しか存在していない。
化け物の欲張りセット。伏魔殿。
適当に雪花を洗面室に押し込めて、貸与用のバスタオルと服とを探しに自分の部屋へと向かう。
すると階段の踊り場が一面の闇で覆われていて、とても通行できそうな状態ではなかった。
知らぬ間に工事でも始まったのかしら。家の中で勝手に通行止めされると不便なことこの上ないのだが。
「お兄ちゃん」
「ん」
「私は怒っています」
「そう。通してくれる?」
いつもの癇癪だろうと雑にあしらおうとしたら、妹は全身にびっしりと生えた触手を振るって、自らの不服を表明する。
「今お風呂に入ってる人──誰だか分かる?」
「人? 居ないよ」
「そういう問いじゃなくって。名称を答えてよ」
「草壁雪花」
「イグザクトリー! 私です!」
しゅるしゅると身体を小さくして距離を詰めてくる妹。
切迫した様子で、あるいは憤りを抑えた様子で、彼女は声を荒げた。
「お姉ちゃんでも、蜂の人でも、塵の人でもいいよ。私は寛大だからね、お兄ちゃんが選んだのなら文句は言いませんとも。けど
はあ、なるほど。
俺は気のない返答をする。
「奪われるとは?」
「そりゃもう、お兄ちゃんとゾンビとがラブラブでちゅっちゅなおうちデートをやらかすことだよ」
「天地がひっくり返ってもあり得ない」
あくまでも彼女は友人である。恋人だとか一線を越えた存在になることはない。間違っても妹の杞憂する事態にはなり得ないのだ。
懇切丁寧にそのことを説明すると、何処か納得のいかないような、具体的には深みのある複雑な雰囲気を醸し出して、彼女はしぶしぶ雪花の入浴を認めてくれた。
「でもお泊りは禁止だからね! お母さんたちは今日旅行に出かけてるから、
「はいはい。そんなことになるわけないでしょ」
妹の横を通って自分の部屋に向かう。
さすがに両親の衣装棚を漁るのは良心が咎めるので、俺のTシャツやら何やらで我慢してもらおう。サイズ的には問題ないはずだ。
一式を準備して階段を下り、シャワーの音が聞こえてくる脱衣室に踏み込んだ。ノックに反応しなかったから許可は得ていない。とんでもないことをしでかしている感覚に陥って、俺はさっさと出ていこうと扉を開ける。
「ふぅ──」
そこで。
運の悪いことに。
がちゃ、と。
浴室から雪花が出てきた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
ドアノブに手をかけたまま停止する俺。
額に脂汗が浮かぶ。背中に緊張が走る。
形容しがたいほど空気が重くなり、両者ともに沈黙を保ち、冷戦もかくやという緊迫感が二人の間に漂った。
「……勘違いしないでほしいんだけど、俺は覗きに来たとかじゃなくて、雪花の着替えとかを持ってきたんだ」
「分かってるわ。この後どうするかを考えてただけだから。別に『変態』とか罵ろうとしてたわけじゃないわ」
「それはよかった──この後?」
「ええ」
実に悪い予感がした。
残念なことに、こういうときの勘は正確で。
「化野も寒いでしょ? どっちかっていうと化野のほうが濡れてるもの。私は家主を震わせながら、自分だけが温まれるほど肝が据わってない」
「そう。遠慮しなくていいよ」
「私の善性が発揮されてるだけだから、遠慮とかじゃないわ」
服の袖が摘ままれる。
くい、と引かれて、雪花はとんでもないことを口走った。
「私もまだ温まり足りないし、ここは効率を重視して、二人で一緒にお風呂に入りましょう」