【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
「一緒に入りましょうよ」
ぐいぐいと手首を引かれる。
この際、雪花がゾンビであることには目を瞑ろう。
百歩譲って相手が腐りかけの死体であることは問題でないのだ。
問題なのは、一年以上も化け物らを相手に無敵を貫いてきたはずの俺の精神が、水面に映る美少女の姿のせいで、罅を入れられていることだ。
謂わば城砦に核弾頭を打ち込まれたような。
そんな唐突な理不尽に憤っているのである。
「──吐いた唾は飲まないね」
俺は激怒した。
必ず、かの邪知暴虐のゾンビを除かなければならぬ、と決意した。
瞼を固く閉じしきり、決意に身を任せ、雪花の浸かる浴槽に飛び込む。
気分はさながら人間ロケットに収まるピエロだった。
血と腐敗に塗れた影が入浴したお湯など、およそ清潔とは呼べない状態だろうが、男にはやらねばならぬ時がある。
それが今だ。
「え」
驚いたような声が聞こえた気がするが勘違いだろう。なんせ揶揄ってきたのは向こうなのだ。今更、前言撤回など男のすることではない。
いや雪花は男ではないけど。
一人で入浴するのが相応の浴槽に身体を沈めると、二人分の体積が収まったことで水が行き場を失い、ざばーんと湯船から逃げていった。
さすがに正面切って向かい合うわけにもいかないから、雪花の膝の間に収まるような形で、三角座りで以て入浴と相成る。
「な、な、な……」
「狭いね」
「そりゃ一般家庭の浴槽は、いい歳した高校生二人が入るように設計されてないからね……ッ」
何故か雪花は声を強張らせていた。
ちなみに俺も身体を強張らせていた。
服越しでもないゾンビの感触を味わってしまえば当然である。
ぞわぞわ~。
「…………」
「…………」
「この世界に地獄はあるのか」と尋ねられたら、俺は迷わず答える。
今まさに居る場所が地獄である、と。
狭苦しい浴槽に高校生を二人詰めて、何を間違えたのか、背後に座っているのはいと恐ろしきゾンビ。
俺の思考は茹りかけていた。
「…………」
「…………」
執拗な誘いに乗っかった俺も悪いのだが、それにしても感触が酷すぎる。背中が阿鼻叫喚。
気が狂いそうだ。
この姿勢では水面に反射する美少女も見えないし、まったく嬉しくない状況が爆誕してしまった。
数分ほど沈黙の入浴を続けたが、今までずっと湯船に浸かっていた雪花が限界を迎えたようで、
「私、もう出るわ……」
「じゃあ俺も」
と時間差を設けて脱衣室に移動することになった。
いやぁ酷い目に遭ったものだ。
誰が悪いんですかねこれ。
◇
長風呂しすぎたのか、ドライヤーで髪を乾かしてリビングに移動した頃にはすっかり雨が止んでいた。
リビングでは気まずそうにソファに座る雪花。
それと全身の触手を伸ばして威嚇する闇妹。
雪花は妹を認識できないので全然意味がなかった。
「──あ」
「いやぁ酷い目に遭ったね」
「酷い目……確かにね。ちょっとどうかしてたわ、私も」
彼女は居心地の悪さを、膝を擦り合わせることで表現していたが、こちらがさっぱり気にしてないような振る舞いをすると、自分だけ態度を維持するのもアレだと思ったのだろう、ごほんごほんと咳払いをした。
「あれは一夜の過ちよ。お互いに忘れましょう」
「過ち? 何かあったっけ」
「コイツ……すでに忘却の彼方へ……」
愕然とした表情の雪花。
いったいどうしたのだろうか。
俺たちはただ雨宿りをしただけで、何もおかしなことはなかったと記憶しているのだけれど。
台所に移動してココアを作る。
湯気の立つコップを雪花に渡すと、彼女は数秒沈黙したのち、「……ありがとう」と素直にお礼を言ってきた。
「……美味しい」
「よかった。甘さ控えめだから、雪花の舌には合わないかと」
ゾンビって味覚鈍ってそうだし。
「私も女の子だから甘い物は大好きだけど、だからといって微糖が苦手なわけじゃないわよ。むしろ甘ったるいだけの物よりも好きかも」
「へぇ」
「例えば──全然相手が振り向いてくれない、ビターな恋愛ものとか」
「少女漫画の話?」
「ニアリーイコールね」
ずずず、と雪花はコップを傾ける。
身体の内側からも温まって、これなら風邪を引く心配もないだろう。
時計の秒針が十回頂点を指したあたりで、俺たちは解散することにした。
「私、そろそろ帰るわ」
「うん」
「お風呂ありがとうね」
「お風呂……?」
「それ貫き通すつもりなんだ」
何故か呆れたような表情。
はあ、とため息をついて彼女は苦笑する。
「まあいいわ。今日は貴重な体験もできたし。化野の恥ずかしそうな顔とか。結構な付き合いなのに初めて見たもの」
「そんな顔してた?」
「頬とか耳とか赤くなってたわよ」
「血行がよくなったんだろうね」
「どうだか。ふふ、そういうことにしておいてあげましょうか?」
玄関の扉を開き、雪花は悪戯げに振り向いてきた。
外から雨上がりの冷たさを多分に含んだ空気が入り込んでくる。
俺と同じ匂いに身を包んだ彼女は、俺と同じ匂いの髪を指で摘まんで、
「じゃあね」
「また明日」
ぱたん、と扉が閉まる。
さっきまで友達がそこに居たはずなのに、今は居ない。
そんな独特の静寂が心臓を満たした。
「化け物のほうが接しやすくていいな」
小さく呟いて、ずいぶんと毒されたものだな、と肩を竦めた。