【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
「ひとまず先輩の黒歴史を教えてくださいっす」
「おいそれと簡単に人に教えられるのは、黒歴史とは呼ばないんだよ」
「嫌でも教えたくなるっすよ」
そう言うと、蕪木綾瀬は己のスカートに手を伸ばした。
──ああ、あくまでも俺の予想だ。
こちらの視点からでは、彼女は一糸纏わぬ悪魔のような餓鬼なので、スカートも制服も何もない。
俺は唐突な行動に困惑して、綾瀬に問うた。
「急にストリップ趣味に目覚めたの?」
「この状況でその質問をするとは、なかなか胆力があるっすね。もちろん、ありもしない事件をでっち上げて、先輩を脅迫するための所業っす」
「ずいぶん凶悪だ」
「わたしのメスガキを露呈されるのは、それくらい酷いことだと理解してもらえたっすか?」
事件の偽造のうえ脅迫までされるのと、普段は猫を被っているのだと暴露されるのとでは、明らかに後者のほうが傷が浅く、明らかに前者のほうが罪が重い気もするけれど、感性というのは人それぞれだし、俺が判断できるものではないのかもしれない。
俺は両腕を上げた。
白旗である。
完全に敗北を認める形であった。
「分かった、分かった。何があっても綾瀬の正体を口外することはないと誓うよ」
「それを聞けて安心したっす。あと捏造と脅迫はさすがに嘘っす」
下半身あたりに伸ばしていた細い腕を止め、綾瀬は〝にちゃあ……〟と擬音が付きそうな笑みを浮かべた。
おそらく通常の人間であれば美少女の微笑みに見えたのだろう。
けれども悲しいかな、俺にとっては穢れなき、あるいは穢れまみれの餓鬼の一幕だ。
間違っても好印象になることはない。
「さて、そんな化野先輩に一つ質問があるっす」
「何かな」
「この教室を出るにはどうすればいいでしょう」
「そりゃあ──」
君が掛けた鍵を解錠して、素直に出ればいいだろう。
一瞬の逡巡もなく答えようとしたところ。
教室の扉には、鍵も何も付いていないことに気が付いた。
取っ手があるばかりで、鍵を差し込む穴も、上下に動かす閂も、捻るだけの機構すら存在しなかった。
要するに、俺たちをこの教室から逃さない何かはあるはずもなかったのだ。
しかし。
綾瀬は泣きそうな顔をしていた。
餓鬼の顔をしていた。
俺も泣きそうになった。
扉は開かない。向こう側で誰かが、あるいは何かが塞がっているのではないかと疑うほどに、動かなかった。
鍵の存在しない密室が誕生したわけである。
これがミステリなら確実に殺人事件が発生するシチュエーション。
俺はさりげなく綾瀬から距離を取った。
「綾瀬が鍵を閉めたわけじゃないの?」
「扉を閉めたときに、謎の『がちゃり』という音がしただけっす」
「鍵を閉めたと自己申告したのは?」
「そうしたほうが、先輩が逃げ出そうと思わなくなるかなと」
なるほど鋭い予想だ。
確かに俺は脱出を諦め、彼女のお願いに素直に従った。
予想外だったのは、音だけでなく本当に鍵が閉まってしまったこと。
いや鍵なんて存在していないのだから、鍵が閉まったというか、扉が開かなくなったことか。
「たぶん、扉が故障してるから使われてなかったんだろうね」
「空いてるからって空き教室に入るのも考え物っすね」
「さてどうしようか」
「昼休みはもうすぐ終わりますし……」
「最悪、扉を破壊して出ればいいんだけど」
あまり取りたくない手段だった。
別に内申点を稼ぐ必要もないが、さりとて下げるべき事情があるわけでもない。
とにもかくにも普通の男子高校生というレッテルこそが、俺が誇る称号なのだ。
「外からなら開くんじゃないんすか?」
「まあ、俺たちもそうだったからね」
「助けを求めてみましょう」
「
「…………」
「…………」
俺たちは沈黙した。
静かに、目くばせだけで会話する。
「スマホとか持ってるっすか?」
「俺は真面目な生徒だからね、鞄に収まってるよ」
「わたしもっす」
「…………」
「…………」
いわゆる詰み、と呼ばれる状況であった。
静謐とした教室に絶望がひたひた滲みる。
とても和気藹々と会話していられる局面ではなかった。
「こうなれば、先輩を殺してわたしも死ぬしかないかもしれないっすね」
「いくらなんでも潔すぎない?」
「生き足掻くのは武士の恥っす」
「武士だったんだ」
「いや武士じゃないっすけど」
「じゃあさっきの発言はなんだったの?」
「……混乱、っすかね」
なるほど。
それほど親しくない相手、しかも年上で、男と同じ空間に閉じ込められたとなると、混乱してしかるべきか。
だとすると俺も結構取り乱すべきなんだけどな。
相手は化け物だし。
なんか泣きわめきたい気分になってきた。
気がする。
千と千尋の神隠しに登場する坊みたいに騒いでみようか、と考えていたところ、なぜか綾瀬が焦ったように身体に組み付いてきた。
「なにゆえ?」
「年甲斐もなく尊厳を捨てそうな気配を感じたので」
「鋭いね」
「本気でするつもりだったんすか?」
「別に」
冗談程度だったのだが。
目の前に餓鬼の顔があるから、冗談じゃなくなったかもしれない。
──その時。
がらがら、と教室の扉が開いた。
呆気なく。
俺たちが苦労していたのが嘘みたいに。
「……アンタたち、いったいぜんたい何をしているのかしら」
震える声を投げかけてきたのは誰だろうか。
なかなか難しい問いだ。回答するのは簡単なのだが、描写するのが難しい。
わなわな震える姿は今にも腐り落ちそうで、蠅がたかっていそうな動く死骸で、そのくせ声だけはよく、鈴を鳴らしたみたいな響き。
成績がよければ先生の受けもよく、品行方正の誉れ高く、挙句の果てには生徒会長にまでなってしまった美丈夫。精神的な。
要するに、草壁雪花がそこに立っていた。