【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
人間の精神と肉体は、肉体は起きたくもないのに精神に無理やり起こされたり、肉体は食べたいのに精神が食べられなかったりと、互いに嫌いあう関係にあるものだが、それにしたって、ここまで一致してないのは珍しい。
「な、なんですかぁ?」
「いや」
甘ったるい声。
鼓膜を直接撫でるような問いかけに、俺はため息をついた。
「難儀なものだなと」
「はあ」
まるで分からない、とでも言いたげに首を傾げる餓鬼。
蕪木綾瀬である。
彼女は醜悪な見た目にそぐわぬ可愛らしい衣装に身を包み、それこそロリポップのような甘い香りを漂わせていた。
薄桃色のレースが幾重にも合わさったワンピースは、着る者が着れば非常に愛くるしい印象になるのだろうが、誠に残念ながら、装着者は泣く子もさらに泣くリアル志向の餓鬼なので、とても似合っているとは言えない。
……さて、どうして貴重な休日の朝っぱらから化け物相手にベストコミュニケーションを重ねているかというと、主な原因は、向こうの電柱の影に隠れて──存在感がありすぎるために全然隠れられていないのだが──こちらを監視しているゾンビにある。
「雪花先輩は相変わらずですかぁ?」
「うん。ばっちり目が合ってる」
「尾行ってあんな明け透けでいいんですかねぇ」
「そもそも事前に告知して行なうものじゃないし」
特に問題ないのだろう。
いや、問題はあるのだが。
休日が餓鬼とのデートに潰れるなんて勘弁願いたい。俺は天下無敵の一般男子高校生を標榜しているのだ。せっかくの逢引の相手が埒外の生き物だなどと、常識から石を投げられるような行為は慎んでもらいたい。
「それにしても、恋人らしいデートね」
「その節は誠にごめんなさい」
「謝意があるのかないのか判らないね」
「どちらかというと……あります?」
「語尾に迷いが見られる」
きっと、どちらかというと別にないのだろう。
あるいは妙な展開に理解が追いついていないのか。
俺も同じだ。ナカーマ。
空き教室での密会を雪花に目撃され、混乱に陥ってしまった綾瀬が言い放った「お手本みたいなデートしてやらあ」発言。
それによって現在の状況に至るのだが──はたして、恋人らしいデートとはいったい何を指すのだろうか。
審査員のリビングデッドさんに尋ねてみたいものだけれど、彼女は彼女で探偵ごっこを楽しんでいる節があるので、水を差して気分を害するのはやめておこう。
藪を突いて蛇を出すと云う。君子は危うきに近寄らないのだ。
「それなりの格好はしてきたけど、まさか服装だけで『恋人らしい』と判定されるはずもないよね」
「雪花先輩がそんな簡単な基準にするはずないっす──ないですよぉ?」
「綾瀬はどうすればいいか分かる?」
「ええ? 先輩はデートのいろはも知らないんですかぁ?」
にやにや。
雪花の目があるから、一応メスガキ風味な口調を継続する綾瀬。
これで内心恥ずかしがってると思うと面白いな。
見た目と中身の温度差で整う。サウナかな?
「あいにく、女の子と出掛ける経験に乏しくてね」
「うふふっ。それだったらぁ、この超絶美少女蕪木綾瀬ちゃんがぁ、とびっきりのエスコートをしてあげますっ」
雫の零れるような笑みだった。
餓鬼でさえなければ、と無念に思うほどに。
骨ばった枯れ木のような掌を腕に感じつつ、背中に死臭の漂う鋭い視線を頂戴しているのを無視して、まるで付き合いたての恋人同士のような、図らず微笑を溢してしまう雰囲気のまま歩く。
なるほど傍から見れば完璧なデートだ。
相手が化け物であることに目を瞑れば。
しかし俺以外の人間には化け物は認識されない。
なんということだ。つまり一切の瑕疵なき回答ではないか。
さすがに何年間も無理のある──メスガキとかいう──演技を続けてきただけあって、誰にどう見られるか、については尋常ならざる経験と振る舞い方が身に付いているらしい。意趣卓逸。
これには草壁雪花女帝閣下もご満悦に違いない、とさり気なく背後を覗くと、看板の影にしゃがみこむ彼女は、なぜか眦を釣りあげ、今にも人を殺しそうな目付きでこちらを睨んでいた。
「どうしたんですか、せんぱぁい? 蛇に睨まれた蛙みたいに、急に動きが硬くなっちゃいましたけど」
「言い得て妙だね」
「……?」
ゾンビと人間──ホモ・サピエンスとでは、前者が捕食者であり、後者が被食者であるため、綾瀬が形容に援用した「蛇に睨まれた蛙」という慣用句が、この慣用句を初めに唱えた人物が驚くほど、悲劇的に最適であると思われた。
人間が食物連鎖の頂点というのは嘘である。
真の王はあのストーキングゾンビ。
たぶん銃を撃ち込んでも普通に反撃してくるだろう。
ゾンビ映画で有能キャラを無理やり殺すために用意されたデウス・エクス・マキナみたいなものだ。
機械仕掛けの神が腐っているとは皮肉なことで。
「──あ、分かりましたぁ」
「語気だけで間違ってることが判明したから言わなくていいよ」
「先輩はわたしみたいな美少女に抱き着かれて、きんちょーして硬くなっちゃったんですよねえ?」
「固くなってるとしたら
しかし綾瀬は心底都合のいい勘違いをしてしまったようで、にたにたと、脂の乗った鰤のごとき笑みを浮かべた。
まったく悪い予感がしたので、俺は彼女の腕から離れようとする。
が、意外にも力が強い。
強すぎる。
全然離れない。なんだこれ万力か?
「恥ずかしがらなくてもいいんですよお?」
「どうして俺たちが現在デートしているか思い出してほしい」
「先輩がみっともなく求愛してきたからじゃないんですかあ?」
「調子に乗りすぎて記憶の改竄が行なわれている」
戦勝国の歴史書かよ。
俺は少年漫画の主人公ばりの気合と根性を発揮し、なんとか綾瀬の腕組みから脱出した。
変なところで体力を使ってしまったせいで、夏はまだ先だというのに、じんわりと肌が汗ばんでいる。
襟元をぱたぱたさせ、服と腹との間に空気を送りながら、臓腑の底に溜まった重たい息を吐いた。