【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
「家出ね」
俺は岬が頼んでいたフライドポテトに手を伸ばしつつ、彼女の発言を反芻していた。
超人気アイドルの家出。
ひとかどの話題過ぎて触れづらい。どこかの雑誌にでも掲載されたら、とんでもなく反響があるのではないだろうか。
それを見ず知らずの人間に堂々と漏らすのだから、かなり自暴自棄になっているらしい。
「頑張ってください」
「そんな量産型のファンみたいな応援しないでよ」
「実はファンなんですよ」
「君、死後は舌を抜かれること間違いなしだね」
岬は吻を震わせて笑った。
はて、なんのことやら。
「というか私ばっかり名前知られてて、君の名前を知らないなんて不公平にも程があるよね?」
「田中太郎です」
「そんなに信用ないかな?」
彼女は悲しそうに机に突っ伏す。
アイスコーヒーを倒さないように移動させる余裕まであるから、演技で相違ないだろうが。
けれども目の前でこんなに濡れた仔犬みたいな声を出されてしまえば、まわりの目を気にする系男子である俺もつらい。
「化野曜です」
「ふふ、名前も教え合った仲だし、そろそろ敬語も外していいんじゃないかな?」
「すみません、もうちょっと段階を踏んでもらって……」
「振られたのは初めてだ」
岬は机に吻を押し当てて、ぐいと背筋を伸ばしながら喉を鳴らす。まるで猫みたいな仕草だ。
見た目は完全に他の星から来たモンスターなのに、例えに小動物が適用されるのは、彼女の持ち合わせた愛らしさゆえだろうか。
たしか岬は俺と同い歳だったはずなので、彼女の言うとおり敬語を脱ぎ捨てて見つめ合う。
「それで家出って?」
「おや、曜から話を広げてくるなんて意外」
「二人で喫茶店に来て、無言でコーヒーすすって帰るほど沈黙を好んではない」
非常に仲がよく、沈黙すら心地よい関係ならばいざ知らず、俺と岬は初対面だ。
むしろ彼女の話を聞き出さねば、気まずくて仕方がないだろう。
岬はコーヒーの湯気を眺めながら、「さてどこから話そうか」とため息をついた。
「やっぱりアイドルなんてものは束縛が酷くてね」
「自由に飛び翔けられたら困る人が大勢いるから。今もマネージャーは大慌てなんじゃない?」
「あんまりにも連絡が来るものだから、面倒くさくて通知切っちゃった」
悪びれることなく彼女は舌を出した。ヒモムシの場合は舌という器官が存在しないから、実際のところは吻であるけども。
「私、小さい頃は子役やってたんだ。知ってる?」
「あいにく芸能界には詳しくなくて」
「だと思った」
からからと岬は笑う。
とくに気分を害した様子はなさそうだ。
「だからさ、ずっと自由な……普通の生活を送りたかったんだ」
「家出も非日常の一部だと思うよ」
「それはそうだ」
ある程度の話は見えた。
以前から自由のない環境に不満を抱えていた岬は、ついに我慢できなくなって爆発。
結果として「家出」なんて大それたことをしでかしたわけだ。
おかげでそこもかしこも混乱しているのが目に見える。試しにスマホで検索してみると、案の定ニュースを席巻していた。
「それで、自由な生活の感想は?」
「いついかなる時でも人の目を気にする必要があるから、ちょー肩が凝る。まあそれはいつも通りなんだけど」
凝る肩なんてないだろうに。
俺は飲みきってしまったカップを見つめながら、おかわりするかどうか考えていた。
「でさでさ、曜ちゃん」
「ん」
「私を拾って?」
「お母さんが『元いた場所に戻してきなさい』って言うだろうから」
「迷惑かけないよ! 掃除だってするし、皿洗いも任せて!」
「長居する気満々かよ」
寄せられる胴体に思わずのけぞる。
謎のてかりが生理的に受け付けない。
しかし最近は理性でもって押さえつけられるようになってきた。
「…………」
頭が痛い。
岬は気丈に振る舞っているが、雪花に何度も鈍感だと言われる俺でもわかってしまうほど弱っていた。
それこそ目を離してしまえば、何をするか想像つかないくらいに。
額を押さえて嘆息する。
ああ、どうして自分にばっかり厳しい状況がもたらされるのか。
もしかすると皆こうなのかもしれないが、だったら神様の性格が悪すぎる。
俺は目の前で悲しそうな雰囲気を出されて、無視して帰れるほど冷淡ではない。
煮えた油でも飲み込むような心地で、俺は机に突っ伏したのであった。
「……満足したら帰ってね」
「ありがとう曜!」
がしり、と。
岬は吻を巻き付けてきた。
ヒモムシに対して捕食者の気持ちを理解したホモサピエンスは、もしかしなくても俺が史上初めてなのではないだろうか。
ああ、妹に何を言われるか予想できなくて怖いなあと考えながら家に帰ると、玄関先で待っていた闇が身体を震わせた。
「……元いた場所に戻してきなさい」
母親ではなく妹に言われてしまった。