【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
岬は悪戯に笑い、吻をこちらに伸ばしてくる。
「怒った?」
「怒ってないよ」
「私こんな性格だからさー、いつも怒られてばっかだったんだ」
「寂しくなったの?」
「……うん」
彼女が家出をしてから数週間といったところだろうが、それまでほとんど毎日あったものがなくなれば、懐かしさやら何やらを感じて当然だろう。
たったったと駆け出して、岬は柵から大きく乗り出した。
「私、アイドルに戻るよ」
「そう」
「ありがとね。たくさん迷惑かけちゃった」
「慣れてる」
主に化け物の相手とか。
簡潔に過ぎる対応が気に食わなかったのか、岬は頬のあたりを膨らませる。
まるでラブコメに出てくるヒロインのようだ。
見た目が完全に宇宙人であるため大幅減点だけれども。
「曜は寂しくないの!? ……その、私との別れとか」
「寂しいよ」
「えっ」
「たった一日と少しの付き合いだけど、それなりに仲良くなったつもりだからね」
俺にはあまり友人がいない。
高校に入学してからは菜々花や雪花などと関わるようになったが、それまで本当に友達と呼べる存在がいなかったのだ。
ゆえに二日にも満たない時間でも、岬に対してだいぶ好感を持ってしまった。
彼女のほうから尋ねてきたにもかかわらず、吻を「ぶわあっ!」と空中に展開し、岬はしゃがみこむ。
「……ずるいよ」
「正直なことに定評があるぞ」
「唐変木」
「何を——」
言うか。
そう口に出そうとした途端、岬は突然距離を詰めてきた。
眼前に彼女の顔が迫る。
「……なんてね」
ところがどうやら冗談だったようで、
背中に郷愁に似た空気が漂っている。
「嘘噓。アイドルなんて嘘をついてナンボだからね」
「同業他者を貶める発言」
「嘘をつく女の子のほうが可愛いんだよ?」
岬はにっこりと首を傾げた。
自分には表情をうかがい知ることはできないが、もしも彼女が人間だったのであれば、間違いなく満面の笑みなのだろうと断言できる。
「ありがとう。曜のおかげで色々吹っ切れたよ」
「たった一日のデートで、怖い夢とか大丈夫になったの?」
「……それはまだ不安だけど」
くるりとその場で一回転して、
「曜との思い出があれば、乗り切れる気がする」
「ん」
俺はポケットから物を取り出した。
プラネタリウムで購入したスノードーム。
急に動かしたせいで内部に雪が舞っている。
見せつけるようにそれを持ち上げて、俺は不器用に口角を上げた。
「こっちも岬との思い出を大事にするよ」
「……あ、お金とか返さなくちゃ」
「要らない。男の甲斐性だよ」
「そんなわけには——」
「またテレビ越しにでもいいから、岬が元気にしてれば、それがお礼ってことで。岬のおかげでちょっとアイドルにも興味が湧いてきたんだ」
今までアイドルなどには興味がなかった。現代っ子を自称しているので、テレビなどを見ないのだ。自然とテレビに登場する有名人などには疎くなる。
しかし岬と関わっていくにつれ——たった十数時間の付き合いではあるけれども、それですら俺にアイドルに興味を持たせたのだ。
やはりキラキラのアイドル様ともなると、破格の魅力を放っているらしい。
「……やっぱ、曜は優しいね」
岬は苦笑する。
今にも泣きだしそうな声で、呟いた。
「その優しさに溺れちゃう前に、私はアイドルに戻るよ」
「別れの言葉もなし?」
「いつかの再会を願って、今は言わないことにする」
たたた、と展望台から駆けていく。
数メートルほど離れて、彼女は最後にこちらを振り返った。
「——代わりに感謝で締めることにするよ! ありがとう!」
緩やかに振られた吻はやがて見えなくなる。
木々の闇に飲み込まれて、俺はひとり取り残された。
柵に寄りかかって夜空を見上げる。
吹き抜ける風が首筋を撫でで涼しい。
「……帰るか」
今の気持ちをどう表現したらいいのだろうか。上手く言葉が見つからない。あるいは言葉にするべきではないのかもしれない。ただ「そういうもの」だと納得して、胸の中に仕舞うのが正しいのだと、俺は妙な確信を抱いていた。
重たい足を引きずって家にたどり着いたのは、それから一時間ほどが経過した後だった。
見慣れた景色に突入した頃には、もはや歩くのが非常に億劫になっていたが、なんとか自分を叱咤して玄関の扉を開ける。
式台の上に妹が座っており、「おかえり」と出迎えてくれた。
「……岬さんはいないんだね」
「画面の向こうに帰った」
「短い夢だったね」
彼女は闇の触手をうにょうにょ遊ばせて、
「今日はカレーだよ」
「あまり辛すぎると食べられないぞ」
「大丈夫だよ。私は辛いの苦手だから」
「どの口が言うんだ」
「この口。見える?」
「ぽっかりとした暗闇しか捉えられない」
ラーメン屋に行ったら卓上調味料のラー油をすべて使いきって、お店に多大なる迷惑をかけそうな妹である。下手すると胃袋にカイロでも放り込んだのか? と錯覚するくらいのカレーを出してくる可能性があった。
かくて俺は警戒しながらリビングへ向かう。
こちらの空気を読んだのか、妹はそれ以上岬の話題を出さなかった。