【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
事務所の位置は分からないので、先導役を岬に任せていたら、立派な建物が見えてきた。あれがアイドル事務所らしい。立派な建物とはいえ「わたくしめがアイドル事務所でございます」と雄弁に主張する見た目ではない。事前の説明なしに質問されたら、どれが事務所か判別がつかないだろう。
意外と普通の建物に紛れているのだな。
なんて街の路地裏でツチノコを発見した人みたいに頷きつつ、扉の前で首を傾げていた岬のもとに足を運ぶ。
彼女は慣れた様子で自動ドアを潜ったが、俺は躊躇してしまった。何かの間違いで逮捕とかされないかしら。
事情を知らないマネージャーからすれば、行方不明になっていたアイドルと一緒にいる男など、誘拐犯以外の何者でもない。
たとえ自分は岬の友達だとか、まだ高校生なんですと唱えても意味がないだろう。問答無用で牢屋にぶち込まれる未来が見える。
「部屋の角を凝視する猫みたいになって、どうしたの?」
「未来の姿を見てた」
「未来視に覚醒したんだ」
「マネージャーさんには秘密ね」
推定誘拐犯に妄想癖まで追加されたら数え役満だ。もはや無罪でも有罪になるレベル。
怯えながら事務所に入ると、エントランスを守っている警備員がちらりと一瞥してきただけで、話しかけてはこなかった。反応的に岬は認識できているのだろう。久しぶりに姿を見せたアイドルに、あからさまな対応をしないのは、さすがプロと称賛するべきか。
第一関門を抜けたことで俺は一安心。
初手で捕まるとか、話にならない。
真っ白な大理石を眺めながら廊下を進んでいくと、古代ギリシアを彷彿とさせる意匠のエレベーターが、来る者を拒むかのように鎮座していた。
岬は平然とボタンを押しているけれども。
「もしかして曜、緊張してる?」
「少し」
「実は私もなんだ」
「とてもそうは見えないけど」
「強がってるだけ」
他に乗客のいないエレベーターで二人きり、彼女はこちらに顔を——気にしなくてもヒモムシだから、表情とか読み取れないが——向けないまま呟いた。
僅かな震えの混ざった声。
さながら迷子になった子供のようなそれに、俺はさりげなく岬との距離を詰める。
「緊張の深刻さで比べたら、多分、俺のほうが酷いよ」
「私は数週間の家出をかましたアイドルです」
「俺は数週間そのアイドルを家に匿ってた……表現を改めれば、誘拐犯扱いされるかもしれないから」
「ちゃんと説明するし」
「聞いてくれれば、いいけどね」
ぴんぽーん、とエレベーターが停止した。
開いていく扉に切迫を覚える。
確認した感じ階段はなかった。犯罪者として追いかけられた場合、逃げきれずここでゲームオーバーになるだろう。
「…………」
「…………」
並んで廊下を歩く。会話はなかった。お互いに最悪の想像をしているのだ。片や家出娘、片や咎人。後者は完全に濡れ衣だが、状況証拠が揃ってしまっている。事実は証人をしてくれない。
十数秒ほどしてある扉の前で立ち止まった。
岬は大きく息を吸い込む。
「——失礼します」
火を付けたら燃料になるんじゃないか。そう錯覚するほど、背中に脂汗が湧いてきた。頭の奥に妙な重さを感じる。足元にも痺れがあった。指先のみを氷水に浸したように、体温が下がっていく感覚。
コマ送りみたいに扉が開かれる。
部屋の奥に座っていた男性は、突然の訪問者を確認するためにパソコンから顔を上げると、思わぬ正体に驚愕したのか、眼鏡越しに目を見開き、椅子を倒す勢いで立ち上がった。俊敏に机を迂回し、こちらに走り寄ってくる。
「岬っ!」
「あはは……お久しぶりです、なんて」
「今の今まで何を——」
言葉を呑み込むと、安心したように笑った。
「……いや、無事でよかった」
「心配かけちゃいましたか?」
「当たり前だろう。この数週間、僕がどれだけ心労を重ねたか、九十分間みっちりと講義したいくらいだよ」
俺は彼らの雰囲気を邪魔しないように空気になる。
しかし、どこかのアイドルよろしく透明になることはできないので、男性は訝しげな眼差しを向けてきた。
「ところで彼は?」
「王子様です」
「は?」
「行き先を失っていた私に、希望の光をもたらしてくれた、いわば眠れる姫を起こす王子様なのです」
「岬はいったい何を言っているんだ?」
「さぁ……」
マネージャーと困惑した視線を交える。
不思議ちゃんなのは見た目からも分かることだが、まさか言動まで電波を発することになるとは、世の中何が起きるか難しいものである。
事務所では普段からこういう振る舞いなのかとも思ったが、彼の戸惑いの様子からするに、そうではないらしい。
何故、急に。
珍獣でも見るかのような目を向けていると、やがて恥ずかしさに耐えられなくなったのか、吻をぶわりと放出した岬が、俺の腕を引っ張って部屋から退出しようとした。
「何してるの」
「
「うん」
「実際はバイト扱いだろうけど、曜をマネージャーに捻じ込もうとするなら、説得材料は必要。無茶を押し通すには準備がなくちゃね」
「説得材料があの奇行?」
「ジャブだよジャブ。お願いの前に強烈な印象を残せば、肯定が軽くなるかもしれないでしょ?」
彼女なりに考えた交渉術のようだが、マネージャーの男性が見せた表情は、強烈な印象を受けすぎてドン引いていたぞ。
そう告げなかったのは、俺の優しさゆえである。