【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
授業が全て終わった教室。
がやがやと唸る空気の中、俺は帰り支度を済ませ立ち上がった。
「あ、もう帰るんですか?」
「実はバイトを始めて」
「え」
驚愕したように触手を伸ばす菜々花。
鞄に教科書を運んでいた手が止まり、それどころか机に置いてあった筆箱を落として、これ以上ないくらいの驚きを表現する。
「意外?」
「意外というか、化野さんが働いている姿が想像できないというか」
「失礼じゃない?」
「すみません、つい本心が」
彼女は肉塊の先端を曲げた。
普通の人間である自分には分からないが、おそらく首を下げるとか、そういう意味合いの行動なのだろう。
「なんのバイトを始めたんですか?」
「ええと」
少し考える。
一般的な飲食業だったり接客業だったりすれば、迷わず答えることができた。
しかし俺が始めたのは人気アイドル様のマネージャーである。多少のミーハー気質はあるけれど、無闇矢鱈に話を広めないだろう菜々花に対してさえ、素直に教えるのは躊躇われた。
加えて守秘義務もある。
岬の強引な方法によって白数さんにマネージャー就任を認めさせたわけだが、その際に、アイドル業に関連する事柄を人に伝えないことが条件に組み込まれていた。
それは俺がマネージャー(仮)になったことも含まれる。
ゆえに違和感を持たれない程度に事実をぼかして、菜々花に答えることにした。
「ちょっと人に言えないことかな」
「闇バイトですか!?」
「そんなとこ」
「絶対辞めたほうがいいですって!」
ぬちょりと音を鳴らしながら触手に掴まれる。
謎の粘液が付着した制服。
揮発性が高いからあまり被害は大きくないのだけれど、だからといって気分はよくない。
対化け物用に鍛え上げたアルカイックスマイルを活用し、窮地を脱するため口を開いた。
「冗談冗談」
「……本当ですか?」
「あっはっは」
「未だ嘗て見たこともないような空虚な笑顔!」
あまり詮索されたくないという思いを読み取ってくれたのか、彼女はそれ以上の追及をせず、机から取り出した教科書を鞄に詰めた。
「……まぁ、化野さんがそう言うなら危ないことではないんでしょうけど。でも助けが必要になったら言ってくださいね? 絶対に私も協力しますから」
その言葉に感謝を伝えつつ、俺は教室を後にした。実は本日、初めての仕事なのである。マネージャー(仮)といえども仕事は仕事。加えてバイト未経験なものだから緊張していた。
下駄箱を出て辺りを見渡す。校門に迎えが来てくれるそうだが、もう来ているだろうか……。
「——やぁ」
「こんにちは」
「迷惑をかけて済まないね」
申し訳なさそうに苦笑する白数さんが、校門の影から片手を挙げながら出てきた。
彼は頭を掻いてため息をつく。
「本当だったらこんなこと、まだ子供の君に押し付けるようなことじゃないんだが……」
「いえ、いいんです」
成人もしていない俺に「人気アイドルのマネージャー」という責任ある役割を任せたくないのだろう。白数さんの顔には大人特有の苦悩が感じられた。深い皺がどれだけ考え込んだのかを教えてくれる。
「だけど化野君が傍に居なければ姿が見えなくなるなんて非科学的な事態だ。せめて岬の状態が回復するまでは、力を貸してほしい」
「私からもお願い」
白数さんの影に隠れていたヒモムシが、にょろにょろと吻を揺らしながら首の辺りを傾げた。
もちろん有名人である岬は正体がバレないように変装をしている。俺からすればお洒落な帽子やサングラスをつけている地球外生命体にしか見えないが、白数さんを含む通常の視界の人間からしてみれば、完璧な変装になっているのだろう。
「……何度見ても慣れないな。誰も居ないところから、急に人が現れるなんて」
「回復の見込みはないから、マネージャーも早く慣れてね」
「岬は慣れすぎじゃないか?」
「ふふふ、環境に適応するのが早いのです」
「図太いだけだろう」
「はぁ⁉」
沸騰したやかんのように唸った彼女は、即座に白数さんへ攻撃を仕掛けたが、熟練の技術でカウンターを入れられてしまう。
それにしても彼、担当アイドルに配慮とかそういったものが感じられない。確か岬は子役をやっていたそうだし、幼い頃からの付き合いなのだろうか。だとすればあの雰囲気も理解できる。いわば親戚の子供みたいなものだ。悪戯好きの。
いつまでも校門で騒いでいると要らぬ注目を集めてしまいそうなので、俺たちはその場を離れ、近くに停めてあった車に乗り込んだ。
黒塗りの長い車体に唾を飲み込んでしまう。もしも汚したりしたら、とんでもない請求をされそうだ。
白数さんは運転手に行き先を告げ、鞄の中から紙を取り出した。
どうやら今日の予定が印刷されているようだ。
「……えー、雑誌の撮影かぁ」
「不満なの?」
「別にお仕事自体が嫌なんじゃなくて、この監督が嫌なの。熱心なのはいいんだけど、そのせいで何度も撮り直しになるから」
行き先を確認した岬は紙を放り投げる。ぐでぇと座席に沈み込み、まるでスライムのようになってしまった。
モチベーションが全く感じられない。これでいいのかと白数さんに視線を送ると、彼は「いつも通り」とでも言いたげに肩を竦めた。
「化野君、初仕事です」
「は」
「岬のやる気を出してください」
浮き沈みが激しい子ですから。日常茶飯事ですよ。
と白数さんは疲れた笑顔を浮かべる。
「マジすか」