【書籍化決定】ラブコメするのは良いがヒロインが化け物しかいない 作:音塚雪見
俺は嫌々人気アイドル様に目を向けた。彼女は今にも溶けて消えてしまいそうなほど、気力というものが感じられなかった。覇気もない。事前情報なしに現在の岬を紹介されたとしたら、とてもアイドルだとは信じられなかっただろう。
「ほらほら~私のやる気を引き出してみなよ~」
「腹立ちませんか?」
「いずれ僕みたいになりますよ」
白数さんに視線を送ると彼は苦笑した。全てを許容した菩薩の笑み──あるいは全てを諦めた影のある顔で。
遠慮のない反応は長い付き合いゆえではなく、真面目に対応していると疲れてしまうからなのかもしれない。
俺は
仕事なんだから頑張りなさい、と叱咤しても「あー今やろうと思ってたのになー曜が余計なこと言ったせいでやる気なくなっちゃったなー」とか宿題を前にした小学生みたいな反応を見せるだろう。容易に想像がつく。
かといって放置しているわけにもいかないし、いい方法が思いつかなかった。このアイドル面倒くさすぎる。
さてどうしようかと考えていると、眼鏡をきらりと光らせた白数さんが、静かに耳打ちしてきた。
「岬にはご褒美が効きます」
「ご褒美」
「通常は美味しい物……普段は食事制限してますからね。スイーツなどが有効です」
ぐっと指を立てた彼が輝いて見えた。敏腕マネージャー。
偉大な相手は輝いて見えるものだという言葉が染み渡る。
「…………」
俺は大いなる自信と大いなる確信によって口角を上げた。
凝固剤を使わなければ処理できなさそうな液体を前に、胸を張って宣言する。
「スイーツ食べてもいいよ」
「もう一声」
「スイーツバイキング行ってもいいよ」
「えぇ?」
これ以上何を求めるというのか。
困惑した俺は白数さんに助けを求めた。菩薩と化した彼は微笑をたたえながら首を横に振った。助けがなくなった。
つまりガス欠モンスターを自分一人で対処しろと。
消極的な自殺ではないだろうか。
「曜は頭が固いねぇ」
「はぁ」
「こういうときはね、担当アイドルの求めている物を提示するんだよ」
「何を求めてるの」
「嫌だなぁ、乙女に言わせるの?」
辞書をいくらひっくり返しても「ヒモムシ」の欄に「乙女」という説明はない。
よっぽどそう反論してやろうかと思ったが、英国紳士と京都人もびっくりな優しさを持つ自分には、とても言えなかった。
「面倒くさ」
「あー‼ 純情で繊細な乙女になんたる言い草!」
岬は不満げに喚く。
純情で繊細なんだったら、多方面に迷惑をかけている現状を顧みて、早くやる気を出してほしい。
窓の外を流れる景色を眺めながら、俺はため息をついた。
「全く、これだから曜は」
甲斐甲斐しく世話を焼く幼馴染のように、彼女は肩の辺りを竦める。
鏡とか見たことないのだろうか。肩を竦めたいのはこっちである。アメリカ映画に出てくるキャラクターのごとく。
「出血大サービスだよ? こういうときは『俺も一緒に行くからさ』とかキザなことを言ってみるの」
「キザァ……」
「新種のポケモンみたいな鳴き声出してないで、さぁ早く」
自分をイケメンだと勘違いしている奴みたいなこと言いたくない。
全力で顔を顰めるが岬は引かなかった。
逆に距離を詰めて催促してくる始末。
車体が長い高級車だからシートも長いのだけど、それも追い詰められているうちに意味をなさなくなってしまう。背中に感じる窓の冷たさに、俺は敗北を悟った。まさかこんな化け物にキザな台詞を吐くことになるとは。
粘度の高い蜂蜜が喉に引っかかっているかのように、言葉が上手く出てこない。
しかし岬は期待に染まった視線らしきものを投げかけてくる。
眼球など付いていないのに器用なものだ。
「岬」
「ん」
「やる気出して」
「えぇ~どうしようかな~」
にやにやという擬音が聞こえてきそうな雰囲気。
込み上げる暴力衝動を抑え、ついでに額も押さえる。
「スイーツバイキング行ってもいいよ」
「その心は」
「……俺も一緒に行くから」
「ヒューッ!」
まるで勘違いしたイケメンだね! などほざきよるものだから、俺はついに堪忍袋の緒が切れて、普通の人間であれば恐れ戦くだろう化け物にダイレクトアタックを仕掛けたのであった。気分は妖怪退治のお坊さん。平安の絵巻物は俺をモデルにしたんだという学説を唱えようかしら。
どろどろに溶けた状態から復活した岬は座席に腰を下ろす。
彼女の気力は回復したようだがこちらの気力がゼロだ。住宅展示場にある風船人形もかくやな嘆息を吐き、手に持ったプリントに視線を落とす。どうやら目的地はまもなくのようだ。
「やる気、元気、岬。はりきっていこー」
「さっきまで
「過去は振り返らない主義なんだ」
「いいね、ストレスなさそうで」
俺は彼女の戯言に付き合わず窓枠に肘をつく。
窓ガラスに自分の顔が映っているが、何歳か老けたようだ。おそらくきっと間違いなく人気アイドル様とのやり取りが原因だろう。疲労感が凄い。
「…………」
それから数分ほど揺られていると、駐車場に車を停めた運転手が振り返ってきて「白数のアニキ着きましたぜ」なんて三下みたいなことを言う。
「よし、降りようか」
「はい」
「仕事だ仕事だー。スイーツだー」
若干一名は──主役なのにもかかわらず──撮影とは違うところに心が囚われているようだったけれども、いちいち反応していると身が持たないと悟ったので、俺は無表情のまま車を降りた。ちょうど白数さんと同じ顔だった。わぁ同類。