特別試験が始まってから今日で3日目――流石にパートナーもぼちぼち決まり始めてきていた。昨日までは0組だったにも関わらず、今回の更新で新たに40組近くパートナーが決定されている。
当然、その中の大半は帆波率いる2年Cクラスであり、クラスの半数は1年生の成績下位者を救済するようにパートナーを組んでいた。しかし、一部の成績上位陣はしっかりと残してあり、上も狙える体制も残している。
また、龍園率いる2年Dクラスや、坂柳率いる2年Aクラスからも、何人かパートナーが決定しているようだった。おそらく、PPによる取引が成功したのだろう。
我らが2年Bクラスからは須藤を始めとした数人がパートナーを決定させていた。どうやら、天沢は約束通り須藤に申請を送ったらしい。須藤にも鈴音から予め説明が行っていたので、見知らぬ相手からの申請を拒否することもなくパートナーが決定している。
後は、やはり1年Dクラスが原作通りに1組もパートナーを成立させていなかった。
宝泉の学力の高い生徒をPPで売りつけるという方針はともかく、成績下位者を残しているのは救済のためにこちらの学力の高い生徒と組ませるためとみるべきか――それとも、こちらがクラス同士の契約を望んでいるのを察して、わざと隙を見せているのか。
原作と違って、オレたちがDクラスではないので、宝泉も原作ほど上から目線で攻めて来ることは出来ない。実際、うちは相手を選べる立場であり、昨日パートナーが何人か決まったのも、うちのクラスの力を認めた生徒が協力してくれたからと言って良かった。
だが、あいつはオレを退学させるために、まず間違いなく接触を計ろうとしてくるはずだ。その協力者である天沢は昨日の段階でオレの駒にしてしまったが、既に天沢には昨日のペティナイフを宝泉に渡すように言ってある。あいつはオレに策がバレているとも知らずに、呑気にこちらの様子を伺っている訳だ――
「おはようございます、綾小路先輩」
――と、考えながら、寮を出て学校に向かって歩いていると、昨日宝泉と共に行動していた七瀬が、背後からオレに声をかけてきた。
振り返ると、屈託のない笑みを浮かべる美少女の姿が目に入る。新一年生の中でも、一番取り扱いが難しいのがこの七瀬だった。
こいつは月城の刺客ではあるものの、オレを退学させるのではなく、逆にオレを退学させようとするホワイトルーム生からオレを守るため派遣されてきた人間だ。正確には監視だが――表向きはそれを隠すように命じられているようで、最初はオレと敵対する素振りを見せる。
「ああ、おはよう」
原作では、オレと七瀬の共通の知り合いである松雄(親父殿の執事をしていた男)が、オレを無理やりこの学校に入学させたことで親父殿の怒りを買い、松雄自身やその息子が自殺に追い込まれる。
それによって松雄の息子に恋をしていた七瀬が、初恋の相手の自殺の原因である親父殿や息子であるオレに逆恨みをすることで、オレを退学させようとしてくるのだ。
まぁ、実際に松雄の息子は自殺こそ図ったが植物状態で生きているし、最終的には適当に自分を納得させたフリをして七瀬も和解してくるのだが、他の1年に比べて事情が複雑すぎて迂闊に手を出せない面倒な女――それがオレの持つ七瀬翼という女のイメージだった。
「昨日は宝泉くんが失礼なことをして申し訳ありませんでした」
「いや、オレは特に被害にはあっていないからな。謝られても困る」
「ですが、迷惑をかけたことに違いはありません。ああいった行動に出る宝泉くんを止めるためについていながら、何というか力不足を痛感しました」
丁寧に謝罪してくれるのは良いのだが、何度も頭を下げられても困るので、改めてこちらが謝罪を受け取ることでこの件は終わりにさせて貰う。下級生の美少女に頭を下げさせるという図は、あまり醜聞がよろしくない。
七瀬も、これ以上昨日の件を引き摺るつもりはないようで、「では、一緒に登校してもいいですか?」と、可愛く上目遣いでこちらに問いかけてきた。事情はどうあれ、美少女と共に登校するのは悪い気分ではないので、そのまま二人で学校まで歩いていく。
とはいえ、登校中無言では流石に気まずいので、それとなく適当な話を振ることにした。
「今度の特別試験のパートナー、候補は決めたのか?」
「私ですか? いえ、決まってはいませんね」
「学力Bなら、そこそこ声がかけられてるんじゃないか?」
「そうですね……一応、2年Aクラス、Cクラス、Dクラスの先輩から、お声をかけて頂いてます」
「答えを保留にしているのは、クラスの方針か?」
「それは……すみませんが、お答えできません」
「聞かれたくないことがあるのは当たり前のことだ、別に謝るようなことじゃない」
オレとしては原作知識があるので、ただの世間話でしかないが、七瀬にしてみれば探りを入れられているように感じるだろう――なら、ここで特大の探りを入れてみることにした。
「もしオレが、お前にパートナーを組んで欲しいと頼んだらどうする?」
七瀬の立場としては喜んで受け入れたい話のはずだ。しかし、ここで迂闊に前言を撤回すれば疑われる危険も出てくる。七瀬にしてみれば、どう答えればいいか難しい判断が求められる場面だ。
「私個人としては喜んで引き受けたい所です。そもそも学力A+の綾小路先輩に誘われてNOと言える生徒など居ないでしょう。ですが、もし仮に申請を頂いたとしても、答えは保留させて頂くと思います」
少々の名残惜しさを感じさせながらも、七瀬はこちらの提案を拒否してきた。まぁ、断られるのは最初からわかっていたが、もし何かの間違いでOKが出るのならそのまま組むのも面白かったかもしれないな。
「なら、もう一つ提案だ。もしよかったら、1年Dクラスと2年Bクラスで協力し合うつもりはないか?」
「クラスで協力……ですか?」
「ああ。この試験は学力の高い者同士が組んだ方がいい結果が得られる。でも、そうなれば、必然的に学力の低い生徒はペナルティを受ける危険に晒される訳だ。1年も、赤点によるデメリットは出来れば回避したいだろう?」
「そうですね。致命的ではないとはいえ、出来れば避けたいと考えています」
「こちらとしても、退学者を出させないために、学力が低い生徒に赤点を回避できるパートナーを組ませてやりたい。上位を取るのは難しいが、1年Dクラスとしても決して悪い話ではないと思う」
原作と違って、オレたちは今Bクラスだ。これが2年Dクラスであれば、ブランド力のなさやPPの不足から、1年Dクラスに助けを求めるような状況だが――ぶっちゃけた話、今はどうしても1年Dクラスに固執しなければいけない理由はない。
七瀬としても、こちらがあくまで自分たちの問題を解決するついでに、1年Dクラスを救済できればいいくらいにしか考えていないのはわかっているだろう。
ここで断られれば、こちらは次の手段を考えればいいだけだが、逆に1年Dクラスは2年Bクラスに付け入る隙がなくなる。それは望むところではないはずだ。
「どうだ?」
「私個人としては賛成です。しかし、宝泉くんがどう答えるかまではわかりません。勉強に自信のある生徒の一部はもう、内々でパートナーを決めかけている段階ですし……」
「やはり、宝泉がクラスのリーダーなのか」
「はい。既に男子も女子も、その多くが宝泉くんの指示に大人しく従い始めています」
「七瀬は少し特別な立場なのか? 昨日見た感じ、宝泉に対して卑屈な感じはなかったように見えたが……」
「私は暴力には絶対屈しませんから」
原作でもそうだが、宝泉も七瀬のこういう所を買って傍に置いているのだろう。
出来れば、早い所オレの駒にしたい所だが、下手に手を出せば失敗しかねない。
ならば、ここで焦って行動する必要はなかった。これまで原作キャラたちを攻略してきたように今はチャンスを待つのだ。食べる機会は、必ず訪れる。
「先輩は……暴力をどうお考えですか?」
「どう、とは?」
「肯定派なのか、否定派なのか、ということです」
「……その二択で答えるなら、肯定派だな」
ここでオレが「暴力は良くないことだ」なんて言った所で、七瀬は信用しないだろう。
それに、オレの予定通りに事が進むのであれば、七瀬はこの問いの答えを得ることになる。嘘をつく必要性はどこにもない。
「……私も、どちらかと言えば肯定派です」
昨日、鈴音にも言ったが、武力が問題を解決することはある。龍園然り、宝泉然り、力を誇示することで出来ることは多い。
だが、時にはその力が自分に跳ね返ってくることもある。その時、前を向けるかどうかは、そいつの持つ精神力次第だな――
「クラスの方針を決めるのが宝泉なら、今回の話は難しそうだな」
「あのっ、もしそちらが受け入れて下さるのであれば、私が一度場をセッティングしてもいいでしょうか?」
こちらが話を打ち切ろうとすると、七瀬が焦ったようにそう問いかけてきた。七瀬としても、ここで2年Bクラスに拒絶されるのはまずいと考えているのだろう。
昨日、天沢から提供された情報によって、既に月城主催によるオレを退学させるイベントが1年の裏で起きているのは確認済み――七瀬からすれば、オレとの関係を壊すような動きをすればマイナスだ。どうにかして、関係を繋ぎ留めておきたいというのはわかる。
「出来るのか?」
「確約は出来ません。最悪、私だけになる可能性もありますが……」
「まぁ、その時はその時だ。頼んでもいいか?」
「あ……でも、お返事はすぐには出来ないかもしれません。それでも大丈夫ですか?」
「わかった。タイミングは任せる。こちらも出来る限り早く調整が付けられるように動いてみる」
「は、はいっ! ありがとうございますっ!」
ホッとしたように頭を下げてくる七瀬と連絡先を交換し、何とか1年Dクラスとの話し合いの場を作ることに成功した。同時に、朝に別れた天沢からも連絡が入り、1年Aクラスの学力B以上の生徒を3人確保したと連絡が入る。
とりあえず、この件を鈴音に連絡してやると、鈴音も昨日の探りで1年Dクラスの学力の高い生徒が、2年Bクラス以外の全てのクラスからポイントによる契約話が持ち掛けられていること、50万PPで即時契約してもいいと言われたことを報告してきた。
マネーゲームについては、2年Cクラスが率先して動きを見せており、AクラスとDクラスがそれに被せるようにして動いているということだ。
やはり、坂柳と龍園はこちらが仕掛けたマネーゲームに乗って来たな。鈴音は、Aクラスはともかく、ブランド力で負けている下位クラスがマネーゲームを仕掛けても勝ち目がないと考えているようで不思議がっているが、マネーゲームの結果はただ勝つだけではない。経過を通して見えるモノや、時に意外な結果を得ることだってあった。
しかし、坂柳と龍園が予定通りに動いてきたならこちらも動いて行こう。ここからは、Bクラスからもマネーゲームを仕掛けていく。鈴音も同じ考えだったようで、オレの意見に同意してきた。
とはいえ、クラスの方針でマネーゲームに積極的に参加しないと決めた以上、真正面からぶつかるようなことはしない。
そもそもその役は既に帆波に任せている。
上位層は他クラスが、下位層は帆波が獲得している今、オレたちは浮いている中間層に狙いを定めて、他クラスが動くように誘い出すのが狙いだ。
そのために、恵と千秋には待機して貰っていた。
鈴音としては、その間に1年Dクラスとのクラス間のパートナー決めを纏めるつもりのようだが、オレはここで中間層を一気に獲得してもいいと考えている。一人2万PP程で10人も学力C程の生徒を奪えれば、こちらの中間層もほぼ安泰と言って良いからな。
◇◆
放課後になると、天沢が連れてきた1年Aクラスの学力B以上の生徒3人と、池たちを始めとした学力E付近の生徒とのパートナー契約が成立した。
原作では、天沢はクラスでも浮いているので、あまり友達がいないと言っていたが、どうやらオレに認められるために、ギャルっぽいけどいい人――と、いうキャラを演じて、上手くクラスメイトを誑かしてきたらしい。それでもしばらくTレックスはお預けだが。
しかし、これで学力Eの生徒が退学をする心配はほぼなくなった。後は学力D付近の生徒残り7人をどうにか出来れば、まずオレたちの目標である『退学者を出さない』はクリアできたも同然と言って良い。
とはいえ、流石の天沢もこれ以上は学力の高い生徒を紹介するのは無理のようで、後は他のクラスから引っ張ってくるしかなさそうだった。
OAAを見た感じ、1年Cクラスの殆どは帆波のクラスと契約済で、一部上位の生徒も殆ど売れてしまっている。と、すると、まだ隙が残っている1年Bクラスが狙い目ではあるが、八神が桔梗と接触するイベントが起きなかったので、1年Bクラスとはコネクションがない。
だが、焦る心配はなかった。明日の8時なれば、オレたちが下位生のパートナーを増やしたことは周知の事実になる。そうなれば、いくら宝泉とはいえ、このまま様子を見ているという訳にもいかなくなるだろう。
何せ、2年B組の成績下位者がいなくなれば、1年Dクラスと進んで契約する必要性などほぼないのだ。勿論、勝利を目指す上で学力の高い生徒と組むに越したことはないが、どうしても1年Dクラスである必要性はない。
とはいえ、宝泉としては、オレとの接触を計るためにも、どうしてもどこかで話し合いの場を設ける必要があった。
先程も言ったが、既に天沢には昨日の時点でペティナイフを宝泉に渡すように指示してある。勝負の切り札を入手した今、何としてでも接触して来ようとしてくるだろう。後は、そこで――
――と、考えていると、椿桜子から電話が入る。
何やら真剣な表情で、相談したいことがあるということだった。おそらく、椿の耳にもオレを退学させるイベントについての詳細が耳に入ったのかもしれない。
オレの部屋に来るように指示すると、それから30分程して椿はオレの部屋にやって来た。
どうやら軽くシャワーを浴びてきたようで髪はまだ少し湿っている。そのまま、部屋の中に入れようとするが、初回の印象の悪さのせいで少し警戒した様子を見せていた。
しかし、流石のオレも要件を聞かずに押し倒すような無作法はしない。実際、今の所は手を出すつもりもないしな。とりあえず、何とか部屋の中に招き入れて、コーヒーやお菓子を出してリラックスさせてやると椿もおずおずと口を開いた。
「1年の中で、綾小路先輩を退学させる特別試験が行われてるのは……知ってる?」
「いや、初耳だ」
嘘だ。天沢を通じて話は聞いている――が、ここは敢えて知らないフリをしておいた。
「私も実際に話を聞いたのは今日だったんだけど、どうも各クラスの代表1~2人に、月城理事長代理から秘密裏に呼び出しがあったんだって」
「それで?」
「その場に集まった1年生は、Aクラスの高橋くんと石上くん、Bクラスの八神くん、Cクラスの宇都宮くん、Dクラスの宝泉くんと七瀬さん。私は、宇都宮くんから今日、その特別試験の話を聞いた」
「ふむ、各クラスの代表1~2名だけを呼び出した特別試験か」
「内容はさっきも言った通り、清隆先輩を退学させること。手段は問わず、期限は2学期が始まるまで。それで、試験の内容はその場にいた6名以外には他言しないように忠告されたんだって。でも、BクラスとCクラスは1人の参加だったから、公平になるようにクラスメイトから1人選んで話すことを認められたって言ってた」
「特別試験ってことなら、クリアすれば報酬があるはずだ。それは聞いているか?」
「先輩を退学させた生徒に2000万PP……でも、今言った通り、他の生徒や先輩、教師にも内緒で、話が広まった瞬間、試験はなかったことにするって」
そういえば、原作だと椿はこのイベント開始時には参加しておらず、後から話を聞いたとされているが、無人島試験での独白では自分もこの場にいたかのように発言していたっけか。
原作はたまに話の前後が合わないこともあるが、どうやらこの世界では椿は後から、オレの退学させることについて話を聞いたらしい。
「で、お前のクラスの……宇都宮と言ったか。そいつは何でお前に相談してきたんだ」
「うちのクラスってさ。勉強が出来ない子はもう2年Cクラスの先輩とパートナー契約を結んでるんだけど、勉強ができる子はどうするか迷ってるみたいだったから、ちょっとアドバイスしてあげてたんだよね。そしたら、それを聞いてた宇都宮くんが相談事があるっていって……」
そういえば、原作でも椿はかなり頭が良かったっけか。雪の妹でもあるし、思考能力が高いというのは納得ではある。
OAAの成績だと学力はC-と低めだが、おそらくそれは手を抜いているだけで、やろうと思えば雪に匹敵するくらいの能力があっても不思議ではなかった。
「その宇都宮は、試験についてなんて言ってた?」
「人を退学する試験なんて有り得ないってしかめっ面してたよ。正直、宇都宮くん一人だけの問題だったら拒否してたんじゃないかな? でも、2000万PPなんて膨大な金額がかかった試験を、自分一人の感情だけで放棄できないって思って、私に相談してきたみたい」
まぁ、当たり前の感性を持っていれば、いくら大金が貰えるとは言え、他人を退学させようという試験に乗り気になる方がおかしいか。
実際、原作でも宇都宮は傍観することを望んだが、オレを恨む椿の懇願でオレを退学させるために動いたようだしな。椿がそこまでオレを恨んでいないこの世界では、進んで何かしようとはしてこないと見ていいだろう。
流石の椿も、姉と付き合っていないからという理不尽な理由で、オレを退学させようとはしないはずだ。
「宇都宮くんはとりあえず傍観するつもりって言ってたから、私も同意しておいた。まだ1年生の中でもそんなに動きを見せてる生徒はいないけど、Dクラスの宝泉くんと七瀬さんが昨日2年生のフロアに押し掛けたって聞いたし、一応報告しておいた方がいいと思って」
「ああ、助かった。ありがとな」
いつも雪にやっている癖で頭を撫でてやると、少し困ったように、ふにゃっとした笑みを浮かべる。撫でられた時の雪の顔にそっくりだ。
「でもよかったのか? オレを退学させれば2000万も手に入るのに」
「冗談きついよ。そんなことしたらおねーちゃんに死ぬまで恨まれちゃう。それに、私程度が清隆先輩を退学させるなんて無理に決まってるし」
「随分と自己評価が低いんだな。宇都宮ってやつも相談したくらいだし、お前だって十分優秀なんだろう? 雪の妹だしな」
「――私なんかが、おねーちゃんに勝てる訳ないじゃん」
これまで聞いたこのないくらい悲痛な声で、椿がオレに向かってそう言い放った。
この間の様子を見る限り、椿と雪の姉妹仲が悪くないのは間違いない。しかし、それでも全くわだかまりがないという訳ではないようで、椿は姉に何かしらのコンプレックスを持っているようだった。
こちらが少し驚いた様子を見せると、椿もすぐにハッとしたように、「ご、ごめんなさい」と、謝罪してくる。自分でもそんなことを言うつもりはなかったようで、少し気まずそうに視線を逸らしていた。
「……雪のことで、何か気になることでもあるのか?」
とりあえず、軽く探りを入れてみる。すると、椿も先程の一言は余計だったと頭を抱えたが、すぐに諦めたように視線をこちらに向けてきた。
雪の実力を知っている=オレの実力にも理解が及んでいるようで、適当な嘘でオレを誤魔化すのは無理と判断したのだろう。下手に勘違いされるよりは話してしまえと言わんばかりに椿はポツポツと口を開いた。
「……先輩はさ。おねーちゃんがずっと入院してたのは知ってる?」
「ああ。オレと別れてから精神を病んでいたと言うのは聞いた」
「あの頃のおねーちゃんは酷かったよ。私のことなんか全く視界に入ってなくて、お父さんやお母さんが話しかけても無反応でさ。でも、先輩と再会してからは、嘘みたいに元気になってさ。『もう一度、清隆に会うんだ』って言って、勉強も運動も頑張ってた」
それはオレが能力を取り戻すように指示を出したからだろう。幼い頃からの洗脳のような刷り込みによって、雪はもうオレから離れられないようになっている。オレの言うことは、神の啓示と同じ――何を置いても守ろうとしたって不思議でも何でもなかった。
「最初はね。学力を取り戻すために、私と一緒に勉強してたんだ……でも、すぐに追いつけなくなった。私だって馬鹿じゃないのに、おねーちゃんが勉強してることがわからなくて。でも、仲良くなりたくて、おねーちゃんと一緒に勉強を続けたの」
おそらくだが、椿にとって雪は、最初は庇護の対象だったのだろう。しかし、腐っても、元ホワイトルーム生。それも、原作以上に長い時間を生き残っていた雪だ。少し勉強すれば中学レベルの教育などすぐに思い出せたのは想像に容易い。
「でもね、おねーちゃんにとって、私は邪魔者でしかなかったんだ。あの時の、おねーちゃんが邪魔をするなってこっちを見る目は今でも記憶に残ってる。結局、おねーちゃんと仲良くなったのは、それからしばらくして完全に落ち着きを取り戻してからだった。けど、あの時のおねーちゃんは今でも忘れられない」
オレの指示に従うために、雪は最高効率で学習を進めようとした。しかし、そこに椿が居ては邪魔だったのだろう。オレのためなら家族であろうと切り捨てる――そして、そんな雪の本性を見て、椿はトラウマを抱えてしまった訳だ。
「雪は、お前に愛情を向けているように見えたが?」
「そうだね……でも、あの時は先輩もいたし。二人きりになってからも笑ってはいたけど、あれが本当の笑みかどうかなんてわからないじゃん」
話す度に、知らなかった椿の姿が見えてきた。
それは、原作と世界の流れが違うが故の未知の姿――自分は姉に好意を持っているが、当の姉は本当に自分のことが好きなのかどうかわからない。どうして、家族である自分ではなくて、オレのような人間を優先するのか。どうして、自分を見てくれないのか。
そんな悲鳴のような疑問が、椿の中を埋め尽くしている。椿は、オレに会うためにこの学校に入学したと言っていた。けど、多分、それは嘘だ。そんなものは単なる世間用の言い訳に過ぎない。
きっと、こいつは――
「最初に会った時、お前はオレに会いに来たと言っていたが、本当は雪が自分のことが好きなのかどうか……確認したかったんじゃないか?」
初めて椿に会った時、雪にくっつかれて嬉しそうにしていたのも、久しぶりの再会に喜んでいたのではなく、姉が自分を好きでいてくれたことがわかってホッとしていたのではないか?
雪とオレとの仲を後押ししようとしたのも、姉に好かれたいと思った一心だったのではないか?
今回、ここに来たのも、オレが退学になれば雪が悲しむと思ったから――椿の全ては雪への承認欲求で構成されている。そう考えると、全ての辻褄があった。
「わかっちゃったか……私は、本当のおねーちゃんを知りたかったんだ。おねーちゃんが、私のことをどう思っているのか確認したかった……」
原作とはまた違う関係性であるが故の、屈折した姉妹愛――これは、使える。
今はまだ迷っているようだが、このまま椿の中にいる雪の存在を絶対のものにしてやれば、椿は雪を拒絶することが出来なくなる。
それは、いずれ雪を通じてオレのことも拒絶できなくなるということだ。もし、それが出来るのなら、好印象を抱いていない男の部屋にわざわざ一人で来ようとはしないだろう。
こいつが雪への思いを抱えている限り、過去のトラウマが雪に逆らうことを許さない。
逆らえば姉に嫌われるという、強力な精神支配が椿桜子という存在をずっと縛ってくれる。そのためにも、椿にはこのまま理想の姉の幻影を追わせ続ける必要があった。
「綾小路先輩は、どう思いますか? 昔からおねーちゃんと一緒に居て、去年一年一緒に居た先輩なら……本当のおねーちゃんを、知っているんじゃないですか?」
「前に、他人との関わりで悩んでいた友人に送った言葉だが、人という存在は基本的に仮面を被って生きている。友人の前で、家族の前で、社会の前で、見せる顔が常に同じとは限らない。だから、雪が見せたという、その目とやらを否定することはできないな」
「それって、やっぱりおねーちゃんは私のこと――」
「いや、その答えは早計だ」
少し言葉のチョイスを間違えたか。追い詰めるのではなく、意識の矛先を変えるイメージで椿の雪への理解を変えていく――
「そもそも人間関係っていうのは一人の人間だけで作られるものじゃない。仮に雪がオレのことを好きだったとしても、雪の中にはお前がいるし、お前のことを家族としてちゃんと愛しているはずだ。お前だって、親と好きな相手への感情は別だろう?」
「そう、なのかな? ちょっと、人を好きになったことがないからわからないけど……」
まぁ、愛の感情が理解できていないのはオレも一緒だ。原作知識としては持っているが、恵やひよりとの関係も変化したから、その感情を得ることがあるのかどうかすら怪しい。
だが、別に椿に愛を理解させる必要はなかった。重要なのは、椿を納得させることだ。
「もし、心の底から雪がお前のことを嫌っているのなら、そもそも笑顔を向けようともしないだろう? お前と一緒に居た雪は、心の中でお前を憎んでいるように見えたか?」
雪が笑顔で、「桜子ちゃーん」とくっついていたのはお互いに覚えている。それが仮にオレの為だとしても、雪の中に妹を思う気持ちが全くない訳ではない。あくまでも優先順位が違うだけのはずだ。
「誰にでも、不機嫌な時はある。お前にだってあるはずだ。でも、雪はベースとしてあまり怒る性格をしていないからな。だからこそ、お前も過剰に雪の反応を気にしてしまうんじゃないか?」
ここで忘れてはいけないのは、雪が怒ったという姿をなかったことにはしないこと――椿の中にある雪へのトラウマはそのままに、雪やオレへの不信感だけを払拭する。
「オレから言えることは一つだ。お前が大人になってやってくれ」
「私が大人に……?」
「オレもそうだが、雪も……幼い頃から普通とはかけ離れた生活をしてきた。だから、常識がなかったり、情緒が育ち切っていなかったりといった弊害を抱えている。オレはある程度自覚できているが、雪はおそらく自覚すら出来ていない」
実際、オレと雪はずっとホワイトルームで育ち、普通の子供と全く違う環境で成長してきた。椿もそれを思い出したようで、ハッとしたような顔をしている。
「椿の言うその目とやらも、そんな情緒の不安定さから来たものじゃないか? 特に、オレと再会した頃は、雪も精神的に不安定な時期だった」
「あ、それはそうかも……」
「だが、この一年で雪も生徒会長になって皆から慕われるようになるくらいには成長した。そこまで心配するほど、前のようにお前を邪険にはしないと思うぞ」
過去は変えない。その上で、今の雪の印象を上書きして姉妹仲はそのままに、椿の過去のトラウマだけは残す――そうすれば、いつか椿を食べる時、オレに有利に働くはずだ。
「……先輩は大人ですね。あんなに私が悩んでいた答えを、論理的に導き出してくれる」
「そうでもない。オレにだって非常識な部分は多いんだ。例えば、雪から好意を向けられているのを知っておきながら、他の女子からの頼みを聞いて彼氏役をしてしまったりな」
半ば冗談交じりでそう言うが、実際にはあまり冗談では無かったりした。何せ、オレもまたホワイトルーム出身だ。
椿も、オレや雪のおかしい部分はホワイトルームで育ったせいだと上手く誤認してくれたようで、この部屋に来た時の警戒心が嘘みたいに今では仕方ないと言わんばかりの苦笑いを浮かべていた。
当然ながら、オレも雪も擬態するだけの知性は持ち合わせている。だが、ここは椿の優しさに付け込むためにも、敢えてオレや雪は常識のない可哀想な人間と思っていて貰っていた方が良い。
「いや、下手をすれば、雪よりもオレの方が酷いかもしれない。オレは雪よりも長くあの場所にいた。だからこそ、幼い頃に子供が受けるべき愛情を知らずに育っている。喜怒哀楽が極端に薄く、人間らしい感情も持ち合わせていないはそのためだ」
これは嘘ではない。人間として、オレは大きな欠陥を持っている。誰かを愛するという感情もないオレに残されたのは、三大欲求でもある性への強い興味だけだ。
「何となく理解できてきました。先輩は、本当に悪意があっておねーちゃんをないがしろにした訳じゃなかったんですね……」
「愛も恋も理解できてない男は、恋人役なんていうのは友達の延長線上のようなものだと認識していた。雪も、別におかしいと認識してなかったからな。お前が騒ぎ立てた時は二人してどうすればいいか悩んだもんだ」
「あの時は……すみませんでした。事情も知らず……」
「謝る必要はない。誰にだって事情はある。お前はそれを理解してくれた。今はそれでいい」
どうやら、上手く誘導は成功したようで、椿の中からオレや雪への不信は取り除くことが出来たらしい。目に見えて表情が柔らかくなっていた。
「……ねぇ。先輩は、おねーちゃんのこと本当に好きじゃないの?」
「その好きというモノがオレには理解できないんだ。愛という概念は知っていても、それがどういう感情なのかわからない。今も雪と一緒に探している最中だ」
そして、愛を知るために、その愛を確かめるすべとして性という行為を利用している――とは言えないが、椿も何となくだが理解を示したような表情を浮かべていた。
「オレは確かに人間として欠陥を持っているんだろう。愛も知らず、お前たち姉妹の気持ちがわかるのかと言われればそれまでだ。しかし、それでも大切にしたいとは思っている。雪も、雪の妹であるお前とも仲良くしたいと思っている……それは、駄目なことか?」
「別に……ダメってことは……」
「じゃあ、仲直り……って別に喧嘩をしていた訳じゃないが、これからよろしく。それと、危険を伝えてくれてありがとうの握手だ」
そうして手を出すと、椿はおずおずと言った感じで手を握り返してきた。そのまま手を引いてベッドに――と、行きたいが、ここはグッと我慢する。
せっかく椿の信用を得ることが出来たのだ。ここで欲を出せば全て水の泡になる。焦るな、既に重要な鍵は手に入れた。ここからは姉妹仲が深まるのをじっくり待つだけでいい。
いつか、雪が椿を誘って、それを嫌がれなくするくらいに仲を深めることが出来れば、後はトラウマを刺激してやるだけで椿は攻略できる。
無理やり押し倒して嫌悪感を持ちながらと、雪に唆されて自分から進んで身を差し出すのでは、やはり後者の方がオレも気が楽だからな。ここは時間をかけて、姉妹丼の準備を進めることにしよう。
原作との変化点。
・七瀬からコンタクトがあった。
原作と違ってこっちは七瀬に不信感を持っていない。が、七瀬からしたら探られているように思えるだろう。しかし、その不信感こそが、自分の作戦が上手く行っていると七瀬に思わせる要因となる――と、何だかんだこちらの掌の上。
・椿からの告発。
原作と違って、椿に敵対する理由がないので早期ネタバレをしにきた。原作でも、最初から知っていたのと、後から知った記述があり、どちらかわからなかったので、このSSでは後から知ったことにしている。
・椿のトラウマ。
オリジナル設定。申し訳ないけど、こういうのがないと椿が入学する理由がない。いや、もしかしたら何もなくても姉の心配をして入学するのかもしれないけど、まだ原作で椿が深堀させていないので入学根拠が弱すぎたのもあり追加設定をプラスした。
・実はボツシーン行きの案もあった。
オリジナル要素入れ過ぎるのは止めた方がいいかと考えもしたが、そもそももう雪が半オリジナルキャラなせいで椿が原作通りに動けない以上、椿も半オリキャラ化した方が動かしやすいと判断。とはいえ、性格や動き方などを変えるつもりはないので、入学するまでの背景が微妙に違うくらいの差しかない。
今話の登場人物一覧。
・綾小路清隆
実は、最初はこの回で椿を食べる予定だった。が、いろいろな事情もあって我慢することになっている。が・ま・ん!
・七瀬翼
原作通りのいい子ちゃん。早く忠犬にしたい。
・椿桜子
地味に雪がホワイトルームモードになったら、椿はトラウマで失神するレベルのトラウマ持ち。とはいえ、そのトラウマが利用されることは今の所はない。