SIDE:櫛田桔梗
――私は一番になりたかった。
勉強でもいい、運動でもいい、とにかく私にしかない特別な何かが欲しかった。
それで注目を得ることが、私にとって至上の喜びだったから。
凄い、可愛い、奇麗、優しい、なんでもいい。人が私に尊敬の視線を向ける瞬間が、最高に生きていると実感できる。
二番や三番じゃ駄目。
一番だからこそ意味がある。
けど、年を重ねるうちにわかってくることもあった。どんなに頑張っても、自分の能力じゃ勉強やスポーツで一番にはなれない。容姿だって自信はあるけど、人の好みが千差万別な以上、明確な一番になることは出来なかった。
だからこそ、私は誰よりも優しい人間を演じることにした。
誰よりも優しく親身になることで、学校で一番の人気者になることが出来た。男子にも女子にも好かれ、頼りにされる、信頼される、それは他の物では手に出来ない快感。
でも、だからこそそれと同じくらい私は苦痛に悩まされた。
毎日ハゲそうになるストレスを貯め込み、何度も体調を崩して、それでも耐えに耐えに耐え抜いた。
けど、心は限界を迎えた。
私はブログに秘めたストレスを全て吐き出した。匿名で、ありのままの事実を書き綴り、日頃のストレスを全て吐き出したのだ。
おかげで溜飲はスッと下がった。私を知らない第三者からの励ましの言葉は私を救ってくれた。
だけど、不特定多数の目に触れるブログは失敗だった。登場人物の名前を伏せても、書いている内容が真実だから気づかれてしまったのだ。
それまで私に助けられてきた全ての人間が敵になった。
私は『真実』を武器にすることで身を守った。秘密を全て暴露し、矛先を自分から逸らしたのだ。けど、その結果、クラスは壊滅状態になってしまった。
もう二度と失敗しない。
その覚悟を持って、誰も知り合いがいないであろう高度育成高校に進学した。ここからもう一度やり直そうと思ったのだ。
でも、ここにはあの女がいた。
堀北鈴音。私の過去を知る人物――彼女は他人に興味を示さないけど、私のことを知っている時点で、そんなことは関係ない。
処理する必要があった。
私は何度も堀北に話しかけた。その度に拒絶されたが、クラスメイトは優しく話しかける私を拒絶する堀北に不快の視線を向ける。そうして、あの女を孤立に持ち込んだ。
けど、不確定要素があった。綾小路清隆と椿雪、この二人だけは変わらずに堀北と接触を続けていた。
もし、堀北が心を開いて、二人に秘密を暴露したら終わる。
私は二人に接触を図ることにした。何とかして、堀北からこいつらを引き離さないといけない。綾小路くんだけはタイミングが上手く合わなかったが、椿さんの方は上手く誘導できたと自負している。
椿さんが堀北と話すのが減ったことに満足していると、5月になり学校の秘密が明らかになった。次の中間テストで赤点を取ったら退学ということで、クラス中が慌ただしくしている。
そんな中、クラスの馬鹿たちが堀北と勉強会をするということで協力することになったのだが、私が頭を下げて馬鹿たちを呼び出したにも関わらず、堀北はそれを台無しにした。失敗したのはいいことだが、それでも自分の努力が無下にされたのは腹が立つ。
だからこそ、私はストレスを発散することにした。
ブログは失敗した。ならば、叫ぼう。大きな声を出すというのはスッとする。堀北への不満を屋上でぶちまけることで、私は私を維持することが出来た。
でも、綾小路くんに見られてしまった。
おまけに動画や音声も撮られ、脅しに屈するしかない状況。これで私の学校生活も終わりか――と、覚悟を決めて、私は綾小路くんに抱かれた。
最初は意地を張って耐えていた。けど、すぐにそんな余裕もなくなっていく。慣れた手つきで、こちらの体を撫でる綾小路くんの前に、気が付けば自分から奴隷のような発言をしてしまっていた。
悔しい。でも、あの快楽の地獄から抜けるにはもうこの男に屈す以外になかった。処女を失うのは嫌だ。それでも、この苦しさは今までに体験したことのないモノだった。もう向こうを満足させて終わらせるしかない。
そうして、綾小路くんを受け入れる。
だけど、思ったよりも悪くなかった。
と、いうより、綾小路くん上手くない? 何というか、よく見るとイケメンだし、こうして無理やり抱かれたのに悪い気分じゃない。
最初は意地悪だったけど、私が屈したとわかると、綾小路くんはとたんに優しくなった。まるで恋人にするような甘い行為で、私の知らなかった感覚を教えてくる。気が付けば、私も自ら綾小路くんを求めてキスをしてしまっていた。
こんなはずじゃなかったのに。
そんな後悔も、圧倒的な快楽の前に消える。
気が付けば、私は綾小路くんに昔の話をしていた。過去、私が失敗したことでクラスを壊滅させてしまった黒歴史――本来であれば、自分から話すようなことではないが、何となく綾小路くんに聞いてほしくなったのだ。
綾小路くんは静かに話を聞いてくれた。
そして、彼は私の話を聞いて、私の過去に不自然な点がいくつかあることを教えてくれた。
最初は何を馬鹿なことをと一蹴しようとした――けど、綾小路くんの言葉にはおかしな所はなく、むしろそう考えるのが普通と思わせる説得力すらあった。
そう、言われてみればおかしい。
勿論、私が悪いのはわかっているが、それでもこれまでみんなを助けてきた私をフォローする人間がいないのは明らかに変だ。
あの時、私が勝ち得ていた信頼度は今の比じゃなかった。確かに悪口を書いたり、秘密を暴露したりはしたが、理由も聞かずに私を信じないというのは、綾小路くんの言う通り、わざと悪評を広められたとしか思えない。
でも、綾小路くんは、そんな私に同情してくれた。
私を酷い目にあった被害者だと励ましてくれたのだ。私は初めて、他人に心から身を預けるという安心感を得た。
朝になると、本性を知られた不快感は消えていた。むしろ、正体が知られたのが彼でよかったと思えるくらいには、彼に信頼感を覚えている。
綾小路くんの命令で、クラスのリーダーになることになったが、それも意外と悪い気分じゃなかった。
今までは私の秘密を全て知る人間を処理しないと気が済まなかったけど、綾小路くんだけは全く不快な気分にならない。
理由はすぐにわかった。
彼は私を否定しないのだ。
私の本性を知っても、表の顔も裏の顔も、気にせず接してくれる。むしろ、私の行為を認め、私の得になるようなこともしてくれた。
今まで屋上で吐き出していたストレスも、これからは彼が全部聞いてくれる。私を褒めてくれる。
最初は脅されそうになって嫌な気分にもなったが、そんな感情はすぐに消え去ってしまっていた。
今は、彼のために動くことが嫌ではない。
だって、彼は、初めて本当の私を受け入れてくれた人だから――
◇◆
SIDE:堀北鈴音
私には2つ年上の兄がいる。そんな兄に追いつくために、私はこの高度育成高校に入学した。
しかし、この学校で私を待ち受けていたのは苦難の連続だった。最低クラスへの配属に加え、私個人の能力が高くても何故か正当な評価が得られない。
それでも、私は諦めずにAクラスを目指すことにした。兄に追いつくためにもこんなところで足止めを食らっている場合ではない。
けれど、その兄は私を見て失望していた。
私の現状や能力不足で落胆させてしまったらしい。だからこそ、成長した姿を見て貰う以外に、私に出来ることは何もなかった。
でも、流石の私も一人でAクラスを目指すのが現実的じゃないことくらいわかる。どうしても協力者が必要だった。それも、Aクラスを目指すだけの実力を持つ協力者が――
幸い、当てはあった。
クラスメイトの、綾小路くん、椿さん。彼らは、私を超える能力を持ち、とてもDクラスにいるべき人間ではなかった。彼らの協力が得られれば、Aクラスを目指すことも夢ではない。
そう思ったが、何故か綾小路くんは協力を渋り、自分との賭けに勝ったら協力するという条件を出してきた。
その賭けとは、クラスの中でも特に勉強能力が低い3人に勉強を教えること。
彼はこの3人に勉強を教えることをとても大変なことだと言っていたが、基礎さえわかれば勉強に難しいことなどありはしない。ただ、教えることに不安はないが、彼らを集めるのが大変だった。
正直、私はあまり人と関わるタイプではない。当然、クラスに友達などいないし、必要ないと考えている。
けれど、それが今の状況では面倒なことになっていた。当然、私が呼び掛けてもあの3人が素直に勉強などするはずがない。どうにかして、彼らが参加する場を作らなくてはいけなかった。
自分に無理なら、他人を頼るしかない。けれど、今回の賭けでは綾小路くんや椿さんの力を借りることは出来ない。と、すると、必然的に頼れる人間は一人しかいなかった。
櫛田桔梗――最初は忘れていたが、中学の時に同じ学校だった女子生徒。噂では、彼女が何か重大な事件を起こしたとかいう話を聞いたこともあるが、今はそれよりも彼女に頼んで3人を集めて貰うしかなかった。
正直、今まで拒絶していただけに、彼女に頼みごとをするのはとても嫌だったけれど、そんなことを言っている場合ではない。櫛田さんの力を借りて、何とか勉強会の場を作ることが出来た。
しかし、私はすぐに綾小路くんの言っていたことを理解することになった。
高校一年生で連立方程式を知らず、おまけに勉強を始めて5分も持たずに席を立とうとする。こんな人たちに勉強を教えるなど無駄なことだ。
綾小路くんとの賭けもあって、なるべく優しく教えようと心掛けたつもりだが、それでも彼らは私の態度を上から目線だと言ってくる。この程度で上から目線だと感じるのであれば、それは自分が下だと彼らが勝手に認識しているだけだ。
結局、彼らは勉強を投げ出した。
私は追いかける気にもなれなかった。綾小路くんとの賭けには負けたことになるが、仮に綾小路くんであっても彼らを教え導くなど出来るはずがない。
いえ、そもそも仮に今回勉強を教えて上手くいったとしても、またすぐに同じような窮地に追い込まれる。そうなれば、また次もこの繰り返し――そんな不毛なことをするくらいなら、今のうちにマイナス覚悟で彼らを切り捨てるべき、私はそう判断した。
きっと、綾小路くんも彼らの酷さを理解してくれる。そんな甘いことを考えながら――
けれど、綾小路くんは彼らを見捨てなかった。
どんな手を使ったのかはわからない。しかし、彼らは授業の休み時間や昼休みに、真剣に勉強に励むようになったのだ。
最初は信じられなかった。
私を脅かすために、わざと勉強をしているフリをしているのではないかとドッキリを疑ったくらいだ。
けど、時が過ぎる毎に、現実として彼らが勉強をする姿が嫌でも目に入ってくる。
何故? 私の勉強会では5分も持たなかったのに――教え方自体は、そこまで差はないはずなのに。
認めたくなかった。それを認めてしまえば、綾小路くんの言う通り私は無能な人間ということになる。そんな人間が、兄に追いつくなど出来るはずがない。
けれど、いくら目を逸らしても現実は変わらなかった。試験二週間前となり、突如として試験範囲が変更になっても、綾小路くんは動揺した姿を見せない。
私でさえ、自分の勉強をしなくてはいけないと考えているのに、彼はどうとでもないとばかりに、赤点組への勉強を継続していた。
むしろ、他にクラスで孤立している生徒に、勉強を教えてあげるくらいの余裕を見せている。
このままではいけない。このままでは、私は本当に何も出来ない口だけの無能者になってしまう。けど、私が何かをしても、クラスのためにはならない。手伝うにしても、逆に彼らの邪魔をしてしまえば、それこそ本末転倒だ。
ふと、私にも何か出来ることはあるか――と、綾小路くんに聞きそうになった。
でも、駄目だ。ここで綾小路くんに甘えては、私は成長できない。兄のようになるには、自分で考えて自分でやらないと駄目なのだ。
しかし、いくら考えても、自分に出来ることなど何もなかった。無力感が襲ってくる。兄の幻影が、私を罵ってきた――お前はそんなことも出来ないのか、と。
私はAクラスを目指さなければいけない。それは、兄のような人間になりたいからだ。
けど、今の私は? このざまで兄のようになれるの? 今、このクラスは私が手を貸さなくても十分に回っている。そんなおんぶにだっこの状況に甘えるだけでいいのか?
いくら自問自答しても答えは出ない。
不安で眠れない日が続いた。こんな不安は今までの人生でも抱いたことがない。クラスメイトたちの頑張りを見るだけで、心が苦しくなっていく。
この不安を晴らすには勉強をするしかなかった。勉強をしている間だけは、不安を気にしなくて済む。逃げるように、私は勉強を続けた。
けれど、根本的な解決にはならない。
私は何かをしなくてはいけない気がする。しかし、それが何なのかわからない。わからないまま、漠然とした不安を抱えたまま、試験まで時は無情にも進んでいった。
SIDE2は櫛田、堀北。
櫛田についてはほぼ蛇足に近い内面描写。
堀北は兄のようになりたいけど、兄のようにできない。その上で、清隆におんぶにだっこの状況ということで、精神的に追い詰められている。普通ならラッキーと思えばいいだけなのに、変な生真面目さがプレッシャーを感じるという悪循環。理想と現実のギャップに苦しめられている感じ。