SIDE:八神拓也
今回の無人島試験、最初から綾小路先輩に勝てる確率はそこまで高くなかった。
南雲を利用したとはいえ足りない駒を補うには力不足だったし、僕が真正面から戦いを挑もうと決意した頃には先輩の勢力は同学年だけでなくて他学年にも伸びきっていたからだ。
特に1年生にも手が回っていたのが痛かった。一夏のヤツはともかくとして、1年Dクラスは今年度最初の特別試験をキッカケにほぼ手中に収めているようだったし、生徒会長であり元ホワイトルーム4期生である椿雪の妹――椿桜子のいるCクラスもどうなっているか怪しかった。
もし、椿桜子が綾小路先輩の札だった場合、間接的に彼女と仲のいい宇都宮も敵になりかねない。だが、綾小路先輩と戦うことを決めた時、既に僕は彼とグループを組んでしまっていた。
言ってしまえば、自分の身に爆弾を抱えている状態。だからこそ、裏切りには特に気を付けていたが、先輩がこんな目に見える隙をついて来ないはずがなく、こちらのほんの少しの油断もあってしてやられてしまった。
「悪いねー、わざわざ時間作って貰って。でも、こんな明るい時間じゃなくてもっと遅い時間でも良かったんだけど……って、あんたのことだから、この時間でも同室の子が絶対戻ってこないように計算してるか」
ふと、頭の中で今回の試験の反省をしていると、僕と同じホワイトルーム5期生――否、元5期生の天沢一夏が部屋にやってきて、そう声をかけてくる。
ぶっちゃけ綾小路先輩の駒になったこいつに興味などなく、僕の方から接触する気はなかったのだが、一夏の方からどうしても時間を作ってほしいと頼まれたためこうして話をする時間を作ってやっていた。
「それで、要件はなんだい?」
「んー、無人島試験で先輩と戦ってみてどうだったかっていうのが聞いてみたかったのと、今の拓也の先輩へのイメージも聞いてみたいなって……先輩から聞いたけど、仲違いみたいなのは修復できたんでしょ?」
「そんなどうでもいいことを聞くために僕に時間を作らせたのか」
「拓也にとってはどうでもよくても、あたしには結構重要なんだよね。ほら、憧れの先輩と姉弟みたいな同級生が戦うんだし、参加する気はなくても気にはなるっていうか……」
こいつは既に綾小路先輩の駒――しかし、無人島試験で僕に仕掛けてくる様子がなかったことを考慮すると、自身でも言っているように僕に気を使って中立を貫こうとしているらしい。
「まぁ、いいさ……確かに君の言う通り、僕の中にもう綾小路先輩を恨む気持ちはない。今は彼を退学させてホワイトルームからのミッションをこなすこと、それを第一にしか考えていない」
「先輩のこと嫌いじゃなくなったのに、退学にするのは諦めないの?」
「裏切り者の君と一緒にしないでくれ。僕はホワイトルームで学ぶことこそを至高だと考えている。そして、綾小路先輩の優秀さから目を背けていた弱い自分にも気が付けた。だからこそ、自分に課せられた使命を果たすことで彼を超えたいと思っているだけだ」
そう、もうあの醜い憎しみは心にない。だが、彼を超え、ホワイトルームに僕の力を示すことを諦めた訳じゃない。と、考えていると、一夏が妙にしおらしい顔をこちらに向けてくる。
「あのね、拓也……私、先輩と戦ったんだ」
口から出てきたのは予想外の言葉だった。
先輩の駒になった一夏が、先輩と戦う? 状況が良く見えないが、冗談を言っているようには見えない。
「戦った? いつ?」
「無人島試験の最中。ほら、大雨が降って試験が中断した日があったでしょ? あの時に少し戦う機会があったんだよね」
どうやればそんな状況になるのか皆目見当がつかないが、この真面目な表情を見るに少しじゃれ合った訳ではなく、かなり本気で戦ったようだった。
「それで? 手も足も出ずにボロ負けしたんだろう?」
「まぁ、そうなんだけどさー……」
「先輩の能力が高いことなどわかりきっている。ここ最近はずっと情報収集に努めていたからね。僕でも真正面から勝つのは不可能だろう」
「もっと勝負になると思ったんだけど……」
「成程ね、元同期だけあって、君は僕の能力も大体把握している。だからこそ、僕に無謀なことはやめろと忠告しに来たわけか」
馬鹿なことを――そもそも能力が足りていないのは最初からわかっている。もし、僕が彼を超えられていれば、そもそもこんな学校に来ることなんてなかったのだ。
「別に戦闘能力だけが雌雄を決するものではない。今回の試験では敗北を喫したけど、僕は僕のやり方で先輩を超える。それだけだよ」
「……珍しいね、負けず嫌いのあんたが素直に負けを認めるなんて」
「負けてないと意地を張った所で成長はないからね。今回の試験は僕の完全な敗北だ」
「先輩が言ってたよ。今回は最初から勝ちが見えた勝負だったって」
「そうだね。僕が先輩に挑んだ時点で、先輩は既に特別試験の仕込みを終えていた段階だったし、そう言う意図がなかったとはいえ僕も自分の身に爆弾を抱えていた」
全ての誤算は椿桜子の存在――あの女は僕を警戒して、この試験まで完全に実力を隠していた。
自分を取るに足りない存在であり、あたかも僕の掌で動いているフリをして、宇都宮を先輩の駒にするための決定打を探し回っていた。
「拓也が遊び半分でCクラスの生徒を退学させるからじゃん」
「仕方なかった。1人クラスメイトを退学させておけば、次は絶対に阻止したいと考える。そして、その敵が宝泉だと誤認させられれば、自ずと僕とも手を取りやすくなるし、感情的になった彼なら上手く操作できると思っていたからね」
「でも、そのせいで負けたんでしょ?」
「そうだね。宇都宮の復讐心を計りかねたのは確かだ。だが、一番の誤算はやはり椿桜子だよ。彼女がこの短い時間で僕に辿り着くとは想定していなかった。宇都宮だけなら、宝泉というわかりやすい敵を作っておけば誤魔化せたものを……」
いや、途中までは上手く駒として操れていたのだ。椿も僕を疑ってはいても、表向きは協力する姿勢を見せていた。
しかし、綾小路先輩の一手――椿雪生徒会長の強襲。これが痛かった。まさか、彼女を使って、僕が波田野を退学させたことを確認してくるなど想定外も良い所だ。
宇都宮が完全に敵になったことで、この試験での勝利の可能性は消えた。けど、仮にもしあのまま決定的な証拠を掴ませずに試験を続行できていたとしても、勝つ可能性は良い所五分だっただろう。
Aクラスの高橋の体調不良で、うちはもう着順報酬を得られていなかったし、あのまま椿生徒会長に後をつけ回されれば、どうしたって得点の効率は落ちる。先輩も終盤はいろいろ大変だったようだが、あの人は座して敗北を待つタイプではなかった。
「でも、この試験を通じて、先輩の手は見せて貰った。データでしかわからなかった能力、その性格、手持ちの駒……手探りの今回と違って次は万全の状態で戦える」
「けど、自主退学の契約は今回限りなんでしょ?」
「そうだね。先輩に勝利した上で退学まで追い込むというのは現実的に考えても不可能だ。けど、あの『綾小路清隆に真正面から戦って勝利した』という結果を出せば、ホワイトルームからの僕の評価も大きく変化する」
勿論、最善手が綾小路先輩を退学させることなのは間違いない。とはいえ、この学校の特別試験で他学年が関われる機会はそこまで多くないだろうし、その試験で必ず先輩を退学に追い込めるとは限らない。
多少汚い手を使えば、無理やり退学に追い込むことも不可能ではないが、全学年や教師まで駒にしている綾小路先輩に絡め手が簡単に通用するとも思えなかった。
なら、少し時間をかけてでも、僕の評価を落とさない、または再評価をせざるを得ない結果を出す方に努力しようと考えるのは当然のことだ。
ホワイトルームにとって、綾小路清隆という人間はもはや伝説的存在だし、その綾小路清隆に勝てば僕の能力が確かなものだという証になる。
「なーるほどねー……なんていうか、本当に変わったね。少し前まではもっと捻じれてたのに」
「変わった――か。僕自身、そこまで大きく変わったつもりはないけどね。ただ、今まで見えていなかったものが見えるようになっただけ。曇っていた眼鏡のレンズを拭いた、というのが近い表現かな」
そのレンズを曇らせていたのが、先輩に対する憎しみだった。けど、その憎しみが僕の能力に制限をかけていた――それに気づけたのも先輩のおかげだ。
「一夏。どうやら、君は綾小路先輩の駒になったとはいえ、僕と敵対する気はないようだし、僕の方から何か言うつもりも何かするつもりもない」
「憧れの先輩と同期のよしみ、天秤にかけるのはちょっと難しかったからね」
「でも、君が敵側にいるのは変わりない。完全に敵対したと判断したら容赦なく潰すから覚悟しておくといいよ」
「その気はないけど、肝に銘じておくニャー」
冗談めかしてはいるが、一夏は僕に家族に近い情を持っている。正直、僕には理解できない感情ではあるが、余程先輩に強要されない限り敵対はしないと見て良いだろう。そして、先輩は自分に絶対の自信があるが故に、一夏を無理に僕にぶつけようとはしてこない。
「それで、聞きたいことはもう終わったかな?」
「大体ね。今の拓也の心情が知れて満足って感じ」
「なら、もう帰ると良い。本来であれば、ホワイトルームを裏切って先輩に付いた君は、僕にとっては敵以外の何物でもない。ここで再起不能にされても文句は言えないんだからね?」
「あはは~、笑えないかも」
「君が完全に敵対すると言わなかったから今回は見逃すよ。ただ、次に会う時は今回のように無警戒でいるのはやめた方がいい。僕がいつでも優しいとは限らないからね」
何であれ、一夏がホワイトルームを裏切ったのが事実である以上、僕と一夏は完全に敵対したと言って良い。
今日は見逃すが、何がキッカケになって戦うことになるかは僕にすらわからなかった。それこそ、上の命令で一夏を排除するということもあり得る。どうも、こいつはその辺の警戒が甘い。幼馴染のよしみで最後に忠告くらいはしてやってもいいだろう。
◇◆
SIDE:茶柱佐枝
8月9日の深夜――日付が変わるか、変わらないかの遅い時間に、私は綾小路がこの豪華客船で購入している個室に足を運んでいた。
本来であれば、夜10時を過ぎての外出は禁止されているが、あくまでそのルールが適用されるのは生徒のみ。教師である私はそのルールの範囲外で動くことができる。
勿論、いくら教師と生徒という関係とはいえ、こんな遅い時間に男子生徒の個室にいるのは問題がない訳ではないが、ルールを破っている訳ではないので問題はないだろう。
これまで無人島試験が始まってから今日まで、綾小路は私を呼び出すことはなかった。
チエという従順な新しい玩具を手に入れて私に興味を無くしたのか、それとも今日私が自分からこの部屋にやって来ることがわかりきっていたのか――
「それで、わざわざこんな時間にオレの部屋にやってきて何の用だ?」
私と綾小路の関係は、教師と生徒。しかし、本質は違う。奴隷と主人――それこそが私と彼の本当の関係だ。
「……ご主人様の貴重な時間を頂いてしまい申し訳ございません」
「別に怒っている訳ではない。むしろ、よく来てくれたとすら思っている」
先程も言ったが、基本的に生徒は夜10時に外に出られない以上、どうしても夜に女に手を出すことは出来ない。故に、綾小路としても私が来たのは渡りに船だったのだろう。
しかし、セ〇クスを覚えたばかりのガキとは違い、綾小路は私の要件をまず聞こうとしてくれている。一瞬、問答無用で手を出されるかとも思ったが、それは彼に対する侮辱だったと内心で少し反省した。
「それで、要件はなんだ?」
「夏休みが明ければ二学期が始まります。そして次の試験も……」
「去年は……夏の特別試験の後にあったのは体育祭だったか」
「はい。ですが、今回は違います。その前に一つ、特別試験が開催されることになりました」
私はこれまで綾小路の言うことを聞いてきたが、特別試験に対しては便宜を図ったことはない。それは明確なルール違反だし、そんな反則をしてAクラスに行っても意味がないからだ。
「いいのか? そんな情報をオレに流して……それとも既に次の特別試験が始まっていると?」
「いえ、そういうことでは、ない……の、ですが……」
自分でも何を言えばいいのかわからなくなって、段々と言葉が尻すぼみになっていく。
私はこいつに何を言いたかったのだろうか。昔の自分の失敗を伝えて、次のあの試験を無事に乗り越えさせたい? いや、そんなことをする必要はないだろう。ご主人様は優秀だ。私はこの人に全てを任せておけばいい。そうすれば、何事もなく試験をクリアしてくれる。
「あの……ご主人様は、自分のクラスをどう分析されていますか?」
「どう、とは?」
「Aクラスに上がれる力を持っていると思いますか?」
「そうだな……間違いなく2年の中では一番高いポテンシャルを持っているだろう。オレが指揮すれば、Aクラスになって卒業するというのはそこまで難しいことじゃない。逆を言えば、オレがいなくなればどうなるかはわからないな」
飴が欲しければ、自分にやる気を出させてみろ――と、そういうことだろう。
「……私は駄目な教師だな」
結局、自分の体を使ってでしか、夢を繋ぎ留められない。けど、もう後には引けない状況だった。
「何を今更」
「私は……ご主人様の目には、どのような教師に見えますか?」
「勝てないとわかりつつ希望を捨てきれない教師――って所か。まぁ、今ではお前の望みを叶えるかどうかはオレの気分次第だが」
「本当に、厳しいですね……」
ご主人様の視線を感じながらも、服を脱いでいく。今、私に出来るのは少しでもご主人様のご寵愛を頂くことだった。ただでさえ、チエが乱入してきたせいで、今私へのご主人様からの興味は薄くなりつつある。
「全てはお前がオレを利用しようとしたからだ。あの件がなければ、お前もこんな目にあうことはなかった」
「ですね。でも、この関係自体はそう悪いものではないと思っていますよ」
「快楽に負けた淫乱教師め。お前が本当にAクラスを目指したいというのなら、生徒に頑張らせるだけでなく、自分自身でも頑張ろうとするくらいの気概を見せてみろ」
――つまり、オレを満足させろ。そういうことか。
お世辞にも、私はチエほどの技術はない。この歳になって性を覚え始めたばかりの行き遅れだ。でも、それでも夢を叶えたいのであれば、ご主人様を満足させる以外に道はない。
これまではただ義務的に体を交えていた部分があった。そうすれば餌が貰えた。けど、もう今は立場が変わったんだ。これからは、チエに勝たないと前には進めない。
一歩ずつ前に進もう。
それは、ご主人様の寵愛を受けることだけでなく、過去の自分を捨てて少しでも前を向けるように。あの悪夢の迷路から脱出して、また前を向けるようになるために――
綺麗な八神と、迷いながらも前を向く茶柱の二本立て。八神は、原作の憎しみが消えたことで少しだけ余裕が生まれている。茶柱も、原作と違う意味で前を向こうとしているが、まだ過去を乗り越えるには至っていない。