SIDE:堀北鈴音
最初に、彼からクラス移動の可能性を示唆されたのは、満場一致試験が無事に終わって少しした頃のことだった。
普段、ご主人様と仲良くしているメンバーが教室に残され、今後の予定として一之瀬さんのクラスに移動することを考えていると聞かされて、私は自分の想像した以上に彼に依存していたことを自覚したのだ。
咄嗟にそんなの嫌――と、いう声を上げそうになったが、先に軽井沢さんや佐藤さんが拒絶の声を上げてくれたことで、大きな声で泣きわめくという無様を晒さずに済んでいる。
しかし、それでも私の思った以上に、他のメンバーは彼の言葉を素直に受け入れていた。
雪さんはそもそも彼と一緒に移動するつもりのようなので例外としても、普段一緒のグループで行動することの多い佐倉さんも「クラスが変わっても、関係が変わる訳じゃないから」と言って余裕の表情を浮かべている。
また、彼がわざわざ4000万という大金を支払ってこのクラスに引き入れた神室さんや椎名さんも「ま、それがあんたの選択っていうならいいんじゃない?」、「でも、少し寂しくなりますね」と、何だかんだで受け入れる姿勢を見せていた。
桔梗さんも松下さんも、私や軽井沢さん、佐藤さん以外のメンバーは誰一人として止めようとする素振りを見せていない。
確かに、私のような奴隷階級の人間に彼を止める権利はないのかもしれないが、それでも私がそうなったのは彼が私をAクラスまで連れて行ってくれると言ったからだ。
これは明確な契約違反であり、だからこそ私は軽井沢さんや佐藤さんが周りの説得で納得しても尚、首を横に振り続けた。そんな、子供のように駄々をこねる私を見て、彼は仕方ないと言わんばかりの表情を浮かべる。
「鈴音。お前の兄がこの学校から立ち去る際に残した言葉を覚えているか?」
「えっ……残した、言葉……?」
急に言葉を賭けられて思わず言葉に詰まった。
しかし、忘れるはずもない。約半年前、兄さんがこの学校を卒業するのを彼と一緒に見送ったのは今もハッキリと覚えている。その時に言われた言葉は、確か――
「あいつは、この学校で何を成したか、何を成し得たか。自分の実力を出し切れたか、もっと成長する余地はなかったのか。卒業する間際でもそう考えていると言っていた」
「お、覚えているわ。でも、それがあなたのクラス移動とどう繋がるの?」
「わからないか? まぁ、半分はオレのせいだが、今のお前は自立できていない。ただ、漠然とオレの指示に従って動いているだけだ。何も成していないし、実力も完全には発揮しきれていない不完全な状態――とはいえ、それはお前だけじゃないが」
そう言って、彼はクラス中を見回した。
「無人島サバイバル試験、満場一致試験を通して、オレはこのクラスが停滞していると感じた。それはきっとオレがいるせいで、クラスメイトが無意識にオレを頼りにして成長することをやめてしまったからだと思っている」
「そ、そんなこと……」
「では、4月に行われた1年とパートナーを組む特別試験。あの時、もしオレが宝泉との関係を纏めなかったらどうだ? クラスからは退学者が出ていたかもしれない。宝泉との仲が取り持てなかった結果、無人島試験で要らぬ被害が出る可能性もあっただろう」
それはあくまでも可能性だ。でも、まるでわかっているかのように、ご主人様は私にそのもしもの可能性は有り得たと突き付けてくる。
「オレがいなくなれば、このクラスは本当の意味で成長できる。勿論、このまま一切お前たちと縁を切る訳じゃない。何かあれば頼ってくれてもいい、でも、まずは自分たちで考えて行動することをやってみろ。その練習として、今度の体育祭でオレは欠席するつもりだ」
「えっ、欠席って――」
「勿論、ただ休むだけじゃない。オレが休めば、まず間違いなく坂柳も休む。Aクラスもまたリーダーを失った状態で試験に参加することになるんだ。それに、人数のハンデもある。それだけ有利な条件なんだ、オレ抜きでも負けはしないだろう?」
それは半ば挑発のような言葉だった。当然、口が裂けても出来ないなどとは言えない。
体育祭は、外からの来賓も来るから龍園くんお得意の妨害だって使えないのだ。基本的には私たちが有利な状況――ご主人様抜きでも負けることなど有り得ない。
「……聞きたいんだけどさ。清隆くんは、私たちが勝てないと思ってる?」
私が密かに決意を固めていると、松下さんがそう問いかけていた。対するご主人様は「さてな」と曖昧に誤魔化して首を横に振る。
「ここでオレが何かを言えば、それは行動を決めるヒントになる。オレは今回本当に手を出さない。だから、何を決めるにしろ、自分たちで考えろ」
自分で考える――そうだ、兄さんも言っていた。決して、歩みを止めるなと。
道に迷えば、彼を指針にしてもいい。でも、最終的には自分で答えを出せと。
あの時の私は、その言葉の意味も理解できずに、ただ漠然と「何かを残せるように頑張っていきます」と兄さんに返した。でも、ご主人様はその言葉を受け止めて、私が今のままでは駄目だと思ったのかもしれない。
しかし、確かに私は未熟かもしれないが、それでもこの一年彼や雪さんを見て成長してきた自負がある。だからこそ、体育祭もこの先の特別試験も負けるつもりはなかった。勝って、彼の考えが杞憂であると、きっと証明して見せる。
――そう考えて臨んだ体育祭で、私たちはなすすべなく龍園くんに敗れた。
正確には、彼とAクラスが組んでいることを見抜けず、自分の実力を過信した結果だ。
私は龍園くんが何をして来ようと、今まで通り力を出し切れば対応できると思っていた。でも、今までそれが通用したのは、ご主人様が龍園くんを裏で抑えてくれていたからであって私が強いからではない。
そんな当たり前のことも理解できずに、私は龍園くんが相手でも自分の実力を出し切れば勝てるとタカをくくっていた。
彼は仮に学校に注意を受けることになっても勝つことを優先してくる。そんな相手なのだとわかっていたはずなのに――
「虎の威を借る狐とはこのことね……」
他人の実力を自分の実力と見誤って、自分が強いと思い込んでいた。実際の私は、ただ龍園くんの策に翻弄されるだけの弱者でしかないというのに。
いや、本当ならもっと戦えるだけの力は持っているはずだった。でも、その力もしっかり出し切れなければ意味がない。
思えば、ご主人様はいつも戦う前に、既に勝つための場を整えていた。そして、私はそれを疎かにした。この結果はそんな私の未熟さの表れでもある。
もし、この先、ご主人様がいなくなったら?
そう考えるだけで体が震えた。こんな様で、私はAクラスに行くなんて大言壮語を吐いていたのか。昨日までの自分を殴りたい気分だ。
彼がいなくなったら誰があのクラスをまとめるのか。雪さんは付いていくと言っていた。
じゃあ、リーダーの桔梗様? でも、彼女だけであのクラスを纏めるなんて無理だ。平田くんがサポートしたって、今までのように勝っていくビジョンはまるで見えない。
――私しかいなかった。
もし、この先、本当に彼がいなくなるのなら、このクラスを支えるのは私だ。彼の代わりに、私がやらなくちゃいけない。
でも、出来るの? 本当に?
また体育祭の時のように翻弄されるだけではないのか? 思えば、何故、私は今まであんなに根拠のない自信を持っていたのだろう。
私はこれまで、自分一人で何かを成してきたことなど一つもないというのに――
「あぁ、そうよ。なんで、気付かなかったのかしら……」
去年の無人島試験で無様を晒して、彼に忠誠を誓ってから、私は確かに彼や雪さんからいろいろ学んできた。
でも、クラスが結果を出してきたのは、全てご主人様が効率的に私たちを使ってくれたからだ。私も、クラスメイトたちも、自分で自分の力を出していた訳じゃない。
力を発揮するのと、発揮させて貰うのは違う。
いわば私は、これまでずっと補助輪の付いた自転車に乗って自転車競技に望んでいたようなものだった。これが滑稽でなくて何というのか。
私はこれまで、自分は龍園くんや一之瀬さん、坂柳さんにも決して引けを取らないと思ってきた。
けど、それは大いな思い上がりだ。この一年間、曲がりなりにもクラスを率いてきた彼らと、温室でぬくぬくしていた私ではスタートラインがまるで違う。
「――ッ! それでも……」
それでも、負けたままではいられなかった。
苦しくても悔しくても、前を向け。
自分の今の実力は理解した。今までどれだけ甘えて来たかも十分に理解できた。だからこそ、ここからは私がクラスを引っ張っていく。文化祭の準備も、そのつもりで臨む。
クラスの運営にも積極的に参加して、少しでも良いモノを出せるように意見も出す。
いつまでも力の無さを悔やんでいる場合ではない。次は絶対に負けない、その意志を持って前に進むと決めた。
今度こそ、何かを残せるように――
◇◆
SIDE:櫛田桔梗。
綾小路くんは堀北を育てようとしている――彼がクラスを移動するかもしれないと言った時に私はすぐその答えに行きついた。
堀北鈴音という女は、優秀だ。
勉強も運動も私より上で、その凛とした雰囲気は周囲を魅了する。ハッキリ言って、私はこの女が大嫌いであり、ご主人様の説得もあってある程度の付き合いは妥協したが心の底から仲良くなったという訳じゃなかった。
流石にもう退学させたいとまでは思わないが、それでもたまに視界に入ると鬱陶しいと感じることはある。勿論、攻守が逆転する夜は話が別だが、普段の生活において堀北鈴音は私の中ではゴキブリと大差ない存在と言って良い。
そんな女が能力を活かせず腐っていくのを私はこれまで気分良く見ていた訳なのだが、どうにもご主人様の気分が変わってしまったようだ。
本来、私はクラスのリーダーが出来るような人間じゃない。それでもこの1年間、曲がりなりにもそんな大役を務められたのは、裏でご主人様が支えてくれたからだ。
けど、もしご主人様がクラスを移動するなら、全部が全部今まで通りと行かなくなる。それこそ今回の体育祭のように彼と連絡が取れない機会もあるだろうし、そうなった時にこのクラスを引っ張れるのは雪ちゃんを除けば堀北以外にはいなかった。
ぶっちゃけ、この女がその才能を開花するのを眺めているくらいなら、私も雪ちゃんと一緒にCクラスに行きたい。だってそうだろう、どうして嫌いな女が自分を脅かすのを黙ってみていないといけないのか。
しかし、私に逃げることは許されていなかった。
何故なら――
「お前にだけは言っておく。オレはクラス移動するつもりでいるが、この先の展開次第ではまた戻ってくるかもしれない。それまで、このクラスをよろしく頼むぞ桔梗」
――と、頼まれてしまったからだ。
私は自分でも承認欲求が強いと理解している。そんな私が、ご主人様からクラスを任されてNOと言えるはずがなかった。
だって彼は、“私にだけ”本心を伝えてきたのだ。私を信じてこのクラスを預けてくれた――これを無視しては、私はもう『櫛田桔梗』を名乗れない。
勿論、都合のいい女扱いされていることなどわかっている。それでも、私は彼の役に立てるのが嬉しいのだ。
あの地獄のような過去の苦しみから私を救い出してくれた。精神的に堀北の上に立つことで、その息苦しさを取り除いてくれた――もう、私は彼の存在なしで生きられなくなっている。
だからこそ、私はこの女の行く末をこの2年Bクラスで見届けなければいけなかった。
体育祭でもクラスの危機に気付いてからはしっかりとした対応をしていたし、文化祭でも私に土下座してまで笑顔という武器を習得している。
本人はどうも納得できていないようだが、それでもこの1年でご主人様がこの女に仕込んでいたモノはしっかりと機能していた。その上で負けたのは、この女の実力不足というよりは、コミュニケーションエラー的な要素の方が大きいように思える。
こいつは一人で戦おうとしているのだ。
クラスのリーダーに求められるのは個人の力だけではなく、クラスメイトを指揮する能力も必須となって来る。
その点、こいつはコミュニケーション能力が壊滅的だった。入学当時よりはマシになったが、それでもクラスメイトを――いや、仮にもクラスリーダーの私の存在すら意識の外に置いている。
もし、体育祭で最初から堀北が私とちゃんと話をして組んでいれば、あの時の結果はまた違ったかもしれない。
文化祭でももっと周りに心を開いていれば、会話の中からもしかしたら新しい何かを見つけられたかもしれない。
一之瀬帆波にあって堀北鈴音にないもの。
それはクラスメイトとの信頼関係だった。
とはいえ、それを私から伝えるつもりはない。ご主人様も、あいつが自分で気づいて成長することを望んでいるのだろう。
だからこそ、私はあいつが殻を破るまでは動かない。ただ、見ている。この先、この女が私を越えてクラスの真のリーダーとして動いていくであろうその未来を。
本当に嫌になる。
自分を脅かす人間の存在を黙ってみているなんて――でも、それが苦痛じゃないのは、この1年で私はもうかつての『櫛田桔梗』ではなくなってしまったからなのかもしれない。
◇◆
SIDE:堀北鈴音
――もう負けられない。そんな決死の覚悟で臨んだ文化祭で、私たちはまた敗北を喫した。
やれることは全てやった。苦手な笑顔も浮かべられるように、プライドも捨てて土下座をし、教えを乞うてここまでやってきた。
勿論、全てを一人でやった訳じゃない。ご主人様にも意見を貰ったし、指導して貰った。今の私に出来る力を全て出し切ったのだ。
体育祭のような無様な結果ではなかった。
もしかしたら僅差だったのかもしれない。
それでも、私たちは敗北した。
体育祭で無様な敗北を喫し、ご主人様のクラス移動を止められる最後のチャンスを逃してしまったのだ。
「勝者として、Cクラスの望みを伝えるね」
敗北した日。結果発表が終わってすぐ、やってきた一之瀬さんの言葉を私は決して忘れはしないだろう。
「2年Bクラス、綾小路清隆くんの2年Cクラスへのクラス移動。それが私たちの望みです。クラス移動チケットがあるんだし、無理なお願いじゃないはずだよ」
そんな彼女の要求に対し、クラスメイト全員の視線がご主人様に向かう中、彼は静かにその言葉を受け入れた――受け入れてしまった。
「わかった。クラス移動チケットを使って2年Cクラスに移動しよう」
本当は、最初から決まっていたことだったのかもしれない。けど、もし私が彼の期待に応えることが出来ていたのなら、また違う未来もあったかもしれなかった。
いや、それはただの未練だ。
どんなに泣き言を口にしても結果は変わらない。
私は負けた――この決して負けてはいけない勝負に、敗北してしまったのだ。
いつもそうだった。去年5月の中間テストや無人島試験も、私はいつも失敗してばかりいる。
「――ッ」
握った拳から力が抜けない。悔しさから、爪が食い込んでいくのがわかる。
頬に冷たい感触が伝う。
自分が泣いていると気付いたのは、その雫が地面に落ちてからのことだった。
ここから少しずつ、鈴音を育てていくルートが始まります。手始めにどん底に落としました(ニチャリ)。やはり、鈴音は苦境に抗う姿が一番いい。