時は、生徒会総選挙で八神と龍園が手を組む――という、最悪な事態に至る少し前のこと。
土曜日のミーティングを終えた次の日の日曜日。いつもは平日の放課後や夜にジムに行くことが多いのだが、今日は少し時間があったということで珍しく朝の時間に行ったのが始まりだった。
別に何か目的がある訳でもなく単純な気まぐれだったのだが、そこでたまたまジムに来ていた帆波や網倉とばったり出会ったことで、「そういえば、原作ではこの日にオレはジムに始めて来たんだっけか」と、もはや消えてしまった世界線の出来事を思い出したのだ。
当然、この世界ではオレが夏休み中にジムに来ているので帆波に案内して貰うことはなく、逆に運動不足に悩んでいた帆波にオレがジムを招待するという形になっている。
普段は時間が合わなかったり曜日が合わなかったりで、ジムで会うことはなかなかないのだが、偶然とはいえ一緒になった以上は無視するのもアレなので一緒にトレーニングをしようという話になった。
「あら、綾小路くん。珍しいわねこんな朝から……それに、帆波ちゃんたちも一緒?」
文化祭後も週2~3回はジムに通っており、そこであからさまに好意を持っているという動きをしてきたおかげもあってか、秋山さんも今では会うだけでオレの方に寄って来る。
しかし、偶然とはいえこれはチャンスだった。
マンネリではないが、そろそろ何か別のアプローチを模索しようかと考えていた所だったのだが、帆波や網倉と言った美人処と一緒なことで秋山さんにも想定外の驚きを与えることが出来ている。
「少し早起きしたんで、早く来てみたんですよ。そうしたら、ばったり会いまして……」
「ほんと、普段は全然会わないのにね」
「もしかして、綾小路くん。私たちを避けてるとか?」
「仲の悪い相手ならともなく、二人を避ける理由はないな」
修学旅行を経て、網倉も気安いジョークが言えるくらいの仲にはなりつつあった。
だが、秋山さんからすれば、今まではオレと自分の二人だけだった世界に、オレと同い年の可愛い女子が2人も来た――これがオレに何の好意も持っていないのなら、特に大きな問題ではないが、もし好意を持っているのなら何か反応が出てもおかしくはない。
「……みんな、仲が良いのね。そうしたら、綾小路くんは今日、帆波ちゃんたちと一緒のメニューの方がいいかしら?」
「そうですね。ここで別れると、それこそ感じの悪いやつに見えるでしょうし」
「でも、清隆くんじゃ、私たちのメニューだと足りないんじゃない?」
「そうそう、私たちと綾小路くんってCとAくらい差があるし」
確かに、単純にOAAの身体能力数値だけ見ればそれくらいの差はあるか。
「まぁ、運動能力に差はあるかもしれないが、そこは負荷のかけ方などの変化でどうとでも出来るさ。勿論、そっちが嫌なら無理強いはしないが……?」
少し意地悪な聞き方だが、基本的に仲間思いの二人がオレにこう言われて断れるはずもなく、こうして今日は3人でトレーニングをすることになった。
しかし、表面上だけ見ると、秋山さんはそこまで動揺した様子は見られないな。これは、オレの想定したよりも好感度が低いのかもしれない。やはり、学校関係者じゃない分、能力をアピールできる場が少ないというのは大きなデメリットか。
などと考えながらトレーニングウェアに着替えて、帆波と網倉を待つ。流石に男子と違って女子は準備がかかる分、時間がかかるのはわきまえていた。
だが、普段ならこうしてオレが一人になると、秋山さんが話しかけて来てくれるのだが、今日は帆波たちに遠慮しているのか近づいてくる様子がない。
やはり、何だかんだ意識はしているのだろう。
もし、何もなければ普段通りに接してくるはずだ――無意識かもしれないが、秋山さんの中に他の女の存在を叩き込めたというのは、今日の収穫としてはかなり大きかった。
「お待たせ清隆くん」
「お待たせ。おー、結構様になってるね」
「何だかんだもう4か月になるからな」
実際、本命は秋山さん攻略だが、その副産物として運動不足が解消されたのは大きい。体育祭は欠席したが、運動能力を競うタイプの試験なら無双できる自信がある。
「そうしたら、どうしようか麻子ちゃん?」
「なんで私に聞くの……えっと、私たち、まだまだ初心者だから、慣れてるルームランナーするけど?」
「勿論、付き合おう」
本来ならイチャイチャして秋山さんの危機感を煽りたい所だが、下手にトレーニングに手を抜くと、逆に不真面目とかマイナスなイメージが付く可能性がある。
これまで好青年のイメージを与えている以上、そのイメージにそぐわない行動は自分の首を絞めかねなかった。ここは当たり前のようにトレーニングをするだけでいい。
「流石は綾小路くん。私たちよりも負荷かけてるのに表情一つ変わらないね」
原作だと30分程でバテていた網倉だが、この世界ではオレと帆波がジム入りするのが早かったこともあって、彼女もまた少し早めにジム入りしている。
そのおかげか、体育祭でも体力が付いたおかげでなかなかいい結果を出せたと言っていたが、今でも走りながら世間話をするくらいには余裕がありそうだった。
「表情が変わらないのは昔からだ。どうも、喜怒哀楽の表現が下手でな。喜んでいるのに相手に伝わらなかったり、逆に怒っていても冗談と取られたりすることもある」
「なにそれ」
「これが冗談じゃないんだよ、麻子ちゃん。あまりに表情が変わらないから、ポーカーとかだとほぼ無敵に近いんだから」
ポーカーのようなゲームに関しては、逆に周りがわかりやすすぎるまである。オレのセフレでもその辺が上手いのは、基本的に表情を上手く誤魔化せる桔梗と帆波くらいだ。
残りのメンバーは、どうにかこうにか隠そうとしてどこかしらの態度に違和感が出る。雪も真剣にやれば隠せるだろうが、基本的に明るいキャラを演じている時は顔に出すからな。
「ふーっ、疲れたぁ」
30分が経過すると、帆波と網倉がいったん休憩するようだったのでオレも一旦休憩にする。
帆波が「ちょっと水分補給してくるね」と言って場を離れたことで、オレと網倉の二人っきりになった。とはいえ、まだ網倉はオレにそういう気持ちを持っていないので、何か特別な空気になるようなことはない。
「……綾小路くんって意外と帆波ちゃんと仲良いよね」
「それはどういう意味だ? これでも彼氏(仮)だぞ」
「それ、本当に仮じゃん。でも、付き合ってるって言うだけあって距離感は他の男子よりも近いよね」
距離感が他の男子よりも近いのは、どちらかというとTレックスのせいというのが大きい気もするが。
「そうか? 帆波は、どんな相手でも分け隔てなく仲良くしていると思うが……」
「そりゃね。でも、やっぱり異性をそう簡単に内側に入れないよ。でも、綾小路くんはその内側にいる気がする」
「まぁ、仮にも彼氏だしな」
「なんで本当の彼氏彼女にならないの? 他人がこういうこと言うのはあれだけど、割と帆波ちゃんはガチで綾小路くんのこと好きだと思うんだけど……」
「かもな」
「かもなって……綾小路くんは違うってこと?」
「どうだろう、その辺の感情は良くわからない。さっき、喜怒哀楽の表現が下手と言ったが、ちょっと事情があってな。オレは幼い頃から好きとか嫌いとかの認識が鈍いんだ」
嘘ではない。原作では、ひよりに抱いたであろう愛情も、この世界では既知になっているせいで抱けていないのだ。だから、オレはまだ真に愛というモノを理解できていない。
「あー……何となくわかった。子供の頃の環境によって、そういう情緒が育ち切らないことってあるもんね」
どうやら網倉は理解を示してくれるタイプだったようで、それは仕方ないとオレに共感してくれている。
「オレ自身がまだ人を愛せるかどうかもわからない内に、誰かと付き合おうとは思えない。だから、帆波とも仮で関係を止めている」
「椿さんも同じってことだよね?」
「そうだな。雪がオレにそういう感情を向けていることは理解できている。だが、概念的には理解が出来ても、精神的に理解が追い付かない。好きとはなんだ?」
ここで、それとなく網倉にも探りを入れてみた。
「好きとはなんだ……か。難しい問いだよね」
「網倉には好きな人が居るのか?」
「まぁ、いるっていうか……ずっと片思い中っていうか、ね」
「同じクラスの生徒か?」
「ううん。この学校に来る前からかな。もう5年近く片思い中だからさぁ……いつになったら次の恋に行くんだろ」
やはり、原作通りにこの学校にいない相手に片思い中らしい。相手がこの場にいないのなら、切り崩す手段はいくらでもありそうだ。
「オレが言うのもアレだが、無理に次の恋に行かなくてもいいんじゃないか?」
「そうかな? でも、もう絶対彼女いるだろうし……」
「なら、網倉も誰かと付き合ってみたらどうだ?」
と、言うと、網倉が胸を抑える仕草を見せる。
しまった、今の言い方はデリカシーに欠けていたな。山内みたいな言い方になってしまった。
「ぐっ! 流石、モテる男は簡単に行ってくれるね~」
「言い方が悪かった。別に、本気で新しい相手を見繕えと言ってるんじゃない。言うならば恋愛ごっこだな。本番に向けた練習として、誰か理解を示してくれる相手を探してみるのもいいかもしれないと思うぞ」
「それって、今の綾小路くんと帆波ちゃんみたいな?」
「そうだな。オレたちの関係も最初は打算から始まった。帆波だって、最初はオレのことなんか好きじゃなかっただろうし。ただの虫よけくらいにしか考えなかったはずだ」
まぁ、その後すぐに食べて、なし崩しにそういう関係になってしまった訳だが。
「うーん。でも、それって綾小路くんくらい信頼できる人じゃないと難しくない? 仮の関係じゃキスもできないし、男子としては物足りないと思うんだけど」
「確かに……なら、オレが相手をしようか?」
「えっ、綾小路くんが?」
「オレとなら、どうやってもそういう関係にならないだろう。網倉も、恋人気分を味わってみて、飽きたら終わりにすればいい。後腐れもない、本当にお試しの関係だ」
「それは流石に帆波ちゃんに悪いって言うか……」
「何が私に悪いの?」
タイミングよく水分補給を終えて戻ってきた帆波が声をかけて、網倉が「ひゅあっ!?」という謎の叫び声を上げた。
一瞬、ジム内の視線が集中するも、何でもないとわかるとすぐにその視線も霧散していく。結構遠くにいた秋山さんが驚いてこっちを見るくらいには大きな声が出ていたらしい。
当然ながら、帆波が帰ってきていることなどわかっていたが、オレがわかっていて尚話を続けていたことに気付いた網倉が恨めしそうな視線を向けてくる。
「悪いな。気付いていると思ったんだ」
「綾小路くんから見えても、私からは後ろなんだから気付ける訳ないでしょ!」
小声で起こるという凄い技を披露された。
「まぁまぁ麻子ちゃん。で、何の話をしてたの?」
「恋愛の話だ。網倉が昔の恋を引き摺っていると言っていたから、試しに誰かと付き合ってみたらどうかって話した」
「ちょっ、ちょっと綾小路くん……」
「ああ。それで、麻子ちゃんがそんな都合のいい相手がいないって言って。清隆くんが名乗りを上げたから、私に悪いって思ったんだ」
「ええっ、なんでわかるの!?」
「まぁ、伊達に1年半恋人(仮)してないよ。清隆くんだって、悪気があってそういう提案したんじゃないだろうし」
悪気はないが、何の思惑もない訳ではない。あわよくば、網倉を食べる機会が来るかも――くらいには考えている。
「えっ、帆波ちゃん……嫌じゃないの?」
「あのね麻子ちゃん。清隆くんは本当にモテるの。このくらいで音を上げてたら彼女役なんて出来ないって……」
「あー、まぁ、わかる……」
「だから、麻子ちゃんがお試しでそういう関係になってみるのも有りだと私は思うよ。清隆くん、エスコートも上手いから悪くない気分味わえるだろうし」
「うーん、でも……」
「まぁ、お試しでやってみて、合わなかったらすぐに止めればいいんじゃないか? 周りに内緒にしたいって言うならオレは言わないし」
二人がかりで甘い言葉をかけられたからか。網倉も、「そこまで言うなら、ちょっとだけ」と、関係を認めてしまっていた。当然ながら、健全な関係で済ませる気は欠片もない。
帆波も、友達を罠にかけることに多少の罪悪感を覚えているようだが、先んじて白波や姫野という犠牲者がいることもあって、その辺の感覚も麻痺してきているようだった。
そこからさらに2時間ほどジムでトレーニングを続けると、今日は解散となる。
帰り際、秋山さんの方を見てみると、向こうもこちらを見ていて、視線が合うなりハッとした様子で背けていた。どうやら、こちらを意識させること自体は成功したらしい。
後は、この先、どういう風にこのアクセントを活かしていくか――だが、今は下手に手を出さずに頭だけ下げてジムを後にする。変な言い訳をするよりも、自分は何もしていないと思わせた方が、秋山さん自身に自分が変に意識していると思わせられるはずだ。
後はちょっと恋人関係を網倉に楽しませようということで、今日はこのまま帆波&網倉とトリオデートを楽しんでいく。
網倉も、いきなりオレと二人っきりでは流石に緊張するだろうということで、オレと帆波のデートに同様の対応をすることで初デートとしている。
これが意外と悪くなかったようで、寮で別れる際に、「ちょっと楽しかったかも」というお言葉を頂くくらいには楽しませることが出来たようだった。
後は、もう2~3回デートを繰り返して、オレに慣れてきたら一気にTレックスを仕掛けていこう。世間は生徒会総選挙やら協力型筆記テストやらで忙しいようだが、オレに出来ることは既に終わっているので地味に暇だったしな。
原作との変化点。
・息抜きのお話。
原作と関係性が違うので会話内容は違うが、原作だとジムはこの日に通い出した。
・網倉を絡め取ろうとしている。
無駄に貞操概念が高い女は内側に入ると意外といけるって、ばっちゃがいってた!
今話の登場人物一覧。
・綾小路清隆
ぶっちゃけ、意中の相手がこの学校にいないのなら網倉攻略はそう難しくない。理想ではなく現実の良さを突きつけてやればいいだけ。
・一之瀬帆波
原作と違って清隆からジムに誘われて入会した。走るたびにけしからんメロンが二つ収穫してくれと叫ぶので、この日の夜にじっくり収穫した。うまい!
・網倉麻子
小学生、中学生の甘い初恋? そんなの現実のいい男の前じゃ所詮夢だね! 実際、届かない理想と、自分に尽くしてくれる優しいイケメンなら、余程意志が固くないとイケメン取るよ。俺らだって、遠くに見える高値の花と自分に優しくて自分のこと好きな美人なら美人さんとるっしょ? 取らない? 嘘つけ!
・秋山さん
自分でも予想外の焼きもち(?)をやいている。原作だと真嶋の恋が実りそうでちょっと面白い。