剣道部員の百合短編です

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遠い、遠い、その背中

1.

 私が、京香先輩に初めて出会ったのは、女子剣道部の体験入部の時だったように思う。初めて会った時から先輩は、どことなく目を引き付けるところのある先輩だった。その、顔立ちは整っていながら、やや鋭すぎるきらいのある眼光も、肩口に届かないぐらい短く切った髪型も。それでいてどことなく猫背気味な背中も。あまり人と話すことなく、一人で黙々と竹刀を振っている、どことなく陰気な印象を受ける先輩だった。

 

 その印象ががらりと変わったのが、体験期間が終わり、正式に剣道部に入部してからのことだった。現在の実力を図るためということで、剣道経験者は一人ずつ順番に先輩たちと立ち会うことになったのだ。そして私の相手が京香先輩だった。

 

 立ち合いでの先輩は、まるで違っていた。糸目気味の鋭い眼光をさらに鋭く輝かせ、猫背気味だった背中もピンと鋭く伸びている。普段はなかなか人の目を見ようとしない眼差しも、しっかりと私を見据え、「やあっ!」という裂帛の気合とともに踏み込んでくる。そしてその太刀筋の速いこと!私とて中学時代県大会で上位の成績を収めた身だが、そんな私が思わずたじたじとなるほどに、速く、鋭く、重たい太刀捌きだった。

 

 そして何より印象的なのはその口元。普段は何かをぎゅっと堪えるように固く閉ざされた口元も、面越しに見える口元はわずかに花開き、微笑の形を彩っている。ああ、この人は本当に剣道が好きなんだ。そう思わせるような自然な笑み。私はそこまで剣道を愛せただろうか。そんな風に思えるほどの自然な笑みに、目を奪われたのがいけなかったのかもしれない。瞬く間に3本をとられ負けてしまった。私の惨敗だった。

 

 まあ、相手が悪かったよ。京香相手によく粘ったほうだよ。そんな他の先輩からの慰めなんて耳に入らなかった。目に焼き付いているのは、あの鋭い太刀筋。そして、剣道が楽しくてたまらないという風に緩められたあの口元だった。あのキュッと緩んだ紅い口元。それを思い出すだけでなんだかドキドキした。思わず京香先輩の姿を目で追ってしまう。上座に戻り面を外す京香先輩。汗で頬に張り付いた髪の毛が印象的だった。

 

 2.

 それからの私は、しばしば京香先輩に話しかけるようになった。どうしてかって言われると答えるのは難しい。強いて言うのなら、あそこまで楽しそうに剣道をしている京香先輩に興味を持ったというのが正しいのかもしれない。何であそこまで強いのか。何でそんなに楽しそうに剣道ができるのか。なんて。

 

 最初の内は、話しかけても怯えた小動物のようにどことなくおどおどしていた先輩だったけれど、やがて私と話すのにも慣れたのか自分から話題を振ってくれるようにもなったし、控えめな微笑みを会話中に浮かべるようにもなった。先輩と話すようになってから分かったのは2つ。先輩は知らない人と話すのが苦手だけれど、決して人嫌いというわけではないということ。それと、私と同じく小説が大好きだということだった。

 

 特に後者に関しては共通の趣味があったということで、大いに盛り上がったものだった。その中でもミステリ談義には花が咲いた。先輩は綾辻行人に代表される新本格ミステリが好きで、私は米澤穂信に代表される日常の謎ものが好きという違いはあったものの、同じくミステリを愛する同志として、それはそれは楽しく話をしたものだ。先輩が小さく微笑みながら、How done itよりも Who done itやWhy done itのほうが興味があるのといった時など、考えを同じくする同志に出会えた喜びに思わず飛び上がったものだった。

 

 3.

 学年が違うから、常に一緒にいるということはできなかったけれど、部活の帰り道などはいつも一緒に帰ったものだった。帰り道が一緒、というのも大きかったかもしれない。自転車で並走しながら、あるいはあぜ道の上で一緒に自転車を押しながらいろいろな話をした。

 

 いろいろな話をしたけれど、あの試合の時のような、零れ落ちるような、蠱惑的な笑みを浮かべるのは決まって剣道の話をする時だった。どう打ち込んで、どうかわして、どう返すか。それを話しているときの先輩は本当に楽しそうだった。普段の浮かべている小さな微笑みとは違って、心の底からの微笑みを浮かべていた。だから、てっきり普段は話を合わせてくれているだけで、本当は話なんて合っていないのではないか、なんて心配になったこともある。先輩にとって私は、ただ話を合わせているだけのつまらない後輩に過ぎないんじゃないかって。

 

 だが違うのだ。先輩を見ているとそう思う。先輩は、剣道が好きで好きでたまらないだけなのだ。竹刀をふるうのが好きで、道場にいるのが好きで、剣道というものを愛している。私と違って。

 

 私に取って剣道とは、親から言われて始めたよくある習い事の一つに過ぎなかった。たまたま他人より剣道が得意で、県大会上位に食い込むこともあったけれど、逆に言ったら県大会上位どまり。全国など到底通用する身ではなかった。

 

 先輩は違うのだ。県大会優勝なんて当たり前で、地区ブロックなんて軽々飛び越え、全国大会の常連者だ。それも、いつだって楽しそうに剣道に打ち込んでいる。いつだって零れ落ちたような微笑を浮かべて竹刀をふるっている。私と違って、楽しそうに。重くて臭い面にも、長くてかさばる竹刀にも不満を漏らすことなく。 

 

 4.

 私と先輩は違うんだ。先輩と並んであぜ道を自転車を押しながら歩いているとふと思う。同じ学校に通って、同じ部活に入って、同じ趣味を持ちながら、まるで違う人。一緒にとなりを歩いているのに、一緒に多くの時間を過ごしたのに、その背中は遥か遠くに思える。先輩がまるで知らない他人のように思えることがある。そういう時、私の胸はぎゅっと締め付けられたように苦しくなるのだ。

 

 ねえ、先輩。知ってますか。内心呟く。本当は、剣道なんてそんなに好きじゃないんです。先輩の前でそんな素振り見せないようにしてるけど。本当は、中学までで剣道はやめるつもりだったんです。才能がないのはわかってたし、親もそんなに嫌ならやめて良いと言っていたし。なのに私が剣道を続けたのは、先輩、貴女がいたからなんですよ。

 

 いつでも竹刀を楽しそうに振るっている貴女。正眼に構え、じっと対戦相手を見つめる貴女。その口元は常に楽し気にほころんでいましたね。まるで竹刀を振るえることが嬉しくて仕方がないといったように。分かりますか、私はそんな貴女に憧れたのです。親から言われて始めた剣道。それを楽しげに続ける貴女に。私と貴女、何が違ったのでしょう。

 

 なんて。そんな内なる言葉が聞こえたわけでもないだろうに。あぜ道を歩く先輩がぽつりと言った。私、推薦決まったんだよね。日体大に。おめでとうございます。そう返す私の言葉は震えていなかったか。

 

 そんな私に気づいた様子もなく先輩はのんびりと続ける。多分私は、一生剣道を続けるんだろうね。推薦をもらってそう思ったよ。そう言う先輩に、ああ、遠いなあ。そう痛感する。夕日に濡れる先輩の背中が、はるか遠くに思える。

 

 だから、私は誤魔化すように涙をぬぐうと言うのだ。先輩、卒業式の時には第二ボタンくださいよ。

 

 いいよ、約束ね。そう言って笑った先輩の顔がとても眩しく見えたのは、きっと夕日のせいだけではなかった。


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