トレセン学園警備員さんは、ウマ娘に勝ちたい。 作:秋津モトノブ
かぁん、とゴングが鳴った。
「コーナーへ!!」
レフェリーが叫び、2人の選手が構えを解く。
そして、お互いのコーナーへ戻って行った。
アトヴァーガは、滝のような汗をかいているが……その足取りは軽く、表情には深い笑みが浮かんでいる。
無名もまた、よどみのない足運びで戻る。
――脱臼した左腕を、力なく揺らしたまま。
『なんという……なんという攻防!濃密な1ラウンドが、ようやく終わりました!!目の覚めるようなアトヴァーガ選手の連撃!!そしてその嵐に晒されながらも凌ぎ切り、有効打を浴びせた無名選手!!本当にこれは、ウマ娘と人間の試合なのかッ!?』
『いや……無名選手……アレ、脱臼してますよね?なんで顔色も変えず戦えるんでしょうか……?あの後も左腕こそ使いませんでしたが、普通に攻撃してましたよね?……本当に脱臼しているのなら、動くだけでも激痛が走るハズなんですが……』
「無名ッ!?大丈夫ッスかその腕!?」
「おっと、触んな――ドクターが来るまでに、治す」
「治すゥ!?病院レベルっしょそれ!?病院!病院呼ばないと駄目っス!!」
「ははは、病院は呼んでも来ねえよ」
無名側のコーナー。
用意された椅子に、無名がどかりと腰を下ろした。
水を差し出しながらも食って掛かるライデンオーの後方、U-1所属の医者がこちらへ走ってくるのが見える。
無名の状態を、確認するためだろう。
「ドクターストップで負け……んなアホみてえな幕切れは、ゴメンだ――ねっ!!」
椅子から立ち上がった無名が、痛めた左腕をコーナーに押し付け……気合を入れて体重を預けた。
ごぎ、と嫌な音が響く。
「ひえぇっ!?」
「……な?」
口の端を持ち上げた無名。
ほぼ同時に、白衣を着たウマ娘が寄ってくる。
「無名選手ッ!左腕を――」
それに対し、無名は『左腕』を持ち上げて見せた。
指も、開いたり閉じたりして健在をアピール。
「――素敵な腕だろ?」
「えっ――」
医者は、目を丸くした。
「戦術、ってやつだよ女医さん。弱い所を見せちまえば、攻撃の方向が限定されるんでなァ……?」
その言葉に、女医は何も言えなかった。
反対側のコーナー、アトヴァーガが椅子に深く腰掛けている。
「『お前さんが呻くほどの打撃……アイツはホントに人間かい?』」
セコンドのウマ娘が、タオルを差し出しながら呟く。
彼女もまた、アトヴァーガと同じ国から来た。
お互いに、母国語で会話している。
「『……素敵ね』」「『は?』」
セコンドがアトヴァーガの顔を覗き込んで……顔を引きつらせた。
「『見た?あの顔!? 当たったら昏倒する手刀を左肩で止めて……脱臼しながら鳩尾に掌底を喰らわせた時の顔!! 歯を剥きだして、とっても嬉しそうに……狼みたいに笑ってた!!笑ってたの!!!!』」
アトヴァーガの顔もまた、笑顔だった。
見開いた目には、狂気すら滲んでいる。
「『あー……ホレっぽい癖がまた出たな、お前』」
古い付き合いのセコンドは、また始まった……とため息をついた。
アトヴァーガの、いつもの癖が始まったのかと。
ライデンオーが以前『アトヴァーガは恋多きオンナ』と発言していたが、あながちそれは間違いではない。
彼女は、すぐに新しい『遊び相手』を見つけて乗り換えるのだ。
一昨年は実業家、去年はハリウッドスター……といった具合に。
「――ニェット(いいえ)」「『えぇ?』」
だが、アトヴァーガの声はそれを否定した。
「『今までの男たちは、可愛いサバーカ(犬)。彼は――ただ1匹のヴォールク(狼)よ、雄々しく、強く、気高いヴォールク』」
歌うように、アトヴァーガが呟く。
その頬は紅潮し、目は瞬く間に潤んだ。
「『暗い森の底から――ワタシを喰らいにきた、愛しいヴォールク』」
その顔を見て、セコンドは一瞬目を見開き……眉を潜めた。
「『ああ……ムミョウ。先に祈っておくよ……こんなにサカってるアトヴァーガと戦って、生きて帰れるようにな』」
そして、ゴングが鳴った。
第二ラウンド、開始。
コーナーを離れつつ、無名が内心で分析する。
「(……不知火、跳んで衝撃を逃がされたとはいえ多少は通っているはずだ。あの後も何発かは入ったが、アレほどじゃねえ)」
対して、己はどうか……と、自問。
「(逸らし損ねた打撃、その蓄積がひでえ。キレイに脱臼した左肩はともかく、その後右手1本で捌いたからな……人間に散々ぶん殴られたぐれえのダメージは、ある)」
「(腕だけしか使ってねえアトヴァーガに、これだ)」
そう、この試合が始まってから……アトヴァーガの攻撃は両腕のコンビネーションのみ。
まだ、蹴りを使用してはいないのだ。
彼女の戦闘スタイルは、打撃主体の総合格闘。
足技が不得手どころか、過去の試合において決定打はほぼ蹴りによるものだ。
「(っへ……へへ、震えるぜ、嬉しくってよ)」
無名の脳裏に想起されるのは、懐かしい道場の記憶。
『こんなに危険な技を、頑丈なウマ娘とはいえ生き物相手に使ってもいいのか?』と、師匠に尋ねた時の記憶だ。
まだ中学生だった彼に、師匠は獣のような獰猛な笑みを浮かべて、言った。
『――使って、ようやく互角だ。好きなだけ使え……ただし、相手の反撃も同等の威力、いやそれ以上だ』
『相手を倒すか、お前が倒されるか……それだけだ、それだけだよ』
『一郎、楽しいぞ、それは。きっと楽しいぞ』
あの時の師匠の気持ちが、エキシビジョンマッチを経た無名にはわかりつつあった。
「(禁じ手以外は何を使ってもいい……何をしてもいい……ああ、師匠、アンタの言う通りだった)」
「(――楽しいぜ、とってもなァ)」
消えぬ笑みを張り付けたまま、無名は構えた。
「カタ、大丈夫?」「そっちこそ、腹は大丈夫かよ」
一瞬だけ言葉を交わし、両者は再び至近の間合いに踏み込んだ。
「っふ!」
先手、アトヴァーガの右ストレート。
それを、無名が僅かに躱しながら右の裏拳で逸らす。
「(誘い――ッ!?)」
同時に、アトヴァーガの右膝。
1ラウンド目ではついぞ放たれなかった足技が、満を持して使用される。
「――がぁあっ!!」「っぐ!?」
そのままでは腹に直撃する軌道の膝。
無名はそれに、真っ直ぐ左肘を落として迎撃。
「――ッ!?」
打ち上げの膝と、打ち下ろしの肘。
人間同士であれば上からの攻撃の方が位置的にも有利だが、アトヴァーガはウマ娘だった。
鈍い音が響き、無名の肘が上方へ跳ね上がる。
そして、幾分か速度を減らした膝が――胴体へ。
無名の巨体が、斜めの軌道で吹き飛んだ。
『無名選手、吹き飛んだァアアアアアアッ!!なんという異音!!まるで交通事故ッ!!』
しばしの滞空の後、無名は背中からリングに叩きつけられた。
「かっ――は、ぁ!?」
無名は呻きつつも、反動を利用してハンドスプリングで起き上がる。
レフェリーはダウンと判断し、カウントを取るがすぐに止めた。
「(――アレだけ速度と威力を殺してても、肋骨がやられる、かよ!)」
彼の体に響く、鈍痛。
内臓へのダメージを避けるために、僅かに身を鎮めた結果……右の肋骨に膝が当たったのだ。
否、当てたのだ。
恐らく、ヒビが入っている。
対する、アトヴァーガ。
追っては、来ない。
彼女もまた、驚愕していた。
「(――嘘でしょ、肋骨で防御!?デタラメね……それに)」
一瞬、視線が左膝へ。
「(あの一瞬で、関節の弱い部分を……攻撃してくるなんて)」
離れ際の攻防。
無名は肘を迎撃として膝へ落とした。
攻撃としては跳ね返ったが、その『打点』は効果的な場所だった。
ウマ娘の膝に、鈍痛と痺れを残すほどの。
観客席も騒然としている。
無名が『戦えて』いるからだ。
エキシビジョンマッチの時のようなあっという間の決着と違い……『ウマ娘』と殴り合って『戦えて』いるからだ。
「お、おい……誰だっけ、無名が『ラッキーパンチで勝った、一撃でも貰ったらそこで終わり』って言ってた評論家」
「ナントカ流とかいう空手の師範だろ?嘘ばっかりじゃねえかよ……殴り合ってるじゃん、無名」
「防具を持ち込んで~……なんて言ってる奴もいたけどさ、無理だろ。あんな交通事故みたいな音がする攻撃、空手着に隠せるようなレベルの防具でどうこうなるワケないだろ……」
「――あっ!動くぞ!!」
無名が、前に出る。
右手を腰だめに、左手を前に出して。
『無名選手、前に出た!これはパンチを狙っているのかッ!?』
『1ラウンド目の打撃は凄まじいモノでしたからね、アレがクリーンヒットすれば――』
「(ああ、彼が来る。ヴォールクが、歯を剥いて)」
ぞくり、とアトヴァーガの背中が粟立つ。
「(ワタシを、殺しにやってくるッ――!!)」
笑みを張りつかせ、アトヴァーガもまた踏み出した。
間合いが、近付く。
「『――愛してるッ!!』」
先に攻撃したのは、アトヴァーガ。
踏み込んだ勢いを総動員した、凄まじい速度の右ミドルキック。
胴体の中心を薙ぐこの軌道は、逸らせない。
避けるか、それとも……
「――るぅう、あぁあ!!」
無名は、そのどちらでもなく――
さらに、踏み込んだ。
踏み込みつつ、体を折った。
低く、低く。
無名の頭上を、蹴りが通過する。
「(なんて、低い――!?ほとんど、地面と同じっ!?)」
膝立ちより、なお低い。
スライディングのようなその姿勢から――
「っしゃあぁあっ!!」
無名の右足が、地表を鋭く薙ぐ。
それは、ミドルキックを放った体勢の――アトヴァーガの軸足に向かう。
「――ッ!!」
百戦錬磨のウマ娘としての勘か。
アトヴァーガは――蹴りを放ったままの体勢で、さらに軸足を跳ね上げ、飛んだ。
なんという、バランス感覚。
無名の蹴りが、轟音を立ててその僅かに下を通過した。
外れたのだ。
「(最高よ!私のヴォールク!!次は私の番――)」
空中で、アトヴァーガはの笑みが深くなる。
――深くなる、その途中で、止まる。
「(目が、生きてる、まだ!?諦めて、ない――ッ!?)」
ほぼ、横倒しに寝ている無名。
右足は、空振った体勢――
滞空していたアトヴァーガが、再び着地。
今度は、蹴り足から。
その、右足に――無名の左足が激突。
「(これまで――読ん、で――!?)」
「こおぉお、おぉあッ!!」
そして、空振った右足が……凄まじい速さで戻ってきた。
そして、アトヴァーガの右足へ。
左の足刀と、右の踵。
さながら――龍が顎を閉じるように。
「――っぎ!?」
めき、と。
アトヴァーガの体内で、音が響いた。
――討マ流、打ノ型『
相手の足を、どちらかの足刀と、踵で挟み込む。
狙うのは、足首の関節と――アキレス腱。
「ッガァア!!」
アトヴァーガが吠えた。
吠えながら、足を挟まれたまま――無事な左足で、横たわった状態の無名を、蹴った。
「――っぐぅうう、あ!?!?」
無名は、なんとか両腕を交差させてそれを受けた。
軸足が不安定な状態でも、ウマ娘の力。
寝た状態で、無名はリング上を吹き飛ばされた。
両腕が、ひどく軋んでいる。
「っが、あ!?(――あの体勢で、捻りを入れた蹴りかよ!?人間なら、アキレス腱がねじ切れちまうぞ!?)」
だが、まだ無名は立てる。
腕の痛みはあるが、骨が折れたわけではない。
肋骨の痛みも、無視できる。
『無名選手、吹き飛ばされたがその反動で立ち上がった!アトヴァーガ選手はどうだ!?先程の……蹴り技?いや奇妙な技を受けていたが、まだ戦えるのか!?』
『あの技……足の関節と腱を同時に破壊するのが目的でしょうね、討マ流……なんて恐ろしい』
「(っは、アレなんぞまだ『優しい』部類だよ、ウチではな。だが――威力は、十分だった)」
無名の視線の先。
アトヴァーガが、リング中央で蹲っていた。
技を受けた右足を押さえ、汗を流している。
顔色が、普段に増して白い。
「(俺への蹴り、アレが駄目押しだったな。軸足が固定された状態で、ああまで横に捻りながら蹴ったんじゃあ……断裂、かどうかはわからんが、少なくとも前のようなフットワークは刻めねえだろう)」
『アトヴァーガ選手、立てなぁい!!先程の無名選手の攻撃がかなり効いているようだぁあッ!!』
レフェリーが、彼女の怪我の状況を確認しようと走り寄る。
「アトヴァーガ!足を――」
「うる、さいっ!!」
そのレフェリーを、アトヴァーガは押しのけて立ち上がった。
左足首は、赤く腫れつつある。
だが彼女は、無名だけを見つめていた。
そして、吠えた。
「ムミョウ――ッ!! ダヴァイッ(来い)!!」
「――ああ、わかった」
無名が、構えて一気に踏み込む。
レフェリーなど、お互いの目にはなかった。
ただ、決着を求める心だけがあった。
この一合で全てが終わる――そんな、確信があった。
「(――最高よ!私のヴォールク!!)」
「――アァアアアッ!!」
アトヴァーガが、踏み切りの勢いを乗せた蹴りを放つ。
痛めた右足を、蹴り足にして。
「こぉお、お――!!」
無名の溜めた右手が、掌の形を取る。
それを、捻りながら突き出した。
アトヴァーガの右膝は、無名の肘打ちによって痛んでいる。
本気で蹴りを放つという行動は、その痛みによってほんの少し――ほんの少しだけ、遅れた。
――それが、決定打だった。
「ぬうぅ、あっ!!」
唸る蹴りを、左手で防御する。
骨が、関節が軋む。
その足首に、無名の左手が伸びる。
ダメージで、赤く腫れた足首に。
そして、そこへ手を添えて――掴んで、引いた。
「オォッ!!」
足首を引くと同時に、アトヴァーガの鳩尾に掌底が突き刺さる。
1ラウンド目とは違い、既に足首の痛みによって――腹筋は弛緩している。
――どん、と衝撃が突き抜けた。
足首を固定されて、片足立ち。
逃げ場のない衝撃が、カウンターの形でアトヴァーガの腹部を――貫通した。
「っしぃい――!!」
無名は、まだ止まらない。
鳩尾に付き込んだ掌底を手元に引きつけ――
「――破ァッッッ!!」
アトヴァーガの胸の中央に、肘を突き入れた。
鳩尾に意識を集中させたところで、胸骨の中央への不意打ち。
――討マ流、打ノ型『
カウンターの形で、胸骨と心臓にダメージを与える技。
戦国期の使い手は、これで鎧を砕いたと伝わっている。
「っか、はぁ――」
アトヴァーガの体に、痺れるような痛み。
肺の酸素が残らず放出され、視界がじわじわと暗くなっていく。
「(――ああ、もう終わりね、ザンネン)」
仰向けに倒れ込むアトヴァーガの心に、諦観の念が湧く。
「(でも、本当に……素敵だったわよ……)」
「ヴォー……ル、ク……」
彼女の目は意識を失う直前まで……獰猛に笑う無名だけを見ていた。
会場に、静寂が満ちた。
『……だ、ダウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウンン!!アトヴァーガ選手、リングに沈んだァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
駆け寄ったレフェリーが、彼女の意識がないことを確認して大きく手を振る……TKOだ。
『2ラウンド2分28秒ッ!!決着!!決ッッ着です!!!!』
『エキシビジョンマッチに続きッ!!今回もやってくれましたァッ!!USC所属、『無名』オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!』
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!」」」
一拍遅れて、会場が揺れる。
再びにジャイアントキリングに、揺れている。
「すげえ……真正面から、ウマ娘を倒しちまった!!それもアトヴァーガを!!」
「勝てるんだ……人間でもッ!!」
「つっても無名はバグみてえなもんだろ……でも、すっげえ!!すげえ!!!」
割れんばかりの歓声の中、アトヴァーガのセコンドと医療チームがリング上へ。
未だに意識を失ったままの彼女を、手早く搬送の準備をしている。
無名は、横たわって笑みを浮かべている彼女に深々と頭を下げた。
「ムミョウ」
コーナーに戻ろうとした彼に、セコンドが声をかけた。
恨み言か?と振り向く無名の目には、ニヤつくセコンド。
「……なんだ?」
「これから苦労するぜ?ウチのお姫様をよろしくな」
「……リターンマッチなら、いつでもいいぜ?」
「ハハハ!ハハハハ!……なるほど、こいつはヴォールクだ!ハハハ!!」
一人合点をして、セコンドは去った。
後には、首を傾げる無名だけが残された。
「パイセッ……無名!手!手ッ!!」
ライデンオーが走ってくる。
「ああ、コレかあ……すげえよな、ウマ娘って」
無名の胴着、その左腕が真っ赤に染まっていた。
アトヴァーガの最後の蹴り。
その爪先が下腕の布ごと皮を裂き、肉を抉ったのだ。
「他は大丈夫なんスか!?蹴られたとことか!?」
「大丈夫だ、たぶんヒビだろう……2本くらい、か?」
「ぜんっぜん大丈夫じゃねッス!?早く控室に引っ込むッスよォ!!」
その言葉にライデンオーは血相を変えた。
「おいおい、これくらい大丈夫――」
「ハイ!左手の処置完了ッス!!撤収撤収ッ!!オラァアアアアア!!道開けろォ!!勝者の凱旋だァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
そしてリングから飛び降りるなり、なんとパイプ椅子を振り回す。
興奮した観客が、退路に出てこようとしていたからだ。
『っか、観客の皆様!席をお立ちにならないでください!!そして無名選手のセコンド……『謎ウマ仮面』?さん? まあとにかく!あなたも暴れないでください!!危険ですからッ!!』
しかし観客は、既に死んだ目をして席に戻っていた。
目の前で恐るべき勢いと轟音で振り回されるパイプ椅子が、容易に『死』を想起させたからだ。
「俺より目立ってんじゃねえかよ……アイツ経由で身バレとか、カンベンなんだが」
ぼそりとこぼした無名の言葉を聞くものは、誰もいなかった。
・・☆・・
「勝ったね、ムミョウ」
「……ひょっとして試合終わってすぐ来たんスか?……うわぁ……」
ライデンオーに先導されて控室に戻ると、ドアの前にスターラッシュが立っていた。
「おう、勝ったぜ。中でコーヒーでも飲んでけよ」
「いや、流石に一戦終えたファイターに迷惑をかけるほどじゃない……覚えてるかい、約束」
それをきいた無名は一瞬考え込み……軽く笑って、マスクに手をかけた。
「ちょっ!パイセン!?」
「別にいいだろ、スターラッシュがマスコミに垂れ込むような女じゃねえのは、俺が一番よくわかってるからな」
言いつつ、無名は完全にマスクを脱いだ。
汗まみれの顔が、外気に晒された。
「――山田一郎ってんだ。ありふれた名前で悪いがな」
「ヤマダ、イチロウ……うん、覚えた。そして、いいファイトだったよ」
そう言い、スターラッシュが踵を返す。
「――アタシと当たるまで、負けんじゃないよ。イチロウ」
「――っは、そりゃあこっちのセリフだよ」
無名に背を向け、スターラッシュは廊下の奥へ消える。
熟れたトマトのように紅潮した顔を見る者は、幸運にもいなかった。
「……モテモテッスね、パイセン」
「ああ?なんでだよ。完全にライバル認定的な意味だろうがよ、アレ」
「はぁあああああああ~~~~~~~~……あほくさッス……ホラ、アイシングと手当するッスよ。この後インタビューなんスから」
大きくため息をつき、ライデンオーが控室の扉を乱暴に開けた。
無名……山田は、首を捻りながらもそれに着いて行った。
無名のトーナメント初戦は、そうして終わりを告げた。
次回は、8月下旬。
対戦相手は、いまだ不明である。
・・☆・・
先程まで、熱戦が行われていたリング。
そこには机と椅子が用意され、インタビューの体勢が整えられている。
U-1運営が選抜したマスコミ陣が、そこに座った無名にカメラを向けている。
初勝利した選手のインタビューは他にも行われているが、注目度は段違いであった。
観客たちも、固唾を飲んで見守っている。
「月刊秘術の高木です。まずは大変な試合、お疲れ様でした……無名選手、お体の方は大丈夫ですか」
胴着を脱いだ無名は、上下黒色のジャージを着用。
そして……頭部を完全に覆い隠す、フルフェイスマスクを被っていた。
「『ええ、ありがとうございます。問題ありません』」
何らかの機械によって、変換された音声だ。
おそらくマスクに何らかの細工がしてあるのだろう。
素性を隠すための、USCの細工だ。
「それで……無名選手の流派、『討マ流』ですが……今まで世間に知られていなかったわけですが、それは何故ですか?」
「『名乗らなかったから、知られなかった……というわけです』」
あまりにもアッサリとした発言だ。
「それは……何故です?エキシビジョンマッチも、今回の試合も……素晴らしいモノでした。何故これほどまでの流派が、今まで名乗りを上げなかったのですか?」
これには、観客たちも内心で頷いた。
格闘技に興味がある身としては、道場などがあれば是非通いたい。
それほどまでに『ウマ娘に勝つ』という結果は魅力だった。
「『――簡単なことです。ウマ娘に勝てる算段がつくまでは……名乗ることを許されなかった』」
「……それは、誰によって、ですか?」
「『我々です。我々自身が、それを許さなかっただけのことですよ』」
しん、と静寂が満ちた。
無名の言葉に含まれた、覚悟に当てられたのだ。
続いて、別の記者が手を上げた。
「……週刊春秋の児玉です。差し支えなければ、『討マ流』の来歴を教えていただきませんか?」
「『嘘か誠か、千年前からあるそうです。それだけの期間、我々は負け続けました……大した歴史ではありませんね』」
「そ、それは本当ですか?」
「『私も師匠から聞かされただけですし、まあ……話半分に聞いておいてください。自分でも半信半疑だと思っていますから』」
「そうですか……無名選手は、この『討マ流』をこの先どうされる予定ですか?」
「『……どう、とは?』」
「道場を開いて、後進の教育をするとか――」
それを、無名は遮る。
「『ああ、それはありません。『討マ流』を広めるつもりはありませんよ』」
驚愕が、会場内を走り抜けた。
あれほどの技を、広めないとは。
武道家として、そのような考え方はアリなのか。
「それは……何故です?」
「『教えたくないから……いえ、教えるべきではないから、ですかね』」
なんてことはない、という態度で無名が言う。
「『別に、『討マ流』は大したモンじゃない。ウマ娘を倒そうと思ったら、他にも色々とやりようがあるでしょう?』」
「し、しかし……それほど続いてきた流派を、アナタの代で途絶えさせては……」
「『ああ、そこか。私は今代の相伝者ではありませんよ……というか、『討マ流』には相伝という考え方自体がない』」
「ない……ですか」
「『ええ、ウマ娘に勝ちたいだけの、ネジの外れた社会不適合者の集団ですよ、『討マ流』は。だから、私は後にこれを継がせるつもりはありません』」
そこまでで、記者の持ち時間が終わった。
続いて、別の記者が手を上げた。
先程までの壮年の記者たちと違い、若い女性だ。
「月刊トゥインクルの乙名史です!」
「えっなんで」と、小さい呟きが客席から聞こえた。
彼女は、雑誌名が示す通りサラブレッドウマ娘が管轄だ。
その界隈ではかなりの有名人である。
何故、格闘ウマ娘のイベントにいるのだろう、という疑問の呟きだろう。
「今回無名選手は格闘ウマ娘のイベントにご参加されていますが……サラブレッドウマ娘にも同種のイベントがあります、そちらにもご参加される意思はありますか?」
「『ありません』」
即答である。
「理由をお聞きしても?」
「『私の技は、対格闘ウマ娘に使用するように……いや、『格闘ウマ娘以外に使用してはならない』技です。格闘を主体とするウマ娘以外には、決して使うことを『私が』許さない』」
「……っす」
何かを感じた数名の観客が、素早く耳を塞いだ。
「素晴らしいですっ!!」
マイクがハウリングを起こし、周辺の記者が仰け反った。
「それはつまり、全てのウマ娘を慈しむ心をお持ちだということっ!!自らの技の危険性を正しく認識し、領分を尊重する……素晴らしい武道精神ですっ!!!!」
「『……ありがとう、ございます』」
後方でインタビューを見守っていたライデンオーが、『パイセンむっちゃ引いてるッス』と小さく呟いた。
その後も記者を変えて質疑応答は続き……1時間後にようやく終了した。
「すっげえ疲れた。試合の方が百倍マシだな」
「丁寧語のパイセン、むっさ違和感あったッスよ」
「仕方ねえだろ、社長の指示なんだから。今日の質問も出自関係ばっかりだったし、そんなに気になるもんかね」
控室に戻り、ヘルメットマスクを脱いだ山田がぼやく。
「普段通りの喋りしてたらすーぐ身バレしそうッスもんね。ただでさえパイセンでっかいから」
「お前よりは小さいだろ……まあ、社長が『本社勤務』って嘘をばら撒いてくれてるから大丈夫だとは思うがな」
USCの本社は。東京ではなく北海道にある。
東京にはあくまで『支社』がいくつかあるだけだ。
規模としては東京の方が大きいが、『支社』なのだ。
つまり、今まで本社に潜入しようとしていた4流マスコミたちは完全な無駄足というわけだ。
今日も、社長が手配したダミー車両が成田空港まで走る予定になっている。
「ま、なんにせよ今日も勝ててよかったッス!パイセン!飯食って帰りましょ飯!!」
「お、いいね。腹減ってしょうがねえんだよ……何食う?ラーメンか?」
「駄目ッス~!ラーメンはウララちゃんたちと一緒に行くんスから。オムライス!オムライス行きましょ!『ドムの大樹』行きましょ!!」
デカ盛りで有名なオムライスチェーン店の名前を出し、ウキウキと帰り支度をするライデンオー。
「……はいはい、たまにゃあいいか」
山田も帰り支度を始めた、その時。
「ヴォールクッ!!」
ばあん、とドアが開いた。
そこには、雑に治療を施され、目を爛々と輝かせたアトヴァーガの姿。
その後ろには、半分死んだ目のセコンドがいた。
「にゃーっ!?!?ななななんスか!?今回の判定に文句でもあるんスか!?ぱ、パイセンを倒すならまずウチから――!!」
武器のつもりか、魔法瓶を握りしめるライデンオー。
それを尻目に、アトヴァーガが山田に飛びついた。
敵意が全く感じられなかったので、彼の行動が一拍遅れた結果である。
アトヴァーガはきつく山田を抱きしめると、目を丸くしている彼の額に口付けを落とした。
「あああああああああああああああああああああああっ!!!おま、お前何してんスかっ!!!ぶっ殺すぞこの泥棒ウマアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
いよいよ混乱する山田の瞳を覗き込み、アトヴァーガは満面の笑みを浮かべた。
「ヴォールク!今日は楽しかったわ!!とっても!!!」
そして、固まる山田の頬に再び口付け。
「ンフ、おいしい……じゃあ、またね!!私の狼さん!!」
かと思えば、頬を赤らめ……あっという間に控室から飛び出して行った。
「あー……ホント、マジで、すまねえ。すまねえな……」
セコンドは、全てを諦めたような目をして深々と頭を下げ。
こちらも、素早く部屋から出て行った。
残されたのは、始終目を丸くしっぱなしだった山田と。
怒りのあまりに日本語を忘れたライデンオーだった。
「一体……なんだってんだ……?あと、ヴォールクって誰だよ……」
「あsdfghjkl;うぇrちゅいおp@ぽいうyfdvbんm!!!!!!!!!!!!!!」
その日、ライデンオーは『ウマ盛り・地獄』仕様のオムライスを4人前平らげた。
山田の財布はしめやかに息を引き取った。