とあるオンボロアパートの一室。
「じゃあ、俺バイト行ってくるから……部屋出ないようにな」
「……ねぇ」
「ん……ああ」
二人の男女が口づけをする。
抱き合う二人は他人からみれば新婚の夫婦のようにもみえることだろう。
しかし、実際のところ彼らはそんな幸せな関係ではなかった。
「頑張ってね、早く帰ってきてね」
「ああ」
あれから、数日。
宏大は久々にバイトに向かった。
コンビニのバイトだ。
伊咲が来たタイミングはたまたまシフトがなかったので数日ぶり。
普段はほぼ毎日行っており、それ故に数日程度なのになんだか凄く久々に感じた。
あれから、宏大と伊咲は軽率に体を重ねるようになった。
付き合ってるわけでもない、かといえばセフレのような体を重ねるだけの関係でもない、形容することができない関係。
それをそのままに、幾度なく体を重ねている。
その関係が良くないものであるのは宏大は分かってるし、きっと伊咲もそのことは理解している……と、思う
それでも今更やめるなんてことはできなかった。
もう堕ちた二人に欲望を抑えるなんて選択肢を取ることはできなかった。
それに今更断るのは忍びない……なんて、結局建前だけど。
(伊咲が欲しいだけなんだよな結局のところ)
ただ、それは伊咲も同じようなもので。
宏大は伊咲の体を求め、伊咲は宏大の愛を求めている。
そんな自己中同士が利害の一致で愛を歌う歪んだ関係
その関係をなんと形容するのかは宏大には分からない。
ただ、それでいいと思ってる。それを決めてしまえばその言葉に締められてしまいそうだから。
(それはそれとして伊咲は求め過ぎだ)
なにせ、数時間に一回は伊咲が行為求めてくるのだ。
正直に言えば宏大は結構体力的にキツイものがある。
しかし、断るのは未だ精神が安定してるとは到底言えない伊咲にあまり良くない。
事実、一度断ったとき彼女は捨てないで、と発狂仕掛けていた。
(まあ、多分今だけだろ)
伊咲が体を重ねるのは、宏大に捨てられたくないからだ。
だから、愛を確かめる。セックスという分かりやすい形で自分が愛されてることを、求められていることを自覚したいのだろう。
自身の価値を見せるためにやっている、それ故に宏大が伊咲を捨てないと理解すれば多分今のペースでは求められなくなるし、断ってもそこまでダメージは受けないはずだ。
(……多分)
半分くらい女としての快楽にハマってるだけな気が宏大はしてるが、そこは見ないふりをしておく。
十時間に一回になるだけマシだと思っておこう。
そも快楽にハマってるのは宏大がどうこう言えた話ではない。
それに求められて、悪い気分はしないのだから。
そんな不安定な彼女を置いてバイトに行くのはかなり心配ではあった。
一応多少は落ち着いてきたので、流石に自殺……なんてことはすることはないと思う。
しかし、ほぼ一時間毎に愛を確認してくる彼女を六時間以上放置した反動が恐ろしいものであるのは想像に難くない。
(ゴムとピルと……精力剤ってコンビニ売ってんのかな……つーか、金が……)
お金
正直、今一番の問題はそこである。
今の宏大の全財産、なんと五百円である。
これでも、できる限り切り詰めたのだ。冷蔵庫に残っていた分やカップ麺などをうまいこと使い、三千円という中学生のお小遣いでもなんとか数日は持たせた。
しかし、もう限界だ。食料も買えないしゴムも買えない。
(特にゴムがないのはまずい……!)
伊咲は間違いなくゴムがなければそのままやろうとする。というか、過去数回無しを要求されてるのだ。流石にまずいので拒否してるが。
ともかく、金が無い。
金の使い道は食料だけじゃない、水道代や電気代、当然家賃、伊咲の服も買わなければならない。
しかし、次に給料が入ってくるのは一週間後。
やることがないからと、バイトのシフトをたくさん入れてるからそこまで耐えられれば余裕はできるが……五百円である。
たった五百円。
それで一週間。
一人暮らしの頃ならば超頑張ってなんとかなった。
しかし、伊咲がいる今そうもいかない。
ならば、
(すっげぇ嫌だが……借りるか)
あの生意気な後輩に借りるしかない。
なんなら、どうにかこうにかして協力させれば……
嫌そうな顔で考える宏大だった。
運の良いことに生意気な後輩とはシフトが完全に同じだった。
「先輩が相談てなんすか?」
コンビニのバイトを終え、裏側で向かい合う。
頭をかいて不思議そうな顔を浮かべるのは宏大のバイトの後輩であり、短い金髪にすこし褐色気味の肌をしたチャラチャラした男。
彼の名は市成、現役の大学生である。
その見た目通りチャラチャラしている彼は"先輩"こと宏大の相談というのが気になっていた。
ちなみに彼は先輩なんて呼んでいるが、宏大のことはこれっぽっちも尊敬してない。
「あー……なんだ。金貸してくれ」
「うっわ」
神妙な面持ちで告げられたその相談内容に市成は引いた。
そして、侮蔑の目。市成はそれなりに宏大と付き合っており、目の前の男がクズであることを知っている。
そんな男がついに年下の大学生に金をたかろうとしてるのだからその目も当然であった。
宏大とて苦渋の決断である。
年下からカネを借りること……ではなく、
コイツに頭を下げたくないからだ。
「先輩なんすか、パチンコで金スッたんすか?」
「いや……まあ、それもあるんだが……」
否定しようとするも金欠の原因の一つに間違いなくパチンコがあるのに気がついて宏大は答えを濁す。
そんな宏大の反応に市成もそれが主要因でないとわかったのか、また別の予想をあげた。
「それじゃあ女っすか。さっきゴム買ってたし、嬢に金でも注ぎ込んだんですか?」
「まあ、女ではあるんだが……」
当たらずも遠からず。
伊咲は女だし、女関係であることは間違いない。
しかし、宏大と伊咲の関係、あまりにも荒唐無稽な事件から始まってしまったその関係をなんと説明すればいいというのか。
バカ正直に話したら信じてくれるものではないし、信じてくれても未成年淫行に事実上のレイプ、引かれて通報案件だ。
かと言って隠しすぎるとこの男は納得してくれないだろう。
「んまあ……今、同棲してる彼女がいんだよ」
実際は彼女なんかじゃない。
もっと別の爛れに爛れたどうしようもないような関係だ。
しかし、それを一々説明しても仕方ない。
だから、嘘をついた。
言ってから、あまりの違和感に吐き気がした。
そんな宏大に市成は驚愕する。
「へー……え!?彼女すか!先輩に!?多分それ美人局だと思いますよ」
「ちげぇよ。俺にむしり取れる金なんてねぇんだから」
「まあ、確かにそうっすね!」
納得されたことに多少ムカついたが、今はこちらが頼む側。突っ込むことはしなかった。
事実、今の宏大にむしり取れる金などないのだから。
「てか、彼女……先輩に彼女ってできるんすねw」
「喧嘩売ってんのかお前」
「年下に金借りようとしてる人に彼女できないのは当然じゃねぇーすかねぇ」
それもそうだ。言い返しようもない正論に宏大は何も言えない。
実際、宏大に彼女がいたことはない。
昔だって、真面目過ぎてそういうことには興味がなかった。
「ともかく、それで予定より金の減りが早くなったから借りたいんだが……」
「まあ、金くらい良いっすけど。それこそ彼女に借りれば良いんじゃないっすか。面子とか分からんでもないですけどちょっと頼りないほうがモテるっすよ」
「面子……も、まああるんだが」
「ない面子張っても意味ないっすよw」
「うるせっ」
金あるって嘘ついて今更金を借りるわけにもいかない。
まあ、あの食生活で金あるなんて嘘が通じるとは宏大は全く思っていないのだが。
それはそれとして、口にしてしまった以上引き下がるにも引き下がれない。
そもそもだ。
「訳ありなんだよ。その子金が無いんだ」
伊咲は家からパジャマのまま飛び出してきた。
そんな彼女は当然、何も持っていない。
財布も、私物も、身分を証明できるようなものも
伊咲は体も物も何もかも、全てを完全に無くしていた。
彼女には何も残っていなかった。
だからこそ宏大がそこに入り込んでしまったわけだが
それと、年下どころか未成年から借りるのは流石に避けたかった。
その点、目の前の男から借りる分には心は傷まない。
「ふぅ〜ん……訳ありねぇ……ああもしかして家出少女?」
「そんなところだ」
事実間違ってはいない。
その家出の中にあまりに複雑怪奇な事情が隠れてることを除けば正解と言っても差し支えないほど。
「そういう娘と付き合わないほうが良いっすよ?俺あれで友人一人なくしたんで」
「…………今更だな」
「そっすか。一万円でいいですか?これでなんとか持つでしょ」
手渡された一万円を宏大は受け取る。
これならば次の給料までなんとか持つだろう。
ふぅ、と宏大は安堵の息を吐いた。
「助かった。必ず返す」
「別にいいっすよ。それ今カノに貢いでもらったやつなんで」
「あっそ」
市成も市成で馬鹿な女を食ってるようなクズだ。
こんなやつだから金借りても特に心が傷まないのはありがたい、同時にこんなやつに頭を下げたくないとも思うが。
そんな目くそ鼻くそを笑うようなクズらしい思考とともに宏大は財布へと一万円札をしまう。
財布が少し重くなった気がした。
(そういや、もうパチンコいけねぇな)
一人の頃ならパチンコを打つ余裕があったが、二人いる今はそんな余裕ない。
少し、残念に思いつつもなんだかきっぱりと諦めることができた。
もはや、中毒と言っても差し支えないほどにどっぷりと宏大はパチンコに入れ込んでいた。
実際、過去何度も金欠だというのにパチンコに行ってしまっている。
それなのに、きっぱり諦められた自分を不思議に思い、すぐに納得する。
(……伊咲とセックスしてるほうが良いもんな)
パチンコよりも、良いものを手に入れてしまったからだ。
玉遊びなんかより、伊咲と体を重ねている方が気持ちいい。
(止めようとして何度も失敗したが……成功例がこれか)
我ながら邪なその考えに宏大はため息を吐いた。
「ていうか、金困ってんのになんでゴムなんか買ってんすか」
「あー……ないと生を要求してくんだよ」
「…………ずいぶん性欲旺盛な彼女さんですね」
何か言おうとして、何も思いつかず、しかし何も返さないにはあまりに気まずく、そんな中なんとか絞り出したかのような声だった。
「既成事実には気をつけてくださいねー。俺それで友達一人なくしたんで」
「お前の友人関係大丈夫か?……はあ、多分、そういうつもりじゃないと思うけどな」
ヤリチンコミュニティでもあるのだろうか、そう思いつつ宏大はあの伊咲の顔を思い浮かべる。
きっと、伊咲は子供を作るつもりなんてない。
初めてやったときも、自分からアフターピルを求めていたくらいだ。
だから、それはきっと、ただの白濁の液を愛と勘違いしているだけだ。
あんなものがそんな崇高なものなわけがないのに、伊咲はそれに縋っている。
そんなに心配しなくても伊咲を知ってしまった宏大に今更捨てる選択肢などないのだが。
「しっかし、先輩の彼女……めっちゃ気になるんで今度紹介してくれません?」
「……お前には絶対にしない」
宏大は市成を睨みつける。
その目には、警戒の色が宿っていた。
それに、市成は少し顔を引きつらせる。
「あ、案外お熱い感じなんすね……。大丈夫っすよ。俺は、NTR趣味ねぇっす。そんなことしたら彼女に殺されちゃう」
「そうか」
市成の口から出る彼女という言葉はあまりにも軽い
先程の友人のほうが重く感じるほどだ。
事実、彼の中の彼女なんて友人以下の存在、きっと自慰行為の道具程度にしか見えないのだろう。
そんな奴に伊咲を渡すなんてそれくらいなら二人で死んだほうがマシだ。
ヘラヘラと笑う市成。
こうはなりたくねぇ、宏大は率直にそう思った。
「で、可愛いんすか?」
「お前は……」
「いっじゃねぇーすか、気になるんすよー。一万円のお代でそのくらいはいいでしょ?」
ニヤつきを抑えない市成に宏大は呆れの表情を浮かべる。
しかし、目の前のクズ男に恩があるのは事実。
どうせ、いつかはバレること。
宏大は軽く市成の質問に答えてやることにした。
「まあ、結構可愛い」
「1〜10でお願いします」
「……10」
「へぇ」
しかめっ面でボソリと呟いた宏大の評価に市成は実に興味深そうにする。
「女に興味なしの先輩が10って相当じゃないですか、あれですか?絶世の美女ってやつ?」
「そういうのじゃねぇよ」
「派手じゃないけどってやつすか。いいっすねぇ」
伊咲の顔はそこまで派手ではない、むしろ性格も合わさって素朴な印象がある。
しかし、それでなお隠しきれていない可愛さがあった
言うならば、『皆は気づいてないが俺だけは彼女の良さを知っている』と、全ての男に思わせてしまうような、それはある種の魔性のような、そんな顔つきをしている。
そんな彼女は今宏大の中にあって
彼女を独り占めできている、そのことは宏大の中に優越感のような感情を生じさせていた。
「それで、体は?」
ニヤリと怪しげな、その明るさを感じさせる見た目からは想像できない狐のような悪い笑みを浮かべ聞いてくる市成。
その姿に宏大はそっちが本題だと察した。
宏大は目の前の男にとって女性の顔を特に気にしていないのを知っている。
それは女性は中身が大事だとか、そんな話ではない。
目の前の男にとって女は体以外なんでもいいのだ。
市成にとってセックスはセックスではない。
言う慣れば、女性を使ったオナニーだ。
彼に言い寄る女性が面食いならば。
彼は体食いである。
「……そこそこだよ」
「えー、具体的には?サイズは?」
「知るか、女のサイズとか分かんねぇよ」
そんなやつだから嘘をついた、
市成は伊咲のその極上の体つきを知れば間違いなく狙う。
もし、その手が伊咲の体に触れようものなら……
(俺は……何をする?)
ふと、沸いた疑問。
宏大はもし伊咲の身に危険が迫ったときどうするだろうか。
見捨てるのか助けるのか……答えは決まっていた。
助けるに決まっている。
でも、それはおかしなことだ。
宏大の性格はそんなやさしい性格ではない。
それなのに、何故そんな思考が湧いてくるのか。
少し考えて、答えはすぐに出た。
(俺も伊咲に埋められてるのか)
伊咲が家族に捨てられて空っぽになったのならば、
宏大だって家族を捨てて空っぽだったのだ。
宏大は気づかぬうちに伊咲に埋め尽くされていたのである。
体だけじゃなくなっていた。
伊咲が宏大からの愛を求めてるように、
宏大は伊咲から愛を求められることを求めていた。
それは所謂承認欲求というやつで、他人と関わらずゆえに失っていたそれは無自覚にも宏大にとって重いものだった。
伊咲はもう宏大にとって従兄弟なんて関係ではない。
ただ、自身の手の中にずっと置いておきたい宝物になっていた。
それは伊咲も同じで
(共依存なのか……俺達は)
「帰るわ。あいつをあまり放置したくない」
「あ、そっすか」
それを自覚すると、なんだかこれ以上こいつと会話したくなくなる。
そう思った宏大は無理やり話を切り上げアパートに帰っていった。
「ただいま」
ガチャリ、古いからかまるで模範的な効果音のような音共に扉が開く。
同時に、宏大へと巨大な質量が襲いかかった。
「宏にぃ宏にぃ宏にぃ宏にぃ宏にぃ宏にぃ宏にぃ宏にぃ宏にぃ」
「伊咲」
当然それは伊咲だった。
彼女は宏大に抱きついて息を荒くしながら抑揚なく宏大を呼び続ける。
伊咲の体はまるでたくさん運動したかのように湿っている、特に股の部分は濡れてるとすら言えるほど。
やはり、こうなったか、予想していた結果に宏大はため息を吐いた。
「やるか?」
「うん!いっぱい犯して!」
元気よく笑いながらその笑みとは思えないことを言う伊咲。
その笑みは宏大の記憶の中の彼の笑みととても似ている。
だというのに、何故こんな淫靡に感じるのだろうか?
「ねえねえねえねえねえ宏にぃ、僕お留守番できたよ褒めて褒めて褒めて褒めて?」
約六時間程度、常人ならなんでもない時間も今の彼女には耐え難いものだったようだ。
あの時から、着実と伊咲は壊れ始めている。
もう彼女は元に戻れない。
誰かから愛をもらわないと、まともな生活なんてすることができない。
それはまともな人間じゃ駄目だ。
まともな人間は伊咲を愛せない。
しがらみに囚われて彼女の愛を受け止めきれない。
堕ちたものと真っ当な人間の溝、その溝は深く、埋まることはない。
だから、
(伊咲は俺といたほうが良いんだ)
溝のない堕ちたもの同士。
何もなかった同士。
伊咲はずっと宏大のそばにいればいい。
死ぬときまでずっと。
あ、