ts娘のやつ   作:霜降り 

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 イチャイチャ回です。多分


5

 

 その数列を見て、動けなかった。

 どうすればいいのかわからなかった。

 そんな宏大の止まった頭をスマホは音と振動で叩き起こす。

 表示された電話番号。

 知っている電話番号。

 その数字の羅列が歪む。

 指を画面に触れるか、触れないか。

 自身の意思なのかも分からず、ただ体が脳を使わずに動こうとして

 

「駄目」

 

 伊咲が宏大の腕を鷲掴みにした。

 伊咲の小さな両手で宏大の腕が掴まれる。

 

「駄目、駄目、駄目」

 

 加減、そんなことを意識する余裕もないのか伊咲の手に力が入り、宏大の腕が赤くなる。

 痛み、血が通らない痛みに宏大はスマホから伊咲へと目線を向けた。

 

「お願いっ、やめて、お願いお願い」

 

 息が乱れている。

 まるで命の危機を目の前にした時かのように伊咲は体を縮こませて震えていた。

 震えが伝わる。腕を掴まれているのに逃げ出すことはできなかった。

 頭を俯かせ、表情がよく見えない。ただ目線がどこにも向かっていないのだけがわかった。

 気がつけばスマホから音は止み、ただの板と化している。

 

「伊咲」

 

 宏大が伊咲へと呼びかける。

 しかし、伊咲は反応しない。それでも宏大を掴む腕の力がほんの少し強くなったのに宏大は気がつく。

 

「伊咲、落ち着け。大丈夫だ」

「やだ、やだ、やだ」

「伊咲」

 

 名前を呼ぶ、伊咲は反応しない。

 何処も見つめていない。視線が宙に浮き、自分の世界に閉じ込められていた。

 抑えられていない手で顔を掴み、無理矢理こちらに顔を向けさせ目を合わさせる。

 乱暴になるが、こうするしかないと思った

 

「宏にぃ、宏にぃ?」

 

 伊咲が真っ黒な瞳でこちらを見つめる。その奥には宏大の姿が映っていた。

 水滴が地面へと落ちていく。

 宏大の顔を見て、伊咲も少し落ち着いたのか宏大の腕を鷲掴みにしていた手から力が抜ける。

 ぶらん、と吊るされた振り子のように伊咲の腕が投げ出された。

 伊咲が焦点の合わない目で宏大を見つめる。

 宏大も同じように伊咲を見つめ返した。

 それから、数秒、数分、時は流れようやっと伊咲の目に生気が宿った。

 

「ごめ、ごめん。宏にぃ」

「……いい。体は大丈夫か?」

 

 頭を下げようとする伊咲を宏大は止める。

 宏大の確認に、伊咲は少しかすれた声でうんと頷いた。

 

「あ、腕……」

「ん……?ああ」

 

 伊咲に言われて、宏大は自身の腕が赤くなっていることに気づく。

 内出血か。そう腕を見て宏大は判断する。

 結構な力で掴まれたのだから仕方あるまい。

 意識してしまうと、ジンジンと痛みが走り宏大も伊咲と同じく余裕を失っていたことを否応なく自覚させられた。

 そのことに宏大がはあ、とため息を吐く。

 それに反応したのが伊咲だった。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 肩を震わせ、伊咲が頭を地面に擦り付けるように宏大へ謝罪する。

 その姿に宏大は顔をしかめた。

 

「伊咲、大丈夫だ。落ち着け。俺は気にしてないから」

「うあ……ほんとに?」

「ああ」

「ほんと……?」

 

 顔を不安に歪ませる伊咲。

 その姿は宏大にとって何度も見てきたものだった。

 伊咲の精神が不安定だった時。その時と今の伊咲は同じだった。

 不安に駆られ、宏大に少しでも取り入ろうとし、失敗したと思ったら何度も何度も謝る。

 捨てられる恐怖に駆られる姿。

 

 数週間

 これは伊咲がそんな状態からマシな状態になるまでかかった時間だ。

 数週間、宏大は伊咲の近くに立ち続け、それでようやく伊咲は落ち着きを持てるようになった。

 その数週間

 それが経った一分にも満たない、ただの電話の着信音一つで破壊された。

 

「伊咲……」

 

 宏大は自身の認識の甘さを実感する。

 最近の伊咲は間違いなく落ち着いていた。

 宏大との性行為の頻度も減り、会話も少ないが増えた。

 知らないところで泣いているという不安要素もあったがそれでも常に不安定だった最初期と比べれば雲泥の差。

 数週間でここまで回復したのだからもう少し時間があれば彼女なら立ち直れると思っていた。

 

 しかし、伊咲のトラウマは、伊咲の精神に未だまとわりついたままだった。

 根深く、底の底からまとわりついている。

 

「ね、ねぇ、宏にぃ」

「なんだ?」

「キス、して」

 

 唇を撫で、顔を近づける伊咲に宏大は何も言わず抵抗もしなかった。

 それを了承と受け取った伊咲が宏大の唇を奪う。

 これで伊咲が落ち着くのであれば唇の一つ安いものだった。

 長い、長いキスはあの時のことを思い浮かばせた。

 それから、少し息苦しく感じ始めたあたりで伊咲が顔を離した。

 

「ごめん、宏にぃ。取り乱した」

 

 そういう伊咲は未だ顔色は悪いがだいぶマシになっていた。

 ひとまずあの数週間の時間がカンゼンに徒労に終わらなかったことに宏大は安堵の息を吐いた。

 

「もう、大丈夫」

「……そうか」

 

 それが強がりなのはその表情を見れば察せられたが、わざわざ触れる意味はない、そう思った宏大は触れないことにした。

 

「……少し、話していい?」

「ああ」

「ねぇ、体貸して」

「ああ」

 

 伊咲が宏大に寄りかかる。

 体が触れ合って、二人の体温が共有される。

 元より高い伊咲の体温が普段より高く感じた。

 

「……」

「……」

 

 無音、くっついたまま二人とも口を開かない。

 そんな時間が、嫌いじゃなかったのにとても気まずかった。

 そんな中、先に切り出したのは伊咲だった。

 

「ありがと」

「んあ?」

 

 予想外の言葉に宏大は間抜けな声を出す。

 突然のお礼、その真意が分からなかった。

 

「こうやって甘えさせてくれて」

「別に、気にしなくていい」

「でも、僕、ずっと甘えてばかりだから」

 

 伊咲はそう言うが、宏大は全くそうは思っていなかった。

 宏大にとって伊咲が近くにいるというだけで十分なのだ。

 それでも、宏大が()()()()()()()()()()()罪を考えればあまりに十分すぎて

 それどころか、自分のほうが貰い過ぎなようで。

 それ以上に何も求める気はなかった。

 

「いいんだよ、伊咲も大変だったからな」

「………そう」

 

 伊咲の目線が少し下にずれて、すぐに戻る。

 

「思い出したの」

「……」

「あの、番号を見た時」

 

 ポツリ、ポツリ、伊咲が話す。口を挟む気には成れず宏大は無言でその話を聞いた。

 

「中学の頃、だったかな。電車で寝過ごしちゃったことがあったの。それで、気づいたら自分の知らない場所まで来ちゃって」

「まあ、電車だったから帰ることはできたんだけど、結構遅くなっちゃってさ」

「その時、電話があったの」

 

 電話、その言葉に宏大は反応するが伊咲の言葉を待つ。

 

「お母さんすっごい焦ってて……うん、すっごく心配してた」

「そのとき僕って結構愛されてるんだって思った」

 

 そこまで語って伊咲は口を閉じた。

 宏大が軽く伊咲のことを見ると、どこか遠く見ていて何かを思い出してるかのだった。

 何を思い出しているのだろうか?

 家族愛、というのは案外無意識なもので、実感できることは少ない。

 それを、実感したときの話をする伊咲は、どう思っているのだろうか。

 宏大とは違い、伊咲は家族との仲は良好だった。

 それゆえに、伊咲はこうなってしまった。

 体を預けていれば預けているほど、預けれなくなった時の衝撃はデカい。

 それが、向こうからの裏切りなら尚更だ。

 きっと、宏大がもし伊咲と同じようなことにあったとして、伊咲のようにはならないだろう

 それは、家族仲がいいとは言えない関係だからだ。

 なんて、皮肉な話だろうか。

 

「……伊咲は、親と会いたいか?」

 

 宏大はつい呟いてしまい、すぐに自分のやらかしに気がついた。

 伊咲の前で(トラウマ)の話は厳禁だ。

 伊咲から話す分には構わないが、宏大自身が話すのは避けるべきだった。

 しかし、そんな心配は杞憂だったようで、伊咲はその質問に動じる事なく少し考える素振りを見せた。

 

「会いたくない」

 

 そして、はっきりと口にした。

 明確な拒絶の意思、優しい伊咲がここまで拒絶するのが意外でも、どこか納得でもあった。

 

「……そう、か」

 

 宏大は口を閉ざす。

 伊咲が親にトラウマを抱いているのは理解していた。が、まさかここまで明確な拒絶を見せるとは思っていなかった。

 

(なら……伊咲は俺と居るほうが良いんじゃ)

 

 ふと、心に湧いてしまった考えを宏大は否定する。

 そんなわけがない。

 

(俺と伊咲の関係は不健全だ)

 

 それに加えて

 

(伊咲は苦しんでいる)

 

 この生活はいつか崩れる、泡沫のものだ。

 お金もいつかつきる、なによりこのままでは伊咲を傷つける何かによって決壊する、そんな予感がしていた。

 ……やはり、いつか伊咲は親の元に戻るべきなのだろうか。

 

「……親は、嫌いか?」

 

 少し迷ったが宏大はこの件について踏み込むことにした。

 いつかのことを考えれば伊咲のことを理解しておく必要があると思ったのだ。

 

「……そうじゃないの」

 

 そんな質問に、伊咲は首を振った。

 これこそ、意外だった。宏大はてっきり親を嫌っているものだと思っていたから。

 どのくらい嫌ってるか、それを測るための質問だったのだ。

 

「むしろ、好き……うん、多分僕はまだお父さんもお母さんも好きなんだと思う」

 

 それどころか、伊咲ですら自分の気持ちがよくわかっていないのか確かめるようにだったが真逆の答えを言った。

 ならば、なぜ親と会いたくないのか。

 それは、ある意味嫌いという感情よりも辛いものだった。

 

「だって、それより()()

 

 伊咲を縛り上げてるのは、嫌いなんて気持ちではなく恐怖であった。

 

「あの目が嫌、見たくない。もう、あの人達は家族じゃないの……怖い人だから」

 

 もう伊咲にとって家族は家族ではない。恐怖の対象でしかなかった。

 親のことは嫌いではない、好きではある……けれど、それよりも怖い。

 矛盾してるようで、その気持ちは共存しうるものだった。

 伊咲のなかで親とはもう、そういう存在だった。

 

「ねぇ、ねぇ、宏にぃ」

 

 伊咲が宏大へ抱きついて、問いかける。

 

「宏にぃは家族でいてくれる?」

 

 だから、だろうか

 伊咲は家族を、愛を求めていた。

 

「……ああ」

 

 頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 あのあと、伊咲は電池が切れたように眠りについた。

 精神的に疲れていたのだろう。宏大としてはせめていい夢を見ていることを祈るばかりだった。

 そんな中宏大は、アパートの外に出ていた。

 もう夜だ。空は暗く曇っていて、月明かりすら見えやしない。

 今日は十六日、満月ではないが見えていれば綺麗な月であっただろう。

 そんなことを思いながら宏大はアパートの通路の手すりに体重をかける。

 なぜ、宏大が外に出たのかといえば

 

 

 伊咲に見つからないためだった。

 

 

 宏大は、自身のポッケから慣れた手つきでスマホを取り出した。

 雑に誕生日を入れている暗証番号を入力し、開くのは電話のアプリ。

 

「…………」

 

 映るのは、あの電話番号。

 少し宏大は逡巡した。

 宏大とて、今の伊咲をあの親と会わせるのが逆効果にしかならないことくらいわかっている。

 だから、当然今すぐ親と会わせるつもりなんて気持ちはなかった。

 むしろ、宏大は本音を言えば会わせたくないとすら思っていた。

 けれど、それは正しいのだろうか。

 宏大は悩んでいた。

 今の関係を続けたい。しかし、それが正しいとは思えない。

 だから、宏大は伊咲の親に電話を折り返してみることにした。

 

 伊咲の親がわざわざ宏大に電話をかけてくる理由なんてほとんどない。あるとしたら、彼ら目線では行方不明ということになってるであろう伊咲のことだ。

 だから、これに出れば伊咲の親が伊咲をどうしたいのか分かるはずだ。

 その答え次第で伊咲を親に返すか決めよう。そう理性で考えていた。

 

 けれど、指が動かない。

 

「……くそっ」

 

 思わず、スマホを持っていない手で手すりを叩いた。

 嫌、なのだ。宏大は心の底で伊咲を手放したくない、そう思ってしまっていた。

 だが、それは自己中で、傲慢だ。それをわかってるからこそ電話をかける決心のつかない自分に苛ついた。

 

「俺はっ……」

 

 それでも、踏み出さなきゃならない。

 それが伊咲のためだ。

 震える親指であの電話番号を押そうとして 

 

「何、してるの?」

 

 後ろから声をかけられた。

 ばっ、と宏大は後ろを振り向く。

 伊咲がそこに立っていた。

 伊咲は無表情だ。何を考えているのか宏大ですら分からない。

 けれど、その視線が向かう先は宏大の右腕。

 スマホを持っている手だった。

 

「なんで、携帯持ってるの?」

 

 首をこてんと、かしげた伊咲に問いかけられる。

 可愛らしい問いかけも、今の宏大には死神に問いかけられたかのような気分だった。

 宏大は何と答えればいいか分からなかった。

 だって、これはある意味では伊咲を裏切るようなものだ。

 答えない宏大に伊咲は再度問いかけた。

 

「誰に、かけようとしたの?」

「……っ」

 

 完全に勘付かれてる

 こうなったら、もう正直に話さなければならないだろうか

 そう思って宏大は何をしようとしたか伊咲に言おうとして、伊咲の顔を見た。

 そして、嘘をつくことにした。

 

「あー、バイトの後輩だよ」

「……なんで?」

 

 先ほどの無表情とは違い、伊咲は泣きそうで、壊れそうで、消えてしまいそうな顔をしていた。

 目の前にいるのは死神なんかじゃない……迷子の女の子だった。

 だから、宏大は嘘をついた。

 バレバレでもいい、察せられててもいい、けれど、口からは駄目だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 じゃないと、伊咲と宏大の関係は瞬く間に壊れ、ばらばらになる。

 宏大が口を割らなければ、疑惑でいられる。

 たとえそれを心の中で勘づいていても、踏みとどまれる。

 首の皮一枚で生き残るように

 糸を一つだけ残せるのだ。

 

「シフトの調整をしようと思ってな」

「……そっか」

 

 あからさまな嘘。少しでも問い詰められたら宏大は言い訳に詰まることだろう。

 けれど、伊咲はそれ以上は問い詰めなかった。

 自分からその糸を切る気になれなかったのだ。

 変わりに、伊咲は先ほどの問いを再度宏大へと問いかけた。

 彼女の表情は見えない。

 

「宏にぃは家族でいてくれる?」

「……ああ」

 

 宏大は頷く。

 頷くことしかできなかった。

 それに伊咲は笑った。

 笑った、笑った。

 

「良かった。だって」

 

 そして、彼女は言ってしまった。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「あ……」

 

 縛られる。

 一本の糸で宏大が、ぐるぐると、まるで蜘蛛の糸のように縛られる。

 救いはない。地獄からは抜け出せない。

 そう言われた気分だった。

 

(そうだ俺は……俺はっ)

 

 罪を叩きつけられた。

 宏大は罪がある。

 贖罪をしなければならない。

 それなのに、裏切るなんて

 

 

「そんな、()()なことするわけないよね?」

 

 

 こちらに歩を進め、宏大の右腕を取った伊咲が言う

 いつの間に知ってたのだろうか、スマホのパスワードを淀みなく入力し、宏大のスマホから一つの番号が消える

 

(俺は、俺はおれは)

 

 分からない。

 分からない。

 何も分からない。

 進む道も分からず、がむしゃらになりたくても雁字搦めにされて一歩すら踏み出せない。

 

「ね、宏にぃは家族だよね?」

 

 縛られて、もう、伊咲の近くに立つことしかできない。

 

「……ああ」

 

(別にそれでもいい)

 

 宏大が望むべきなのは伊咲の幸せだ。

 伊咲の近くに立つだけでいいのならそれも受け入れる。

 むしろ、それは宏大だって心の中では望んでいた。

 

「あ、見て、宏にぃ、月綺麗だよ」

 

 いつの間に出てきていのだろうか、青白く照らす月を指差して伊咲が無邪気にそう言う。

 そんな彼女はいつも通りに見えて

 

(なあ、伊咲)

 

 いつも通りを装ってるような、伊咲を見て宏大は思う。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 月は、少し欠けていた。

 





 人間が一番汚くなる瞬間と言えば、恐怖を感じた時と解放されたときだと思います。
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