黒い光沢のあるソファに男は深く腰をおろし、座っていた。
身長186cmを超えるほどの巨漢。筋骨隆々というわけではないが、その肉体は鍛えられている。シャツを着ていても、その下にある肉体美を隠すことは叶わない。
「はぁ、また契約解消ですか?」
「俺よりも育成ができるトレーナーに渡すだけだ。生憎だが、俺は人間ができている訳じゃない」
男は懐の煙草の蓋を開けようとする。しかし、目の前の緑色の帽子と服を着た女性に睨まれる。
「電子タバコだ、ニコチンも無い。出るのも水蒸気だ」
「禁煙ですよ?」
「禁煙してるだろ?」
それが電子タバコであろうと見てくれは悪い、更に男の服装が相手に警戒心を抱かせる。
「はぁ、良いですよ。貴男が一定期間担当した彼女達は皆感謝しているようですし」
「そうだなぁ、あぁ、シュレッダーにかけておいてくれないか?」
「もらった感謝状をですか?」
「どうせ、学園で顔を合わせるんだ。必要ない」
「自分でやりなさい、嫌な事を妹に押し付けるな」
更に強く睨まれ、男は「そうかい」と軽い返事をしたあと手紙達を一気にシュレッダーにかけた。
「後で捨てねぇと」
男の名前は駿川隼人。38歳、ベテランとはいかなくとも中堅で名の通ったウマ娘トレーナーだ。彼に見出されたウマ娘は大成する。だが、必ずメイクデビュー前に彼との契約は解消される。
そして、笑顔が素敵なトレセン学園理事長秘書駿川たづなの兄である。
「なぁ、たづな。俺、トレーナー向いてねぇのかな」
「何を根拠に」
「昔の俺は馬鹿だよなぁ、お前さんが勝つのが当たり前で、ソレを不思議と思わなかった。脚が砕けてからだ。医療免許はないが、そこら辺の知識も学んだ、お前さんへの償いにな。そして負けないウマ娘を創り出す。そう思ってたが……だめだなぁ、お前さんの走りみたいに面白い奴が居た試しがない」
「……まだ、トキノミノルに囚われてるの?」
「初担当がお前だぞ?だが、そうだな」
「貴男の炎を再燃させられるウマ娘が現れることを願います」
「マルゼンは良かった、クラシック……まともに走らせてやりたかった。それだけが心残りだ」
「……っそう思ってるだけマシ?なのかな」
たづなが部屋から居なくなると隼人は電子タバコを癖で、灰皿に置き、綺麗に整えられ、鏡にも等しい優勝トロフィー達を見る。その部分の上にはトキノミノルと記載され、隣にはマルゼンスキーの名がある。だが、
「本来なら、お前もここに並べていた筈だ」
マルゼンスキーと記載された下にはトロフィーが並んいるが、隼人は何処か寂しそうだ。
三冠馬も狙えた筈なのだ。皐月賞、因縁の東京優駿、そしてトキノミノルが辿り着けなかった菊花賞。
長距離は若干だが苦手に見えたが、自身の能力なら可能だった。
だが、マルゼンスキーは故障により引退した。
「…やめるべきか、続けるべきか」
「ん~~チョベリバな顔してるわね、駿ちゃん」
「マルゼンか、そうだなぁ……お前にも話しておくか。近々、トレーナーを辞めるかもしれん」
「ちょっと、それ悪い冗談」
「いい加減、疲れたんでな。それよりも、何だ。話か?」
「んん!駿ちゃんに会いたいって子が来てるのよ。私が元担当だからって」
「マルゼン、会うだけ会う。んで、俺が見いだせないなら、何時も通りだ」
マルゼンスキーは電子タバコを咥え直そうとするのを奪い取る。
「電子タバコも駄目なのか?」
「駄目よ、咥えるならコレになさい」
「むぐっ⁉️飴かこれ」
そう言ってマルゼンスキーはスティックキャンディを隼人の口に突っ込む。
「そうよ、それよりもほら来なさいな!タキオンちゃん」
「ほう、君がかのスーパーカー、マルゼンスキー君のトレーナーか」
白衣を着用し、狂気的な目をしたウマ娘。
「それだけでなく、幻のウマ娘トキノミノルのトレーナー」
「何だ、小娘。おっさんの…」
隼人はタキオンちゃんと呼ばれたウマ娘の足を見た。
トキノミノルやマルゼンスキーと言った足に異常があったウマ娘を担当した為か、何処か不安を感じる。
勘という不確かなものであるか、経験からくるソレを否定できない。
「タキオンだったな、お前の脚は」
「私は可能性の先を見てみたいのだよ。そのための犠牲は厭わない」
「マルゼン、恨むぞ」
「でも、シュンちゃんならできるでしょう?」
隼人は引出しから1枚の書類を出し、タキオンとマルゼンをソファに座らせる。一瞬で高級品とわかる座り心地にタキオンは驚くが、すぐさま隼人に目を向ける。シャツの上に漆黒のスーツとサングラスをつけた姿は何処かのマフィアとすら思える。
しかし、硝子の机に出された書類には[専属トレーナー契約書]と記載され、トレーナーの欄には駿川隼人の文字がある。
「書けば……俺はお前のトレーナーだ。お前の脚も、少しはマシにできるだろう」
「よろしく頼むよ、駿川トレーナー。私の名はアグネスタキオンだ」
こうして、隼人はもう何人目かも判らない担当契約を結んだ。
翌日、アグネスタキオンの研究室があるという学園の一室に隼人は向かっていた。
黒いサングラスをし、漆黒のスーツに純白のシャツ。
春・夏・秋・冬、何時もこの服装なため新入生には驚かれ、
「…駿川トレーナーだ」
「おはようございます!駿川トレーナー!!」
1人のウマ娘が隼人に頭を下げる、何処か感謝しているように微笑んでいる。
「邪魔だ、お前のトレーナーは俺じゃない」
「でも、トレーナーに出会えたのは駿川トレーナーのおかげです!だから、ありがとうございます!!」
「……そうか」
隼人はそれだけを告げるとそのウマ娘の頭を軽く撫でようとし、腕を引く。
(今更、無意味なことをするつもりはないんだがな)
「無意味な事はするもんじゃない」
そのウマ娘の肩に優しく手を乗せ、そのまま立ち去る。
感謝状も、感謝の言葉も必要ない。
今のウマ娘も、隼人が捨てたウマ娘なのだから。
「ここが……なんだ?お前は」
隼人の後ろに何時のまにか黒いウマ娘が立っていた。
気配を感じさせることもなく、まるで亡霊の様に。
「悪いな、今はこの中に要件がある。話はその後に聞こう」
隼人が扉を開けると、ポツポツという水音。
そして、香り立つ珈琲の匂いがあった。豆を挽き、一滴一滴入れているのだろう。余程のコーヒー好きが居るようだ。
「どうしましたか?」
「……お前は」
隼人は驚きつつ、コーヒーカップを持ったウマ娘を見た。
「双子だったのか」
コーヒーカップを持ったウマ娘の後ろで何処か笑顔の様に見える顔で手を振るウマ娘が居る。
「双子?いえ、私は一人ですが」
「なら後ろにいる奴は何だ?」
そのウマ娘は驚いた様にコーヒーカップを持ったウマ娘の後ろに隠れ、消えていく。
「それは亡者の類いか?」
「お友達です、悪戯好きだったんですね。そういえば、何故此方にあと、どうぞ。」
「あっあぁ、美味いな。君が入れたのか」
隼人は何処か認めたものがあるとお前から君等に二人称を変える癖がある。ほとんど無意識であるが、それ程までに彼女のコーヒーは美味しかった。
「…アグネスタキオンのトレーナーでな、トレーニング内容の確認というか、簡単な面談をしに来たんだが……まさかゴーストと、こんな美味いコーヒーに出会えるとはな」
隼人は微笑みながら漆黒のブラックコーヒーを見つめる。
苦みだけでなく仄かな甘味、こだわりの品なのだろう。
「タキオンさんならもうすぐ帰ってきます。お友達が教えてくれました」
何処か黒いモヤが一瞬、そのウマ娘に纏わったと思ったが瞬時に消えた。
「そうか、所で……君は?」
「私の名前はマンハッタンカフェです。後の彼女はお友達です」
「そうか、トレーナーの駿川隼人だ。何かあれば俺に言うと良い、協力しよう」
「あの、何故です?」
「美味いコーヒーの礼だ、デビュー前なら適当なトレーナーも見繕おう」
「はっはい」
「う~~む、トレーナー室にいないとなると………あ、なんでここに居るんだい?!」
白衣をきたアグネスタキオンが驚いた目を隼人に向ける。
どうやら、入れ違いで探していたようだ。
「コーヒー、ご馳走様。アグネスタキオン、ジャージは持っているか?」
「そりゃぁあるさ、ここは私とカフェの部屋で」
「なら、着替えてグラウンドに来い。お前の脚を見せてもらう」
「ほぉ、トレーナー君。君ならわかるというのかい?」
「判るだろうよ、俺の担当は皆故障で沈んだんだからな」
隼人がグラウンドに立っていると、アグネスタキオンが何処か不満げな顔を向けて歩いてくる。
「なんだい、私は研究で忙しいのだがねぇ」
「一周、お前の思うように適当に走ってみせろ。俺はそれでトレーニングを考える」
「わかったよ、見ていたまえ。高速を超えた幻想を」
タキオンが隼人の前から走り出し、コースを加速していく。
メイクデビューも済んでいないウマ娘である彼女が、隼人の経験上クラシックレベルの走りをしている。
このまま行けば、ジュニアは愚かクラシックにも敵は居ないだろう。居るとすれば、現トゥインクルシリーズ最強だけだろう。
「ふぅ、それで?トレーナー君は私をどうするつもりだい?」
「俺がやる事は秘密だ」
隼人はタキオンを座らせるとその脚に向けて手をかざした。
「コォォォォ」
隼人は特殊な呼吸を行う。すると、アグネスタキオンは即座に驚愕した顔をする。
「光っている……それどころか、私の脚の疲労がない?!」
「……取り敢えずだ、これで終わりだな」
「待ち給え!君の…君のソレは」
隼人は静かに笑いながら、その答えを話した。
「仙道という。才能と修行で辿り着ける境地だ」
駿川隼人、ウマ娘のトレーナーにして転生者。
この世界唯一の波紋の使い手である。