片方靴の依頼人(ホームズシリーズ・プロローグ)赤い靴⑧10,000字   作:源公子

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第9話 天使の輪っか

「まあ、自業自得は正しいと思うが、君を振った女性が、汚れたところなんか一つもなかったとは言い切れんぞ。

 昔話になるが、私の母親は、おっとりとした優しい貞淑な女性だった。幼い私は、母がみたままの人だと信じていた。

 ところが母は、私のバイオリンの家庭教師と不倫をしていたんだ。

 で、私と兄のマイクロフトは学んだ訳だ『女は信用ならん』。

 以来私とマイクロフトは独身主義を貫いてる」

 

「そして“女嫌いのホームズさん”が誕生したんだ。浮気されてお父さん、怒ったろうね」

 

「怒ったとも。父は銃で母を撃ち殺し、自分も頭を撃って死んだ。私の目の前で」

 

「それはまた……ゴメン、茶化したりして」

 

「いいさ、本当のことだ。以来私は基本女を信用しない。

 信用するなら私のジョン・ワトソン君みたいな男友達をお勧めするよ。

 善良でありながら、悪の誘惑は断固としてはねつける。

 申し分のない聞き手であり、洞察力のある人間なら、インチキだとすぐ見破るちょっとした悪戯にも、楽しく反応してくれるいい奴だ」

 

「ジョン・ワトソンの五代目みたいに?」

 

「そうだな、彼はいい。誠実が服着て歩いてる感じだ。

 ワトソン君の子孫なら信用できる。彼の家の家訓は『忠誠こそ栄誉なり』だからな」

 

「でも、女に簡単に騙されそうだよ」

 

「たしかに、私のワトソン君も三回結婚した。だが騙されることはあっても、騙すことはない。だから本当の友達を作りたいなら、ああいうのを選ぶべきだ」

 

「あいつホームズさんを手に入れなくて正解だった、良い人すぎて使えない。

 そうそう、マッチ返しとくよ」

 

 そう言って、ひょいと私に投げてよこしたマッチの箱の柄は、確かに家を出る時、私がポケットに入れていたものだった。

 

「いつのまに。そうか、あのぶつかった時か!」

 

「言ったろう、手癖が悪いって。あいつが、あんなに気にしてたホームズさんがどんな人か知りたくて、話すきっかけが欲しかったんだ。ゴメンね」

 

 全然気づかなかった、油断も隙もない。やはりモリアーティなのだ。

 

「私もヤキが回ったな」

 ため息をつくと、ポカリと煙草で輪っかを作った。

 

「あ、それ教えて! 俺できないんだ」

 

「本当に習いたいのか? 負け犬男が作ってたのに」

 

「うん教えて、お願い。本当は、ずっとできるようになりたかったんだ」

 袖まで引っ張り出した、まるで子供だ。こんな風に女に媚を売って生きてきたのかもな。

 

「いいか、息は止めて口いっぱいに煙を溜める。軽く口を開けると煙が漏れ出すくらいだ。多いほど作りやすくなる。Oの発音の形に唇をとがらせて、おおきくひらき――」

 

「変な顔」

 モリアーティが吹き出した。

 

「うるさい! 続けるぞ。大きく口を開き、一瞬だけ喉を開き、溜まった煙の中心に息を通す。その時咳き込む感じで、素早く少量の煙を口から押し出す。そのあいだ唇は動かしちゃダメだ。やってみろ」

 

「うん、まず煙を溜めて――ゲホ、ゴホ、うえっ」

 

「ああ、息を吸うととそうなる。やってる時は基本息は止めて、吐くだけ」

 

「うん、頑張る。ゲホッ」

 モリアーティはそう言うと、やり続けた。そんな一生懸命な彼をみながら私は考えていた。

 

 私が女性を避けてきたのは、父の様に女を信じて裏切られるのが怖かったからなのだ。

 ワトソン君はそれを乗り越えて三回結婚して今は幸せだ。

 傷つくのを恐れていては、本当の幸せは手に入らないのかもしれない。

 それでも私は今の人生を選んだことに悔いはない。

 

 だがモリアーティはどうだろう? これから先の自分の人生に悔いはないのだろうか。

 

「やった、できた!」

 

 夜空に向かって、モリアーティの作った特大の煙草の輪がゆっくり登っていった。その輪を壊さないように、彼はそっと下に潜ると立ち上がった。頭の上に煙草の輪が雲のようにかかった。

 

「ほら、天使の輪っかだよ」

 

「確かに」

 

 思わず一緒に上を向いて笑ってしまった。

 こんなふうに、煙草を吸いながら笑い合える相手は、彼にはいなかったのだ。

 可哀想に……私はきっとそんな顔をしてしまったと思う。

 

「そんな哀れむような目で見るなよ。殺したくなるじゃないか」

 

 煙草を持っていた手に、いつのまにか銃が握られていた。ウェブリーMk l・中折れ式リボルバー。銃口がピタリと私に向けられていた。

 

「君はあの滝に落ちる時、銃を持っていたのか! なぜ使わなかったんだ?」

 

「あんたが持ってなかったからだよ。

 言ったろ? アイツ、本気の相手にはズルが出来ないんだよ。

 変なとこ純粋なんだ。馬鹿だよね、銃一丁でカタがつくのに」

 

 しまった、私としたことが。何という取り返しの効かないミスをしたんだ!

 時が止まり、満月の光が凍りついた。

 

 しかし、何故かモリアーティは、銃を下ろすと、私の膝の上に置いたのだ。

 

「煙草の礼だよ、明日使うといい。もう1人のモリアーティも、これと同じものを持ってるはずだから」

 そう言うと、背を向けて帰ろうとした。

 

「銃を持っている人間に背中を向けていいのか?」

 

「ホームズさんは背中を撃ったりしないでしょ」

 そう言うと、スタスタと行ってしまった。

 

 どっと冷や汗が吹き出した。全く、今日は何回びしょ濡れになる日なんだ。

 冷えると、腰に悪いのに……満月のなか、私のくしゃみが響き渡った。

 

 

 

 しばらくして部屋に戻ると、干し草の上でマザーと五代目が毛布に包まって眠っている。

 

 五代目から少し離れて、モリアーティが壁の方を向いて寝ていた。

 

 五代目の頭にくっついて兎娘も眠っている。

 ドワーフ達も、暖炉の前で三人一緒に丸まっていた。

 部屋は暖かく、平和で静かだった。

 

 ふと、暖炉の灯りに照らされた五代目の耳が目についた。

 耳翼の詰まったところ、上辺の緩い曲がり、内軟骨の旋回の仕方――その形はワトソン君にそっくりだった。

 

「女に優しいところといい、『血は水より濃い』か」

 

 五代目と、モリアーティの隙間に横になりながら、そんな言葉が口から漏れた。

 ドワーフの棲家の入り口穴に満月が掛かる。明日はいよいよお城に突入だ。

 

 

 ◇

 

 

「おい、これ絶対着なきゃならないのか? まともに動けないんだが」

 私はボヤいた。

 

「仕方ないでしょ、相手は銃を持ってるんですよ。

 モリアーティ教授の狙いは、ホームズさんの命。防弾チョッキ代わりです。

 若いモリアーティ君が教えてくれて本当によかった」

 

 鎧の着付けを手伝っていた五代目が言った。確かにガードにはなるが重い、腰にくる。

 

「ホームズさん、カッコイイわよ。本物の騎士《ナイト》だわ」

 

 とマザー。人ごとだと思って……こっちは歩くのが精一杯なのに。

 

「おい、この手じゃ、銃のトリガーに指が入らないぞ、右手だけでも外さないか?」

 

「ダメです、最初にその手を狙われて撃たれますよ」

 

「そうだな。君は銃を撃てるのか?」

 

「射撃場で打ったことはありますが、下手なんですよね……当てる自信ありません」

 

「持ってるだけで威嚇にはなる。万が一私に当たっても鎧があるから大丈夫だ。しかし、『時進みの水薬』をかけられたら、鎧でも防げないな」

 

「その時には、こっちも『時戻しの水薬』を使います。ちゃんと、青い瓶に満タンにして持ってきました。

 鎧は16世紀のものですから大丈夫です。頑張って囮になって下さいね。

 その間に僕とマザーは、サンドリヨンとビオラちゃんのお婆さんの方を確保しますから。

 盾は僕とマザーが使わせてもらいます。

 僕たちが戦ってる間にモリアーティ君は裏口から入って、お爺さんのモリアーティ教授に触って下さい。それで多分元に戻れます」

 

「俺としては、元に戻りたくないけど」

 とモリアーティ。そりゃあそうだろう。

 

 

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