片方靴の依頼人(ホームズシリーズ・プロローグ)赤い靴⑧10,000字   作:源公子

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第11話 終局

 やられた! 読みきれなかった。私の負けだ……。

 

 だが、水音がしない? 

 押さえつけたモリアーティの目が、驚愕に見開かれ上を見ている。

 

 私も不自由な鎧の首を回して、上を向く。

 そこにあったのは、ふわふわと浮かぶ巨大な水のシャボン玉。

 振り向くと、マザーがドヤ顔で立ち、五代目の手に青い瓶。

「時戻しの水薬」を使ったのだ。

 

 マザーの奴ちょっと若返ってる、ずるいぞ!

 

「時進みの水薬」の水玉は、杖の一振りで、ピフ、パプ、ポリトリーの運ぶ水甕に収められ、サンドリヨンが蓋をした。

 

「ミッション終了」

 五代目がサムズ・アップして、兎娘が周りで飛び跳ねている。

 

「やったな!」

 

 立ち上がろうとした瞬間、グキッ! 腰に激痛が走る。

 こ、こんな時に。動けない……。

 

 私の異変に気づいたモリアーティは、チャンスとばかり、そばに落ちていた錆びた火バサミを拾い、ガンガン殴ってくる。

 さっき年寄りの方の兎娘を摘んだやつだ。諦めが悪いにも程がある。

 鎧のお陰で大丈夫だが、音が頭に響いてうるさいのなんの。

 嫌がらせには十分な効果だ。誰か助けてくれー!

 

「いい加減に負けを認めなよ。見苦しいな、ジジイの俺は」

 

 そこに、銃を構えた若いモリアーティがいた。

 無くなった銃はあいつが持っていたのだ。

 

「裏口の鍵がなかなか開かなくてさ、遅くなっちまった」

 

 老いたモリアーティは狂喜した。

 

「おお〜わしだ、若いわしだ。本当にいたんだ。おい、その銃でホームズを撃て、鎧の目のところなら撃てる、早くやれー」

 

「待って! 若いモリアーティさん願い事はない? わたしなら叶えてあげられる、だからホームズさんを撃たないで」

 

 マザーだった。いつのまにか、みんなが私のまわりに集まってきていた。

 

「モリアーティ君お願いだからやめて。僕、君のこと嫌いになりたくない」

 五代目が泣きそうな顔で言った。

 

「ドコデモ スキナトコ ツレテッテアゲル ダカラ ヤメテ」

 兎娘までがそう言った。

 

「あ、あたしお料理なら作れます。できる事なんでもやります。ムッシュ・ホームズはあたしの恩人なんです、どうか助けて下さい」

 サンドリヨンが泣きながら言った。

 

「ホームズさんは良いね、みんなに好かれてさ。

 君がサンドリヨン? へぇー俺の初恋の彼女にそっくりだ。

 それで人質に選んだのか。籠城の間さぞ楽しかったろうな、ジジイの俺。

 でも残念、彼女の手料理お粥ぐらいしか食えなかったんじゃないの?」

 若いモリアーティがあざけるように言った。

 

「うるさーい! さっさと撃たんか」

 

 うわ、あのモリアーティ教授が、真っ赤になってじたばたしてる。

 あの話、本当だったのか。

 しかし、若いモリアーティは銃を降ろした。

 ゆっくりと、老いたモリアーティ教授に近づく。

 

「兎ちゃんは、元に戻れたみたいだね。君の仮説は正しかったわけだ。さわれば良いんだよね」

 

「うん。でも……」

 

 五代目が躊躇した。若いモリアーティが笑った。

 

「マザーにお願い、俺を生まれ変わらせてくれる? やり直したい。そして俺のジョン・ワトソンを探して親友になるんだ」

 

 その時、老いたモリアーティが吼えた。

 

「何を言っとる。お前は自分を振って、他の男を選んだあの女に、何をした? 

 相手の男をとことん追い詰め破滅させ、自殺に追い込んだ。

 だから女はお前の前から去って行った。

 相手の男が消えても、お前は選んでもらえなかった。

 あの女はお前がどんな奴か分かってたんだ。

 欲しいものを手に入れるためならなんでもする。

『危険こそが我が喜び』、それがモリアーティだ。

 お前なんか、誰も親友に選んだりするものか、この負け犬が」

 

 

「うるさい、黙れ!」

 若いモリアーティはピストルを上に向けて発射した。

 

「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れー」

 一発、二発、三発……六発全て撃ち切ると銃を投げ捨てた。

 

 息遣いも荒い憎しみで歪んだその顔は、私のよく知るあのモリアーティの顔だった。私達はただ見ているしかなかった。

 

「ジジイのモリアーティ。俺はお前が大っ嫌いだ。死んじまえ!」

 

 そう言うと、まだ火薬の匂いのする右手が、老いたモリアーティの顔を握りつぶした。

 バシュ! 凄まじい水飛沫が上がり、私は後ろに弾き飛ばされた。

 渦の中でふたつの体が一つに溶けあい、水の底に沈んでいく。あのライヘンバッハの滝に時が戻ったのだ。

 

 沈みゆくモリアーティが私を見た、その顔は泣いてるように見えた。やがて水と共にその姿は跡形もなく消えてしまった。

 

 

 

 

「終わったな」

 

 マザーにぎっくり腰を治してもらいながら、私は言った。

 

「ああ、一服したい。でも、もう疲れて動けない。外に行けないからダメか……」

 

「それなら私達が、外に行くわ。あんなに頑張ったんだからご褒美よ」

 

「そうですよ。ヒーローは煙草を吸う権利くらいあります」

 

「恩に着るよ」

 

 私が鎧の兜を取ると、荷物を預かってくれていたピフ、パフ、ポリトリーが、銀のシガレットケースとマッチを持ってきた。

 マザーが杖を一振り、ドアと窓を全て開け放した。

 

「換気は良くしましたよ。ゆっくり休んでてくださいな。

 じゃあピフ、パフ、ポリトリー、こっちの水甕は棲家に運んで、『時戻しの水薬』の方を用意して先に南の森に届けてね。

 さあサンドリヨン、南の森に隠れてる、お年寄りにされたみんなを元に戻すの。忙しいわよ。五代目もビオラちゃんも、手伝ってちようだい」

 

「ビオラ モリニイクアナ ホル?」

 

「大丈夫、南の森は近いから、少し歩きましょうね」

 

 みんなが階段を降りていく音を聞きながら、シガレットケースを開けた。

 

 マッチを擦る音に、不意に昨夜の若いモリアーティの顔が浮かんだ。

 煙を口に含んで、輪っかを作る。一つ、二つ。天使の輪っかと彼は言った。

 

 ――生まれ変わって、俺のジョン・ワトソンを探して親友になるんだ――

 

 涙の滴が二つ、鎧に当たってちいさな音を立てた。今日はやけに煙草の煙が目に染みる。……ところでこの鎧、一人でどうやって脱げばいいんだ?

 

 

「マザー、モリアーティ君はいつ頃生まれかわるんですか、ぼくもう一度会えますか」

 

 五代目の言葉に、マザーは唇を噛む。

 

「分からない、生まれ変わりは神様の決めることだから。彼もダメだと多分気づいてた。だからわたしも返事ができなかったの」

 

「ビオラ アナホッテモ ダメ?」

 

「無理だと思うわ」

 

「そんな……」

 

 サンドリヨンが泣き出した。五代目は上を向いて必死に泣くのを堪えている。

 

「祈りましょう。みんなで祈れば、きっと神様は願いを叶えてくれるわ」

 

 空を仰いで、マザーは言った。

 

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