これはルメルが美幼女だったころの話だ。
水溜まりみたいな近所の池で百均ルアーで遊んでいると、一匹のコイキングを釣り上げた。
──ふうむ、なかなかの型。これは食い出がありそうだ。
ルメルは満足げに一つうなずくと、その場で〆ようとした。しかし、生命の危機を察したらしきコイキングが必死に体をよじり、暴れはじめた。ピチピチ。水滴がほとばしる。
──おっ、イキがいいな。
そんなことを思ってにこりと笑ったルメルがコイキングにはどう見えていたのか定かではないが、この時、彼女の灰色の脳細胞はきまぐれに意見を翻した。
──ん、素質も悪くなさそうだし、進化したらもっと食い出があるだろうし、生きた非常食にしよっかな。
こうしてコイキングは紙一重で命を繋いだ。
その後、ルメルは非常食の育成に当たり一つの役割を課した。
──君の役割はみんなのために死ぬことだ。
──ぼくが、「死ね」と言ったらためらいなく死ね。
──一瞬でも躊躇したら〈生きたまま三枚下ろしの刑〉だからね。
「コッ!? コイ……」
まな板の上で包丁を添えられた哀れなコイキングに選択肢などあろうはずがなかった。
そして現在、いくつもの
ちりちりと焼けつくような緊張感がフィールドに充満していた。序盤のジムが醸し出していい雰囲気ではない。
◆
『タイプ相性でいえばメスガキ有利だが』
『しかし相手はあのレッドだ。常識など通用しないだろう』
『否、それはかのクソガキも同様。彼女の異常さは我らのよく知るところだ』
『左様、この戦い、読めぬぞ!』
『ねぇ、何で急にシリアスごっこ始めたの?』
同接も四万人に届こうかというところだった。平日の昼間っからどんだけ暇やねん、とはサヨコの言葉。
◆
「それでは、始めっ!」サヨコが戦闘開始の合図をした。
次の瞬間、リザードンがギャラドスに向かって猛然と飛翔した。
一度羽ばたいただけ。
にもかかわらず彼我の距離は三分の二ほども詰められ、即座にもう一度、暴虐的とさえ形容できる荒々しさで羽ばたいた──と同時にリザードンは攻撃の予備動作を完了していた。その右拳にぎらぎらと輝く炎を纏っていたのだ。
──ほのおのパンチ! 物理型かっ!!
非常食の物理耐久はいかくに頼るところが大きい。つまり、現在のそれは一流には及ばず、中堅クラスしかない。まともに受ければその時点で勝敗は決する。ならば、
「かっ──」
かわせ! と命じようと思ったが、やめた。あの速さを見るに、おそらくは不可能だ。
となると、やることは一つだ。
「アクアテールで打ち返せ!!」
ルメルは叫んだ。
清らかにして苛烈なる水のオーラがギャラドスの尾に集まり、
「ガァァァアッ!!」
「グァァァアッ!!」
ルメルの目の前で二体の勇が激突──リザードンの火拳とギャラドスの水尾が真正面からぶつかり合い、耳をつんざく爆音が轟く。しかし、拮抗は刹那、
「ガッアァッッ!!」
振り抜いたるは焔、春風に舞い散る桜にも似たひのこがきらめいた。ギャラドスはその巨体をぶっ飛ばされ、
「っ!」
ルメルの真横、ほんの一歩の所を通過し──ぼうふうに、たまらず手をかざして片目をつぶる──したたかに壁に叩きつけられた。
「……」
レッドの指示だろうか、リザードンは追撃には出ずにバックステップで大きく距離を取り、りゅうのまいを実行する。
──まずいっ、積まれると仕事をさせてもらえなくなるっ!
「ギャラドス!! アクアテールで突っ込めっ!!」
ルメルの横を蒼き軌跡が駆けた。遅れて烈風を感じた時にはフィールド中央で再びの衝突、アクアテールとほのおのパンチが衝撃波を撒き散らす。プールの水面は抉られ、しぶきがルメルとレッドをしとどに濡らした。
地力では勝てない。もう十分に理解している。したがって、
「ギャラドス!! 受け流して上へ飛べ!!」
ルメルの次なる指示は空中戦だった。
「……」レッドがかすかに、本当に少しだけ思案げに眉根を寄せた。
ギャラドスとリザードンの飛行能力を比較した場合、軍配は後者に上がる。そんなことは駆け出しのひよっこでも知っている。先ほどギャラドスに回避を指示しなかったことからもルメルのギャラドスが機動力に関して特別製ということもあるまい。ではなぜ、ルメルは空を戦場に選んだのか?──こんなところだろう。
ルメルにはレッドの思考が手に取るようにわかった。自分が彼の立場でもそう考えるからだ。そして、それはレッドも同じ。すなわち、
「……」レッドのするどいめがルメルを射貫いた。
──何を企んでいる?
声はなくとも彼の心はしっかりと届いていた。
「ふんっ」
ルメルは鼻先で嗤った。不敵を張り付け、傲慢を塗りたくったそれは、
──誰が教えるかばぁーーかっ!!
と明確に伝えていた。というか、
「ばーかっ!! ばーかっ!!」と実際に口にしていた。
「……」レッドの口元がわずかに歪んだ。あるいは、ほほえんだのかもしれない。
「ゴァァァアッ!!」
リザードンが雄叫びと共に空の舞台へと舞い上がった。時を交わさずして演者は交錯し、苛烈に踊る。
「ガァァァアッ!!」
竜と龍の共演は加速していく。
ギャラドスには生きているうちにやってもらわなければならないことが二つある。止まっている暇などない。心臓が動いているのなら──戦え!
「かえんほうしゃ!!」
これはレッドの言葉ではない。ヤジでもコメントでもない。ルメルが対チャンピオン級を想定して用意しておいたとっておき、勝利へと続く唯一無二の最善手。
ギャラドスが一瞬だけ溜めを作るように息を吸い込み、
「いっけぇぇっ!!」
ルメルの声と共に頂きの君を煉獄へと誘う灼熱の炎が吐き出された──リザードンのいない、誰もいない天井に向かって。
「……」今度こそレッドは怪訝を露にした。しかし、すぐに理解の、そして愉悦の色をたたえた。
──シャァァァァ……。
視界を、フィールドすべてを夥しい大粒の雫が占有する。梁のように天井の少し下を走る配管から〈あめ〉が降り注いでいた。そう、ルメルの狙いはスプリンクラーだったのだ。
このスプリンクラーは特別製だ。検証を重ねて〈あめ〉と同等の効果が出るように調整してある。それはつまり、本来のそれと違って時間制限のない、水パ使いにとって最も都合のいい〈あめ〉天候の完成ということにほかならない。
「ギャラドス、『次で決めるよ』アクアテール!!」
ギャラドスの目に覚悟の光が宿った。
〈次で決めるよ〉は意訳すると──〈死ね〉だ。
「ガァァァッッ!!」
ギャラドスはひときわ大きく鳴いた。一直線にリザードンへととっしんする。
「グァァァアッ!!」
さしものリザードンもあめ天候ではほのお技は不利と判断したのか──拳に纏いしは迸る紫電──かみなりパンチで迎撃の構え。
──バチチチチチチッ……!!
と死の予感が鳴り響く。
突撃の勢いそのままにギャラドスはくるりと回転し、水のオーラに満ち満ちたたくましい尾を鞭のようにしならせた。美しき水尾がリザードンに迫る。
「ゴァッアアッ!!」
舐めるな! とばかりにリザードンが吠えた。そして、突き出された雷拳がギャラドスの尾を捉えた──その瞬間、ギャラドスが水のオーラを霧散させた。
「ゴアッ!?」
リザードンに刹那の動揺、しかし何年も掛けて磨いてきたのであろう一撃は曇らない。鋭さの一切を失わずにギャラドスに深々と突き刺さった。
──バチッ。
ささやかなる音。それはたったの一度、リザードンの紫電の中にあって、しかし確かに鳴っていた。
「グッ!?」
一瞬、リザードンの挙動が止まった。かの炎竜の全身にか細い電気がまつわりついていた。
ギャラドスが渾身のでんじはを発動させたのだ。
──よしっ!
ルメルはガッツポーズをした。
ルメルのもう一つの策とは、ポケモンの技とは違う、正真正銘、本物の不意打ちであった。アクアテールを連発して印象づけてから、不意打ちかつ捨て身ででんじはを決める──格上相手に勝利するには、隙を作るにはこうするしかないと確信していた。
──たぶんコメント荒れてるだろうなぁ。
そうは思うが、衆人環視の中で派手にわからされるよりはマシである。
何はともあれ、これで準備は調った。ルメルのエースが頂きを打ち破る準備が!
覚悟してね、とレッドをにらみつけた。
その直後、
──どっぱぁぁぁんっ!
四倍弱点の直撃により瞬時に意識を刈り取られたギャラドスが、頭からプールに墜ちて激しくしぶき、小規模な津波が起こる。浮かんできた彼の体力はゼロ、サヨコが旗を上げた。
「ギャラドス、戦闘不能!」
だが──。
ルメルは天を見上げた。
赤き竜の羽ばたきに当初の精彩はない。
──勝つのはこのぼくだ!
ルメルは胸の谷間からモンスターボールを取り出し──レッドのするどいめ!──ソフトボールのウィンドミルのようにぐるりと腕を一回転させてモンスターボールをリリースした。
──さぁ、おいで、ぼくの最高傑作。