その最強はわからされない   作:虫野律

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かくしてその最強は崩れ堕ちた

 スプリンクラーから降り注ぐ雫が、宙で止まっていた。まるで世界が時を止めているかのよう。

 ──そんな馬鹿な!?

 ルメルは、その非現実的な状況をすぐには受け入れられなかった。

 しかしルメルとて一端のカントー人、思考は瞬時に冷静さを取り戻し、生存のための、勝利のための最適解を実行する──すなわち、全身全霊、最大出力の円!

 感知領域はぐんぐんと拡大していき、ハナダジムを、ぼったくり疑惑で行政指導の入った自転車屋を呑み込み、やがておよそ半径三百メートルの範囲が彼女の知るところとなった。

 ──みんな停止している……?

 レッドもサヨコもピカチュウも海色も町の人たちも空を飛ぶポッポも──。

 新手のポケモンの仕業か? 伝説級や幻級ならあるいはありうるか。

 そう思考するも、そんな気配はない。

 ──ん?

 ルメルはここで誤りに気づいた。止まっているわけではないのか。

 雫が、信じられないくらいゆっくりとした速さで落ちていっているのだ。となると、と結論を導く。

 ──世界が速さを失った?

 それとも、と、もう一つのパターンにも思い至る。

 ──ぼくの思考スピードが跳ね上がった?

 すなわち、思考の超高速化による相対的かつ擬似的な時間停止。

 たしかに世界の時が止まるなどという怪奇現象よりはよほど現実的だ。人間の脳は平時は自らにリミッターを掛けているという。絶対的窮地、極限状態に陥ったことでそれが解除されてしまったと考えると、一応の説明にはなる。

 だが、ルメルは内心で舌打ちをした。

 ──これでどうしろっていうのさ?

 思考速度がかそくしたからといって、現状を、じゅうでんかみなりを打ち破る起死回生の妙手をひらめけるとは思えない。詰んでいるのだ、すでに。

 本当の天才の前では凡人はなす術なく蹂躙される、そんなつまらなくて残酷な現実は、いつもルメルの眼前に立ちはだかる。

 クソだな、と思う。

 才なき自分も、詰んでから覚醒する自分も、まだ諦めきれずに必死に勝ちの目を探している自分も、それでも負ける未来しか見えない自分もみんなクソだ。

 ──これってどうやったら解除できるんだろ?

 とうとうルメルは負けるための思考を始めた。

 もう疲れたのだ。早いとこ試合を終わらせて、おうちに帰ってポロックを肴にコーラを呷りたい。

 ルメルの心は再び舌打ちをした。

 絶望の雷撃が来ると気づいていながらなお、闘志を失わずに天をにらみつける海色がそこにいるから。

 急拵えのハイドロポンプじゃどう足掻こうと相殺しきれないのに。こうかはばつぐんなのに。まだ戦おうというの?

 ──馬鹿じゃないの。

 そうやって嗤っても心は燻り──。

 世界の軋む音が聞こえた。指数関数的に世界が速さを取り戻していき、やがて水滴がしたたかに頬を打った時、ルメルはまなじりを決した。

「──ハイドロポンプッ!!」

 ルメルは海色に命じた。全力で叫んだ。「最速で天を穿てっ!!」

 勝ち筋があるとしたら、かみなりが当たる前にピカチュウを倒すこと。そのためには速さだ。速さしかない。

 ──原点だか頂点だか知らないが、ぼくの最高傑作は最速最強なんだ!! 電気鼠ごときに負けるわけない!! ぶっ飛ばしてやるっ!!

 その苛烈な思いに呼応するように、

「ゴルッダァーー!!」

 寡黙なはずの海色──ゴルダックが吠えた。と同時に渾身のハイドロポンプがピカチュウに向かって放たれ──その瞬間、世界が閃光に包まれた。

「くっ……!」ルメルは思わず目を閉じた。

 レッドのピカチュウが〈黄色い閃光〉と呼ばれる所以、すべての闇を払う、神の裁きのごときじゅうでんかみなりが落とされたのだ。

 刹那遅れて轟音。ビリビリと空気が、空間が揺れる。

 ルメルが再びまぶたを開けた時、勝敗は決していた。 ピカチュウはコンクリートの島に下り立っていた。息を切らしているが、愛くるしくも不敵なほほえみは絶やしていない。

 他方のゴルダックも立っていた。しかし、微動だにしない。天へハイドロポンプを吐いたその体勢のまま気絶していた。

 サヨコが旗を上げた。「ゴルダック、戦闘不能!」

 ルメルは、ふっと息をついて肩の力を抜いた。モンスターボールをかざしてゴルダックを回収する。

 ──お疲れ様。

 そして、サヨコからレッドの勝利が告げられた。

 ジムリーダー(代理)として負けたのは初めてだった。

 レッドを見やると、ピカチュウをボールに戻したところだった。

 遠いな、と思う。自分はまだ彼らには届かない。

 嫌になる。たいした才能もないのに心底負けたくないのだから。

 ──次は勝つ。

 ルメルはわからされてなんかやらない。現実なんて知らない。方法もわからない。それでも、いつか必ず勝つ。

 レッドがこちらを見た。

『楽しかったよ』

 目が合うと、漠然とだが、何となく何を言いたいかわかるようになっていた。一定条件を満たすとテレパシー類似の能力を発動できるようになる──彼はナツメの同類、エスパータイプなのだろうか。そんなのだから無口コミュ障が治らないのではないのか? 声帯を使えよ。

『うるさい、上からもの言うな、馬鹿』

 試しにそう念じてみた。すると、伝わったのか、レッドは困ったように頭を掻いた。『そんなつもりはないんだけど』と言っているように感じた。それから、彼は場都合が悪そうにこう言った。

『ところで、お願いがあるんだけど、いいかな?』

『よくない』

 もちろん、割と性格の悪いルメルは言下に拒否した。

 しかし、レッドはしれっとスルーして続けた。

『実はオーキド博士から岬の小屋に住んでるマサキに届け物があるんだ』

 そこまで聞いて、ある考えがルメルの脳裏をよぎった。いやまさかな、とそれを否定しようとするが、レッドは無慈悲に言った。

『けど、彼、留守みたいで、ハナダジムに届け物を預かってほしいんだ』

 ルメルはぷるぷる震えながら問う。

『じゃ、じゃあ今日ここに来たのって』

 レッドが後を引き取って答えた。

『うん、それが目的』

 レッドはバトルしに来たわけではなかった。それはつまり、ルメルの公開処刑は本来ならば執行されなかったということ。すなわち、完全なる骨折り損のくたびれ儲け。

 何ということだろうか。

 レッド=最強の求道者=戦闘狂=カントー最強(のジムリーダー代理)と戦いたい=敵。

 こんなふうにルメルは早とちりした。そのせいで、ネットのおもちゃ確定の滑稽な敗北を喫してしまった……。

「ううっ……」

 ルメルの視界がにじんだ。目尻に熱が溜まっていく。

 あんまりである。自分の頭の悪さが憎い。もう最悪。間抜けすぎる。

 楽しく読んでいた漫画の最終話で、伏線のない唐突な夢オチを見せられた気分だった。

 実は全部夢でしたー! どやぁ! 今までのがんばりすべてが無駄無駄無駄ーーー!

 はらりと涙が頬を伝った。ルメルは膝から崩れ落ち、手を突いた。

 ──ぼくのイキりちやほやライフが……。

 冷たいあめの降りしきる床にぽたぽたと涙が落ちては消えていく。

 しかし、ルメルもさる者、責任転嫁はお手のものである。全部あのコミュ障が悪い。ルメルが勘違いしたのはレッドのせいである。間違いない。

 ルメルは顔を上げて、

『バトル目的じゃないならどうしてそう言ってくれなかったのっ?! ぼくが勘違いしてるって気づいてたんでしょっ?!』

 と遠くのレッドに文句をぶつけようとした。けれど、

「君となら最高のバトルができると思ったからだよ」

 その声──優しく透き通った、しかし強い意志を孕んだまっすぐな──はすぐ側にあった。目線の高さを合わせるようにしてしゃがんだレッドが目の前にいた。

「は? え?」ルメルはこんらんし、ぺたんと女の子座りになった。

 どうやって? とまず考えた。

 見れば、フィールドの中央に、ルメルの大嫌いな草タイプであるところのフシギバナがいて、つるのむちであやとりをしている。きっとあの草蛙に運ばせたのだ。

 次いで、

「君、声出せたのっ?!」

 と驚愕した。なぜ初めから話さなかったのか。意味がわからない。

 レッドは、悪戯っ子のようにほほえんだ唇を、立てた人差し指で隠した。しぃーっと仕草で伝えていた。

『話すのはあまり得意じゃないんだ。一日三十字が限界。それを越えると倒れる』

「どんだけコミュ障なの!」

 思わずルメルは突っ込んだ。

 続いて、「どうしてぼくの側に来たの?」と聞いてみた。

『負けたジムリーダーが泣き出した場合、もう一度話しかけると泣きやむからね』

 ルメルにはレッドの言うことはよくわからなかったが、自分のために来てくれたということだけは理解できた。

 ──きゅんっ。

 不意に、たわわに実った母性の奥がきゅっと締めつけられて甘く疼き、生身でねっぷうにさらされた時のようにぽかぽかしてきた。

 ルメルは柳眉をひそめた。

 何だこの感覚は? ポケモンから攻撃を受けているのか? そんなはずはないのだけれど、心臓がこうそいどうを積んだみたいになっている。というか、本当に涙が止まっている。何やこの赤帽子。

 最後に一番気になっていることを尋ねた。少し怖いけれど、聞かずにはいられない。

「ぼくは君のライバルになれたのかな」

〈最高のバトル〉というのがどのようなものなのか判然としないが、少なくとも対等でなければ実現しないのではないか。

 ぼくは認められたのだろうか、と思う。あるいは、願う。真の最強に並び立てたのだろうか。そうだったらいいな、と。

 じっと見つめるルメルの視線がくすぐったかったのか、レッドは苦笑めいた微笑を浮かべ、やがてそれは揶揄の色を帯びた。

『まだまだだね。もっとがんばってくれないと』

「……ちっ」

 ルメルは舌打ちをした。これだから天才様は嫌いなんだよ!!

 ルメルは、きっ、とレッドをにらみつけた。

「次は絶対に勝つ! 勝って凡人の嫉妬心の恐ろしさをわからせてやる!!」

 ふふ──微笑が優しく鳴った。




これで一章完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。
二章以降は気が向いたら書きます。
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