「お母さんっ!!お母さん!!!」
イブキは自らの双眼から溢れる涙を無視し、母の下に駆ける。
「母…?まさか、娘がいたのか…!?」
「…マダムからはそんな話、無かったね。」
一方で、母に凶弾を放った下手人達は困惑する。
自分たちの支配者からは先生に纏わる様々な話を聞かされていた。
だというのに、その多様な情報の中に娘の話など微塵も無かったからだ。
「ッ…!」
その隙を見逃す程、氷室セナは愚鈍ではない。
俊敏に先生を抱き上げ、救急車の後部ドアを開く。
「待って、私も!!!」
「!」
「リーダーしっかりして、逃げられ…がはっ!?」
イブキの叫び声にミサキがいち早く我を取り戻す。
だが、それすらもう遅かった。
ミサキは満身創痍のヒナに蹴り飛ばされる。
ヒナはその反動を利用して後ろに、セナの救急車の方へ飛び退いた。
「ッ!?ミサキ!」
「早く出して!」
ヒナの叫びと同時にセナはその扉を閉め始める。
ヒナはイブキを抱えると、扉が閉まるとほぼ同時に救急車に飛び乗った。
そして甲高くエンジンとタイヤの音を響かせ、戦場を離脱した。
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「お母さん!しっかりして、お母さんっ!!」
「ぁ…あぁ…!」
イブキは震える手と声で母を揺さぶり、呼びかける。
しかし、それでも母はぐったりとしてピクリとも動かない。
その様子にヒナは更に青ざめ、イブキの動揺は更に増す。
だが、それに待ったをかける者がいた。
「揺らさないで下さい、出血が増える可能性があります。」
それはセナだった。
彼女も内心ではとても焦燥し、動揺している。
だが、治療する者が慌てることは患者を殺すことだとも理解している。
だからこそ手は応急処置をしながら、いつも通りに、冷静に話す。
「想定より出血が多い…急所に近い場所です。一刻も早く止血と輸血しないと…!」
「死体…いえ、先生は必ず助…」
だが、それがいけなかった。
「死体って何!?」
セナには患者の事を死体と言い間違える悪癖がある。
それがイブキの怒りに火をつけてしまった。
イブキは遮る様に怒声を上げ、ガタガタと揺れる銃口をセナに突き付ける。
「何でそんなこと言うの!?」
「…!失言でした、落ち着い」
「お母さんが死んでも良いって事なの!?ねぇっ!?」
「落ち着いて、イブキ!」
怒りを滾らせるイブキを宥めたのはヒナだった。
「イブキ…今ここで発砲したら、確実に先生は死ぬわ…!」
「お願いだから、落ち着いて…!」
「っ…」
ヒナという第三者によって、イブキはゆっくりとその怒りを沈める。
しかしどうしても我慢出来なかったのか、目の前のセナに毒づいた。
「貴女のこと、本当に、嫌い…!」
「申し訳、ありませんでした…」
セナはその鉄面皮のままにイブキに深い謝意を示し、自身への失意に沈む。
だが、時間は待ってはくれない。セナは手当を続け、イブキとヒナは先生の手を握って呼びかけ続ける。
救急車は市街地を猛スピードで疾走していった。
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「間もなくトリニティ総合学園に着きます!」
運転を任せていた救急医学部の生徒の報告で、車両後部にいた三人は身構える。
走行中に到着後の行動の段取りはセナが指示する形で済ませていた。
今は一刻を争う。自分たちの手に先生の、母の命が懸かっているのだ。
「うわっ!?」
「これは…」
だが、一同を迎えたのはトリニティ生の暴徒の群れだった。
数は夥しく、大通りを全て埋め尽くしており、瞬く間に救急車を取り囲む。
その塊の向こうにはまだ遠い、目指すべきトリニティの校門があった。
「どうしてゲヘナの車両がここにいるんだ!!」
「しかも救急車!?こちらを攻撃しておきながら、何て恥知らずな!」
「中の角付きや汚いコウモリ羽の連中を引き摺りだせ!」
ガンガンと叩かれ、銃撃までされる救急車。
群衆は時として、その内の僅か数名の勢いに流され暴走することがある。
社会性を持つ人間だからこそ発生するそれは、如何なる恐怖をも恐れない。
そして、その者に気が無くても行動を起こさせる非常に質の悪いものだ。
それが今、イブキ達に牙を剝いていた。
「どうして…!?何でイブキ達を攻撃してくるの…!?」
「まずい…!」
セナは冷や汗を流す。
機器を見遣ると先生のバイタルは徐々に低下していた。
失血量が致命的な量に到達しつつあるのだ。
「通してください!患者はゲヘナ生ではなくシャーレの先生です!」
「角付きの言うことなんて信じられるか!」
「校舎に破壊工作をする気だろう!?皆騙されるな!」
セナの叫びも虚しく、トリニティ生らは聞く耳を持たない。
妄想が生み出した義憤に燃え、その言葉の意味を考えてもいないのだ。
「お願い!お母さんが、お母さんが死んじゃう!!」
イブキも涙ながらに必死に訴える。
だが、その切なる願いすら彼女らには届かない。
「触らないでっ、穢らわしい!」
「ゔっ!?」
「イブキ!?」
膝蹴りをモロに食らい、吹っ飛ぶイブキをヒナが抱き留める。
その時だった。
『頭が高いぞ、愚かな七面鳥共!!』
聞き馴染みのある声が機械で増幅され、通りに響き渡る。
その声は喧騒の中でもよく通り、暴徒達の耳にまで届いていた。
『この万魔殿議長であるマコト様が来たというのに、何をしている?』
『羽毛が詰まった軽い頭を地から離すなど、不敬極まりないぞ!』
マコトは戦車の砲塔上に外套を翻しながら立っていた。
瞬間、暴徒達のヘイトはマコトに一気に集中する。
『どうした貴様ら?そんなに顔を真っ赤にして?』
『…おお、そうか!この私の為に一人でに焼き上がってくれたのか!』
『キキキッ、これはいい!貴様らをテーブルに並べれば、パーティ会場の出来上がりだ!』
「…あいつだ!あいつを吊るしてゲヘナの連中に晒してやれぇっ!!」
誰かの叫びで暴徒達はセナ達に目もくれずに駆け出す。
途端に巻き起こるは、銃弾と榴弾が飛び交う鉄の嵐。
その最中でマコトは一瞬だけヒナに視線を送り、戦車のキューポラに飛び降りる。
走り去るマコトの鋭い視線は、『早く行け』と暗に告げていた。
「セナ、今の内よ…!早く先生を!」
「っ!はい!」
駆け寄ってくるトリニティの救護騎士団達の助力もあり、先生はスムーズに運ばれる。
そして先生が手術室に運び込まれた後は、医療の知識を持たないイブキとヒナはお役御免となった。
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「お母…さん…」
薄暗く、誰もいない、集中治療室に近い静かな廊下。
イブキは靴を脱ぎ、ベンチに三角座りで膝に顔を埋める。
母は何とか峠を越えた。だが、それでも予断を許さない状態だった。
ヒナはその事を聞くと覚束ない足取りで何処かへ行ってしまった。
自身も満身創痍だというのに応急手当だけで、うわ言の様に何か呟きながら去っていった。
一人残ったイブキを襲ったのは不安、孤独、失意、悲哀といった負の感情だった。
いつもはそうなる前に母がいた。
母の温もりが凍えた心を柔らかく包み込み、温めてくれていた。
だが、今は違う。
負の感情が更なる負の感情を呼ぶ悪循環が完成してしまっていた。
あの時こうしていれば、無理にでも万間殿の人達に護衛してもらっていれば。
悔恨の念はいつまでも絶えない。
だが、行き詰った思考の中でふと、思い当たったことがあった。
「アリウスの人達…」
思い出されるのは母が撃たれたあの瞬間。
白煙がたなびく銃を構えていた人達。
虎丸で走行中にイロハから教えられたアリウスという存在。
「赦せない…」
自分は兎も角、母を殺そうとした人達と仲良くなんて、どう考えても出来ない。
イブキは自身が納得できるはずがないという確信を得る。
確信と共に、沸々と湧き上がる何かがあった。
それは、トリニティ総合学園の前で暴徒に取り囲まれた時に感じたものだ。
「トリニティの人達…」
母の命が懸かっていると言っても話に耳を傾けず、あと少しで間に合わなかった事を思う。
更に何かが湧き上がる。これを止めることなど出来はしない。
「赦せない…!」
イブキは自身の中に生まれたものに適した名前を知っている。
だからこそ、理解した。自分が今したいことの原動力となる感情。
それがどういうものなのか。
「お母さんに酷いことしたなら…」
イブキはその感情を余すことなく受け入れる。
そうしなければ、この感情は生涯自身の中で燻り続けると確信している。
「同じくらい、酷い目に会ってもらわないと…!!」
その瞳に宿る感情の名は、"憎悪"だった。