「マコト先輩…ご無事でしたか。」
「…イロハ、か…ああ、これくらいはこのマコト様にかかれば…」
瓦礫が散逸する市街地。
イロハは瓦礫に腰掛けているマコトに声を掛ける。
マコトはどこか茫然としていたのか、その反応は鈍いものだった。
それでも気丈に振る舞おうとしているがその言葉に覇気は無い。
「…と、言いたい所だが…」
続く言葉は先の言葉を否定していた。
マコトが不承不承といった様子で視線を向ける。
「…?」
「何でしょうか、羽沼マコトさん。」
「…そういうことですか。」
イロハはマコトの態度に得心がいった。
その視線の先にいたのはトリニティの制服を着た少女だったからだ。
「貴女が、マコト先輩を助けてくださったんですね?あり…」
「あぁ、待ってください。」
遮る様にその少女は口を開き、遮った訳を語った。
「その制服から察するに、お二人はゲヘナ学園の生徒会の方ですね?」
「今のこの状況で不用意に私如きに頭を下げるのは得策ではないでしょう…」
「私自身も、礼を言われたくて助けた訳ではありませんから。」
「…そうですか。」
イロハは口にしてしまいそうな感謝の言葉を飲み込み、微笑む。
エデン条約を締結しようとしていたものの、両校の関係は何ら変わっていない。
寧ろここから改善、または緩和に向けて動こうとしていたのだ。
だというのに、この混乱している状況下でゲヘナの議員がトリニティ生に頭を下げたとあっては更に混迷を極めるというものだ。
そのことを目の前の少女は悟り、告げていた。
「名前を、お聞かせいただけますか?」
「…私は、トリニティ自警団所属の守月スズミと申します。」
「この件はいずれ…」
「期待しないで待っておきます。」
暗黙の了解でスズミは背を向け、去っていく。
その姿が見えなくなって、イロハはマコトに向き直った。
「イブキは今…」
「ああ、トリニティ内の病院だ…」
「先生の容態が安定したと聞いた…うっ…もうすぐ戻ってくるはずだ…」
「マコト先輩…?」
安静にしているはずのマコトの浅く早い呼吸に呻き声。
イロハが何事かと訝しんだその時だった。
「ぁ…」
「マコト先輩!?」
マコトの上体がぐらりと横に傾き、イロハは慌てて抱きとめる。
しかし、その手に奇妙な触感を感じてイロハの思考は一瞬停止した。
「ぇ…!?何、ですか…これ…!?」
マコトの背に回したイロハの手に、何かぬるりとした感触が伝わった。
慌てて片手でマコトを支え、その手を見ると指の先まで真っ赤な色をしているではないか。
「キ、キキ…バレて…しまったか…」
「まさかあの時の…!」
イロハは飛行船が爆発した際、マコトが自分達を庇った事を思い出す。
あの爆薬の狙いは、万魔殿の長であるマコトに他ならない。
つまり爆心地に最も近いにも関わらず、マコトが二人を庇った結果がこの背中の傷だった。
「外套をわざわざ着替えてまで隠して…!すぐに救急医学部を呼びます!」
「駄目…だ…まだ、私は…イブキに…」
「今はそれどころじゃ…!」
イロハは冷や汗をかき、血に濡れたままの手でスマートフォンを操作する。
だが───
「マコト先輩。」
声の聞こえた方に目を向ける。
この声はイブキだ。
何度も聞き、自分達にとっての日常の象徴であるその声を間違えるはずがない。
だが、目にした彼女の様子は日常とは掛け離れていた。
「イブ、キ…!?」
何処か冷たさすら感じるほど静かに、端的に名を告げる声が鼓膜を震わせる。
いつもの愛らしさは何処に消えたのか、その顔に笑みは無い。
かといって悲しんでいるのでも、怒りを表しているのでもない。
「万魔殿を、借りるね?」
無。そう、無だった。
その顔には表情と呼べるものが無い、完全なる無表情だった。
「イブキ、何を言ってるんですか…!?」
「待、て…イブキ…まさか…!」
息も絶え絶えになりながら、マコトは嫌な予感に従ってイブキに尋ねる。
だが、イブキの行動は誰も予想だにしていないものだった。
「良いか悪いかは今は必要ないの。だから、おやすみなさい。」
「なっ…!?がっ!?」
「イブキ!?何てことを!」
イブキは袖に隠した小型の自動拳銃を取り出すと、迷いなくその引き金を引く。
ただでさえ弱っていたマコトは頭に撃ちこまれた事で限界を迎え、力無く項垂れた。
「じゃあねイロハ先輩。イブキ、やる事があるから。」
「待ってくださいイブキッ!イブキィッ!!」
イロハは目の前の光景とイブキの変容に狼狽する。
半泣きになりながら大声で叫ぶなど、普段の彼女らしからぬ姿だ。
そうして行動を起こせないまま、イロハはイブキを見送ってしまった。
「イロハ先輩…お母さん…ごめんなさい。イブキ、悪い子になっちゃった。」
「でもね…私は許せないの。お母さんを傷つけたあの人達を…!」
イブキは背後から聞こえるイロハの叫びを聴かない様に意識し、早足に歩く。
その手は指先が白くなるほどに握りこまれていた。
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「アズサ…絶対に赦さないぞ…!」
「…落ち着いてリーダー。」
アリウススクワッドが拠点としている廃墟。
この場所で彼女らはアズサの襲撃を受け、危うくアツコが死に至る程の危機に陥った。
アズサへの憤怒を滾らせるリーダーのサオリ。
それをミサキが宥め、ヒヨリが状況報告をする。
「ひ、姫ちゃんが怪我をしてユスティナ聖徒会の顕現に問題が生じてます…」
「あの古聖堂に戻って、戒律を更新しないと。」
「……分かった、古聖堂へ向かうとしよう。」
「しかし…あのゲヘナの子ども…本当に…っ!?」
その時、サオリは聞き覚えのある音を聞いた。
ドンッという低く大気を震わせる音。次いで何かが風を切る音が聞こえる。
何かに気づいたサオリは焦燥した様子で瞬時に動き出した。
「二人共、飛び降りろっ!!!」
「「え!?」」
サオリはアツコを抱えると駆け出し、二人も後に続く。
現在の位置は三階。飛び降りれない高さではなく、着地後も全力で走る。
すると───
「こ、これは砲撃ですか…!?」
着弾による轟音が鳴り響き、辺りは粉砕された廃墟の粉塵と土煙が立ち込める。
三人は自分たちが先ほどまでいた場所が跡形も無く破壊されたことに呆然としていた。
だが、聞こえてきた声でその肩が跳ねる。
「ね?言ったでしょ大隊長さん。」
「本当にいたなんて…!?イブキ議員の戦術は本物だ…!」
「ゲヘナ…!?燻り出されたか…!」
振り返った先には多数の銃口と砲口がこちらに向けられ、包囲されていた。
サオリはまんまと誘導され、逃げ出してきた位置まで把握されていることに歯噛みする。
「ミサキ、ヒヨリ…私が囮になる、隙を見て姫を連れ…何だと…!?」
だが、二人から視線を戻して敵の姿を見遣った瞬間、サオリは驚愕で思考停止してしまった。
「こんばんは、アリウスの悪い人。」
戦車のキューポラから上半身を出し、絶対零度の視線でこちらを見るその姿。
それは自身が撃ち殺したはずの先生を母と呼び、泣き縋っていた幼い少女だった。
「お前は…」
「喋らなくていいよ、あなたとのお喋りは要らない。」
「…」
少女が自分たちにぶつけてくる年不相応な強烈な憎悪。
かつての内戦で明日をも知れなかったアリウス自治区では憎悪は当たり前だった。
だが、それでもここまでじっとりと、纏わりつくような憎悪は初めてだった。
「そこでぐったりしてる人…大事そうだね…?」
「…砲撃用意、照準はあの人。」
「議員…!?」
「まさか…!」
イブキの言葉にサオリも、味方である万魔殿の生徒すらも戦慄する。
恐る恐る万魔殿の生徒はイブキに目線を遣り、尋ねた。
「他の者を、戦闘不能にするのは…」
「ダメ。それは確実じゃない。」
イブキは戦車から飛び降り、その問いをアッサリと跳ね退ける。
そして、生徒の傍に寄って指示の実行を要請する。
「イブキの指示で、アリウスの生徒達をスムーズに排除出来たでしょ?」
「この人達をあなた達だけで見つけられた?」
「ここまで上手くいってたでしょ?だから、指示通りに、お願いします。」
「ですが…」
それでも難色を示す生徒。キヴォトスにおける禁忌、”殺害”が脳裏にチラついているのだ。
だが、イブキに止まる気配は微塵もなかった。
「この人達のせいで沢山の人が怪我をしたの。お母さん…シャーレの先生は瀕死の重傷で今も寝てる。」
「だから、キヴォトスの敵…皆の敵なんだよ…?」
「…」
未だに是を唱えない生徒にイブキは別のアプローチを模索する。
「大隊長さん…トリニティ、嫌いだったよね?イブキも大嫌い。」
この生徒は以前からトリニティを嫌いと言って憚らなかったことを思い出す。
そして、そこから唆すと生徒の表情がピクリと動いた。
それを見逃さなかったイブキは畳み掛ける。
「イロハ先輩に聞いたけど、アリウスってトリニティに似たようなものなんだって。」
「皆の敵で、マコト先輩を傷つけた人達で、先生の仇。」
「万が一があっても誰も怒らない………だから、ね?」
「…止むをえませんね、了解しました。」
その生徒の口角は少し上がっていた。
イブキは満足げに頷くと青褪めるサオリを見遣り、告げる。
「大事な人、守りたいよね?じゃあ頑張ってね。」
月光に照らされ、鮮明に見えるようになったイブキの表情。
その口角もまた、嘲る様に吊り上がっていた。