降谷さんの災難   作:千里亭希遊

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3.降谷さんの刻苦。

----------------------------------- side:Furuya

 

 ……一度情を交わしたくらいで彼女はきっとまだ堕ちていない。

 だから、休日である今日を利用して、ゆっくりじっくり、堕としてしまおう。

 先に身体を重ねた分ハードルは低くなっているはずだ。

 彼女は『きらい』とは言いながら、完全な拒絶の目をしていなかったから。

 人の目はそうそう嘘をつけない。

 

(本当に絆されてたのか。偽物な『俺』に)

 

 チョロい人間だ。そう、心配してしまうくらいには。

 そんな情けない一般市民を、堕とすからには守り抜いてみせるから、だから。

 

(頼むから、話してくれ)

 

 寝ている彼女をしっかり腕に収めて、その頬をするすると撫でる。

 

 少しして、彼女はぼんやりと目を開いた。

 

----------------------------------- side:Reincarnator

 

 これはどういう状況なのだろうか(再)。

 いや、覚えてます、覚えてますけど、なんでこうなってしまったんでしょう。絶望しかありません。

 

 情緒が吹き飛んだ私はただただ顔を覆うしかできない。

 ゴリラさんがしっかり腕で抱き込んでしまっているから私なんかには逃げられそうにもありません。

 ええと、ええと。

 

 混乱しかなかった脳内は、安室さんがゆっくり頭を撫でてくれているのに気づき始めてから徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

 こうなれば、考えることは。

 

 安室さんが私に近づいたのは十中八九あの件のせいだろう。

 今思えばバカとしか思わないけれど、明らかに『兵器』になるものを『防犯のため』という主張で形にしようとしてきてしまったのだ。そんなもの、目的が何であれ世に流通させたらどうなるかは一目瞭然なのに。ハイスペックになってさえ私はポンコツだった。死んでもバカは治らなかったらしい。

 ……いくら、小さい頃からずっとずっと、変態や色恋沙汰に悩まされてきたとは、いっても。これは、ないだろう。

 

 そう、残念ながら今世と前世は別人とかそういう感覚はない。なり代わったとかでもない。私は私なのだ。

 知らなかった、あるいは盲目だった愚かな部分が、もう一人の自分によって補完されて、ようやく少しだけまともになった。

 全部自分であり、自分が行ってきたことなのだという自覚がある。

 

 この自覚があるのだから。

 

 私がただしいと思う正義は、『櫛森汀』ではなく安室さんだ。

 

 ならば決まっている。

 不自然ではない程度にハニトラに引っ掛かって、安室さんに私がした悪いことを全部自白しよう。もしかしたら、言葉巧みに私に取引を持ち掛けてきたあの男のことも、知っている限り話したほうがいいのかもしれない。きっと安室さんだったらお縄にしたいと思う相手だと思うから。

 

(それにしても)

 

 この国では、研究者の立場はあまりよろしくないものだ。

 

(そこをつかれるなんてなあ……)

 

 報酬と待遇の良い海外に身を置こうとする流れもあるらしい。

 

 それと関係なく研究が危険だから抑えられていただけの私にそんな餌をぶら下げて、『お前は報われたいんだろう?』とでも言うようにおだてられてきた。

 

(……本当、バカすぎ。黒歴史レベル)

 

 いつか償えるなら、本当に防犯に役に立ちそうな何かに協力できたらいいなと思った。

 

 よし、ここからは大根役者の出番です。演劇部とかに入っていたことはないから指導を受けたことも練習したこともほとんどないけれど、出し物でやる演劇は好きだったよ。

 

 このあとヒェッってなるのを私はまだ知らない。

 

----------------------------------- side:Furuya

 

 完全に起きたらしい彼女は、悲壮な顔をして両手で顔を覆った。できるだけ優しくと思いながらしばらく彼女の後ろ頭を撫でていると、ぽつりと声がする。

 

「……は、はな、して……」

「……いやだ」

「っ!」

 

 息を詰まらせた彼女を抱きしめる腕の力を、ほんの少しだけ強める。

 

「だってこれくらいしないと、きみ、俺のこと見てくれないでしょ」

 

 額に小さく口づけると彼女はぴくりと震えた。未だに顔を覆っている指にもいくつか口づけを落とす。

 

「っ……!」

 

 ますます縮こまる彼女をもう少し抱きしめる。手のひらで覆われていても耳まで真っ赤になっているのが丸わかりだった。もう動けないわけじゃないだろうに、逃げ出そうとするそぶりもない。

 

「もともと察しが悪そうだとは思ってたけど、あんまり最初から口説くと警戒されそうだったし、俺もそういう性質じゃないし」

 

 そこまで言って、僕は彼女の手のひらを顔から引きはがしにかかる。まったく力を込めていないのに、彼女はされるがまま素直に従った。……真っ赤だな。

 

「そんな俯いてたら苦しいよ」

「!」

 

 くいっと引っ張り上げて僕の目の前に彼女の顔がくるようにした。目が合う。本当に顔が赤い。

 

「……ふあ」

「何情けない声出してんの」

「顔が綺麗すぎです」

「そんな口が叩けるなら余裕だな」

「余裕なんて……っ」

「……顔が綺麗なのはきみもだろ」

「……っ、そんな、こと、は……」

 

 彼女は目を逸らした。

 

「何、嫌味?」

「……っちが……っ」

 

 どうからかってやろうかと思っていると、彼女がふと目線を戻して、そろそろと僕の目元に触れてきた。

 

「……目が、綺麗だな、と、思って」

「……」

 

 断じてしてやられたわけじゃない。おまけに彼女のことだから何も考えてないだけだ。

 

「きみから触れてくれるなんて、嬉しいなあ……」

「っ!?」

 

 目を丸くして一瞬で手を引っこめた彼女を引き寄せて唇を重ねる。

 

「っ!? ……んー……!」

 

 バカなことをしたのを思い知れ。今どういう状況かまるで考えてないだろう。

 ふわふわと啄んで食んでは、わざと小さくリップ音を立てる。それを何度か繰り返しながら、僕は益体もないことを考えていた。

 

 喋り方も意図的に普段の僕からは変えてある。

 これは存外に重要なファクターなのかもしれない。

 自分ではないものを演じているのが常に自覚できるから……『俺』ならやる、『僕』ならやらない、というのを、本当に『俺』ならやれる、というか……これはスイッチの切り替えに良さそうだ。

 

「っふ……んむ……んんん……っ!」

 

 彼女は必死な様子で身を捩っているが、逃げ出されそうなほどじゃないというか、これは……こういう時の彼女は多分、僕に遠慮している。こんなことをされながら、思いっきり振りほどこうとして僕に痛みを与える可能性を恐れている。

 そんな程度ではどこも痛まないのに。

 

 ……これも『多少近づいた相手』に対する彼女の絆されようなのだろうか。

 本当に危うい人間だ。

 

 ほんの少しの苛立ち紛れに彼女を引き寄せ、仰向けにしてその上に覆いかぶさるように位置取る。

 

「っ……!?」

 

 こうすると、掛け布団は薄い一枚しか被っていなかったから彼女はあまりにも無防備になって、結果腕で自分を抱きしめるようにして彼女は縮こまった。

 

「……どういう状況か思い出した?」

 

 呼吸も上がって顔も赤い彼女は悲壮な顔をしてはくはくと口を動かしている。言葉にはならないらしい。少しは己の愚かさを思い知ったようだ。

 やがて目を逸らした彼女は不満そうな表情をする。

 

「……服、ください」

「いやだね」

「……!」

 

 悲壮な顔で見上げて来る彼女に、僕はにこりと微笑む。……そして少し眉尻を下げてみせる。

 

「……先にシャワーを浴びよう」

 

 彼女は少しぽかんとした。僕はふっと笑いかけた。そしてそのまま身を起こすと、彼女を横抱きに抱え上げる。

 

「……っえ、あ、ま、待って、待ってください、シャワーならおひとりで……!」

「…………身体、つらいだろ」

 

 運びながらそう小さく言うと、彼女ははっとして、それから何も言わなくなった。

 このまま直行ではどう考えてもマズイので水分補給をさせてから浴室に向かう。

 

 恥ずかしそうだったり自分でやりたそうだったりな彼女を笑顔で黙らせて、色々と世話を焼く。

 

 その後も『つらいだろうから絶対一人で動かさない』というポーズを固持し、最終的にベッドの上でブランケットに巻いただけにして腕の中に収める。

 

「……あの、服を……」

「いやだ」

「ええ……!?」

 

 彼女はまだ堕ちてくれていないから、不安の素を残しておかなければいけない。吊り橋効果やストックホルム症候群に近い演出を期待する。

 

「……お腹空いてない?」

「……ッ」

 

 そう言いながらすっと腹を撫でると、彼女は分かりやすく怯えた。

 

「そ、そんな気分、じゃ」

「そう」

 

 お言葉に甘えて空腹は考えず、じっと軽く抱きしめておく。

 時折思い出したように、それほど煽情的でない触れかたであちこち撫でてみたり、頬を寄せてみたり。

 彼女はただただ困惑した顔でそれを受け入れていた。

 

「……あ、の」

「……好き」

「……っ、まだ、そんなに話したことないのに……っ」

「時間なんて関係ない。それに俺にとっては、すごくすごくたくさん話してくれたんだ」

「……っ!?」

 

 彼女はますます困惑の表情を浮かべる。

 僕は彼女の頬に手を添えて、しっかりと目を見つめる。

 

「……最初はただ、綺麗な子が何ふらついてんだと思ってた。話してみたらどっか抜けてて心配になった」

 

 彼女は少しだけ眉根を寄せた。

 

「もっと話してみたら、意外に楽しかったんだ」

「……い、意外に」

「そう。抜けてたと思ったらとんでもなく知識が深い時もある。かと思えばまた抜けてるとこが見つかる。忙しないと思っていたら、たまに爆弾発言をする。……新鮮で、楽しかったさ」

「ばくだ……し、新、鮮?」

「腹の探り合いのない会話は、久しぶりだった」

 

 本当はこっちとしては探り合いそのものなんだが。

 日常会話ばかりだった態なので、こういう印象じゃないと逆におかしいだろう。何せ彼女は本当に他愛もないことしか話してくれなかったのだから。

 とどめに、僕のことをきっと彼女はホストか客引きかなにかだと思っているだろうから、怪し気な何かを演出しておく。それを流すために次を続ける。

 

「特にきみと酒の話をするのは、本当に楽しい時間だよ」

 

 彼女はそれを聞いてまた少しぽかんとするが、すぐに小さく俯いた。けれど表情はどこか楽しげではある気がした。

 

「それ、私、話してもらってるばかりじゃないですか」

「きみは聞き上手だからね。あと気づいてないかもしれないけど、新しいカクテルを作る話になると意外に饒舌になる。見てて面白いし、参考にもなる」

 

 ちょっと楽しそうだった彼女が途端にまた困り顔になった。けれど顔が赤くなっている。

 いったん少し押してみようか。

 

「こんなんじゃ足りないっていうなら、もっとたくさんきみのことを知りたい。ずっとそばにいて、汀」

 

 しかし彼女はざっと一気に青ざめた。さあどうした、この反応は。

 ばっと僕を見上げると、彼女は目を逸らしながら恐る恐るというふうに口を開く。

 

「……あ……わ、私、は……そんな、ふうに、言ってもらえる人間じゃ、ない、です」

「……汀?」

 

 怪訝そうな目をして問いかけてみる。彼女は目を逸らしたままだ。

 

「…………とにかく、ダメ、です」

「……ねえ、汀」

「……?」

 

 彼女は恐る恐るといった様子で顔を上げた。

 

「……きみ、深夜徘徊してるとこ注意した俺に言ったよね? ……『だれもこまらない』って」

 

 彼女はしまったというような顔をした。またふいっと目を逸らされる。

 

「そんなこと、言ってないです」

「ばかやろう。誤魔化すな」

「……!?」

 

 思わずといった様子で顔を上げた彼女の頬に添えていたほうの親指で、ふにゃりと唇をなぞる。ひくりと彼女が震える。

 

「……言って、汀。そんなこと言うってことは何か隠してることがあるんだろ?」

 

 今の彼女ならきっと、心配で怒りまで見せ始めている相手になら流される。

 

「……だめ、だめ……」

 

 言葉としては伝えてくれなくても、こうして動揺を見せるくらいには、絆されている。

 彼女が頭を抱えるようにして俯いたせいで頬から離すしかなかった手のひらで、頭を撫でる。

 

「汀。俺はそんなに弱くない。困っていることがあったら話して。たいていのことはどうにかできるから。……後ろ暗い意味でも」

「……ッ!?」

「……やっぱり何かまずいことをしているの?」

「……あ……う……」

 

 見上げてきたり俯いたりと忙しない彼女をなだめすかすのはここまでだ。

 彼女の身体をベッドの真ん中まで引いて、押し倒すように寝かせて、そして酷い口づけを始める。

 

 思考を奪うために容赦のない蹂躙を。

 

 唇も舌も歯も裏の裏まで苛め抜いて、息もままならないほど責め立てる。

 

 途中本当に逃げ出したそうに、これまでよりも彼女の身体に力が入った気はしたが、そんなもの何の抵抗にもならなかった。彼女の力なんて僕にとってはないようなものないんだから当たり前だ。

 

 せめてもの抵抗の意志という様子で色々とうろついていた彼女の腕さえも力を失って布団に落ちてから、ようやく僕は彼女から唇を離す。

 

 激しく呼吸を乱してぼろぼろに泣いている彼女の姿に痛む心を己自身で利用して、表情を思いっきり歪めて僕は言う。

 

「……きみが言ってくれるまで、酷いことする」

「……っっっ」

 

 彼女はくしゃくしゃに顔を歪めた。

 息が上がりすぎて喋れそうにない間を突くつもりはもちろんないから、少しの間名を呼びながら頬を撫でていた。

 

「…………なん、で……」

 

 やっとのことで彼女が言ったのはそんな掠れた音だった。

 

「……言ったろ。きみが好きだ。好きな奴を守りたいと思って何が悪い」

「っ……」

 

 実際そういうのは立派な理由になるものだ。

 彼女がますますぼろぼろに泣き始めるから、僕はしばらくそれをへたにこすらないよう注意しながら拭い続けることにした。

 

 やがてぽつぽつと彼女が語ってくれたことによると、やはり積極的に組織に協力しているようではないらしく、ひとまず胸をなでおろす。

 

 研究が認められないことと思うように進まないことでストレスをためて飲んでいた彼女に、例の男は「もっと活躍できるところで研究しないか」と誘って来たらしい。

 誰かに悩みをこぼしたこともない彼女がそんな声をかけられたのは、たまたま白衣が鞄からふんわりはみ出てしまっていたからのようだ。

 

『姉さんこれ白衣か? いい話があるぜ』

 

 この国では研究者の待遇があまりよくない。だから恐らく『それっぽい人間』はいつでも狙われているのだろう。ちょっとはみ出たくらいで白衣と分かるのもずいぶん手慣れていそうだ。鎌掛けの可能性もあるが。

 しかも東都大学のキャンパスに近いとなれば、優秀な人材である可能性が高い。

 

 最初は彼女も相手にしなかったらしいのだが、覚えられてしまったのか幾度も話しかけられて、そして少しずつ話を引き出され、その気になっていってしまったらしい。

 

 サンプルにできるような彼女が開発した薬のデータをもらいにくると言われてから、彼女はふと、自分は大変なことをしているのではないかと思い始めたそうだ。

 けれど、誰にも相談ができないところまできてしまっていた。

 もう少し研究を詰めたくなったなどとしてデータを渡すのを渋っているのが現在、だそうだ。

 

 ……本当にギリギリだった。

 

 僕は彼女をきゅっと抱きしめる。

 

「……よく、言ってくれた」

「……っ、……もしかして、何かする気ですか? 危ないことをしに行かないでくださ……」

「しないさ。きみがしないならね」

「……っ?!」

「きみはもうそいつに関わるな」

「で、でも、飲んでて気付いたら彼も店に居るって状況です。私、見張られてるんじゃ」

「じゃあ、きみが酒を飲みたくなったらここに連れて来る。街には行かせない」

「……ここ、は……」

「俺の家だ」

 

 彼女は目を丸くした。

 

「そ、そうですか……」

 

 しどろもどろしている彼女に思わず小さく苦笑する。

 

「何だと思ってたの」

「な、何にも……全然、あたま、はたらかなくて……私、男のひとの、部屋に」

「やっぱりきみはどっか抜けてるな」

 

 彼女は困った顔で眉尻を下げた。

 

「…………えぇっと、私がお酒飲むのやめる努力をすれば、夜出歩かなくなります」

「他にストレス発散方法が思いつくなら構わないけど、別で何かやるにしろやらないにしろ、俺はきみを探し回るよ」

「さ、探し回っ……」

「連絡くれるよね?」

「……うぅ」

 

 やはり彼女は、懐に入ってきた人間には、甘いのだろう。

 

「もっとたくさん、話をしよう」

 

 そう言ってゆるりと頭を撫でると、やがて腕の中の彼女はほんの少しだけ僕に身を寄せた。

 少し心が和むのと同時、ここまでにさせておいて、こちらの想いが偽りなんて救われないと感じる。

 このあと僕は、どう償えばいい?

 

「……あ、そうだ、彼にきちんと、もう取り引きはやめますって伝えればいいんですよね」

「……は?」

「そうしたら、きっとあなたが私なんかのために労力を割かずにすみます」

「そんなんであっさり終わる世界じゃない。きみはやっぱりバカだな?」

「ば……っ」

 

 言葉を詰まらせて落ち込む彼女に、僕は溜め息をついた。

 

「とにかく、絶対にそいつに会うな。声をかけられても反応をするな。小学生でも守れるよ? それができないならさすがにここに軟禁する」

「え、えええ! しょ、小学生でも……はい……」

 

 僕はじとりと彼女を見つめた。ニヤリと努めて悪そうかつ怪しそうな笑みを浮かべる。

 

「また、酷いことされたい?」

「い、嫌です、分かりました、もうあの人に関わりません……!」

 

 こうしてからかうのが少し楽しくなってしまっているが、いい加減にしなければいけないだろう。

 

----------------------------------- side:Reincarnator

 

 死ぬかと思いました。色んな意味で。

 

 取り引きをじりじり引き延ばしていたのは本当だけど、自分がバカやってることにちゃんと気づいてたっていうのは真っ赤な嘘です。それくらいの黒歴史修正はお許しください。

 

 そして私が腹を括るのには、二日がかかった。

 

-----------------------------------

 

 彼はベッドの縁に座ってワインを飲み始めた。

 彼女はそれをぼんやりと眺める。

 

「今日は一回で許してあげる。平日だしね」

 

(一回。あの……満足? な感じ……安室さんもだと……いいなぁ……)

 

 自分ばかりは嫌だ。

 そんなことを思いながらも、彼女はまたぼんやりと彼の背に目をやる。

 

「……すごい、筋肉……。結構、細い、のに……」

 

 彼は小さく吹き出したようだった。

 

「鍛えてるからね。言ったろう? 俺はそんなに弱くないって」

 

 そうでしたね、と言おうとして彼女ははっとする。

 彼の腕には、しっかりと彼女の爪の跡が残っていた。

 思わず彼女は彼の背ににじり寄る。

 

「これ……私が、爪で……」

 

 そっとその近くに手を添えると、「あぁ」と彼の苦笑が聞こえる。

 

「たいした傷じゃない。気にしないで」

「でも……少し、血が」

「大丈夫だって。殴り合いの喧嘩に比べれば可愛いものさ。すぐ治る」

「……」

 

 ──きっとそれは、情事の余韻のせいだった。

 彼女はぺろりとその傷を舐める。触れることに違和感を感じられなくなっていた。どうにかしたいと、思ってしまっただけ。

 彼は首筋にぞわりと走る熱に目を見張る。

 そして尚もちろちろと舐める彼女の腕を捕まえた。

 

「……何をしてるの?」

「舐めたら、治るかなって……」

「ねえ、今まで何してたか覚えてる?」

「え……?」

 

 もう一つ腕を捕まえて彼は彼女をベッドに押し倒すと、半分だけ上に圧し掛かる。

 

「そんな可愛いことされたらまた煽られるんだけど」

「……!」

 

 薄青の瞳の中に見えたのは先程と同じギラついた光。

 

(な、なんで……)

 

 それよりも。

 

「あ、う……これ以上は、私、死んじゃう……かと……」

 

 困り切った顔でそう訴えられて彼はくすくすと笑い始めた。

 

「体力ないもんね……」

 

 あっさり彼女から離れた彼はサイドテーブルに置かれたグラスをひとつ取って彼女に示すように小さく揺らす。

 

「きみも少し飲む?」

「はい……一口くらいで、よく眠れそうな気がします」

 

 即答する彼女に、本当に酒が好きな人だなあと彼は思った。

 彼女の望んだ通り一口程度注いで渡し、自分の分を飲み干して、空になった二つのグラスを再びサイドテーブルに置いて。

 二人して同じ布団に潜り込む。十月も終わりに近づく今はブランケット一枚では足りない。ふわりと軽いが厚みはあるものを上から被り、彼は彼女を腕の中に収めた。

 

「腕、しびれませんか……?」

 

 彼がくすりと笑う。

 

「そんなヘマはしない」

 

 何より、と彼は続ける。

 

「きみを離したくない」

「!」

 

 優しい顔で間近で言われて彼女はさっと顔を隠した。といってもそんなことをすれば彼の胸に顔をうずめることになるのだが。

 彼の腕がきゅっと少し狭まる。

 

「ふふ……かわいいなぁ……」

 

 しみじみしたふうな声で言われてそわそわする。

 

(これは、作りもの。安室さんは、お仕事)

 

 それを忘れたら一瞬で本当に堕ちる気がした。

 彼女はこれは演技、と思いながら、すり、と彼の胸に擦り寄る。

 

「……おやすみなさい」

「あぁ、ゆっくりおやすみ」

 

 そう言ってふわりと額のあたりに彼が降らせたのはきっと唇。

 彼女は顔が熱いのを自覚しつつ、静かに目を閉じた。

 

-----------------------------------

 

 翌早朝。既に日が短くなる時期とはいえ東京は日本でも東に位置する。日の出は多少早い。代わりに日の入りも多少早い。

 朝の光がカーテンの隙間から細く降る中、まだ彼女は健やかな寝息を立てていた。彼はそっとその頬を撫でてみる。彼女が起きる様子はない。

 

(……あまり仲を深めすぎるのも良くないんだろうが……この年頃であそこまで熱烈に口説いた人間が、家に泊めて何もしないのはおかしい、気がする)

 

 言い訳、なのかもしれない。必要なのだと。

 そんな感傷に彼は苦笑した。最初からこれではきっとやっていけない。自分の目標とされる潜入先は今のところどうやら犯罪組織のようだから、もっと後ろ暗いことが山と待っているだろうに。

 

(……きみは何故こんなことに手を染めたんだ)

 

 原因については少しだけ分かっている。

 研究を思う存分やれること、そして評価されることにつられたと言っていた。

 

 それ以前に。

 彼女自身が幼いころから付きまといに連なる様々な迷惑行為の被害を受けていたのもあるだろうが、きっと、何より大きいのは両親のことがあるのだろう。

 彼女の見目麗しさは両親から引き継いだもので、そして、二人は付きまといから発展した煽り運転で命を落としていた。彼女が高校二年の時のことらしい。

 祖父母も早くに亡くしていたらしい彼女は他に親戚もなく、天涯孤独になった。残された財産が潤沢だったおかげで一人暮らしを経て海外留学、そこからの研究職、という経歴を積むことができたようだ。

 だから彼女は自身に出来る範囲で防犯のための研究を行ってきたのだろう。方向が過激すぎるが。

 

(『だれもこまらない』か……)

 

 独りというのは時に暴走する。ひた走るのには良いのだろうが、歯止めが利かなくなることもある。自分の視点以外を得づらいのだから。

 

 家族がいなかった。勉強、あるいは研究に没頭しすぎて友人を作らなかった。その道のずば抜けた知識を得てしまい師となる人を見つけられなかった。

 

(他のことになるとどこか抜けてるのになあ……)

 

 するすると、柔らかで滑らかな彼女の髪を弄ぶ。

 そうしていると、ふわりと彼女が目を覚ました。

 

「おはよう」

 

 柔らかく笑いかけて言うと、彼女は幾度か瞬きをした。そしてやっと現状を理解したというように少しだけ目を見開く。思わず彼はくすりと笑った。

 

「寝ぼけてる?」

「い、いえ……おはようございます」

 

 彼女の顔が少し赤くなった気がした。

 起き抜けに人の顔が目の前にあったせいか、はたまた。

 

(流されているだけであってくれ、というのは……)

 

 それもまた、都合の良い感傷にすぎないのだろう。

 

----------------------------------- side:Reincarnator

 

「……そういえば、連絡くれなかった間に取り引き相手と会ったりしてないよね?」

「してないですよ」

 

 起きたら髪を弄られていたり美しい笑顔でおはようされたりとっても心臓に悪いです。

 他愛もないやりとりを続けていたら、ふと彼が少し顔をしかめてそう言った。

 

「だってあなたに危ないことしてほしくないから」

 

 私が危ないことしないならしないって言ったじゃないですか、と小さく言うと彼は微笑んだ。

 

「俺も同じくらい心配してるの少しは分かってくれてる?」

「……だって多分、私の危ないこととあなたの危ないことは全然違う」

「違わない」

 

 即座にそう切り替えした彼は真剣で、そのうえ少し怖い顔をしていた。……びっくり、した。

 

「データが有用だと思われたら君自身が拉致されて、下手したら一生言いなりの研究をさせられる」

 

 私の頭にとある人物が浮かぶ。

 ……そうだね、東都や米花町、杯戸町があるこの日本で、あの人のことを知っていたなら、軽率で愚かでどうしようもないのは明らかだっただろう。いや、知らずとも普通は理解できたのかもしれない。私個人が愚かなのだ。

 

「どうせきみは俺が殴り込みにでも行くと思ってるんだろうけど、命がかかわるのは変わらない」

 

 殴り込みかどうかは分からないけど、強制捜査とかで危ない目に遭いそうじゃないですか。

 そんなふうには言えないけれど。

 

「……ちゃんとこうして、夜の街に行かずにあなたに連絡をしています。独りで行く気はもうありません」

 

 嘘じゃない。

 彼はふわっと笑った。

 

「よし」

 

 彼はそう言ってくしゃりと頭を撫でてくれる。くすぐったい。

 

 ……けれどそれだけじゃあ、あなたに情報を流せないのです。もう一人いるらしい人物を引きずり出すことができない。きっと直接話を持ち掛けてきたあの人だけで尻尾が切れる。

 私が動いたほうがきっと早いし確実だ。

 

「しかし……酒場以外の連絡手段なんてないんだよね?」

「はい。酒場でしか話したことはないです……だから、もう、行きません」

 

『話したこと』は、酒場でしかないんです。

 

「そっか。にしても、きみに友達がいないのは痛いなあ……俺が四六時中きみに付きまとうわけにはいかないからね。学校とかで強引に出られたらどうしようもない」

「それは……私はたくさん人がいる所にしかいないから、無理なんじゃないでしょうか。トイレとかで一人になったとして、連れてくところを見られちゃうと思います」

「箱とかに入れられるとか、きみが素直についていくとかしてたら恐らく気づかれない」

「なるほど……」

 

 私は思案する。

 きっとこうは言ってももしかしたら大学にも捜査員さんが入り込んでいるのかもしれない。

 けれど既に情報を吐いた捜査対象にはできるだけ人員を割きたくないはずだ。負担を減らせたらいいのにとどの口がと言われそうなことを思う。

 

 安室さんがまだ私に関わってくれているのは、保護の目的もあるのだろうけど、まだ引き出せる情報があるかもしれないというのもあるだろうし、既に事後処理に入っているのではないかと思っている。

 

(不自然じゃない程度に不和を作って、離れなきゃいけないんだろうな)

 

『自らした違法作業は、自らカタをつける』

 

 少し胸がちくりとした気がした。

 

 工藤優作さんと藤峰有希子さんは『今』に生きていて既に結婚しているのは普通に知っていた。有名人だもの。

 けれど彼らに息子がいるかどうかは不明だった。世界をまたにかける人たちだから報道が追えていないのか、まだいないのか。少なくとも高校生探偵として有名になってはいないようだった。

 そういう時期ならきっとこの目の前にいる人は親類とかではなく、本当にあの『安室さん』なのだろう。

 見せてもらった免許証のは偽名だったから、現在本当に二十三歳なのかどうかも分からない。だから今が原作のいつなのか私には分からない。

 それでも彼が『安室さん』なのはほぼ確実だから、あの数々の言葉は真に彼の信念のはず。

 

「気をつけます、できるだけ人目のない所に行かないようにします。もちろん、怪しい人について行きません」

「ああ。ほんと小学生に言い聞かせてる気分だよ」

「……酷いですね」

 

 けれど自分でもそうかもしれないなあと思ってしまう。

 ふっと安室さんが笑う。

 

「そろそろ朝食をとってシャワーしないと、遅刻だな」

「はい」

 

 私も眉を下げて笑う。くすぐったい非日常。本当に何でこんなことになっているんだろう。

 

-----------------------------------

 

 それから数日、まともな方向へ行くようにどうにか研究に修正をかけ始めつつ、あの、安室さんでもバーボンでも降谷さんでもなさそうな安室さんと相変わらずの妙な夜を過ごしたりなんたり。

 心臓には悪いけど、一緒に話してて楽しいなっていうのは、私も思ってしまっていた。

 今のあの人が色々と作り物だっていうのが分かっていても、それでも。

 

 ……学内で完結しているサーバーがあります。

 学生や教員や研究員等々には学内専用のメールアドレスが割り振られています。

 

 東都大学は日本でも最先端を行く学術機関のひとつです。

 情報セキュリティの研究者だっています。へたしたらそこらの企業よりも防衛能力は高いかもしれません。

 

 私の取り引き相手とのやりとりは、その学内専用のメールアドレス宛てに送られてきます。もしくはアナログで暗号レターが渡されます。時にロッカーに入っていたり、擦れ違いざまだったり。

 大学には色んな学生がいます。一見して部外者だとは分かりません。白衣なんて着てたら尚更。

 

『話す』のではなくそういう無言のやり取りが再開されたのは私が『安室さん』に堕とされた直後のことでした。

 ああ、だから急がなきゃいけなかったのか。安室さんごめんなさい。

 

 私は一週間ほど迷うそぶりを見せてから取り引き相手に是のメッセージを送りました。警察の皆さんに色々と見つけられてたらいいですね。

 

 最近すぐに電池が切れるからきっと私のスマホにはあの追跡アプリが入っているのだと思います。

 警察の皆さんが取引現場を抑えられるまで時間を稼げたらいいなあと思います。

 

 

 

 そして今日、私のロッカーに、あの取り引き相手からの暗号レターが入っていた。

 今時こういうアナログなほうがむしろセキュリティが高い場合もあるとか聞いた気はする。

 

 データが本物かどうか自分には分からないから上司を連れて来るというのは変わらないようです。

 私がデータを渡すとなれば、あの取り引き相手はその上司も連れてくることになっている。どうにか少しでも情報を掴めればいいなと思う。

 

 私は『それ』を燃やすと、指定の場所に向かった。




/

シタ(・・)のは降谷さんがとっても優しかった上、オリ主は混乱しすぎて何も考えられない状態だったためあまり精神にきてなかったりする。ロミトラだって勝手に割り切ったのもある。
「酷いことをする」なキスは降谷さんは容赦なく蹂躙しなければと思ってたため、こっちのほうがオリ主はかなり目を回した。あっさり白状するのは不自然かなあともったいつけたのを少し後悔した。でも必要だと思うしなあとは思っている。
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