降谷さんの災難   作:千里亭希遊

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直接的な部分は省きましたが終盤ちょっとえっちぃのでご注意ください。


43.転生者の憂慮。

 実験を繰り返し、多大なマウスちゃんたちの犠牲のもと、薬は完成した。志保さんと私は屍のようになりました。

 この薬については志保さんと相談してまだ私たち二人だけの秘密にしています。完成したけど公開についてはまだじっくり検討する必要があると思う。

 

 メスカルが製作したと思われる薬はどうしてもこれとは異なるため、江戸川君たちの解毒法については彼の身体から採取した細胞から辿って完成させました。

『痕跡の残らない毒』は色々知ってる我々にとってはそうじゃないですからね。

 

 ただ、我々が考案した解毒方法は薬だけでは完結しません。解毒薬を飲んだ上で並行して摂取するピコマシンをプログラム通りに走らせるために、コクーンも使わせていただくことになる。

 公安で秘密裏にシンドラーカンパニーからコクーンを一台買い取りました。それで私が公安の協力者だってことをシンドラー氏に打ち明けたりしたんですけどね。何故か納得されたりしました。ほんとにどうして。

 

 コレ(・・)を組織壊滅作戦の起点とすることの重要性は江戸川君も理解してたから、解毒するとなってから即、彼は小学生生活を終わらせることになった。

 小学校等々について彼はなんだかんだいって少し離れがたそうではあったけど、別れまで少しの時間を設けて『転校』となりました。

 

 今後探偵団の皆とは、既に携帯を持っていた円谷君とのメールでやり取りをするみたい。

 ただし、そのうち『江戸川コナン』名義のスマホを解約することで連絡がつかなくなる流れを取るそうです。アメリカに帰ったって設定だからなかなか会えなくなっても不思議はないですし、自然消滅的な……。

 

 だけど少年探偵団の皆には阿笠博士を始めとする工藤君のまわりの方々との縁があるから、大きくなってからも彼らと交流する可能性はあるでしょう。

 ……もしかしたらいつか、暗に打ち明けたりはするのかもしれないですね。いや、皆に察知されるほうが早そうな気もする。

 

 そして次はやはりメアリーさんについて。

 私は真純さんとの面識はあるんだけどメアリーさんのことまでは知らないはず(・・)なので、工藤君のほうから何か言ってくれるのを待っていました。

 

 コクーンを格納してるのは公安の地下施設なので、解毒するにはそこにご招待しなきゃいけない。

 念のためにメアリーさんの細胞も調べさせていただいたんだけど、工藤君と同じ状態だった。メアリーさんが小さくなった時期は私にはよく分からなくて、もしかしたらエレーナさんたちの代のものかもしれないと、解析に時間を要することも覚悟していたのですが、そうならなくて良かったです。彼女が飲まされたのもメスカルの手によるものだったのかもしれない。

 というわけでメアリーさんも無事に解毒することができました。ほっ。

 

 念のためにお二人はまだ表に出ず隠れて暮らしています。成長促進剤を少しずつ処方してるんですが、お二人ともはやくはやくと気が急いてるご様子です。1日に1回しか処方しませんからね! 下手したら死んじゃうよ!

 あと、てっきり江戸川君=工藤君についてお伝えした上でメアリーさんをお招きしたんだと思ってたんですけど、工藤君ははぐらかしてたみたいです。まあ彼女たちには薄々勘付かれてそうですけども。

 

 そして後日、いよいよFBIとCIAに協力を要請しようとなって、更に日本公安側(と工藤君)で話を詰めた。

 

「先にFBIのジョディさんと赤井さんにちょっとお話をしたいんです」

 

 これは薬に関係することなので私から話を始める。

 それに真っ先に反応したのは白石さんだった。

 

「……赤井?」

 

 少し引っ掛かっておられるような色が見える。

 私はにこりと笑う。

 

「赤井秀一さんです」

 

 白石さんが目を丸くした。きっと彼がFBIになったとはご存知なかったんですね。

 

「……やっぱりご親戚なんですか?」

 

 そう聞いた諸伏さんには何だか期待のようなものが見えた。

 そんな彼を見遣った降谷さんは少しだけ目を眇めてる気がする。

 

「……その人物は私に似ているか?」

 

 それは、正直に『否』と答えてもなあ……白石さんははぐらかしたいのかもしれませんね。だけど私にはちょっとした目論見があるので、是非白状していただきたい。

 にこっと笑う。分かってるんですよなんて威圧になってたらいいなあ。

 

「太閤名人のお兄さんだそうです」

「……」

 

 身を隠すべき立場といっても、ニュースを見れないような環境ではいらっしゃらないと思うのです。

 彼は口をへの字に曲げて少し沈黙した後、観念したように小さな溜め息をついた。

 

「秀吉は浩司君の夢を継いだんだろうな」

 

 聞こえるか聞こえないかの声でそう呟いて、

 

「……ああ、その『赤井秀一』は私の血縁だと思うよ」

 

 観念したように頷いてくれた。

 

「そうだったんですね」

 

 そう言った諸伏さんの周りの空気が何だかキラキラしてる気がする。

 そしてそんな彼を見遣る降谷さんの視線がやっぱりちょっと鋭い。

 

 工藤君はそのやり取りにしばらく目を丸くしてたんだけど、ふと考え込む様子をみせる。

 赤井さんの血縁って聞いてメアリーさんたちのこととかも思い浮かべてるのかもしれないね。勝手に白石さんにお伝えしていいのかは迷うだろうし。

 

「じゃあ、お会いになったらびっくりなさるかもしれませんね」

 

 それを考えるとふふっと笑ってしまう。びっくりした赤井さんとかレアそう。

 しかし白石さんは苦笑した。

 

「……顔を合わせるかどうかは、迷うな……」

 

 きょとりとしたのは私だけじゃなく諸伏さんと工藤君もだった。

 はっきり知ってるわけじゃないですけど、消息を知らせてない期間は長そうですものね。十年以上にはなるのかな?

 

「いや、これは私の問題だ。場を設けるとなったらそれまでに決めるよ。すまない脱線したな、話を戻してくれ」

 

 こくりと頷いて私は話を続ける。

 

「CIAはアメリカの国益のために動く組織です。我々が完成させた技術は毒薬に使用されたことからも分かるように、公開には慎重にならなければいけません。

 我々の研究が薬学界を揺るがす物だという認識がさすがにあります。惜しみなく力添えして下さったシンドラーカンパニーには申し訳ないですが、検討の上公開せず封印する可能性も今はまだ充分にあります」

 

 その場合、あちらの皆さんには別の研究で必ず報いる気では、あるのだけれど。

 

「だけど、CIAはアメリカのためにこの薬の情報を狙ってくる可能性があります。この点について、CIAをとやかく言う意図はありませんが、楽観視はできません」

 

 彼らの信念を否定するつもりはない。

 誰だって自国の発展は大事です。

 

「一方、FBIは既にベルモットが不老であることを知っています。そして彼女個人に追求したいことがある人が複数いるフシがあります。だから我々がベルモットに司法取引を持ちかけるにあたっては、彼らにも詳細をお伝えしたほうがいいと思っています。でなければ納得してくれないでしょう。下手したら不和を招きます。

 なのでまずジョディさんと、FBIのエースである赤井さんにお話をしておきたいんです」

 

 黒田さんがふむと思案する。

 

「彼らであれば、この薬に関する技術はそう簡単に公開すべきじゃないと、理解してくれると思います。そのへんも含めて、白石さんには是非同席していただきたいです。赤井さんのご親戚がこちら側にいらしたら、より協力的になってくれるのではないかと」

 

 白石さんにまたこっと笑いかけてみる。彼は肩を竦めて苦笑を返した。簡単には頷いてくれないみたいです。

 

「……むしろ逆撫でしたりしないといいんだがな」

 

 そ、そんなことありますかね。赤井さんがFBIに入ったのはお父さんの失踪について真相を掴むためだったような気がするのですが。

 

「……ともかく、以上が薬に関することでのこちらからの要望です」

「……成程な。下手を打てばFBIがこちらに牙をむく可能性さえある、か」

 

 黒田さんのお応えは意外に早かった。

 

「開発者自身がそう言うのなら、専門外の我々がとやかく言うものではあるまいよ」

 

 ふっと少し目を伏せてそう仰った黒田さんは、すぐにはっきりした目で私を見遣る。

 

「話は早めにつけておけ。FBIとCIAへの要請も並行して出しておく。返答はすぐには返って来ないだろうがな」

 

 敢えて『赤井さんとジョディさん』と指定した意図を察しておられるのですね。

 FBIの中にもCIA寄りの考えなかたはいるでしょうから。

 

「承知しました」

 

 私は強く頷いた。

 

 そしてその後も細々とした打ち合わせは進み、また夕飯を皆で食べました。

 この面々、放っといたら食事を疎かにして働きそうですからね。偏見かもしれませんが。

 

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 赤井さんとジョディさんはやはり同意して下さいました。一安心です。

 白石さんはと言えば同席はして下さったのですが、一言も口を開くことなく、話が終わるとすぐに退出してしまった。

 

 私は赤井さんを見つめたのだけど、彼はふっと笑ったのみだった。

 

 ……何もかも全部分かっていらっしゃりそう。

 

 そして暫くしてCIAもFBIも合同対策本部の設置に同意してくれたため、警察庁の広い広い会議室が貸し切りになった。今はまだ席がそう埋まっていないのが、これから先を見通したものだと知らしめる。

 

 セキュリティチェックも厳しいし、持ち物検査も必須で、席と席の間隔が広く、それぞれの姿がよく見える。

 そこに入るというだけのことにこれだけの手順を噛ませられる会議室は、警察庁にしかなかったそう。

 

 人の顔を覚えるのは公安警察にとって必須でもあるようですから、一人一人がよく見えれば怪しい人物が混ざってたらすぐ見つけられるのです。例えば指名手配犯の顔とか全部覚えてる。私も記憶力だけは胸を張れますので!

 

 薬のことは伏せて長い長い情報を開示すると米国勢は一様に固まっていた。

 多分日本警察は色々な理由で侮られていたと思う。根深いものから小さな思い込みまで様々なことで。

 面目躍如と思えて内心ですっとしておく。

 

 そして降谷さんは前はあんまり乗り気じゃなかったけど、彼が逃がした元NOCの人々の行方をキッチリ掴んでたみたい。他の警察機関にも本格的に協力要請を出すにあたって、既にFBIとCIAが合意していると伝えることに許しを求めていた。ぼかしはするみたいだけど。それはきっとかなり大きな交渉材になるし、脅しと取られる可能性も下がってくれるんじゃないかな。

 彼らもそれを理解してくれたようで、それなりに早く同意を得られた。

 

 そして少しずつ会議室の席は埋まっていき、徐々に世界各国に散る組織関係者が明るみに出て、然るべき処遇を受け始めた頃、いよいよベルモットに仕掛けることになる。

 

『バーボン』に呼び出された彼女は指定されたホテルの部屋に工藤君と蘭さんが居て驚愕していた。工藤君の見た目はまだ中学生くらいだけれど、髪はもうほとんど黒に戻ってるし、髪型も前に近いし、顔が顔だし、さすがに分かりすぎる。

 

 何かを察したらしい彼女にギッと降谷さんと私が睨まれて、即座に部屋を脱出されそうになったけど、全員が全員鍛えに鍛えてる人間だからさすがにそうはいかなかった。

 

「一体何の用」

 

 苦々しくそう言う彼女。

 

「逃げようとしたからには薄々察してるんでしょう? ちなみに、交渉決裂の場合あなたはこのまま連行される」

 

 忌々し気に舌打ちをする彼女。

 ベルモットの舌打ちなんてそうそうなかったような気がする。かなりイライラしてそうです。

 

「やっぱりあなたコレだったわけね」

 

 コン、と空をノックする素振りを見せる彼女に、降谷さんは肩を竦めたのみ。

 

「……お前は、俺が『江戸川コナン』だったって知ってるだろ」

 

 ややあって工藤君がそう言うと、ベルモットは苦し気に眉間の皺を深くした。

 

「お前も戻りたいんじゃないのか」

「……!」

 

 ベルモットがまた驚愕の表情を浮かべた。

 そしてギロリと降谷さんを睨み付けた。だけど。

 

「安室さんがバラしたわけじゃねえよ。櫛森さんが予想をつけて、俺たちであれこれ話し込んで、この結論に達しただけだ。……むしろ何で言わなかったんだ、安室さん」

 

 そう言って工藤君が軽く降谷さんを睨んだ。

 

 そう、この伝えかたをするために、私は今日この場には『櫛森』として出席しているのです。

 脅された場にいたのは『私』でしたので。その後ちらほら安室さんと一緒にいるベルモットと鉢合わせることにもなりましたしね。

 

 降谷さんは小さく、苦く笑った。

 

「君たちを巻き込めるか分からなかったからだよ。そもそも僕はコナン君が工藤君だなんて知らなかったしね」

 

「……ふーん」

 

 工藤君は納得していないのか不満なのか、口をへの字に曲げて目を眇めた。

 しかしそれも束の間、彼は真剣な顔をしてベルモットに向き直る。

 

「あとひとつ。ベルモット、あんたが俺たちを特別視してるっぽいのは何でだ」

「……」

 

 ベルモットは少し怖いような──もしかしたら青褪めていたのかもしれない──顔をして、只黙っている。

 

 そしてやがてふっと目を伏せ、そして工藤君を見つめ、蘭さんにも目を向けた。

 

「……あなたたちはきっと覚えていないわ。私はあなたたちに助けられたの。それも身も心もなんていう嘘みたいな言葉通りにね。──それも、犯罪者と分かった上で、だったわ」

 

 工藤君と蘭さんは顔を見合わせ、小首を傾げた。

 

「ほら、覚えてないでしょう。むしろそれでいいの。……それが私のためなのよ。思い出さないでちょうだい。でなければ死んでもこの場から退場するわ」

「……!? 何で、そんな……いや、分かったよ。あんたを死なせはしねーよ」

「……」

 

 沈黙するベルモット。それがぐうの音も出ない状態だなんて工藤君も蘭さんも分からないんだろうな。

 言い方がね……そういうところだよ、工藤君。

 

「……思えば、だ。むしろ俺たちのほうがあんたには何度も何度も助けられてる。物言いだって接しかただって、大切にされてたのがさすがに分かるくらいだった。……あんたさえよければこれからも俺たちはあんたに会いたい。飯食ったり買い物したり、どっか遊びに行ったり……そういうのを、やろうぜ。やらせてくれよ。こっちはやられたままじゃ収まらねえんだよ」

 

 ベルモットがみるみる目を丸くして固まった。

 

「シャロンさん、なんですよね」

 

 蘭さんが口を開いた。

 彼女を見つめたベルモットが閉じた口は小しだけ窄められ、表情は苦し気なものとなる。

 

「私たちと一緒に居たいと思ってくれるなら……一緒に生きて、一緒に時を重ねましょう。私はあなたのおかげで今生きていられてます。私は……気絶していたりして気づけてなかったけど、新一から色々聞きました。だから、あなたに返せるものがあってほしいんです。お願いします」

 

 そういった蘭さんはお辞儀さえしていた。

 ベルモットがますます息を詰まらせる。

 

 二人がここまでの殺し文句を怒涛のように並べるだなんて、私も予想できてなかったよ。

 こんな二人だからこそ、ベルモットの心を惹き付けてやまないのでしょう。

 

 ベルモットの頬を、一筋の光が伝った。

 

 しばらくの沈黙の後。

 

「……私の解毒は、全てが終わってからにして。でないと気づかれかねないわ」

 

 そう言った彼女に、蘭さんが胸がいっぱいになったような様子で、眉尻を少し下げながら目も口も少し丸くして、そして静かにベルモットに歩み寄り、その手を取って柔らかく、それでいてしっかりと握っていた。

 蘭さんは少し俯いてベルモットの手を抱きしめるような様子を見せ、ほう、と感激のような色の滲む息をつき、そして柔らかく彼女に笑いかけた。

 

「ありがとう、ございます……!」

 

 ベルモットがまた息を飲んで、そしてまた流れる雫。

 

 あなたもそういうところですよ、蘭さん。

 

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 それからベルモットは何事もないように組織の中で振る舞いながら、少しずつ我々に情報を与えてくれて、組織に関わりのある存在が次第に、ゆっくりと、忍び寄るように潰されて行った。

 各国の警察組織がそれぞれの国において、突然強制捜査や強制執行を行うのではなく、既に潜り込んでいたり新たに送り込んだりの捜査官や協力者により、内部からじわじわとボロを重ねさせ、地位を失墜させていった。

 本当にゆっくりとだからこそ組織の人間は、「ヘマしやがって」程度にしか思っていない。

 

 ここに来ていよいよと我々はミード確保のために動き出します。

 

 彼女に連絡をつける方法はベルモットが教えてくれた。

 

-『一羽の老鴉に心の底から忠誠を誓っているのでなければ』

 

 それを送ったのは今有る誰の名義でもないスマホ。

 

 そんな怪しいモノだというのに彼女は指定の場所に現れた。

 

 この場に居るのは『安室さん』と『櫛森』だけですが、逃走されないように公安の仲間がみっちり様子を覗っています。

 

「……やっぱり、あなたたちなのね」

 

 どこか自嘲するような嘆息を漏らした彼女は、あの時のような丁寧語ではなかった。

 

「やっぱり、とは?」

 

 降谷さんが薄い微笑みのまま小首を傾げる。

 

「私に声を掛けてくる理由があるのはあなたたちしかいないからよ」

「……成程。外界と接点がなかったわけですね」

 

 降谷さんは少し警戒を強めた気がした。

 

「その理由も薄々分かるわ。薬が完成したんでしょう?」

 

 力なく微笑んだままそう彼女は言った。

 そっか。彼女の状況からするとそれしかなかったんだ。

 

 けれど私も降谷さんも安易に頷くことはせず、彼女をじっと見つめた。

 

 それでもやはり彼女は、引き続き力なく微笑む。

 

「……あなたたちはきっと、私には烏丸に付き従う理由が全く無いことが分かっていたわよね」

 

 眉尻を下げて彼女はふっと笑った。

 

「だから、どうしてもっと早く声を掛けてくれなかったのとすら思うわ。むしろ……『あなたと同じ』とわざわざ言ったことで、助けを求めていたつもりでさえあったのよ」

「無茶を言わないで下さい。あなたはそれだけの立場に居る」

「……そうね」

 

 安室さんの言葉に、彼女はまた、力なく笑う。

 

「……もしあなたが寝返ってくれたとして、組織を潰滅するまではあの場所に戻って貰わないといけません。それでもこちら側についてくれますか?」

 

 私が聞くと、やはりまた、彼女は力なく微笑む。

 

「それは当たり前だわ。ここで私が組織から消えたら絶対にあなたたちが犯人だもの。それじゃ薬を貰えない。私にも損害しかないわ」

「私がたどり着いた方法であれば、解毒できさえすればあなたは時と共に本来の時間経過を獲得します。しかし必ず成功させるためには、一人一人の細胞を調べてみなければいけないのです。特にあなたがたは皆症状が違っていますから、調整しなければいけない可能性が高いです。私が関わった研究と違っている可能性すら見えてきたので、少し細胞を採取させていただいた後は少し時間がかかるかもしれませんが、完遂してみせます」

 

 ……『我々』でなく『私は』ってここで言うのは、志保さんが私のそばにいるっていうのを今は悟られたくないからです。

 違っている可能性が見えてきたというのも、ミードたちに会った場で既に想定済みでしたけど、さすがにあの場で色々話したくはなかったもの。

 私は鞄から綿棒の筒を取り出す。

 

 彼女はふっと笑った。

 

「……それもそうよね。あの時話してたかしら? 我々が飲まされた物と、シェリーが研究していた物の間には一度の隔絶があるのよ」

「そうですか……やはり慎重に進めなければいけませんね」

 

 私はふうと小さく息をついた。

 

「あと……これを見て下さい。合成と言われればそれまでですが」

 

 そして工藤君と諸伏さんに許可を得た上で持ち出させてもらった、あの時の映像を彼女に見せた。

 

「最近の映像ね……また犠牲者が出たのね」

 

 彼女の笑みにはやはりアンニュイなものがあった。

 

「そしてこちらも見て下さい」

 

 もうひとつは、これも工藤君に許可を得て撮影させてもらったもの。

 

 彼は私から受け取った薬を飲むと、少しつらそうな様子をみせ始め、煙のような蒸気のような例の靄が一筋二筋だけあがって、ちょっとだけ身体が成長した。

 

 コクーンを併用しての解毒映像よりもこちらのほうが分かりやすいと思うのと、全てを見せるのはまだ危険という警戒とでこれだけです。

 

 もちろんこの成長促進剤、連続投与はしなかったですよ! 1日一回でもちょっと負担が怖いくらいなんだから!

 今はもうすっかり元の姿に戻ってて、その写真もミードに見せた。

 

「……っふふ」

 

 そう泣きそうな笑い声を漏らした彼女は、少女のようだった。

 そして。

 

「……本当に、解毒、できるんだあ……」

 

 ほろりと光るものが、彼女の目から一粒垂れた。

 そして、へたり、と、床に座り込む。

 そのまま顔を覆って肩を震わせるのは、きっと演技ではないのでしょう。

 

『灰谷君のお母さん』や、『烏丸氏の側近ミード』としての別の顔をはっきりと知っているから、彼女に演技ができないなんてことはない。だけど、これが演技だとは思えなかった。

 

 しばらくして、彼女は頬を流れた物を拭いながら、ふらりと立ち上がった。

 

「……ごめんなさいね。情けない所を見せてしまったわ……」

 

 自嘲する彼女の目が赤い。

 

「……あなたは四十年以上そうなんでしょう。無理もないことです」

 

 また、アンニュイな微笑み。もうデフォルトがこれなんじゃないかって気がしてくる。

 

「それで、代わりに私にしてほしいことは何?」

「あなたが知っている烏丸氏と組織に関するありとあらゆる情報を、()に漏洩して下さい」

「ふふ。やっぱりそうよね。……でも、バーボンはそれでいいの? 組織がどうにかなるようならあなたは塀の中……櫛森さんに触れられなくなるわ」

 

 ふ、触れる。

 か、彼女に、してみれば、そりゃ……そういう間柄にしか……見えてない、だろうなあ……恐れ多いんだってば……。

 

 降谷さんは何だか居たたまれないような苦い微笑みを返して、そして。

 

 ぐいと私の腕を引いて、そのまましっかりと腕の中に収めた。

 

 え、あ、あの、そこまで演じなくてもよくないですかあぁぁ……。

 

「……彼女の首輪を外せるなら僕はどうなったって構わない」

 

 ひゅっと私の喉が鳴る。

 私はじたばたと彼の腕の中で暴れる。

 

「そんな……そんなこと聞いてません! 全部終わったら一緒に逃げましょう!? どこか誰も追って来れない所くらい、秋本さんになら見つけられるでしょう……!?」

 

 大根役者はほんとにびっくりしてたところなのでとても切実に叫べたと思います……本当に心臓に悪いですよ……。

 

 悲壮な顔で彼を見上げる私と、慈愛のようなそれでも眉尻を下げ眉間に少し皺さえ寄せた微笑みを向けて来る降谷さんと。

 

 私はやがて、きゅ、と彼の胸に縋りつく。

 

「……許しませんから」

 

 降谷さんは、それでも何も言わない。

 

 ああなんて悲劇のカップルっぷりでしょう。

 

 やがて降谷さんの声が降ってくる。

 

「……そんなことをしたらどのみち藍川(あいかわ)に殺されます。僕は大人しく消えるのが一番いい。……それが嫌だと言うなら、たまにきみが会いに来てくれたりすれば、それでいいじゃないですか。……俺のこの、悍ましい血で真っ赤な手を、このままにさせないでくれよ……」

 

 私は言葉を返すことなく、より彼にしがみつく。

 けどこの状況が本当だったとしたら藍川(もろふし)さんが可哀想すぎません???

 櫛森汀、とんだ悪女です!

 

 ふふっとミードが笑ったためにはっとして我々は離れた。

 

「いいのよ。あなたたちみたいな想い合う同士にこんな話題を振ったのは私だわ。むしろいいものを見せてもらえたくらい……そんなきらきらしたもの、どれだけの間目に入れられなかったかもう、分からないわ……」

 

 彼女が想定以上にこちらに肩入れしてる様子なのがむしろ不安になるけれど。

 

「……こちらに協力してくれると取っても?」

 

 降谷さんが固い表情でミードに問うた。

 

「ええ。こちらから喜んでそうしたいくらいよ。相手は私と私の両親の仇なのよ? こんな所、居たくて居たわけじゃないわ……!」

 

 頷いて、そして、次第に彼女は感情も露に声を荒げた。

 そしてふっと気まずそうに俯く。

 

「……熱くなりすぎたわ」

 

 降谷さんは無言で首を振った。

 

「いえ。……しかしいくら言葉を重ねたところで互いにまだ疑わずにはいられません。何か証をいただけませんか?」

 

 ミードは目を伏せた。

 

「……そうね。櫛森さんは映像で本当に解毒可能であることを示してくれたわ。彼女本人が言ったように合成の可能性がないとは言えないけど、私程度のためにここまで手の込んだものを作る意味がない」

「我々はどんな小さな情報でも掻き集められるだけ掻き集めなければ危ないんですよ」

 

 バーボンがひたりとミードを見据えながら無表情に言う。

 ミードはまたあの微笑みを浮かべた。

 

「……それはそうね」

 

 そして彼女はふうと小さく息をついた。

 

「証となる物……私には大事な物なんて何もないから、担保にできるものなんて……どうしたらいいのかしら……」

 

 彼女は真剣に考え込んでいた。

 

「何も、ないんですか」

「そうよ。父も母も亡くして、あの時に私自身も亡くして、でも恋人や友達はきちんと老いて、もう居ないひとさえいると思うわ。化け物と遠ざけられたから思い出の品なんてものもない」

 

 彼女は、眉間に皺を寄せて悩む。

 

「……ああ、そうだわ。物、といえば……私はとある物の管理を任されているの」

 

 彼女は、すぅと小さく息を吸った。

 

「……パンドラ。あの悍ましい薬の着想がなされた元凶の石ころ(・・・)よ」

「……!」

 

 私は絶句した。

 

 ……当代怪盗キッドの活動理由。彼の父を『殺した』組織が欲するパンドラを、粉々に砕くこと。

 

「それ自体を今すぐ渡したりしたらさすがに色々と危なすぎるけど、情報を流してあげる。私が今まで、あれをどうにかすれば身体が治るんじゃないかって、望みをかけて守ってきた物よ。今や櫛森さんのおかげでそんな物どうでもよくなってしまったから、担保にならないかもしれないけど……あれを狙ってるっぽい連中が現状二ついるんだけど、その情報をバーボンに渡したら……バーボンは、警察と司法取引ができるかもしれないわ」

 

 我々は絶句する。

 

「それは……あなたの担保にはなり得ないじゃないですか。汀が解毒法を提供する見返りがそれとされてもおかしくない物です……」

 

 降谷さんが眉間に小さく皺を寄せて、冷や汗をかいたような表情をしている。

 

 ふっとミードが苦笑する。

 

「……そうなのかもしれないわね。だけど、私には出せる物がこれくらいしかないのよ」

 

 そして彼女は、またあの、脱力したような、アンニュイな微笑みを浮かべた。

 

「信用ならないと言うならここで殺してくれたってなにひとつ構わないわ。私は惰性で生きてきただけだもの。こんな人生もうたくさんよ」

「……!!」

 

 だから、彼女はこんなにも、何度も何度も力なく微笑んでいたのですか。

 

 ……あなたも、降谷さんみたいなひとに、底に引きずり込まれる前に出会えていたら……良かったのに。

 

 私は彼女に歩み寄り、その手を取った。

 ふっと、かつての蘭さんに似た行動になってしまったことに自嘲する。あの人みたいに綺麗な言葉を紡ぐことなんて私には不可能だ。

 

「……死なないで下さい、なんて言うのは私のエゴですが……あなたは我々に近い年頃に見えます。大切なものはこれからだって出てくるかもしれない」

 

 彼女は、あの微笑みを浮かべる。

 

「そうだったら、とても素敵ね」

 

 はらりと再びこぼされた雫はとても綺麗に見えた。

 

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 帰っていくミードの背中に、その行き先が彼女にとっては死地であっただろうこの四十数年を考えて神妙になっていると、ぐいっと思いきり降谷さんに腕を引かれた。

 

「え!?」

 

 びっくりして思わずその一音は妙に大きいものになってたのだけど、

 

「ん、ぅ……!?」

 

 私は更に驚いて仰け反る。だけど降谷さんの腕がそれを許してくれない。

 

 ……彼とこういうふうに触れ合ったのはいつ以来なんだろう。

 

 でも、こんなことはもうないと思ってたのに。

 

 矢継ぎ早に責め立ててくる彼の唇と舌が、強く抱きしめてくるその腕が、信じられなくて私は硬直して、だけど。

 

 多分、これは。

 

 ──これは。

 

 今までのすべてが仕事のためであったとしたら、これは。

 

 ああ、私は、

 

 なんて、

 

 酷いことをしていたのでしょうね。

 

 食んでは舐めて、捕えて、責めて、絡めて、強く吸われて、かと思えば優しくなぞられて、啄まれて、もう、もう。

 

「……お前はその自己卑下をやめろ。……死ぬぞ」

 

 降谷さんの声は、『降谷零さん』に本当に出会ったあの日よりも、とても低くて、強くて、そして。

 その表情はとても苦しげだった。

 

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 ちゅっ、ちゅ、とリップ音が繰り返されるたび櫛森の内側で何がが跳ねる。

 驚きで見開いた目の前にぼんやりと見えたスカイブルーは、彼女が知っているよりも随分細められていた。

 

「っふ……ん、んん……! ふる、や、さん……!」

 

 かぁっと頬に差した熱があっという間に全身に伝播する。

 

「……それだよ」

 

 ふっとそれだけ言って降谷はまた彼女の唇を食み、やんわりと啜る。幾度も加減を変えて。

 

「ふえ、……っん、ん、ぅ……! ま、って……っ」

「……君が『ゼロ』って呼んでくれる時は形だけだ。未だに気を許してくれてない。分かってるんだ」

 

 淡々と言った彼はまた唇を重ね、そのままじりじりと歩みを進める。彼女はそれに気押されるまま後退りして、何かに足を取られ勢い良く背中から倒れ込む。

 一瞬の浮遊感に恐怖を憶えたのも束の間、後ろにあったのは柔らかな感触で、彼女はそこにベッドがあったのを思い出した。

 

 ぐ、と降谷はそのまま彼女にのし掛かる。手首を両方押さえ込んで組み敷く。

 

「っ! ふ、るやさんっ、や」

「……君がこの姿に僕じゃなくて『秋本』を見てるのも知ってる」

「……! ちが……っ」

 

 それは半分誤解で、半分真実だった。

 彼とまるで恋人のように振る舞う時には、どうしても櫛森の頭に『彼』が過る。

 だけど。

 

 彼が『降谷零』であることは、そうと明かしてくれる前から、たとえ物語が彼の全部ではなかったとしても、知ってしまっていたから。

 

「……違わない」

 

 否定の言葉と重ねてまた唇を塞がれる。

 

「ん、んぅぅ……っ!」

 

 貪るように求められる。

 激しいそれに、それでも痛くなるようなことは決してない優しさも感じて、彼女の胸の奥が痺れていく。

 

 やがて離れた二人の間を繋いだ細い銀糸は、すぐに切れてしまった。

 そして。

 

「……っ」

 

 肩を掻き抱いた彼の腕の力強さに彼女は息を飲んだ。

 

「……はは」

 

 降谷の力の無い笑い声が聞こえた。

 

「……君の隣には寄り添えない。決めたのは僕なのにな」

「……!」

 

 また、彼女は息を飲む。

 

「それでも……僕の……僕たちの中で、君の存在はとても大きいんだ。それだけは絶対に忘れないでくれ」

 

 そう言って降谷は櫛森を腕の中から開放した。

 その表情がくしゃくしゃに歪められていて、彼女の胸を突き刺した。

 苦しげな切ない顔で、する、と一度彼女の髪を撫でると、身を起こした彼はふいっと背を向ける。

 

「……ヒロに迎えを頼んである、から……」

 

 それだけ言うと、降谷は部屋を去って行った。

 

 取り残された彼女は、それでも彼らに抱く恐れ多さのようなものは消すことができそうにないなと、泣きたいようなよく分からない感情を持て余した。

 

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 彼女は地下駐車場で『湯日川碧』の姿の諸伏がスマホを眺めているのを発見する。

 歩み寄ると彼は彼女に気づいて顔を上げ、そしてふわりと笑った。

 

「上手くいったそうですね。お疲れ様です」

「……はい。ほっと、しました」

 

 彼女はへらりと笑い返した。

 諸伏に促されて助手席に乗り込む。

 

「……透が嘆いてます」

 

 しばらくゆったりとした穏やかな運転を続けて、彼はぽつりと呟くように言った。彼女は薄っすらと表情を歪める。

 降谷から密告されたらしきことに不満がないと言えば嘘になるが、そんなことを彼にさせてしまった程心配をかけているのだと、申し訳なくもなった。

 それでもやはり、自身が彼らに大切に思われているかもしれないことは、怖い(・・)と感じてしまう。

 

 は、と小さく溜め息をこぼした彼はそれ以上何も言わなかった。

 

 言わなかったが。

 

 彼は彼女を彼女の部屋に送り届けるのではなく、彼の部屋までその手を引いていき、玄関に鍵をかけるとそのままそこに押し付けるようにして拘束してしまった。

 

「……っ、み、碧さん……!?」

「……オレは……君がすんなり命を投げ出しそうなのが怖い」

「……!」

 

 ……彼女の首に巻かれている凶器までもが目に入って、余計に彼は表情を歪める。

 いつでも外せると言って彼女本人は全く気にしている様子がない、とはいえ。

 

「あの組織を追い詰めるごとにどんどんその恐怖が大きくなる。……きっとゼロも同じだ」

 

 彼女は真剣な……どころか悲痛な顔をする彼を居た堪れない表情で見つめた。

 そして彼はとても苦い笑みを浮かべた。

 

 いくら言っても彼女は他人のために怪我をして帰ってくる。

 次、彼女は帰ってこないかもしれない。

 それはすぐ明日かもしれなくて。

 

 怖かった。どうしようもなく、怖かった。

 

「……公安失格……覚悟が足りてないって言われてもおかしくないもしれないけど」

 

 彼は玄関に押し付けていた彼女の両手首を開放し、そのままぎゅうっと彼女を抱きしめた。

 

「……必ず生き残る意思を持ったほうが強いこともあるって、今はそう思うから……お願いだから、君の命を君自身が諦めたりしないでほしい」

 

 彼女の瞳が揺れる。

 

「……オレも、もう何かあっても生きられるように最後の最後までみっともなく足掻くから……だから、君も……」

 

 彼は彼女から少し身体を離して、彼女の顔を両側から掌で包みこんで口付けた。彼女の肩にぴくりと力が篭もる。

 

 ……諸伏は彼女の命の鎹になれたらいいのにと願う。

 

 チュッと音を立てて啄んでから彼女から唇を離す。

 酸素を求める必死な呼吸すら艶かしく感じてしまって煽られるのを彼は何とか抑える。

 

「……嫌だって思ったら即逃げてくれ。無理強いは、しない」

 

 彼女が目を少し見開く。

 彼はするりと彼女の両方の耳に指を這わせた。肩を跳ねさせ彼女は思い切り目を瞑った。

 すりすりとゆっくりたどっていると、彼女はぎゅっと彼の胸元の服を掴みながら耐え難そうに身動ぎを始める。

 

「……っふ……ぁ……!」

 

 可愛らしい声をあげる彼女の姿にどうしようもなく膨らむ感情を、まだ駄目だと押さえつける。

 しばらく耳を責めていると彼女は汗ばみ始めた。赤い顔と潤んだ瞳が可愛らしくてたまらない。

 

 彼が彼女の耳から指を離すと彼女はヘナヘナと彼に倒れかかった。

 

「……嫌だったら、ちゃんと君の部屋に帰すから、言って」

 

 少しの間彼女は彼の腕の中で黙り込んだ。

 彼の腕には容易く振り解けるくらいにしか力が入っていないことが彼女には分かったから、本当に帰す気があるんだと、その彼の気遣いににきゅっと切なくなった。

 しかし呼吸が落ち着いたところで、彼女は小さく首を振った。

 彼は望んでいるとはいえ息を飲む。

 

「……でも」

「うん?」

「……良くないような、気がして」

「……何が?」

「……っ……私、思わせぶりなばかりで……嫌じゃないからって……っ……ずるい、でしょう……」

 

 言って身を強張らせる彼女に、彼はくすりと笑う。

 

「ずるくたって構わない」

「!?」

 

 彼女はがばと顔をあげた。

 諸伏はきゅ、と彼女を抱きしめる腕を少し強める。

 

「むしろ……もし君が……分からないとかで拒絶しないんだったら……オレは、そこに付け込むよ」

「……!」

 

 それ程に求められている、と、彼女の心臓はどくりと跳ねた。高鳴ったのではなく非捕食者になったかのような竦み。しかし恐怖に近い圧迫感に晒されたのは一瞬だけで、あとは痺れたような熱に変わる。

 

(……もしかして……私は、嬉しい、んでしょうか……)

 

 はっきりとは正体を掴めない複雑な感覚に彼女は薄っすら混乱する。

 自身の諸伏に対する気持ちが何なのか測りかねているのは本当ではあれど、だからといってはっきりとは拒絶もせず受け入れもせず、宙ぶらりんにさせているのは本当に如何なものだろう。

 

 瞳を揺らす彼女に諸伏は再び唇を重ねた。どこまでも優しい触れかたでやわやわと食まれて啜られて、そして顎をやはり優しい触れかたで引いて口を開かされて、ゆっくりとじっくりと舌を絡められて気持ちを高みに(いざな)われる。

 

「……っ」

 

 それに身を任せてしまっていいのか分からなすぎて、彼女は無意識に抑え込もうと力む。しかしその抵抗はあまりうまくいかなかったらしい。……熱い。

 

 やがてふっと開放され、彼女は酸素を求めて浅い息を繰り返した。

 

「……嫌だったら、逃げろ」

 

 じっと視線を合わせて微笑む彼は切なげで、彼女の胸に突き刺さった。

 数秒見つめ合って、彼女は俯く。やはり、嫌、とは全く思えていなくて、背徳感とか罪悪感とか、そんな気がするもやもやに襲われる。

 とはいえ、嘘をついてまで彼を拒絶する気にはなれなかった。

 ふるりと、彼女は首を振る。自身がそうと選ぶのだと、それをきちんと胸に抱えながら。

 

 諸伏はまた息を飲む。

 彼女にそうやってはっきりと答えを求めるのは。

 

(……オレこそ、ずるいのかもしれないのにな)

 

 彼女と似たもやもやを抱えはすれど。

 

 掌で彼女の両頬を包み込んで、再び唇を重ねて、頬を撫でて、耳を撫でて、首筋を辿っていく。ひくりと彼女の肩が震えた。その肩を掌で包み込むと更に彼女は肩をすくめた。

 ……彼女は肩が弱いのかもしれない。

 それを見つけたことに煽られながら、諸伏はするりするりと彼女の肩を撫でて、手のひらで包んで、繰り返す。

 

「嫌だったら、言うんだ……」

 

 しかし彼女は今度はすぐに首を振った。

 

 それから──。

 

「……ほんとに、嫌じゃない、か……?」

 

 耳元でそっと囁くと彼女はくすぐったいのか首を竦め、一瞬だけしか間を置かずはっきりと、頷いた。

 諸伏の喉がこくりと鳴る。

 肩を抱いた腕を強めて。

 

「……じゃあもう、帰さない」

「!」

 

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「……痛かったか……?」

 

 諸伏がそっと問いかけると彼女はぼんやりと目を開いた。

 彼と視線が合うと、彼女は少し恥ずかしげな気がする微笑みを薄っすらと浮かべた。

 そしてふるりと小さく首が振られる。

 

 ……日頃の彼女を思えば痩せ我慢である疑いが拭えないけれど。

 

 再び目を閉じてぐったりとする彼女の唇にひとつキスを落として、やんわりと肩を抱きしめる。

 

「……ごめん……でも……まだ、全然足りないんだからな……だから……次が許されるなら……」

 

 ……次があるって、思わせてくれ。いなくならないでくれ。ここに彼女を欲する者が確実にいるのだと主張する。

 

 小さく彼女が息を飲んだ気がした。

 

「……もっとゆっくり準備するよ……」

 

 彼の真意をきちんと掴んでいない彼女は、今日だって随分長く触れてくれていたのにと、どう言葉にしたらと一瞬悩む。

 そしてふよ、と視線を泳がせた。

 

「……そんな、の……絶対のぼせちゃいます……」

 

 諸伏は彼女を失神させてしまった過去を思い出す。

 もう随分遠いことな気がした。

 

 ふっと彼は自嘲で苦笑する。

 

「……もうあんなふうにはならないように……ちゃんと加減する、よ……」

「……ふふっ」

 

 諸伏の苦笑につられたように彼女が小さく笑った。

 何だか心が暖かくなって、諸伏は彼女を抱く腕の力を少しだけ強めた。

 

「……好き。汀さん……好きだ」

 

 彼女がひゅっと小さく細く息を飲む。

 

「好き……だから……生きて。……生きろ」

「……」

 

 彼女の瞳が揺れる。

 

「……絶対に、死ぬな。ここに……オレの腕の中に、帰ってきてくれ」

 

 ──彼女は、彼らに大切に思われているかもしれないことが怖かった。

 

 だから、組織の壊滅を遂げない内は浮ついている暇なんてないと、そんな建前をつけて逃げてしまう。

 

「……っ!」

 

 はらりと彼女の頬を涙が伝う。

 

「…………もし……」

 

 ぽつりと彼女が呟く。

 

「もし、私が死にそうだったら……ヒロさんが、とめてくださいますか……?」

 

 泣きそうに笑って彼女は言う。

 酷く他力本願な発言に、自嘲するしかない。

 けれど今はそれくらいしか──。

 

 諸伏も彼女と似た微笑みを浮かべて、ぎゅうっと彼女を抱き締めた。

 

「……ああ。必ず……」




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転生者
 記憶力だけじゃないから。
 自分がどれだけ規格外かもだけど、どれだけ周りに大切に思われてるか、相変わらず自覚が無い。
 そういう部分を、降谷さんに怒られた。
 ……さすがに、気づいた。

降谷さん
 百パー演技だと思ってる転生者の内心が「私なんかが」であることを知っているから激おこした。

諸伏さん
 転生者が分からず屋すぎてとうとう爆発した。
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