九月に入ったとはいえ夕刻はまだとても暑い。
この花火大会が微妙に夏休みをはみ出しているのは、近くにある神社の謂れに関係してるようだ。
足元でカラリと軽やかな音がする。
浴衣に下駄に団扇に、手には出店で買ったりした諸々。どう見てもただ祭りを楽しみに来てる兄弟だろう?
悪漢と対峙する可能性もあるのに下駄なんか履いてるのは、硬く頑丈で武器にもなり得るから。浴衣にスニーカーはちょっと嫌だったのもあるけど。
多くの人々が行き交う河川敷でまだ陽の残るうちから賑わっている出店の連なりを見渡すと、その雰囲気を味わうだけでも心が躍る。
ただ僕たちはこれを堪能しに来たわけじゃない。
偶然を装って、数人の女子と連れ立っていた
「わー! ゼロくんもお兄さんたちも、浴衣、かっこいいですね……!」
「ふふふ、ありがと。栞も浴衣似合ってるな」
「おー。かわいーかわいー」
栞の後ろで何人かが「桜井の……!? 三人とも……!?」ってざわざわしてる気がした。僕は不必要に家族構成を外でペラペラ話したことはないから、人数に驚いたんだろう。昨今では多いほうだから無理もない。
「研お兄さんはやっぱりお仕事……?」
「うん。最近物騒だしね。もしかしたらこの花火大会の見回りもやってるのかも」
「……そっかあ……」
栞はへにゃりと眉を下げた。
また後ろで「え、もう一人……!?」と驚いてる声がした気がする。兄弟五人というのはまあ、なかなか見ないだろうな。
「おーい、一年、二年〜! こっちこっち〜!」
そんな女性の声がして栞は振り返った。そして顔だけ僕たちのほうに向き直る。
「先輩たちが呼んでるから行ってきます。ゼロくんたちもいい花火が見れますように」
にこりと笑って周りにいた女子たちとともに小走りに駆けていった。栞は浴衣に合わせてサンダルを履いてるようだ。本人も運動は苦手と言ってる通り実際危なっかしくて、どうも転ばないか心配してしまう。我ながら過保護すぎるな。
しばらく経つと彼女たちはきゃいきゃいと射的ゲームを始めてて微笑ましくなった。通りすがるのを装って少し様子を伺うと、どうやらここの景品は女子の好みそうなものばかりらしい。この店の主な狙いはプレゼントするために奮起する層なのかもしれない。イベント出店はカップル向けに振り切るのも戦略だよなあ。
僕たちはそのまま少し離れたかき氷の出店まで歩き、それぞれ注文する。
栞が見えなくならない範囲で少し端によけて、サクリと細かな氷にスプーンストローを突き刺して掬う。
「ヒロと零は青、航は黄色か」
「一応ブルーハワイとかレモンとかって名前があるだろう。そういう陣兄は抹茶か」
「おう。コレはちゃんと名前通りの風味がある」
「割高なのはそのせいかね」
「知らねーが、まあ、新しいほうだしな」
「そうだね」
古くからあるものは、色が違うだけで味は同じと聞く。しかし時代が進むと世のニーズに合わせてフレーバーが追加されていき、新しいものはきちんと名前通りの素材を使っている場合もあるようだ。それらに合わせて旧来の物もそうなる様子はないようだけど、衛生面もあるだろうが、出店には安さのほうが求められてるってことなんだろう。
時代が下ってから現れたのが伝統ある抹茶などであるのは、少しの皮肉と同時に暖かさを憶える。
しゃくしゃく。
夕焼けが綺麗な時間になってきたがやはり暑くて、氷菓子の冷たさが心地よかった。
「ラムネとか売ってねーかな」
「オレももうちょっと飲み物欲しくなった」
「……なあ、何か男が混ざってんだけど、ナンパか?」
陣兄がぽつりと言う。
まだ射的の屋台にいる彼女たちを視界から外さないようにはしてたんだけど、言われてみれば横になんかいるな。でも無関係な客じゃ……いや、違う、が。
「うちの制服だから、同じ美術部の奴だろう」
「……ふーん」
陣兄の目が眇められた。
「え、いや、いくら何でも、誰彼構わず牽制するのはやりすぎだろ」
「……何のために俺たちがこんなストーカー紛いのことやってるかだ」
「……『犯人』は、未成年じゃない」
「あの危なっかしいふわふわ、守るのは『犯罪者』からだけでいいってのか?」
「ふ、ふわふわ……」
ヒロ兄は思わずといった様子でそう溢し、僕は一瞬黙り込む。
「……それが『守る』ことになるかどうか、判断できるのは栞だけだ」
陣兄が口をひん曲げた。
そしてくしゃりと自分の横髪を握りつぶした。
「ッあ゙ー! お前ら、マジ、面倒くせぇー……」
「……な、何だよ」
「ヒロの旦那、こんな唐変木置いといて行ってこい」
「……え!? お、オレぇ!?」
「……なんだ、お前も遠慮しいか。めんど」
「……!」
陣兄は団扇でぱたぱたと自身の顔のあたりを仰ぎながら一人歩き出した。
「え、ちょ」
「『犯人』警戒したいだけならあいつをベッタリ監視する必要はねえ。俺は俺で自分のやれることをやる。お前らも勝手にしろ」
追いすがることなんかできずに、僕は苦く笑いながらその背中を見送った。
多分往来で不審人物を警戒する気なんだろう。普通なら護衛対象から離れるのは悪手になり得るが、『ストーカー紛い』なんて言った程には彼の性に合わないようなのと、自分の『目』と勘の使いかたを分かってるからだと思う。
「……桜井さん?」
ふと呼ばれて僕たちは一斉にそちらを見た。声の主が目を丸くした。
「ああ、本田さん、こんばんは。この二人は俺の兄と弟だ」
「こんばんは! そうだったんですね」
にこっと笑う『本田さん』に……ああ、ナタリーさんだと思った。
何だか彼女の周りにいた子たちが彼女を肘でちょんっとやるなどして、にこにこしながら離れて行った。
「ちょ、ちょっとみんな……!」
本田さんがあわあわしているところ悪いけど、僕とヒロ兄は微笑ましくてくすりと笑い合う。そんな僕たちを航兄はジト目で見ている。
僕とヒロ兄はどちらからともなく航兄を引っ張って声を潜めた。
「いいから、彼女をエスコートしてこい。今危険なのは栞だけじゃないんだから」
「日時とか犠牲者数とか誰も思い出せてないんだ。栞ちゃんだけ見てたら彼女が……なんて、目も当てられない」
航兄は一瞬顔をしかめる。
「……そう、だな……」
アニメの中でとはいえ最愛の人のあまりにも惨い最期を見たんだ。本当は気が気じゃないはずだ。
僕とヒロ兄はさっと航兄の腕を離した。
「僕たちのことは一切気にしないで」
にこっと笑ってそう言うと、僕とヒロ兄は二人して足早にその場を去った。
「……あれ」
ヒロ兄がぽつりと溢す。
僕も顔をしかめた。
今の一瞬の間に栞の姿が消えている。
あたりを見回すがどこにもいない。あの子は小柄だから周りに紛れやすくはある、けど……。
僕たちは美術部グループの所まで歩み寄って声をかけた。
「すみません、
「ん? ああ桜井……あれ? 栞は?」
「え、さっきまでここにいたよ?」
少し慌てた様子を見せる部員たち。
「……ねえ、栞が気になってそうだった白い猫のぬいぐるみ、いつの間にかないけど、誰かゲットしたの?」
白い猫のぬいぐるみ……目が空色だったらまさにハレだから、彼女が惹かれるのも分かる。元々猫好きだし。
はあ、と一人が溜め息をついた。多分、先程部員を呼んでいた声の主だ。
「どーせ、平田でしょ。物でつるなんて」
「いや、いくら猫好きでも栞は物なんかでつられないって。強引にひと気のない所に連れてって渡しながら告白する気とみた」
「あー……」
会話の内容が不穏だ。しかも、それを言ってる彼女たちの苦そうな雰囲気が、その『平田』という奴があまり宜しくない部類であろうことを予想させる。
「……どこに行ったか、分かりませんか」
できるだけ感情を出さずに淡々と言ったんだけど、皆が皆気圧されたように息を飲んだ。内心を隠せない程鈍ってないと思うんだがな。
ふと、先程「どーせ」と言っていた彼女がばっと顔を一方に向けた。そちらにいたのはうちの制服を着た男子生徒が二人。彼らは前触れなく見られたことに驚いたのか肩を震わせた。
「あんたたち、何か知ってるんじゃない?」
「し、知らねーよ」
目を泳がせるのには怪しさしかないからな。
「部長権限よ! 吐きなさい! でないと退部させるから!」
「は? んなことできるかよ」
「馬鹿じゃないの!?」
部長だったのか、どおりで呼びかけてたり、しっかりしてそうだったり。
にしても、すごい剣幕だ。周りの注意を引く程まではないみたいだけど。おかげで僕とヒロ兄は少し冷静さを取り戻したかもしれない。
「散々言ったでしょうが! 私たちは文化祭の展示の題材を探しに来てるの! ヤバい事件が続いてるんだから集団行動が原則なの! こんな中でも開催してくれるイベントなんて貴重なんだから!」
……ああ、だからこんな時に彼女たちはここに来たのか。
ひとつの出店に皆呼び集めたのも、集団行動のためか。
それなら顧問も着いていてほしかったけど……教師の労働環境も大変らしいから、課外が明らかなこの時間では何とも言えない。……いたとしても抜け出されてたかもしれないな。
「恋愛脳もたいがいにしてほしいわね。さあ……吐きなさい」
部長の他にも、栞は物ではつられないと言ってくれた人が、穏やかそうな声でずいと詰め寄った。男子二人が多少怯えたので、圧のある表情をしているのかもしれない。
「い、いや、吐くっつっても、確かに平田が吉田寺の手引いてたのは見たんだけど、行き先まで分からんって。この人混みだし」
「役に立たない!」
そんな会話をよそに僕は栞に電話をかけてみる。
……出ない。
着信に気づいていないのか、スマホを触れない程強引に歩かされているのか。
次に陣兄にかけてみる。
『どーした』
「栞が恋愛脳に連れ出された。見てないか」
ハッ、と鼻で笑ったのが聞こえた。
『見てねえよ。現実を見ろ唐変木』
「……っ」
『お前はその二人が無事帰ってきて且つレンアイしてるとこが見たいんだろう?』
……それ、は……。
『だったら、騒ぐのはお門違いだ』
「…………」
我知らずスマホをギリと握りしめていた。
「……そんなもの」
はぁ、とひとつついた息が妙に苦しい。
「そんなもの、見たくない」
電話の向こうで、ふっと笑う声がする。
『面倒くせー奴。……今日はそこの丘にある神社に祀られてるお姫さんと想い人の魂が、鯉の背に乗ってこの川を泳いで、天に昇っていった日らしい。想像つくだろうが縁結びの神だ』
「……告白するならそこ、ってわけか」
『可能性は高い。だが社が上下の二つある』
「……わかった、ありがとう。僕とヒロ兄とで手分けして探してみる」
『あ? 航は?』
「野暮用」
『────……あー。了解。俺は丘の周りを見回る』
「頼んだ」
陣兄は察してくれたらしい。助かる。
「いや、危ないから、君たちはこのまま集団行動しててくれ」
ヒロ兄が美術部グループに呼び掛けていた。彼女たちも探しに出ようとしてくれたんだろう。
「……例の、事件で……今まで狙われたのは……女子高生だけだ。だから……お願いだ、バラけないでくれ。絶対にひと気のないところとか、行かないでくれ……!」
ヒロ兄の真剣さに皆息を飲んでいる。
「じゃあせめてこの男どもくらいは」
「……ごめん」
ヒロ兄は男子たちに向けてとてもいい笑顔を浮かべ、そしてするりと視線を地面に滑らせ、マテバシイの実を拾った。
親指と人差し指だけでそれを挟む。そして。
ピキ
という軽い音を立てて実が潰れた。
指の間からぱらぱらと残骸がこぼれていく。
「君たちは足手まといだ」
「……!」
「……分かりづらいか? クルミでもあれば良かったんだけど」
「ヒロ兄、丘にある神社の上宮に行ってくれないか。僕は下宮に行く。陣兄が縁結びの神社だって」
「……オッケー。行くぞゼロ。皆は本当、ゆっくり花火見ててくれ」
走り出す僕たちの後ろで、
「なるほど。ありゃあんたたちじゃ着いて行けないわ」
という部長の声がした。
多分男子たちへの当てつけで大きな声でわざとらしく言ったんだろうな。
----------------------------------- side:Shiori
手を引かれながら、ふぅふぅとできるだけ抑えた呼吸を繰り返す。
ちょっと来てと言ってずんずんどこかへ引いていく先輩の手は、わたしじゃ抜け出せなそうにないくらい強かった。
とうとう耐えられなくなってきてて、一応訴えてみる。
「平、田、先輩……すみ、ませ、足が……痛い、です……」
情けないくらい途切れ途切れになっちゃった。ほんと、体力、ないなぁ……。
「えっマジ? ……あー、栞サンダルだもんな。靴擦れ起こしちゃったんかな」
これまで、とっても我が道を行く感じだった先輩が珍しく立ち止まって振り返ってくれた。そしてくるりとあたりを見回す。
「あれ座ろ」
丸い石を指差して先輩は私の手を引く。気遣ってくれてるのか、勢いが少し穏やかだった。
ひらりと先輩がハンドタオルを石の上に開く。
「……えっ、先輩、タオル汚れちゃいます……!」
「いーから、気にすんな。他にも持ってるし」
「そ、そう、ですか……」
申し訳ない気持ちでいっぱいで、だけどご厚意を無碍にするのもいけないから、わたしは恐る恐る、手を合わせてお借りしますと祈ってから(丘の入り口で鳥居を潜ったから、そこからはもう神聖な場所な気がして)、石の上に腰を下ろす。
すると先輩がしゃがんでわたしの足首をそっと掴んだ。
「ひゃ!?」
か、家族、と、幼馴染以外に触られるのは、苦手。
だ、だけど、たたた多分ご厚意で看て下さろうとしてる、から……。
「栞信心深いなあ。いや、礼儀正しいのか? あー、
先輩は通学鞄からハンカチタオルと、ペットボトルのミネラルウォーターを取り出した。
「少し我慢しろよ」
「……!」
先輩がそっとサンダルを脱がせてくれた。気を使って下さったけど、それでもちょっと痛い。
ペットボトルの水を惜しげもなく流して傷を洗ってくれて、やっぱり申し訳なくなる。
「すみません……」
「いや、背に腹は、とか言うだろ? 怪我のほうが大変」
鞄から絆創膏まで取り出した先輩に更に申し訳なくなる。
「あ、あの、わたしも持って……」
「こんなちっちゃいのに入れてきたなら数ないだろ、それは変える時に使いな」
言いながら先輩はもうご自身の絆創膏をペタリと使い始めてしまった……。
ちなみに、わたしの巾着は「少し丘上らなきゃだし持つよ」って言われて没収されてる。そんなのも持ってられないと思われる体力のなさが情けないよ……。でも、何で丘なんか上るのかなあ……皆とかなり離れちゃってるし……。
「……っ」
「ん、痛いか? ちょっと我慢な。ちゃんと貼らないとばい菌入る」
ぺたりぺたりと両足の擦れた傷一つ一つに絆創膏を貼っていってくれる先輩の優しさに、ふっとゼロくんとヒロお兄さんが浮かぶ。ふたりも……そして家族も、小さい頃よくこうして絆創膏を貼ってくれた。……わたし……よく転んでたから……。
でも、多少成長してからはそこまで転ばなくなったし、自分で手当するんだよ。最後に濡れてた足をタオルで拭いてまでくださった。うう、先輩、すみません。
「よし、これで全部だな。強引に連れてきたの俺だし、こっからはおぶってこうか」
「ええ!? それはさすがに恥ずかしいです! 先輩のおかげでもうあんまり痛くなさそうですし!」
必死に首を振りながら言い募ると先輩はあははと笑った。
「……じゃ、もーちょっとだから、頑張ろ」
にこっと笑ってサンダルを履かせようとしてくれる先輩に、わたしは慌てて自分で履けますと引き取った。くすくすと笑う先輩。
わたしがサンダルをきちんと履いて立ち上がると、先輩はまたわたしの手を引いて歩き始めた。少しだけ今までよりゆっくりな気がする。だけど……。
「でも、みんなと一緒にいなくていいんですか……? 花火始まったらこっち来るみたいでしたし」
神社は花火のいい鑑賞スポットなんだってしずちゃん部長が話してたし。
「いーや。この神社には隠れた名所があんの。他の奴には教えない」
わたしは思わず絶句する。
花火は皆で見たかった。しずちゃん部長が言ってた『いい所』がどこか分かったら、ゼロくんにも伝えて、来てくれそうなら、それで、部活の皆と、ゼロくんたちで……。
「あ、あの……単独行動は、危ないって……そろそろ花火、始まりますし」
昨年から続いてる恐ろしい事件を警戒して、通常より早めの十九時から打ち上げは始まり、珠数も少なめになっているそう。
そうしてまで開催してくれるこのお祭には本当に感謝してるんだ。
なのに、自ら集団から逸れたりしたら裏切りにさえなっちゃうよ。
「はは、二人いりゃ単独じゃないって。まあ栞が皆と花火見たがってたのは知ってるから、長居するつもりもないしさ。ちょっと見せたいものがあるだけだから、安心して」
「そ、そうですか……」
しばらく、歩いて、歩いて。
少し軽減されてた足の痛みもまた結構耐え難くなってきた頃には、もう空は結構暗くなっていた。
幸いだったのは、しっかり明かりが並べてあって、きちんと灯されていること。
でもなんでさっきから、こっちには人が全然いないんだろう。
「あったあった、あれ。あの社だよ」
先輩が指差す(良くない気がしますよ!?)方向を見ると、小さな鳥居の先に──。
「わ、わあ……!」
狛犬のように二体並んでいるのは招き猫だった。
先輩のあとに続いて、一礼をして鳥居の端を潜る。
「へへ、猫の神社だよ。姫の鯉を食べようとした猫をやっつけて祀ったんだって」
「そ、そうなんですか……!」
猫ちゃんが祀られてるなんて……!
わああ、端々に猫ちゃんの意匠があります、なんて貴い神社でしょう。
「……でも、なんでこんなに人がいないんでしょう」
「はは。それこそ姫の鯉を食べようとしたから、じゃないか? 話の中ではどっちかっていうと悪役だろ」
「……んー」
「あはは納得してなさそ。そのぶん猫が好きな奴がお参りしてやりゃいーじゃん。いこいこ」
小さな社殿を目指す先輩に、痛い足を引きずって必死についていく。
猫ちゃんが描かれたお賽銭箱にお賽銭をいくつか投げ入れてる先輩に続いて、わたしも五百円玉をそっと放った。お小遣いからだから大きな顔なんてとてもできないけど、猫ちゃんの神様にならこのあと屋台で美味しいものを食べ損ねようが大きめの丸をあげたい。……もっと小銭持って来てればよかったなあ……また来たいな、かわいいお社……ハレちゃんも連れて……。
スリを警戒して小銭入れだけにするように、って言われてた(その小銭入れだけ巾着に入れず袂に入れてたのもスリ対策なんだって)けど、中身も小銭ばかりにしてくるんだったな。思えば出店の方々もそのほうが助かりそうだし。
「!?」
猫ちゃんにあまり貢げないことを嘆いてたら、いきなり、いきなり──。
「せ、せんぱ──」
「……好きだ、栞」
「!?」
ぎゅ、と、先輩が力強く抱きしめてくる。
だけど──だけど!
「……は、離して、下さい……!」
「やだよ」
「やっ」
「……お前、やっぱ桜井が好きなのか?」
「……!」
「答えられないの? ……なら、いいじゃん」
「!! ──……やっ、やめ、て、くださ、っ!」
っっっ……!
力じゃとても敵わなくて、苦手だからと運動から逃げたことを後悔してでもそれは遅くて、情けないことに涙なんか零しながら必死に身を捩って、なんとか振り切ったかと思っても足は痛いし元々遅いしで──。
「いや!」
後ろから抱きすくめられて思わずぎゅっと目を瞑る。
「そんなに嫌がられると傷つくんだけど」
「い、いやです……!」
動転のせいなのかこの「いや」しか口から出てこなくて、先輩のセリフにそうとしか返せなくて、頭のどこか冷静な端が逆撫でしそうではマズイのではと小さな警鐘を鳴らすけど、情けないことにやっぱりわたしの口からは「いや」しか出てきてくれない。
逃げたいのに逃げられないことに頭が真っ白になっていく。
駄目、そんなんじゃだめだ、逃げられないだけだ。
なのに──。
ふいに、ぐいっと腕を引かれた。痛いくらいに。
「きゃあ!」
情けない声を上げて倒れ込む。……暖か、い。
「…………桜井」
離れた所で先輩の低い声がして、わたしははっと見上げる。
「……ゼロくん……!」
びっくりするくらい安心してしまって、わたしの目からぼろぼろと涙が出てくる。ああもう、何て情けないんだろう……。
「……泣かせたな。二度と近付くな」
ゼロくんの声も今まで聞いたこともないくらい低い。
先輩の、はっ、と鼻で笑うような声がした。
「彼氏でもねーやつに言われてはいそーですかなんて聞くかよ」
ゼロくんの目がすっと細められた。
……こんな怖い顔もするんだね。……そんな顔させて、ごめんなさい……。
「彼氏だろうが家族だろうが関係ない。栞本人が嫌がってた。それが全てだ。それが分からない奴なんか栞の側に近付けさせない」
きゅ、と、わたしを支えるゼロくんの手に力が篭もる。……か、かっこいいなあ……ああ、こんな時にミーハーだ。
「はっ、ただの幼馴染なんかが四六時中一緒にいられる訳でもなし。粋がるなよ」
はあ、とゼロくんの大きな溜め息が聞こえた。
「そんなに、肩書きが大切か」
「は?」
「……ばか栞」
睨みつける先輩を無視してゼロくんはわたしを苦笑しながら見つめて、そっと頬を撫でてくる。こんな時なのに心臓が跳ねた。……恥ずかしい。
「嫌だったら叩けよ……」
「ゼ、……──!」
ゼロくんがわたしの唇を拭うように親指を滑らせたかと思うと、彼の唇がわたしの唇をふわりと塞いだ。さっきどころじゃなく心臓が跳ねて全身が熱くなる。
片手を繋がれて、指を絡められたのを頭のどこかで理解した。
頭がまた真っ白になって、こんなんじゃとても、一ミリだって動けそうにないよ……!
……だけど。
嫌、じゃなかったから、わたしはどこか安心してゼロくんに身を任せた。
----------------------------------- side:Ray
柔い唇を合わせて、固まった栞がそれでも落ち着いたのを感じ取ると、僕はふわふわと小さく彼女の唇をたどり始めた。彼女が肩を跳ねさせたけど、頭を撫でて落ち着かせる。
多分というか絶対に慣れてないだろうからあんまり深くやる気はないけど……そこの平田先輩とやらに無理矢理されてた分以上は続けるからな。
ぺろりと小さく彼女の唇を舐めるとやはり栞はぴくりと震える。忌々しい奴との間接キスになろうが関係ない、つけられた跡を拭い去るために、こうして時折舐めとる。
栞がへにゃりと立つ力を失ってからようやく僕はキスを終わらせた。
彼女の肩をぎゅ、と抱いてから平田先輩とやらのほうを睨む。
……何だか彼が赤くなってる気がする。何故?
「……お、おま……お前……何だその、えろ…………な、慣れてんのか? 絶対女で遊んでるだろ! か、可愛い顔して……いや、可愛いからこそか……?」
ぶつぶつ情けなさそうなこと言ってるから流してたら、最後にお前は地雷を踏んだな。
「お前こそ栞の側にいさせられな」
「初めてだけど?」
「……は?」
「僕が誰かとキスしたのは初めてだ。……お前が
「……なっ!」
……まあ、『前』のことなんて誰にも真偽は証明できないんだから。『今』に関しては本当のこと。
「する相手を気持ちよくさせられないなら、キスなんかに意味はない。それを知ろうともせず形だけを欲しがるなら、それは愛情表現じゃなく単なる略取だろ」
「……っっっ!」
彼はそれ以上言い返してくることなく走り出した。
「ああ、栞の荷物は置いてけよ。窃盗になるぞ」
「……!」
彼はぽんぽんと巾着とぬいぐるみを放り出すと、一目散に走って逃げた。
栞の手には荷物が無いようだったからな。善意を装って取り上げられてたんだろう。集団行動を言いつけられてたんだから、着信が山ほど入るのは予想できることだ。
「……栞」
僕の腕の中で目を回してる彼女に呼びかける。
「栞」
と、ひゅーという音がいくつもしたかと思えば大きな爆発音が鳴り響いた。
あー。
「……あ……ご、ごめんねゼロくん……! あ、ありがと……花火、始まっちゃった、ね」
花火の音が意識をはっきりさせてくれたのかもな。
「まあ、お前が男に引きずられて抵抗できるとは思えないから、気にするな。この社からじゃ花火は見えないっぽいし、皆の所に戻ろう」
小さな社だが手入れが行き届いてるから、人の足が遠のいてるわけじゃないんだろう。
花火が見えないからこそ、今日は人の姿がないんだろうな。
「……う、うん……」
空では華々が弾ける音がひっきりなしに続いている。今年は短くなっているそうだから、早く見えるところに──というか皆の所に帰してやらないとな。
まったく、栞が好きな猫というのがあっても、孤立して危ない上に主役の花火が見えないんだからろくなことじゃない。
……社自体にはまた来たいけど。ハレも一緒に。
まだ栞はふらふらしてて、なら拾っておいてやろうと、うち捨てられた栞の巾着とぬいぐるみのもとへ向かう。
このぬいぐるみは拾うか迷うが、ぬいぐるみに罪はないんだよな。
手を伸ばし──。
「ゼロくん!!」
栞が切迫した声で僕を呼んだのと、後頭部に強い衝撃を受けたのは同時だった。
何とか手をついて顔面から地面に落ちるのを堪える。
「だめ! やめて! ゼロくんんっ!!」
栞の絶叫が近づいてくる。
駄目だ、来るな……逃げろ……!
ガンッ、と、二発目を食らって僕は完全に地に伸びる。
「いやあぁ──────! ゼロくんっっ!! やめてよおじさんんん!! なんでこんな!! ……っきゃ……」
──
大きな焦燥に襲われる。
──……だが。
身体が、動いてくれない。
……クソっ……!
焦りばかりが膨れ上がっていった。
/
1.鯉と猫
いつもいつも巨大な鯉が暴れている川があった。
領主の娘が「民が水に飲まれて可哀想」と飼い猫に嘆いていると、飼い猫は仲間を呼んで、暴れる鯉に詰め寄った。
「おい、やばんなやつだ。おとなしくしないと、みんなでつめでひきさいて、ばりばりたべてしまうぞ」
鯉は全身猫たちに取りつかれて引っかかれ、たまらず悲鳴をあげた。
「ぎゃあ、たまらん、ゆるしておくれ。こんごは、おまえたちのひめに、せいしんせいい、つかえよう」
それから鯉は大人しく姫の言うことを聞き、田畑に水を行き渡らせて、豊かな土地を作り上げたという。
2.姫と青年
ある日飼い猫たちと土地の見回りをしていた領主の娘は、川の側でびしょ濡れで倒れている青年を見つけた。
領主の娘が驚いて駆け寄ると、彼は大怪我をしていた。娘は胸を痛め、鯉と猫たちに彼を運んでもらい、屋敷で休ませ手当をした。彼はみるみる回復した。
お礼だと言って屋敷のことや領地の田畑を力の限り手伝う青年を、娘は好ましく思った。
しかし数年後、彼が領主の仕える武将の敵側の者であったことが判明する。
領主と領民は怒り狂い、青年を殺してしまった。
娘は嘆き悲しみ、彼の亡骸の側で命を絶った。
飼い猫と鯉たちは怒り悲しみ、姫と青年の亡骸を鯉の背に乗せ二人の魂を天に運ぼうとした。
姫の亡骸を取り戻そうとする領主と領民が、立ち塞がった飼い猫二匹を斬り殺したが、二匹のその足止めにより、どうにか鯉と残る猫たちで二人の魂を天に運んだ。
仲間の死によりますます怒り悲しむ鯉と猫たちが再び川で暴れ始め、領地は荒れ果てたが、収穫直前(九月七日との説有り)の大災害に苦しむ民の姿に心痛めた娘と青年が、もうやめるように説得すると、鯉と猫たちはしぶしぶ従い、娘と青年に誘われて天へと去った。
しかしそれから、領主や領民が悪事を働けば、懲らしめるために鯉と猫たちがまた川で暴れるようになり、領主と領民たちは悔いて、娘、青年、巨鯉、猫たちを祀り上げた。
これが濃燈姫神社の始まりである。
3.上宮、下宮、鯉宮、猫宮
上宮には領主の娘、下宮には青年、猫宮には飼い猫たち、鯉宮には巨大な鯉が祀られている。
上宮、下宮、猫宮は領館のあった丘に、鯉宮は川のそばに創建された。
其々、おひいさまの宮、おのこの宮、お猫さまの宮、鯉の
当社が祀るのは縁結びの神々であるが、無病息災の御利益もあり、猫宮のみ金運も司る。其処に建てられている招き猫二匹は足止めをした飼い猫二匹だと言われており、其々、
境内 由緒書きより