鋭化ほどではないが、ボクの異能も先の転送をモノに出来たことで壁を越えられた。
まだ自身限定で、分離した影で指定する人物を転送する……といった使い方は出来ない。ボクが具体的な命令を作れていないし、分離を咄嗟に行える方向で、今は慣れていくつもりだから。
暇があるときには他の三人──特に前回いなかった綾野さんは、妙に参加してくれた──や、滅多に来れないのに、来れる時は顔を出してくれるボスが根気強く付き合ってくれたおかげで。不器用なボクにしては、使えないことは無い程度にまで短期間で高めることができたと自負している。
とにかく、拘束などの厄介なものに対する手札が増えたことは喜ばしく。ボクよりも多く作戦や仕事がある合間を縫って、多大に尽力してくれた人たち──と、色々とそれらのために奮闘や調整をしてくれていたらしい構成員達にもだが──に対するお返し……感謝を表したいと思い。今ボクは拠点の一画をこっそり使わせてもらっている。
綾野さんにも理由は秘密とは言ったが、
「よし。今日焼けば行き渡るな……」
何のことは無い。あまり重くなく、場所も取らず、遠慮されにくく、この世界の女性の多くも例に漏れず好み、ボク一人でも時間さえあれば作れるもの
つまりはお菓子。今回はクッキーを、工程を何日かに分けて作っていたわけである
素人が凝ったものを、それもまとまった量を一人で作るのは現実的ではないし。ボクが出来るとも思わないので。前の世界でも作ったことがあり、調べれば簡単なレシピも大量に出てくる有名どころが手堅い。
形はいくつか持ってきた型抜きで適当にスポスポと、凝り性を発揮しても碌なことにはならないので模様なんかも入れない。精々焼きあがったものの上にチョコペンで塗す程度
ボスと三人に渡す分にはそれぞれのモチーフっぽいものは組み込んだけど、大した意匠は込めたりしていないし出来もしない、頑張っても限度はある
精々、それに加えて渡す中の一枚だけメッセージみたいにチョコペンを走らせるだけだ。
「いつも……ありがとう、ございます、までは……無理か。いつもありがとう……だけでいこう」
我ながら出来ることも少ない身の上なため、恩義に対してささやかにもほどがある返礼だが、これでとりあえず我慢してもらおう
先に個別に渡して、そのあとボスや篠崎さん辺りに構成員方に配って貰えるか聞いてみればいいかな
──などと、この時のボクは呑気に考えていた。
この貞操逆転世界における、
不味くはないので食べて貰えればいいな、なんて緩んでいたのだ
「ボス。いえ椿さん、良かったらこれ食べてください」
「ありがとう。これは、クッキーかな?可愛らしい包装だね、どこのお店のものかな?」
「あ、買ったものではなくてボクが作りました。お口に合うといいんですが」
「ほう。白狼の手作りか。……??ん?手作り?」
「??はい。日頃の感謝と、切っ掛けとして最近の転送の訓練をしてくれましたから」
「……たしかに、一枚に文字が、書かれているね……あと、は──」
「あ。はい、椿さんのは薔薇も書きました、あんまり上手じゃなくて申し訳ないですけど、椿さんを、ボスを連想させるモチーフと言えばやはり黒薔薇ですから」
「そ、うか。うん、ぅん……とても嬉しいよ、本当に……っ」
「……椿さん?」
「ありがとう……っ……!大事に、食べないとな……!」
「ぼ、ボス?ボス……??」
メッセージやバラを描いたクッキーを見て、目頭を押さえたと思ったら色々と決壊したボスに困惑したが
後から思い返して前の世界に当てはめ、ボス視点からしてみれば。仕事の合間を縫ってはいたものの、十分に顧みれていない幼い娘からある日「パパいつもありがとう」とお菓子で労われた
……様なものなのだろうか?人の親ではないが、確かにそれくらい出来た子相手にそんなことをされれば父親は決壊するだろうな。流石に自分をボスの子供だとは自惚れられないが
とにかくクるものがあり。小さく嗚咽と、普段色々と苦労を掛けているといったことを抱きしめられながら言われれば。流石のボクも「これは盛大に情緒をかき乱す行為だったのでは?」とよぎる
暫くして、珍しく目元を赤く腫らして落ち着いたボスに構成員へ渡す分のクッキーを任せた後、他の三人は個別に渡さない方がいいと判断して。三人に同時に纏めて渡すこととしたのだが──
「……というわけで、皆さんも是非受け取ってもらえればなと。ありがとうございました」
「……お、おう……悪いな。何か、こんなモン貰えるような事してないけど……まあ、ありがたく食わせてもらうわ。うん……ありがとな、こっちこそ」
「……ッ!!!!!……ンィっひ。ンクキュヒュヒヒっ……ヒィっ!!!……っ……ッッッ」
「お、落ち着け綾野。落ち着け……人のこと言えないが……人間に戻ってこい」
(スンスンスンスンスンスンスンスンスンスンスンスン───)
「…………深見は梱包開けて匂うの止めようや……絵面が完全に違法なブツキメてる奴のそれだぞ……ハァ、まあ落ち着いた。うん、こりゃ嬉しいわ!ありがとなー白狼、アタシのはこりゃ。シューズか?」
「……前に、拘っているって話題にされてたので、それがいいかなと」
「覚えててくれてたんだなー。アタシは今もまあ身体は動かしてるからなあ、走り回る以上はな。わざわざ描いてくれて結構ジンときたぜ」
「私のは……!んふふ、白衣かぁ~わかってるねえ白狼クンは」
「シレっと復帰してきたな」
「……トレードマークだとお話してましたから」
「うんうんそうだねえ。そうなのよそうそう……一応ね?まあくれるんだろうなーとは思ってたけどねぇ……んふ、これはンフ、ンフフフふっ良く描けてるねぇ。お姉さん嬉しすぎるよ~~~!」
「どさくさ紛れに「ん゛ふッ」……ったく」
「スン────ふう。大悟した。想いに応じるいざ参らん」
「どう見ても悟りの真逆に至ってるんだわ行動が。顔拭け落ち着け距離を取れ」
……喜んでもらえてなにより。としか言えないし、一人ずつ渡さなくて良かった
クッキーでここまで暴走されるとは、やはりボクもまだまだこちらの常識に疎いのだろう……
「満遍なく行き渡ったよ白狼……こちらも済んだようだね」
「あ、お手数おかけしました」
「いやいや、そちらもお疲れ様……それは?」
「焼きムラとか、割れた失敗作です。味見はこれらでしました」
「全員に渡す量を作ってたものな、多くは上手くできたがやはりいくつかは出るものか」
「そうですね。ボス、あーん」
「────。うん、美味しいよ」
どうも無事危険な側に渡し終えて気のゆるみが連発している、あーんではない。
幸いボスは食べてくれたけど、失敗作を食べさせるのは褒められたものじゃない。そんなに多くは出なかったしあとは自分で──
「ねえねえねえいまスンゴイとてつもなくえげつない羨望のシチュこなしてなかった????」
「バカ、今入っていくな」
「ねえ白狼クンお姉さんもそれされるにはいくら
「
「お前ら子供に変なこと言うんじゃねえ」
……すみません本日の営業は終了いたしました。次回開催は未定となります。
暫く深見さんは空の梱包を吸ってベコンボコンしてたでしょう
ボスと篠崎さんの色々は何かは試されている