未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部   作:大好きのハグ

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10話 よりみちトランペット

「疲れた……」

 

 結局、資料作りで日付を跨いでしまった。

 でも、疲労感が心地いい。

 教育実習の忙しさには、だいぶ困らされてきたけど、まさかその忙しさをありがたく思う日が来るとは思わなかった。

 

 秀一と別れて、家になんとか辿り着いた私は、泣く暇もなく資料作りを行っていた。

 作業に追われていれば、余計なことを考えずに済んだ。

 ありきたりな表現で、心を忘れると書いて忙しいとか言われることがあるけど、それを身を持って実感するとこんな感じになるんだろうか。

 

「……余計なことは考えない考えない」

 

 作業中は、さっさと終わってと思っていたのに、いざ終わってしまったら、色んなことが頭の中をよぎってしまう。

 頭が煮詰まっていて眠れそうにない。一度、水でも飲もう。

 既に両親は寝ている時間だ。

 ゆっくりと扉を開けて、足音を立てないように意識しつつ台所へと数歩進む。

 と、ここで私の部屋からスマホの音が鳴り響き、慌てて部屋へと戻った。

 

「こんな時間に何」

 

 ぼやきつつスマホを見ると、麗奈からの着信で慌てて通話を繋げた。

 

「もしもし、久美子? 起きてる?」

「……起きてたら出ないでしょ」

「久美子なら寝ぼけて出るかもしれないし」

 

 したことないと思うけど、言い切れるほどの自信はなかった。

 

「それでどうしたの、こんな時間に」

「それはこっちのセリフなんだけど」

「え?」

「何かあったの?」

「なんで?」

「塚本が、久美子がショックを受けてると思うから連絡してやって欲しいって」

「ああ……」

 

 あれだけひどい振り方をしたのに、気遣われてしまったらしい。

 秀一らしいといえばらしいけど、素直に喜ぶことができなかった。

 今は、秀一のことを考えたくなかったのに。

 麗奈のその言葉を聞いて、ギリギリのところでせき止めていた感情が、私に襲い掛かってきた。

 

「久美子? おーい……聞いてる?」

「……ッ」

「久美子、泣いてる? 何かあった?」

 

 溢れ出る涙を止めることができない。

 私に泣く権利なんかないのに。

 

 結局、30秒くらい嗚咽だけを聞かせ続け、その間麗奈は何も言わずにじっと待っていてくれた。

 一度、鼻をかんでどうにか取り繕う。

 

「秀一と別れた」

「は?」

「秀一と別れた」

「どうして?」

「秀一が優しすぎたから」

「ごめん、意味が分からない」

「秀一が何でも我慢して私に合わせようとするから」

「惚気てる?」

「惚気てる」

「別れた意味が分からない」

「惚気てるけど違うっていうか、秀一もやりたいことがあるのに、私に合わせて我慢するのは間違ってると思う。でも、秀一は私を優先させるから」

「嬉しくなかったの?」

「嬉しかったけど、嬉しくないっていうか……嬉しいけど、秀一がやりたいことをやってくれた方が嬉しい」

 

 高校時代のことを思い出していた。

 高校三年の自由曲だ。

 ユーフォとトランペットのソリがあり、麗奈の特別になりたかった私は、麗奈と一緒にソリを吹きたかった。

 京都府大会では私がソリに選ばれた。

 でも、関西大会では真由ちゃんがソリに選ばれてしまった。

 真由ちゃんはずっと、私にソリを譲ろうかって提案してきていたけど、私は断り続けた。

 真由ちゃんの提案に揺れなかったっていえば嘘になる。でも、真由ちゃんの方が私よりも実力が上だって判断されたのなら、真由ちゃんが吹く方が正しいと思っていた。

 このやりとりは全国大会の最終オーディションまで続き、オーディションに勝った真由ちゃんが全国大会でもソリを吹いた。

 

 真由ちゃんの気持ちは、どうだったんだろうか。

 最後まで、提案だけで自分から降りなかったのは、真由ちゃんの演奏者としてのプライドだと判断して、私のワガママを押し通したのが間違いだったとは思わない。

 思わないけど、真由ちゃんの負担になってしまったのかもしれない。

 

「久美子、意固地になってるでしょ?」

「なってる」

「自覚があるんだ」

「あるよ」

 

 上手い方が吹くべき、ということで押して真由ちゃんの提案を蹴った。

 真由ちゃんが私に気遣っただけなのか、本当にソリを吹きたくなかったのかは、結局聞けずじまいだ。

 たまたまそれがいい方向に向かってくれた。

 部長としては正しい行為ができたと思う。

 が、私個人としてはどうだったのかは、あまり自信がない。

 

 真由ちゃんと疎遠にならず、今も仲良くできていることが、答えであって欲しい。

 秀一との関係はどうなってしまうんだろうか。

 真由ちゃんと同じように疎遠にならなければいいけど、それは私にとって都合が良すぎるのかもしれない。

 

「呆れた?」

「呆れた」

「見損なった?」

「それはどうだろう。久美子らしいなって思った」

「何それ」

「塚本に甘えてる」

「…………」

「終わりにしたかった?」

 

 私は、最後まで秀一に甘えてしまったんだろう。

 秀一に甘えるのが嫌で、結局甘えて終わる。

 麗奈の鋭い言葉が、私の心にダイレクトに響く。

 

 私は終わりにしたかったんだろうか。

 ううん、それは違う。

 

「終わりにはしたくなかった。でも、終わらせないとダメだと思った」

「それでいいんじゃない」

「え?」

「やっぱり久美子らしい」

「そうかな」

「私の時もそうだったし」

「え?」

 

 麗奈に対して、そんなことがあったっけ。

 

「音大」

「音大?」

「久美子が音大に入らないと私達は終わるって思ってた。だから、進路に悩むのなら音大に進んで欲しかった」

「ああ……」

「他人事?」

「麗奈拗ねてたなって」

「拗ねるでしょ。久美子のことを特別だと思ってたんだから」

「麗奈は特別だよ」

 

 高三の夏から秋にかけては、印象に残っていることが多すぎた。

 麗奈との関係で言えば、部長失格と言われたことと麗奈の投票によってソリのオーディションに落ちてしまったことの方が強く記憶として残ってしまっている。

 みぞれ先輩の音大のコンサートを見て、同じステージに立つ自分をイメージできなくて、音大という選択肢を外した。

 そこが私が演奏者として特別ではないと認めてしまった場面であり、その後のオーディションにも、心理的には影響してしまったと思うので、あそこが岐路で、結果に繋がっていたのかもしれない。

 私は特別にはなれず、麗奈はずっと特別なままで、私はその隣に並ぶことができなかった。

 でも、それは演奏者としての話だ。

 

「だからこうして今も話してるし」

 

 二人の関係は続いている。

 アメリカと日本。演奏家と教師と進路が離れてしまったため、あの三年間の濃密な関係と比べたら、特別とは言えない関係に落ち着いてしまったのかもしれない。

 それでも、私は麗奈のことを特別な存在として思い続けている。

 

「特別じゃなかったら通話に出ない?」

「どうだろう。あとが怖いから出るかも」

「怖いって……」

「前、スマホ忘れたとき着信20件溜まってたし」

「あれは急ぎだったから」

 

 大量の着信履歴が残っていたことは覚えているけど、何の用だったのかは覚えていない。

 それくらいどうでもいい用件だったはずで、ちょっとしたホラーだった。

 でも、昔の麗奈なら、1回かけて繋がらなかったらそれっきりだったかもしれない。

 麗奈も私のことを特別だと思ってくれているから、ホラー現象が起きている。

 それで嬉しく思えてしまうあたり、私は麗奈のことが本当に好きなんだと思う。

 

「久美子なら、なるようになるんじゃない」

「そんな適当な」

「音大を選んでも、こうして私と話してるんだから、塚本とだって落ち着くところに落ち着くでしょ」

「そうだといいんだけど」

「何も考えずに決めたわけじゃないんでしょ」

「うん」

「それならなるようにしかならないし。土壇場での久美子は、信用してるから。追い込まれたら、思うように、やればいいと思う」

「それって普段は信用してないってこと」

「ノーコメント」

「ひどくない?」

「ひどくない。褒めてるし」

「褒めてるっていったら何言っても許されるって思ってるでしょ」

「うん」

「もう」

 

 時間が時間だったので、あとは軽くたわいないラリーをしてから通話を切った。

 いつの間にか涙は止まっていた。

 

 北宇治の話題も、滝先生の話題も上がらなかったのは、麗奈も、もしかしたらある程度事情を知っていたりするんだろうか。

 思うように、やればいい。

 これは秀一のことだけというより、北宇治に対しても言われた気がする。

 つまり、ドラムメジャーから背中を押してもらえたわけだけど、本当に良いんだろうか。

 私がやろうとしていることは、麗奈の敬愛する滝先生への批判になりかねない。

 

 麗奈との関係がこじれたら嫌だ。

 でも、今のままの北宇治は放っておけない。

 だとすれば、秀一に宣言した通り、滝先生と向き合うしかない。

 

「……なるようになるしかないか。寝よう」

 

 これ以上は、明日に響くので大人しく布団の中に入った。

 

 

   ◇◇◇

 

 

 翌日の昼休み。

 午前中は、なんとか最初の壁である私が先生役を務める授業を終えることができた。

 吹奏楽部の生徒が積極的に手を挙げて発言してくれたのもあって、いい感じで授業を終えられたように思う。

 ベテランになれば、生徒が授業についていけているのかどうかが察せられるようになるらしいけど、未熟な私にはそんなことはできない。

 生徒側から疑問点をぶつけてもらうのは、望むところだ。

 

 事前に仕込んだわけではなく、吹奏楽部で関係が作れているので、質問しやすかっただけで、やらせではない。

 おかげで余裕を持って昼ご飯を食べられそうだ。

 今日は、久しぶりにお母さんがお弁当を作ってくれたので、睡眠不足の疲れも忘れて、浮かれ気分で職員室へと歩く。

 

「黄前先生、少しよろしいでしょうか」

 

 と、ここで生徒から声が掛かった。

 低音パートのパートリーダーの藤原さんだ。

 

「どうしたの?」

「この子のことでちょっとご相談が」

「えっと……はじめましてだよね」

 

 教育実習の初日はドタバタしていて、スカーフまで把握しきれなかったけど、一週間ですっかり慣れることができた。

 藤原さんと同じ緑色のスカーフを見て、三年生だということは分かる。

 私の指導担当の松本先生が、三年生の授業を受け持っていないので、私もほとんど関わっていない学年だ。初対面であっているはず。

 

「はじめまして、倉橋……やっぱやめとく。まだ()()って決めてへんし」

 

 そして、次の曲がはじまるのです。

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