未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部 作:大好きのハグ
「はじめまして、倉橋……やっぱやめとく。まだ
「ちょっと、ゆず、待って」
自己紹介を途中で打ち切って、倉橋と名乗る女子生徒は私に頭を下げて去っていった。
藤原さんは、手を伸ばしたものの空振りに終わり、視線を女子生徒の背中と私に往復させて、結局その場に残ることに決めたらしい。
藤原さんは、困ったように眉をひそめて、息を吐いた。
「ええっと……話を聞いた方がいい?」
「はい。お手数をお掛けしますが」
「場所、移そうか」
とりあえず、藤原さんを連れて校舎の奥を目指して歩く。
歩きながら思考を整理していた。
藤原さんが連れてきた倉橋さんという女子生徒。
逃げ出した彼女の発した『戻る』というのがキーワードで、私に相談することがあるとすれば、彼女は元吹奏楽部の部員で、旧三年生についていけずに辞めた子の一人というのは分かる。
だとすれば、希美先輩パターンかもしれない。
そこまで予測を立てたところで、目的地にたどり着いた。
屋上へと続く階段だ。
昼休みに屋上は解放されていないので、予想通りこの場に人影はない。
「それで、話ってなんだったの」
「ゆず……倉橋さんを吹奏楽部に復帰させたいと思いまして」
「元吹奏楽部なんだ」
予想していたことだけど、一応確認する。
「はい。私と同じように北宇治に憧れて入ってきて、倉橋さんも自分の楽器を持ってましたので、一年の頃は、いつも一緒に練習をしていたんです」
藤原さん達は、先輩の人数が多く学校所有の楽器が先輩分だけで埋まってしまっていたため、先輩が引退するまで楽器に触れなかった世代だ。
その例外がマイ楽器所有者で、藤原さんは入学時から自分のユーフォで楽器を手にすることができた。
倉橋さんも同じ立場の生徒だったらしい。
「何の楽器だったの?」
「チューバです」
「うわぁ珍しい……あ、ごめんなさい」
しまった。生徒の前では注意していたのに、うっかり本音を口に出してしまっていた。
それくらいに高校入学時点でチューバをマイ楽器で持っている生徒は珍しい。
言い訳をさせてもらうと、吹奏楽の不人気楽器としてまず名前が挙がるくらいにチューバは人気のない楽器だ。葉月には申し訳ないけど、他の楽器希望者が希望に落ちて、流されて担当することが多い。
そして、学生時代にマイ楽器を持つメリットとして、持ち運びして家でも学校でも練習できるというのがある。でも、チューバの場合は、10キロオーバーと持ち運ぶような楽器ではないので、学校の備品を使って学校だけで練習するのが一般的で、マイ楽器を所持するメリットが弱い。
だから、チューバを所持している子は、ほとんどいない。
ユーフォも重い方だけど、チューバはそれ以上に大変で苦労が多い楽器だったりする。
「私達の学年で一年でA編成に選ばれたのが、私と倉橋さんだったんですよ」
「チューバのスペシャリストだったんだ」
「はい。ですが、三年の先輩方が引退した後に、二年の先輩方の代になってから色々あって反発して辞めてしまって」
「今に至ると」
藤原さんは困ったように笑って、小さく頷いた。
藤原さん達が一年の頃の三年生。
その学年のチューバは、すずめちゃんと弥生ちゃんの二人だ。
どちらも高校から吹奏楽を始めた初心者だったけど、順調に育っていた後輩達だ。
特に、すずめちゃんは音のボリュームを買われて高校から始めた組では快挙となる一年でA編成入りを果たしていた。
それでも物足りずに、滝先生は関西大会からチューバ担当を4人に増やしていて、低音パートのユーフォから奏ちゃんが外される形になって、部内がゴタゴタしたのも今となっては思い出深い。
奏ちゃんと一緒に最後のコンクールに出れなかったのは、残念だったけど。
私が見に行った翌年もチューバは4人で、その時には弥生ちゃんもメンバーに入っていたので、弥生ちゃんが三年になってから外されたとは考えにくい。
となると、3人もしくは4人のチューバのうち、すずめちゃんと弥生ちゃんで2人が埋まり、残り少ない枠に一年から倉橋さんが選ばれたということになる。
実力者だったことは、間違いなさそうだ。
「チューバは倉橋さんに復帰してもらえれば、だいぶ形になると思うんです」
「私も中心になれる生徒がいるかどうかは大きいと思う」
「はい」
今の北宇治の低音パートは、全員女子生徒でメンバー構成はこうなっている。
三年 藤原(ユーフォ・パートリーダー)
二年 永井(ユーフォ) 近藤(コンバス) 西(チューバ)
一年 橘(チューバ) 鎌田(チューバ)
ユーフォの藤原さんと永井さんの二人だけなら、関西大会でもいいところで競えそうな実力がある。
コンバスの近藤さんは、まだまだこれからって感じで厳しい。
ただコンバスは、地味で目立つわけではないので、あるのとないのとでは大違いだけど、どうにかなるかもしれない。
上手いコンバスなら曲に奥行きを持たせたり、他の楽器を助けたりと大事な楽器だけど、他の学校と差をつけることができる実力者は少ない。北宇治に緑が居てくれたことがそれだけアドバンテージになっていた。
低音パートで一番問題なのは、チューバだ。曲全体を支えるパートなのに、一年生は初心者だし、二年生の西さんも吹奏楽を高校から始めた子で、上手いとは言えない。
中心となって安定させられる生徒がいれば、それはそのまま曲全体の安定感へと繋がり、演奏の評価をガラッと変える決め手になりえる。
チューバが劣っていることは、頭の痛い問題だっただけに、一年からAに入れたような生徒が戻ってきてくれるかどうかは、かなり大きく影響しそうだ。
「やめた原因は?」
「『あの先輩連中についていけへん』って。だから去年、その先輩方が引退してからずっと、ゆずがいたら心強いから戻って欲しいって勧誘していたんですけど、『一旦辞めたのに連中が居なくなったのを見計らって戻るみたいな真似はできへん』って」
「うーん……」
「戻りたくないっていうなら諦めるんですけど……」
「難しい問題だね」
言葉を選ばずに言うのなら、倉橋さんは一度逃げ出した立場だ。
自分で放棄しておきながら、戻るというのは最初に参加することよりも数倍は勇気のいることで、なかなかできることではない。
これで本人が一切やりたくないのなら話はそれで終わるけど、やりたいけど色々なものが邪魔をするのであれば、どうにか手助けしたいところだ。
「黄前先生の話をしたら少し興味を持ってくれたみたいで、昨日の練習会にみんなが参加したっていったら驚いてましたよ」
今までどれだけ土日の自主練習の参加率が悪かったんだろう。
それはそれで頭の痛い問題だった。
私が居なくなる来週からまた参加しなくなるとかだと困る。
「今日も黄前先生に話しかけるところまでは、連れてこれたんですが」
「一歩ずつ前に進めるしかないと思うけど」
「でももう時間がありません。コンクールの応募締め切りが来週火曜日ですので」
「あ……」
例年だと5月にサンフェスが終わったら中間テストがあって、テスト明けに課題曲とコンクール曲が滝先生から発表されて、コンクールモードに切り替わってたんだっけ。
期末テストから目を逸らしつつオーディションに向けた練習をしていたのが懐かしい。
今年はもう6月に入ってしまったのに、まだ応募すら終わっていないとは。
出遅れが顕著だ。
「今のままでA編成は厳しいと思います。せめてゆずが戻ってきてくれないと」
「……それは、藤原さん個人の意見?」
「いえ、幹部全体の意見です。黄前先生のおかげでだいぶ前向きになってくれているんですが、初心者も多いのでA編成はって意見も根強く。ゆずが居てくれたらって。三年は、ゆずの実力を知ってますので」
「……なるほど」
「黄前先生は、どう思いますか?」
吹奏楽コンクール。大人数のA編成と少人数のB編成。
人数だけではなく、A編成は全国大会まで実施されるのに対して、B編成は地区大会までしか実施されない。
全国大会を目指すのであれば、A編成での出場が必須だ。
「今のままでA編成で参加してもっていうのは否定できないかも。結果を出すことが目的なら、B編成で挑むべきかもしれない」
B編成なら金賞まで狙える可能性が高くなる。
初心者が多いと言っても、藤原さんを中心にマイ楽器組は上手いし、経験者で高校から慣れない楽器をはじめた子でもどうにかこなせている生徒も多いので、初心者組を外したB編成なら十分勝負できる。
「それでも、もし私だったら、A編成を選ぶかな」
「A編成ですか」
「上の大会があるのかどうかは、モチベーションに響くし、できるだけみんなで大会に挑みたいと思うから」
半分は綺麗ごとだけど、半分は本音だ。
少ない人数で結果にこだわるべきか、多い人数で挑戦する過程を重視するべきかは悩ましい問題だと思う。
ただ、大人としての立場から言わせてもらうのなら、どうせ厳しいのであれば、一人でも多くの生徒に経験を積んでもらった方が来年以降に繋がる。
そこまでずるい思考をしなくても、もしかしたら上に行けるのかもしれないのなら、そっちで挑んで欲しい。
私達が一年時の関西大会は、本来の実力的には北宇治が突破するのは難しかったと思う。
しかしながら、本番直前に大阪三強の一角、秀大付属にアクシデントがあったらしく、結果として北宇治が全国大会に出場することができた。
二年時は、一年時よりも北宇治の実力は上がった自信があったのに、関西止まりに終わってしまったことを考えても、一年時の全国大会出場は、他校の出来含めて運が良かったんだと思う。
他校のミスやアクシデントを期待するわけじゃないけど、何が起こるのか分からないのが一発勝負のコンクールだ。
上を目指すチャンスがあるなら目指すべきだと思う。
「それとは別の話で、北宇治の戦力として必要だから倉橋さんに戻って欲しいってのは、違うんじゃないかな」
「え?」
「私なら、一緒に演奏したいから戻ってきて欲しいって言われた方が嬉しいと思う。藤原さんは、倉橋さんが上手いから戻ってきて欲しいの?」
「……違います」
「それなら……あとは分かるよね」
「はい。もう一度誘ってみます」
藤原さんの気持ちのいい返事と共に、予鈴が鳴ってしまった。
せっかくお母さんが作ってくれたお弁当だけど、食べる時間を作り出せるだろうか。
悩ましい問題だった。
そして、次の曲がはじまるのです。
明日と明後日は更新を休みます。
作中は都合上、コンクールの締切を6月に入ってからということで通しましたが、現実とはおそらく異なる描写になっています。
都道府県ごとに締切が異なりますので一概には言えませんが、概ね五月中に締切が来るそうです。
また、A編成・B編成も全国大会まで実施されるA編成は共通していますが、B編成以下はこちらも都道府県ごとにまちまちなようです。
関西大会など上位大会のあるB編成(小編成)
都道府県大会で終わるB編成
地区によっては、より少人数なC編成が実施される地区もあるようです。
またB編成でも、A編成とのメンバー入れ替えが可能な大会と不可能な大会があるようで
関西大会など上位大会がある場合は、A編成との入れ替えができない傾向なようです。
ユーフォの場合は、
さっちゃんが府大会メンバー落ち → B編成の大会で金賞 → 関西大会でA編成入り
という流れになっていましたので、京都府大会だけのB編成に出場したのだと予想されます。