未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部 作:大好きのハグ
水曜日。
教育実習も二週目の折り返しに入り、いよいよ終わりが見えてきた。
朝礼や終礼も任されるようになり、松本先生からのお叱りのお言葉をもらうことも減っている。
最終日に、担当の松本先生以外の先生からも見学される公開授業が控えていることだけが気がかりだけど、準備さえ怠らなければどうにかなりそうだ。
ただ、その準備が先週末が忙しかったこともあって、遅れていたりする。
私個人の問題なので、時間を捻りだして乗り越えていくしかない。
問題は、吹奏楽部の方だ。
私のアドバイスを受けて、藤原さんはもう一度倉橋さんへの説得を試みたものの、失敗に終わってしまったらしい。
滝先生と向き合うという話も、まだ実現できていない。
一言二言話すタイミングはあったけど、片手間でできるような話ではないし、人前でするような話でもない。
どうしようかと頭を悩ませていたところ、とある頼まれごとで最終日に滝先生と話す機会が作れそうなので、その時に勝負をかける予定だ。
とりあえず、滝先生のことは最終日まで様子見で、藤原さんという協力者のいる倉橋さんの方から話を進めることに決めて、昼休みに無理を言って呼び出してもらった。
屋上へと続く階段で待つ。こういうときに指導室が使えない教育実習生という立場が辛い。
「話ってなんですか」
不機嫌そうな第一声にくじけそうになるも、どうにか表に出さないように飲み込んだ。
この前はそんな余裕がなかったけど、こうしてゆっくり向き合うと倉橋さんの容姿が整っていることが分かる。鼻筋の通った色白なノーブルな顔立ちだ。
事前に藤原さんから聞いていなかったらハーフだと勘違いしたかもしれない。
両耳を完全に露出させたショートヘアーがよく似合っている。
「吹奏楽部に戻らない理由を聞かせて欲しくて」
「藤原から聞いてませんか?」
「先輩についていけないからやめて、先輩が居なくなったからって今さら戻れないってのは」
「それ以上に話すことは有りません。それじゃ」
「待って」
踵を返そうとする彼女の足を止めることに成功する。
「なんですか?」
「今さらなんてことはないと思う」
「もう遅いですよ。今の北宇治で吹奏楽をやる意味があるんですか?」
「大会で結果を出したいって意味だと、正直厳しい」
「では話は終わり──」
「──でも、吹奏楽ってそれだけじゃない」
「……」
「上手く言葉にするのは難しいけど、大会で結果を出すだけが吹奏楽部じゃないと思う」
倉橋さんに対してどのような言葉を投げかければ彼女に届くのか。
残念ながら情報が不足していて難しい。
これだけ頑ななのは、何か事情があるんだと思う。
その事情を知る前に迂闊な言葉を使うと地雷を踏み抜きかねない。
もう少し彼女自身から話を引き出さないと。
「どうしてそこまで必死なんですか?」
どう答えるのが正解だろうか。
彼女の地雷がなんなのか分からないのに、答えるのは難しい。
「それは……」
言葉に困窮した私の脳裏に浮かんだのは、親友の言葉だった。
『追い込まれたら、久美子の思うようにやればいい』
もしかしたら倉橋さんを怒らせるかもしれない。
それでも、誰かを動かすには踏み込まないといけないときがある。
誤魔化さずに素直な言葉を返そう。
覚悟を決めて、私は正面から倉橋さんと向き合った。
「私が北宇治を……北宇治の吹奏楽部を好きだから」
「それ答えになってます?」
「嫌いになって欲しくないっていったら大げさだけど、吹奏楽部で嫌な思いをしたまま卒業して欲しくない」
「……戻ったら好きになれるっていうんですか」
「それは分からないけど、戻らないとそのチャンスもないよ」
「話にならへんし」
「……やってみないと分からないでしょ」
「やらんくても分かるわ」
ぷいって感じでそっぽを向かれてしまった。
相当な覚悟を持って今の北宇治に見切りをつけているらしい。
北宇治は変わった。それを示せればいいけど、そのためには時間が足りない。
希美先輩が部活に戻ったのは、京都府大会を勝ち上がる北宇治を見たからだ。
私が入部した当初の北宇治では、京都府大会で銀賞を取れたかも怪しかった。
それが、希美先輩が絶望した北宇治だった。
でも、滝先生が赴任したことにより北宇治は変わり、オーディションでの上級生優先も消えて、京都府大会で金賞を取って関西大会進出を決めた。
北宇治が変わったことを大会の結果によって知らしめることができた。
でも、倉橋さんの場合は、倉橋さんが戻らなければB編成での出場が決まる。
大会の結果を待つことはできない。
どう説得すればいいのか、言葉に詰まって困っていると、フンと鼻で笑われてしまった。
「今の北宇治がええ感じらしいのは藤原さんから聞いたわ」
「…………」
「それ、黄前先生のおかげやろ」
「そうだと嬉しいけど」
「黄前先生が来てくれて、ええ感じになりました。で、だからなんやねん」
「だから戻ってきて欲しい」
「あのなー、黄前先生はずっとおってくれるわけ?」
「それは……」
「今週いっぱいでさようならやん。黄前先生が来んくなっても、北宇治が頑張れると思う?」
「……できる限り顔を出したいと思ってるよ」
教育実習は、もうすぐ終わる。
だからといって、北宇治の吹奏楽部を放ってはおけない。
幸い、大学の単位は大体取り終えていて、あとは卒論だけ頑張れば問題なかった。
コンクールが終わるくらいまでなら、週末ごとに顔を出すことに支障はない。
「黄前先生がどれだけ頑張ったって、指揮するのは滝先生やろ」
「…………」
「藤原さんには言わへんかったけど、うちが不信感抱いたのは先輩達だけちゃうねん。滝先生もや。滝先生が放置してるからああなったんやろ。あの先生がどうにかならん限り吹奏楽部に戻るなんてありえへん」
「分かった。滝先生が変わったら吹奏楽部に戻ってくれる?」
「……あの先生が変わるとか無理やろ」
「私は滝先生も信じたい。私達を全国大会金賞まで連れて行ったのは滝先生だから」
「…………」
「だから、倉橋さんも滝先生が変わったって納得できたら吹奏楽部に戻る。これでいい?」
「分かった。どうせ無理やし、それでええから、もうしつこく勧誘せんといてや」
「うん。ごめんね。時間を作ってもらって」
「そや……勘弁してください」
途中から口調が崩れていたことに気づいたらしい。倉橋さんはそれまでのクールな表情から、頬を赤く染めて、逃げるように去っていった。
なにはともあれ、言質は取れた。
これで問題は、滝先生に一本化できたと言える。
あとは滝先生さえ説得できれば、新しい北宇治としてスタートを切ることができる。
その説得が一番難しいのが悩みどころだけど、どうにかするしかない。
◇◇◇
「っていうのがあって、滝先生を説得できるかがより大事になった」
「それは分かったけど……なあ、俺達って別れたんだよな?」
「うん。きれいさっぱり」
「じゃあ、なんで俺がこんなことやってるんだ」
「秀一だから?」
「意味が分からん」
「いいから、手を動かして」
「はい……」
先週末に進めおきたかった教育実習の事前準備、その遅れを取り戻すべく、秀一を呼び出して手伝ってもらっていた。
「よりによってお前の家かよ」
「資料の扱いが厳しいから外は無理だし」
「お前な、すっかり息子として見られてる俺の立場分かるか?」
「お母さん喜んでたね、秀一が家に来て」
夕食を食べさせたい母親と、食べてきたからと断りたい秀一との間で激しい攻防が繰り広げられていた。トマトを使わないからとお母さんに言われているのが少し面白かった。
秀一はトマトが嫌いで、昔は食べることすら避けていたけど、今は我慢すれば食べられる程度にはなっている。でも親からしたら、いつまで経っても子ども扱いだ。
お父さんも、秀一が家に居ても普通に受け入れているあたり、秀一の黄前家への馴染みっぷりが分かる。
「気まずさと申し訳なさがひどい。別れたって言ってねえのかよ」
「いちいち言わないでしょ。秀一は親に言ったの?」
私の指摘に、秀一はサッと目を逸らした。
「言ってねえけど」
「ならおあいこでしょ」
「いや、お前は俺の家に来ないじゃん。俺だけ針の筵だ。今度、東京に行くっていったらお小遣い渡されそうになったし」
「それでお土産でも買って帰ってくれば?」
「できるか!?」
「お土産買わないの?」
「それは一応買うけど、いろいろ世話になってるし」
そういうところが秀一が私の親にも気に入られているところなんだけど、たぶん本人は無自覚だ。そして、そんな秀一だからこそ、こうして呼び出して手伝わせてたりしている。
「私、東京ばな奈が良いな」
「俺はどういう立場でお前にお土産を渡すんだ」
「ん-……幼馴染?」
「幼馴染って便利な言葉じゃないからな。お土産はお前の親にだから」
「じゃあ、秀一はどうして家にお土産もってくるの?」
「……幼馴染の親だから?」
「それでいいよ。勝手にもらって食べるから」
「投げやりすぎる」
「じゃあ、秀一が黄前家の子供になればいいんじゃない」
「別れただろうが」
「お姉ちゃん今フリーだって。お父さんとお母さん、週末はお姉ちゃんのところに泊まりに行くって言ってたから便乗したら?」
「どんな立場でそれに参加すればいいんだ」
「お姉ちゃんの未来の夫?」
「お前の彼氏だって思われてるのに、無理だろ。それに麻美子さんの気持ちは」
「あー、昔『あんないいこ滅多にいない』って褒めてたよ」
「子ども扱いじゃねえか」
私が受験を終えて、秀一はまだ受験中の頃だったっけ。
秀一の優しさに甘えるなって指摘を受けたのはあの時だ。
私は、姉の忠告を分かったつもりになって軽く受け止めた結果が、ズルズルと4年付き合い別れることになったんだから、姉の慧眼は恐ろしい。
「いいから手を動かす。明日には用意しておきたいんだから」
「めんどくせー」
「『困った事があれば言えよ、何でも手伝うから』って言ったよね」
「……あれは、恋人だったお前にだろ」
「私は、恋人とか関係なく手伝ってくれるんだって思ったけど」
「ずるいもの持ち出すな」
「秀一は、恋人じゃなくなったら手伝ってくれないんだ」
「やるけど……なんでって気持ちにはなるだろ」
なんだかんだで手伝ってくれる秀一の優しさに甘えるんだから、私は本当にズルくてめんどくさい女だと思う。
しばらくは、作業に集中して秀一のおかげもあって22時には切り上げることができた。
「終わった」
「お疲れ」
「もうこれで最後だからな」
「そのセリフをあと何回言うんだろうね」
「嫌な予言はやめてくれ。実現しそうで怖い」
ずっと同じ姿勢で作業をしていたので、肩を回す秀一に飲み物を用意する。
お父さんが秀一がいつまで居るのか気にしていたけど、気づかない振りをした。
遊びに来るのはいいけど、泊まるのには反対らしい。もうすぐ帰るから心配しないで。
「滝先生の説得できると思う?」
「知るか」
「そんな適当に、滝先生と一番親しかったのは秀一でしょ」
「それはねえよ」
「ほら、これとか」
引き出しの中に入れていた写真を取り出して秀一に見せる。
私が一年の頃の集合写真だ。
滝先生に肩を回して笑う秀一の姿がばっちりだ。
「お前これ持ってたのかよ。絶対高坂に見せるなよ」
「普通持ってるでしょ、集合写真なんだから。麗奈に見せるなって、なんで?」
「めっちゃ怒られたんだぞ」
「ああ」
「これは勢いってやつで、親しいからやったわけじゃないし。やめてくれ、高坂、そんなつもりは……」
そのままブルブルと震え出した。
トラウマを刺激してしまったらしい。
「三年の合宿で、滝先生から飲み物もらってたじゃん」
「あれは幹部にだろ。高坂とおまえの分もあったじゃん」
「麗奈は結局飲んだんだっけ。大事にしてたのは覚えてるけど」
「今も大切に持ってても驚かないけどな」
「麗奈に秀一がそんなこと言ってたって伝えようか?」
「絶対にやめろ。これは振りじゃないから、マジで頼む」
秀一は昔から麗奈のことを苦手にしている。
中学時代からこんな感じだった気がする。
三年時は、副部長とドラムメジャーでよくやりあって揉めてたし、相性の問題なんだろうか。
「ホルンとトロンボーンで経験してきた楽器も滝先生と同じでしょ」
「だから指導される機会が多かっただけ。まあ、同じ男だし気兼ねする必要なかった分だけ、女子とは違った関係だったとも思うけど、滝先生と親しかったとは思ってねえよ」
「そういうもん?」
「そういうもん。つーか、滝先生と一番親しかったのは、久美子じゃないか」
「え?」
そして、次の曲がはじまるのです。