未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部   作:大好きのハグ

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14話 あやまちソリスト

「黄前さんの家は、この近くでしたね」

「はい」

「送ります」

「はい」

「大丈夫ですか?」

「はい」

 

 商店街の会長に気に入られた私は、勧められるがままに日本酒を4杯飲み干していた。

 足はふらついてないし、頭も回っている。たぶん大丈夫だと思う。

 滝先生に家まで送ってもらうのは、これで二度目だ。

 台風だったか大雨だったかは覚えていないけど、高校時代に車で送ってもらったことがあった。

 

「あれ? 滝先生、今日は歩きなんですか」

「毎年飲まされますからね。あがた祭りの日は、電車で通勤するようにしています」

「なるほど」

 

 ということは、滝先生は毎年あがた祭りの見回りを引き受けているんだろうか。

 スポンサーへの挨拶回りも兼ねてなら、その可能性が高いのかもしれない。

 滝先生が()()()()()()()()ように思えているけど、こうして今年もスポンサーへの挨拶を欠かしていない。

 今の吹奏楽部をどう思っているんだろう。

 

 口にしたい言葉をなかなか言い出すことができないまま、滝先生の隣を歩く。

 祭りの会場から私の家は、徒歩でもさほどかからない距離だ。

 

「このマンションでしたね。お疲れ様でした」

「お疲れ様で──待ってください」

 

 なんとか勇気を振り絞って引き止めると滝先生が小首を傾げた。

 

「何か忘れ物でもありましたか?」

「……少しあがってもらえませんか。吹奏楽部について、滝先生と話したいんです」

 

 思っていたことを口にするにしても、いくらなんでも直球過ぎた。

 滝先生の首の傾きが深くなった気がする。

 

「お願いします。北宇治にとって必要なことなんです」

「……分かりました。あまり長くは無理ですが」

「ありがとうございます」

 

 どうやら最初の関門を突破したらしい。

 マンションのエントランスを抜けて、エレベーターに乗り込む。

 

「…………」

 

 秀一の住む階を通過した時、一瞬だけ息が詰まってしまった。

 何も悪いことをしていないのに、悪いことをしているかのような感覚。

 特に何事もなく通過して、私の住む部屋のある階まで辿り着く。

 

「どうぞ」

「……ありがとうございます。黄前さんのお家の方は?」

「ええっと……」

 

 スイッチをつけて暗い部屋を明るくしながら、滝先生を案内する。

 両親が居ないのは、どうしてだろうと考えたところで思い出せた。

 

「きょ、今日から姉のところに泊まりに行ってます」

「……そうですか」

「座っててください。飲み物を用意しますので」

 

 滝先生をリビングのソファーに案内する。

 言葉を言い淀んでしまったのは仕方ないと思う。

 教育実習と吹奏楽部のことで頭がいっぱいになっていて、両親の予定のことをすっかり忘れてしまっていた。

 そのせいで、親がいない家へと男を連れ込んだ形になってしまっている。目の前のことに夢中になりすぎて視野が狭くなってしまっていたらしい。

 先に水を一口飲んで落ち着いてから、滝先生の分と2つ飲み物を用意してテーブルへと戻った。

 

「ありがとうございます」

「いえ……」

「先生は……」

 

 長く引き止めることができないので、すぐに本題に入るしかない。

 言うべきなのかどうか躊躇いがあった。尊敬する恩師を批判するようなことは口にしたくない。背中を押してくれた親友に感謝と謝罪をしつつ、それでも私は言葉を紡いだ。

 

「先生はどうして、旧三年生の横暴を放置していたんですか」

「横暴……ですか」

「昨年度の卒業生の話です。今の三年生と二年生は、経験者が得意の楽器から外されたと聞きました。どうしてそんな横暴を認めたんですか」

「なるほど、確かにそういう見方もできるかもしれませんね」

「え?」

 

 私が藤原さんから聞いた話では、自分たちがオーディションで選ばれるために、人気楽器は未経験者ばかりを選び、経験者は楽器変更を強いられたという話だったけど、滝先生の見解は違うんだろうか。

 私が怪訝な目をしていたことはバレバレだったらしく、滝先生はすぐに疑問に答えてくれた。

 

「元々は、弱点を埋めるための補強を期待してのことだったんです。人気のある楽器は、上の世代である程度経験者が揃っていたため形になっていました。ですが、不人気な楽器ほど上級生が抜けた穴が大きく、誰かにその穴を埋めてもらう必要があったんです」

「それが今の上級生ってことですか」

「黄前さんの代だと、塚本君は一年からA編成に選びました。トロンボーンは未経験だったはずです」

「それはそうですが」

「他の楽器の経験者であれば、未経験の楽器でも他楽器の経験から応用することができます。楽譜も読めますし、呼吸も身についています。短期間でA編成に選ばれる生徒が出てくることを期待していました。何もいじわるで楽器変更を強いたわけではありません」

「そんな……」

 

 私たちの代でいうなら、葉月と秀一の違いだろうか。

 葉月は北宇治に入ってからチューバをはじめ、秀一も同じタイミングでトロンボーンをはじめた。

 葉月は、私たちの中で運動神経に恵まれていて、練習も真面目に参加していた。それでも、オーディションに合格したのは、三年生になってからだ。

 一方の秀一は、一年の頃からトロンボーンのA編成に選ばれていた。

 塾通いとかで忙しかった秀一よりも、葉月の方が居残り練習には積極的だったくらいだ。

 その楽器の層にもよるので、A編成に選ばれるかどうかだけで、どちらが上とは一概には言えない。でも、葉月と秀一の差に大きく影響したのが中学以前の経験なのは、滝先生の言う通りだと思う。

 

「低音パートで言えば、月永君の抜けたコンバスの問題をどうにかするのが急務でした。川島さんと月永君が揃っていたときは強みだったコンバスが、川島さんが抜け、月永君が抜けてしまうと厳しくなってしまっていたのです。月永君から上手く繋げられれば良かったんですが、春に卒業した代の子は未経験者でしたのでなかなか」

 

 もう少し詳しく話を聞いてみたのでまとめてみる。

 北宇治の所有するコンバスは2台だ。

 

 私が卒業した翌年の編成。

 三年 求君

 二年 なし

 一年(旧三年) 大会まで一台を共有 → 二人(どちらも楽器未経験者)

 

 先輩が求君しか居なかった+求君が引退するまでもう1台は共有扱いだったせいで、求君からの指導が旧三年生に上手く回らなくなってしまった。

 

 翌々年の編成。

 三年 なし

 二年(旧三年) 大会まで二人(どちらも未経験者) → 一人(未経験者、一人は楽器変更)

 一年(現三年) 大会まで筋トレ → 一人(他の楽器経験者を引っ張る) →退部

 

 未経験者スタートの二人がコンバスをやっていたため、大会では苦労することになる。

 同じ学年で二人という状況もまずく、それを改善するために大会後に一人が楽器を変更して、他の楽器の経験者を引っ張ることになった。

 が、やりたい楽器から外されたその子が退部してしまったため、慣れない子が一人残る形に。

 

 さらに1年後の編成。

 三年(旧三年) 一人(未経験者)

 二年(現三年) 0人

 一年(現二年) 近藤さん(他の楽器経験者)

 

「近藤さんって楽器経験者だったんですか」

「小さい頃にピアノ教室に通っていたと聞いています。とはいっても、吹奏楽はほとんど未経験に近いですが」

 

 滝先生の語尾の弱さが苦渋の決断だったことを匂わせていた。

 本当はもっと吹奏楽に馴染んでいる生徒を選びたかったんだと思う。

 おそらく他の楽器との兼ね合いの問題だ。

 楽譜が読めるだけでもだいぶ違うので、振り当てられたのも分からなくもない。

 

「経験者を転向させたのは、必要にかられてだったんですね」

「そうなります。ですが……」

 

 滝先生は、続く言葉を言わなかったが、言わなくても伝わってしまった。

 先生は、失敗だったと認識している。

 楽器変更を強いた結果として、多くの生徒がやめてしまってより苦しい状況に追い込まれてしまっている。

 素直に希望楽器に経験者から割り当てておけば、今よりもマシだったはずだ。

 

 旧三年生のことを問題児だと思っていたけど、滝先生から話を聞いてみると印象がだいぶ変わってきた。

 オーディションに自分たちが選ばれるためではなく、オーディションに下級生が選ばれるように経験者を層が薄い楽器に回していた。

 これだけでもかなり話が違う。

 経験者が抜けてしまったので、失敗に終わっただけで、経験者が上手く新しい楽器で成長してくれれば北宇治の戦力は伸びたのかもしれない。

 人気のある楽器を未経験者が多く占めることになるので、翌年以降は苦しむことになりそうだけど、人気がある楽器なら次の新入生にも経験者を期待することはできる。

 だから、正しかったのか正しくなかったのかは、失敗したのは結果論で、何とも言えないように思う。

 大会で結果を出すには、編成の穴は放置できない。

 もしかしたら奏ちゃんの代でもサリーちゃんの代でも全国大会に出場できなかったことが、次の世代で結果を求めるように追い込んでしまったのかもしれない。

 

 ただ、忘れてはいけないのは、秀一の場合は希望して未経験だったトロンボーンを選んだことだ。希望していない楽器に、他の楽器の経験者を配置するというのは、やっぱり無謀だった気がしてしまう。

 

「滝先生は、生徒に説明したんですか?」

「説明ですか?」

「望まない楽器を担当することになった生徒に対する説明です」

「今の楽器でコンクールメンバーに入ってきて欲しいことは伝えました」

 

 期待していることを伝えたかったんだろうけど、微妙にずれていうかなんというか。

 そういえば、滝先生はこんなところがある先生だったっけ。

 滝先生らしいといえばらしいけど、それでは生徒に伝わらなかったと思う。

 

「もう少し言いようが」

「希望する楽器から外されたという事実は変わりませんので」

「それでもです」

「下手にフォローを入れると方針がブレてしまいかねません。その程度でブレてしまうかどうかの心配が必要だった時点で、公平でも正しくもない判断をしてしまったんでしょうけど」

「……やり直すことはできなかったんですか」

「初心者の子に任せることが難しいのも事実でしたから」

 

 その結果として、今は初心者が楽器を担っている。

 なんといえばいいんだろうか。

 一度決めた方針からはブレてはいけないというのが、必要なことだというのも理解できるだけに、責めることもできない。

 

「演奏面でのフォローはできなかったんですか? 上手くなることが実感できれば、楽器にも愛着が湧きます」

 

 私のユーフォとかまさにそんな感じだ。

 自分が好きで選んだ楽器じゃないし、高校で吹奏楽部に入った時も、違う楽器を選ぶつもりだった。結局、流されてしまって経験者としてユーフォから逃れることができなかったけど、今ではマイ楽器をお金を貯めて買うくらいにユーフォに愛着を持っている。

 

「一昨年は学年主任になりまして、例年ほど吹奏楽部に時間が作れず」

「タイミングが悪過ぎます」

「私はなりたくなかったんですが、こればっかりは私の一存では決まりませんので」

 

 本業の教師としての仕事が忙しかった。

 そう言われてしまうと、実際に教育実習で忙しさを実感した身としては、同情しそうになる。

 滝先生が嘘をついているわけではないはずだ。

 

 でも、本当にそれだけなんだろうか。

 引っかかりのようなものが、私に何かを訴えかけてくる。でも、それが何なのかまでは、答えとして形にならない。

 何に引っかかっているんだろうか。

 

「黄前先生は、高三の時の大会のことを覚えていますか」

 

 私が思い悩んでいると、滝先生の方から話を振ってきた。

 

「もちろんです。色々ありましたから」

「そうですね、愚問でした」

「部長なんてなるんじゃなかったって何度思ったか数えきれないくらいで」

「立派な部長でしたよ」

「だといいんですが」

 

 あっという間の日々だった。問題が起こらない日の方が少なかったんじゃないかって思えるくらいに、次から次に色々なことが起きて、それに振り回されていた。

 そのせいと言ってしまえば言い訳になってしまうけど、真由ちゃんとしっかり向き合うことができるまでに、かなりの時間を要してしまった。

 もっと早く向き合えていれば、オーディションがどうなったのか。

 

「オーディションは、本当に悩ましかったですよ」

「…………」

 

 私の考えを読まれたかのような滝先生の言葉に、思わず目を見開いて滝先生の方を見てしまった。

 

「特にユーフォのソリをどちらが吹くのか。黄前さんと黒江さんに、力量差はほぼなかったと思います。それでも、ソリを吹けるのは一人。どうしたものかと頭を悩ませました。それが3回もです。大会ごとにオーディションをと言い出した生徒を恨みたくなるくらいに」

 

 言い出したのは、誰だったんだっけ。

 私と秀一と麗奈の三人で決めたことだけど、誰から言い出したのかまでは覚えていない。

 こういうのを言い出しそうなのは、麗奈な気がする。

 

「楽しみでもありましたけどね。成長していく生徒を見ていくのが楽しかった。黄前さんは、関西大会でのオーディションについて、職員室まで聞きにきたことを覚えてますか?」

「失礼なことを言ってしまったのは覚えています」

「あの時も言いましたが、失礼だとは思いませんよ。そう思わせたとしたら、図星をつかれて動揺したことに気づかれてしまったのかもしれません」

「図星ですか」

「私は、本当はコンクールに特化した音楽は好きではありません」

 

 それは、4年越しに知る恩師の本当の想いだった。

 

「だから、京都府大会では黄前さんにソリをお願いしました。これは、私の好む音楽の方向性で決めたことです」

「私の方がコンクールに向いていなかった」

「そうですね。黒江さんの演奏は、清らかで鈍りの一切ない安定したきらびやかな音。もし正しい演奏を定義づけるとすれば、黒江さんの演奏がそれにあてはまるかと思います」

 

 それは、私の憧れていた清良女子の演奏だ。

 清良女子でA編成に入っていただけあって、真由ちゃんの音は清良女子のサウンドそのものだった。

 

「一方で黄前さんの演奏は、多少揺れながらも温かみのある響きのある音。心を震わせるような演奏でした。黄前さん達の代は、私が一年からずっと担当してきた最初の世代です。その集大成ではないですが、私は北宇治の音を会場中に響かせたかった。そう考えたときに、黄前さんの方をソリに選んでいました」

 

 緑や奏ちゃんにも似たようなことを言われたんだっけ。

 差がほとんどなく好みの問題だと。

 滝先生の好みの演奏をできていたのが私だから、京都府大会では私が選ばれた。

 

「でも、関西大会では真由ちゃんがソリでした」

「そうですね。残念ですが、京都府大会では私の理想とする北宇治の音には届きませんでした。時間が足りない中で理想を追うのか、現実のコンクール向きに舵を切るのか。全国大会金賞が手の届くところまできている中で、関西大会で終わらせるわけにはいかない。現実路線に舵を切るしかありませんでした。指揮者として力不足ですね」

「それで関西を突破できましたので、判断は正しかったと思います」

「そうでしょうか。部の雰囲気が最悪に近い中、どうにか大会までしのぎ切れただけです。運が良かったというには、生徒に負担をかけ過ぎました。毎日が綱渡りで、いつか崩壊するんじゃないかと冷や汗ものでした」

「全然そうは見えませんでしたよ」

「私がぶれてしまっては、その時点で終わりでしたから。全国大会出場を決めて、もっとも安堵したのは、もしかしたら私だったかもしれませんね」

 

 滝先生にも、滝先生の中で葛藤があった。

 麗奈は滝先生のことを信じていたけど、私は無条件で信じきれていなかった。

 それでも滝先生についていけたのは、二年間滝先生に教わった経験が信じるに足るだけの実績となっていたからだ。

 途中で転校してきた真由ちゃんや、滝先生から指導される歴の浅い下級生は大変だったと思う。

 私達の代の北宇治が一番危なかったのは、思い返せば関西大会前後だったのかもしれない。

 

「最後のオーディションの時には、私は選べなくなっていました。理想を追うのか現実で行くのか。そして、黄前さんには負担をかけてしまった」

「いえ、必要だったと思います」

「必要だったと言える。それは黄前さんがそれだけ強い生徒だからです」

「え?」

「私は、そのことにもっと早く気づくべきだったんです」

 

 滝先生が目に見えて落ち込んでいる。

 こんな顧問の姿を見るのは、初めてだ。

 滝先生が常に正しかったとは思わないけど、常に先頭に立って上の立場から私達を導いてくれていたとは思っている。

 そんな滝先生の弱った姿を見て、あすか先輩のことを思い出していた。

 オーディションで悩んでいたときに、アドバイスをもらいに行ったときの話だ。

 あえて堂々としているだけだって言われて、私はそうは思わなかったけど、今なら分かる。

 あすか先輩の見立ての方が正しかったんだと。

 

「北宇治は全国大会で金賞を受賞しました。そのやり方を維持すれば、次も結果を出せる。私が厳しく指導し、ブレた姿を見せなければ、生徒はついてきてくれる。私はそう思い込んでいました」

「…………」

「実際は、生徒の全員が黄前さんのように強くはありませんでした。私はもっと生徒と向き合うべきだったんです」

「…………」

「生徒が入れ替わっていく吹奏楽部は、賽の河原で石を積み上げるようなものだと言ったら、妻に言われたことがあります」

 

 その話は、以前聞いたことがあった。

 

「石ではなく人ですね」

「そうです。でも、私はその意味を理解できていなかったんでしょう。結局、私は生徒を石として見てしまっていた。結果さえ出せば、嫌われてもいいとさえ思っていました。でも、それは誤りでした。生徒は人です。生徒の感情を無視して進めることはできません。亡き妻にどう顔向けすればいいのか、情けない話です」

 

 自嘲気味に微笑む滝先生の姿を見て、私が何に引っかかっていたのかが分かった。

 私の考えが間違えではなければ、滝先生は目標を失ってしまっているようにみえる。

 

「滝先生は、私が強いと言いましたけど、違うと思います」

「…………」

「私は、全国大会で金賞が欲しかった。それだけなんです。だから頑張れました。もし、一年の時の大会で金賞だったら、その後あれだけ頑張れたのかどうかは自信がありません」

「黄前さんなら、努力を続けたと思いますが」

「先輩から託されなければ、たぶん同じ量の努力はできなかったと思います」

 

 一年の時は、どこか遠い夢だった。

 全国大会に出場しても、もしかしたら程度で絶対に取るんだって気持ちはなかった。

 悔しさもあったけど、銅賞にもどこか納得して、全国大会まで辿り着けたことで笑って終わることができた。

 

 二年の時は、昨年度を超えたかった。

 成長してきたはずなのに、関西大会で終わったのがショックで、悲しむ先輩達を見ていられなかった。もっとできることがあったんじゃないかって後悔が強かった。

 この悔しさが原動力となって、頑張れたように思う。

 麗奈に言わせてみれば、中学の大会時点で本気で悔しがって、前を向いて突き進んでいたわけで、遅いって怒られそうだけど。

 

「私には、全国大会で金賞を取るって夢がありました。先生の奥さんも教え子に全国大会金賞を取らせることが夢だったと以前うかがいました」

「そういう話もしましたね」

「滝先生は奥さんの夢を引き継いだんじゃないですか。教え子に全国大会金賞を取らせる。その先生の奥さんの夢を滝先生が叶えてくれた」

「それは……」

「そして、目標を達成してしまって、どうしたらいいのか分からなくなったんじゃないですか」

「…………」

「私の知る滝先生は、停滞していませんでした。毎年、より上を目指していました。私たちの代が全国金を取ったときのやり方でいけばいいってのは、私の知っている先生らしくありません」

「貴方に何が分かるんですか」

 

 滝先生の目つきが厳しくなった。

 指導をしている時に、たまに見せた厳しいものだ。

 雷が落ちる前兆で、その表情を見るだけで背筋が伸びそうになる。

 それでも引けない。

 私は、誰よりも早く職員室に来て、誰よりも遅くまで職員室に残っていた滝先生を知っている。

 他校の演奏をチェックし、追いかけていた滝先生を知っている。

 今の滝先生は、見ていられなかった。

 

「分かりますよ。生徒のことを石に見ていたなんて嘘です。私とみぞれ先輩が遅くまで残っていたとき、先生は飲み物を差し入れしてくれました。飴をもらったこともあります。先生が私の家を知っていたのは、私を家まで送ってくれたことがあったからです。先生の指導は、厳しく辛いときもありましたけど、先生の優しさを私は知っています」

「…………」

「私は滝先生に憧れて教師になろうと思いました。今、教育実習生として北宇治に帰ってきた私が、滝先生が積み上げたものの証明です。滝先生が積み上げていたのは石ではありません、(ひと)ですよ」

「…………」

「先生が亡くなった奥さんのことをずっと大事に思っていることも知っています。だから、奥さんの夢を叶えてしまって、次にどう進めばいいのか分からなくなった。違いますか?」

「…………」

「先生が奥さんのことをずっと思い続けているのは素敵だと思います。でも、奥さんに縛られて囚われているのは見ていられません。もう一歩前に進んでいいと思います。今度は、先生のやりたいことをやればいいんです。私たちが成長するのを見るのが楽しかった。先生のその言葉が嘘だったとは思えません」

「……そうですね。そうかもしれません。ですが」

「ですがもなにもないですよ」

「いえ、言わせてください。黄前さん。少し言いすぎです。私も傷つきますからね」

「……すみません。言いすぎました」

「いえ」

 

 しまった。盛り上がりすぎたかもしれない。

 亡くなった最愛の奥さんに縛られているとか、好き勝手言ってしまった。

 幸い、そこまで怒ってはいないみたいだけど、踏み込みすぎだ。

 ただ、言い訳をさせてもらえるなら、滝先生にいつまでも奥さんだけを思い続けられると麗奈が困る。もう少し周りを見て欲しい。

 

「と、とにかく、今年の北宇治は京都府大会も厳しいでしょうけど、滝先生なら金賞を目指せるはずです」

「今さら指導を変えるわけには……」

「変えていいと思います。滝先生がブレたらダメなのは、綱渡りを渡り切れるのかどうかの段階です。今の北宇治はもう綱から落ちてしまっていますから、方針転換してやり直せるはずです」

「……私についてきてくれるでしょうか」

「みんな吹奏楽のことが好きですから、大丈夫です」

 

 私が教育実習中に感じたことは、この子達はしっかり吹奏楽のことを好きでいてくれていることだ。だからこそ、忙しくなるのを承知の上で吹奏楽部にかなり力を入れて時間を割いてしまった。

 やる気がなかったのは、吹奏楽の楽しさを知らなかっただけだ。

 

「吹奏楽のことを好きだとしても、私は生徒みんなから嫌われていますから」

「そんなことないと思います」

「そうでしょうか」

「少なくとも私は滝先生のことが好きな先生の教え子を自信を持って知っていますから」

 

 脳裏に浮かんだ親友(れいな)は極端な例だとしても、滝先生がみんなから嫌われていたとは思わない。

 嫌う生徒はいたと思うし、悪口大会で盛り上がっているのを見たこともあるし、麗奈のパトロールに捕まった子たちもいた。それでも、根底では信用して好意を持っていた生徒の方が多いと思いたい。

 

「そうだといいんですが」

「自信を持ってください。私が居ます。私が滝先生を支えます。教員免許が取れるのかは分かりませんし、北宇治に配属されるかは分かりませんが、今年だけでも私が支えます」

「それは心強いかもしれません」

「かもしれませんは余計です」

「そうですね」

 

 京都府大会までは、定期的に顔を出す。

 それくらいならどうにでもなる。

 

「黄前さんがいた三年間は、問題が起きても乗り越えることができました。私はそれを私の力だと思いましたが、違ったんでしょうね。黄前さんが私を助けてくれていたから、北宇治は上手く回り全国大会で金賞をとることができた」

「滝先生の指導があってこそです」

「それでもです。黄前さんは、女神なのかもしれませんね」

 

 女神というワードに素面の私だったら、吹き出してしまっていたと思う。

 ただ、その言葉を受けた時の私は、北宇治への気持ちが溢れて支配されてしまっており、単純に誉め言葉として喜んでしまった。

 

「では、私が女神をやりますから、滝先生は滝先生の思うように、大船に乗ったつもりでやりたいようにやってください。私が滝先生を支えます」

 

 こんな調子に乗った言葉が飛び出すあたりかなり重症だったと思う。

 

「そうですね。私も少しだけ前を向きたいと思います。黄前さんには、私の女神をやってもらいましょうか。後悔しませんね」

「任せてください」

 

 滝先生がどういうつもりで私を女神に指定したのか。

 滝先生が前を向くというのがどういう意味だったのか。

 そのことを私が理解したのは、全てが終わった後で、次に吹奏楽部に顔を出したときに、滝先生が生徒に謝罪したことを知るのだった。

 

 そして次の曲がはじまるのです。

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