未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部   作:大好きのハグ

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15話 北宇治フェスティバル

「黄前先生、どういう手を使ったんですか?」

「手を使ったとか言われるとやましいことをしたみたいで嫌なんだけど……でも、戻ってきてくれたんだね、ありがとう」

「約束は約束や。滝先生が変わったんやったら戻る。うちは約束を破るやつが嫌いやし」

「頼りにしてるから」

「任せとき。チューバの子はビシバシしごいたる」

 

 なんていうやりとりを吹奏楽部に復帰した倉橋さんとかわしてから一ヵ月が過ぎた。

 

 一年でA編成に入っていたのは伊達ではなく、低音パートのチューバを引っ張る存在になっている。かなり広い幅の音域を安定したボリュームで響かせることができ、音がぶれることもない。

 初心者の多いチューバも、倉橋さんの安定した軸があれば全体を支えることができる。

 この調子なら低音パートは、どうにか京都府大会までに形になりそうだった。

 

 彼女の復帰がギリギリで決まったため、北宇治は京都府大会をA編成で挑むことになっている。

 金賞を目指すには、ここからもう一伸び欲しいところだ。

 大会までのあと一ヵ月弱でどうなるのかが勝負となる。

 

 なお、私と滝先生の間に何があったのかは、彼女に説明していない。

 というよりも、できなかったと言った方が正しいかもしれない。

 あの日の記憶がないとかではない。

 お酒を飲んでいたので、明確に覚えているわけではないけど、大体のことは覚えていた。

 むしろ、忘れてしまいたいくらいだった。その方が幸せだったように思う。

 翌日の朝に目覚めて、前日のことを思い出して布団の中を左右に転がって頭を抱えたくらいだ。

 秀一が私のお酒を止めていた理由を身を持って知ることとなった。

 普段なら余計な一言程度で済むのに、あの日の私は余計すぎる色んなことを口に出してしまった。

 結果として、滝先生に色んな意味で火をつけてしまい、流されることに定評がある私に抗う術もなく、色々なことがあったわけだけど、本音を言えば夢だと思いたい。

 やましいことをしたわけじゃないと思いたいけど、否定しがたいのが悩みどころだ。

 これもお酒のせいで、いつもよりも流されやすくなってしまっていたのが悪い。

 

 かなり無茶を押し通した教育実習が終わったタイミングだったのもあって、その週の週末は体調回復を優先させて北宇治に顔を出さなかった。

 教育実習を終えた立場で、平日の学校に気軽に出入りするわけにもいかず、私が次に指導に入ったのは、その翌週の週末となった。

 滝先生と私の関係がどうなっているのかについて、ビクビクとした一週間を過ごしたわけだけど、いざ顔を合わせて見れば、何事もなく今まで通りの対応をされたので、なんとなくそれに乗っかって吹奏楽部の顧問と元教え子で、手伝っている立場のOGというので落ち着いている。

 私の悩みに悩んだ一週間は何だったんだろうっていうくらいに、拍子抜けだった。

 私は、その話題を避けたがっている。滝先生からも触れてこない。

 滝先生の思惑がどうなのかは分からないけど、あの日に何が起きたのかから目を逸らしたいがために、自然と吹奏楽部の指導に専念できるという好循環が生まれていた。 

 麗奈に言えない秘密ができてしまったけど、この分なら私が黙ってさえいれば隠し通すことはできそうで、かなりホッとしてしまった。

 麗奈のために頑張ったのに、私が麗奈を裏切ることになるとは思いもよらなかったわけで、心の中でだけ何度も謝罪を繰り返した。

 

 元奥さん一筋だった滝先生が元奥さん以外にも目を向けたこと自体は、麗奈にとってもプラスだったと思わせて欲しい。麗奈には言えないし、まさかその相手が私になるとは、想定外にも程があるけど。

 秀一と別れた途端にこれだ。何のために別れたのか分からなくなりそう。

 その秀一は秀一で、この一ヵ月の間に色々あったみたいだ。

 というのも、真由ちゃんから『塚本君とばったり会ったんだけど、久美子ちゃんと塚本君が別れたって本当なの?』と連絡があったからだ。

 東京で就職活動をしているらしい。それで真由ちゃんに会うってどんな状況だ。

 返事に困っていると『塚本君がフリーなら、仲良くなってもいい?』という追撃があった。

 フリーだと判断したのなら私に聞かないで欲しい。

 その後も、秀一の好きなものとか聞かれたので『私だと思う』ってめんどくさく答えようかと思ったけど、なんとか踏みとどまり、就活で忙しいみたいだからしばらくそっとしておいてあげてと伝えるに留めた。

 秀一が誰と付き合っても私に何かを言う権利はないけど、真由ちゃんだけはやめて欲しい。

   

「はあ……」

 

 思わず、ため息が出てしまった。

 指導は小休止だ。

 やる気に満ちた音楽室にこもる熱気にあてられて逃げるように外に出た。

 閉鎖された空間から解放されたのはいいものの、外は外で暑いのは変わらない。

 少し熱っぽい気がする。

 日差しを避けて、中庭の木の陰に入る。

 私が現役で北宇治に通っていた頃には、存在していなかった桜の木だ。早朝に降った雨のせいか、葉が湿っていて夏の匂いがした。

 じっとしているだけでも汗が垂れそうになる。本音を言えば、座りたいところだったけど一度座り込んでしまうと、起き上がることができるのかどうかが悩ましかった。

 一息ついて、ペットボトルから水分を補給する。

 

「何か悩みごとか?」

「松本先生」

 

 どうやらため息をこぼすところから見られてしまっていたようだ。

 

「オーディション無しで本当に正解だったのかどうかが」

「今の北宇治は人数が人数だ。辞退で決まったのは、いいことだと思う」

「それはそうなんですが……」

 

 A編成でコンクールに挑むことが決まり、そこから先はあっという間に、課題曲と自由曲が決まった。

 元々コンクールの上限人数55人に対して、復帰した倉橋さんを含めて57人だ。

 編成メンバーに遊びが少なく演奏しやすい曲に制限が掛かるため、課題曲の選択肢がなかった。

 それでも二人は落ちる計算で、一人は倉橋さんが入ったことにより人数に余裕ができたチューバから、もう一人は三年と二年にマイ楽器組がいて安定していたクラリネットから抜けることとなった。

 ギリギリで編成が回るように楽器が振り分けられていたため、曲が決まった段階で各楽器の人数も自動的に決まり、入れ替える余地はない。実力的な兼ね合いもあってその編成でできる自由曲も限られていたため、滝先生があらかじめA編成で出場するのを見込んで用意していたもので、あっさりと決まった。

 

 一定の水準を満たす生徒だけでコンクールに出場する方法もあったけど、三年生ができるだけ多くの生徒で出場することに決めたため、チューバとクラリネット以外の楽器は全員がコンクールメンバーに決まり、オーディションを開く必要がなくなってしまった。

 最終的に、該当楽器だけオーディションを実施する予定だったけど、チューバの初心者組から橘さんが実力不足を理由にサポートに回ることを申し出て、それに引っ張られる形でクラリネットの一年生初心者からも一人辞退者が出て、コンクールメンバーが決まった。

 

 オーディションで選考するのにも時間が掛かるので、実施することなく出場メンバーが決まったことは1秒でも惜しい今の北宇治にとっては、よかったとは思う。

 ただ、辞退者を出してしまったことに、生徒にとってそれでよかったのかは、私は判断できなかった。

 

「何人も落ちるのならいい。だが、一人だけオーディションに落ちるというのは辛いものだ。辞退した子が塞ぎこんでいるのならフォローが必要だが、そうではないのなら、あまり深く考え込まない方がいい」

「……分かりました」

 

 私は、ソリストのオーディションに落ちた経験はあるけど、コンクールメンバーから外れた経験がない。本当の意味で落ちた子の気持ちが考えられるのかと言えば、想像でしか分からなかった。

 北宇治の実力主義=オーディションによる選考に、囚われてしまっているのかも。

 幸いといっていいのか分からないけど、橘さんもクラリネットの子も楽しそうにサポートメンバーをやっているので、松本先生の言う通り悪くなかったと考えよう。

 

「吹奏楽部のことはいいが、勉強は進んでいるのか?」

 

 予期せぬ方向から質問が飛んできて、目に見えて動揺してしまった。

 勉強と言われて連想できるものは一つしかない。

 大学の話ではなく、私の将来に関する大事なものだ。

 

「……なんとか」

「まだ教員採用試験が終わっていないのは、分かっているな」

「はい。一次試験の結果待ちですが、平日は二次の対策に時間を使っています」

「それならいい。まずは自分のことをしっかりしておけ。黄前が教師になる日を楽しみにしているからな」

「ありがとうございます」

「分からないことがあったら聞け。私が受けたのは何十年も前だが、大事なところは変わっていないはずだ。答えられるものならなんでも答えてやろう」

「実技が上手くできるか不安ですけど……先生は緊張しなかったんですか?」

「私の話か? 私の頃はまだバブルがはじけ切れておらず、公務員を受けるなんてなどというくだらない風潮が残っていた時代だ。落ちたら民間に進めばいいって思っていたから緊張はしなかったな」

「それは、参考になりませんよ」

「それもそうか。まあ、対策だけは怠るな。二次が決まったら個別で対策をしてやろう。教育実習の調子でいけば問題ないと思うが、落ちてから悔やんでも遅いからな」

 

 松本先生は、笑いながら私の肩を叩いてきた。

 私の母親と松本先生は同年代だ。親が就活する時はどんなかんじだったんだろう。参考にはならないだろうけど、あとで聞いてみてみよう。

 この暑い中ですら、いつものように背筋が伸びた松本先生を見ていると、木の陰で涼んでいた私がだらけているように思えて、もっと頑張らないとダメな気がしてきた。

 今年の教員試験は、一次試験が教育実習後の一ヵ月の間に終わり、今は結果待ち中だ。

 一次試験を突破できれば、二次試験は吹奏楽コンクールの京都府大会の翌週となっている。

 二次試験は指導の実技がメインなので、吹奏楽部の指導も練習として役に立っていると思いたい。あまり松本先生に頼るのもどうかと思うけど、本当に不安になった時は遠慮なく頼らせてもらおう。

 

「……しっかり根を張り育ったな」

「私なんてまだまですよ」

 

 あまりに褒められると恥ずかしい。

 

「いや、黄前の話じゃない」

 

 と思ったら、違ったらしい。余計に恥ずかしい。

 

「何の話ですか?」

「桜だ。今年はまだ花が咲くことはなかったが、この調子なら来年の春には花開くことになりそうだ」

「…………」

「黄前の結果も花が咲くことも期待している」

「頑張ります」

「熱中症には気をつけるように」

「はい、ありがとうございます」

 

 最後に、お言葉をいただいて松本先生は離れていった。

 すっかり教え子と教師の関係に戻ってしまっている。

 

 この桜は、私たちの代の卒業を記念して植樹したものだ。

 あの時に吹奏楽部のみんなで撮った写真は、私の机の上に今でも飾ってある。

 植えた当時はまだ小さかった木がもうすぐ花が開くまで成長している。

 花言葉はたしか、精神の美。

 私も桜に負けないように、成長できたんだろうか。

 松本先生の期待に応えられるように、北宇治に胸を張って帰ってこれるように、もう一度気合を入れなおそう。

 目指せ、教員試験への合格。

 そして、北宇治の京都府大会金賞。

 北宇治に根付いた桜が花開く日に負けないように。

 遠くで聞こえる野球部の声と校舎から聞こえる吹奏楽部の音をBGMにしながら、これからの一ヵ月に目指すものを決めて、休憩を終えて指導に戻るのだった。 

 

 

   ◇◇◇

 

 

 その夏、吹奏楽を始めて数ヵ月の初心者を十人以上抱えて京都府大会に挑んだ北宇治高校吹奏楽部は、京都府大会金賞に輝くことができた。

 残念ながら、関西大会への出場権のないダメ金だったけど、二ヵ月前は大会に出場するのかどうかで揉めていたことを思えば、奇跡のような結果だ。

 現役生からエネルギーをもらった私は、その勢いで教員採用試験の二次試験に挑み、無事に合格をもぎとることができた。

 なによりも、京都府大会から二次試験までの一週間、松本先生にはほとんど付きっきりで指導をしてもらったのが大きかった。まったく持って頭の上がらない恩人だと思う。

 

 最後に、私の妊娠が発覚した。

 

 そして次の命が生まれるのです。

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