未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部 作:大好きのハグ
「あの、黄前先生、土日も指導に来てもらえますか?」
「ええっと……土日にも練習あるの?」
「はい。自由参加の自主練習です」
「自主練習」
金曜日の部活も終わって、職員室に戻ろうとしていると藤原さんに捕まってしまった。
すっかりゆる部となってしまっている吹奏楽部でも一応土日も練習しているらしい。
それはいいことだと思うけど、低音パートリーダーの藤原さんの圧がすごくて、たじろいて数歩ほど下がってしまった。
私に憧れていたのもあって、どうしても私に来て欲しいらしい。
その熱意は、微笑ましいし嬉しい。でも、教育実習は、ただ部活だけをやっていればそれで終わるわけじゃない。というよりは、本来なら部活はおまけでしかない。
今週は、見学やサポートがメインだったけど、来週はいよいよ私自身が授業で生徒に教えなければいけないわけで、てんやわんやだ。
一年生と二年生で合計3時間分の授業をこなさなければならない。
そのための資料作りとか準備を土日のうちに進めておかないと、来週大変なことになってしまう。
部活を優先するのは本末転倒で、あきらかな間違いだ。
心を鬼にして断ろう。
「自主練習なら参加しま──」
「普段は半分も来ないんですけど、先生が来てくれたらみんな参加してくれると思います。北宇治でもっといい演奏がしたいんです」
「──す」
「やったー。ありがとうございます」
「土曜日だけ、土曜日だけだからね」
せん、という私の言いたかった言葉は彼女の熱意にかき消されてしまった。
なんとか土曜日だけだと付け足すのが精いっぱいだ。
私の流される癖はどうにかしないと、本当にいつか後悔する日が来るのかもしれない。
その後悔が思ったよりも早く来ることをそのときの私はまだ知らなかった。
◇◇◇
土曜日。
「コントラバスを上手く演奏するには、どうすればいいんですか?」
「ええっとそれは……」
全体の参加率は6割程度だったけど、私が関わることの多い低音パートは全員集合していた。
軽く身体を動かしてからパート全体での基礎練習をこなし、午後からは各自の楽器を練習となったところで、指導が行き詰ってしまった。
困り顔を浮かべているのは、唯一のコントラバス奏者の二年生、近藤さんだ。
その困り顔につられたわけじゃないけど、私の顔も曇ったと思う。
音の良し悪しなら、どの楽器でも教えることはできる。
息継ぎが悪い、音程が悪い、音量が悪い、リズムが悪いという指摘はできるつもりだ。
でも、各楽器の演奏の仕方については専門外だ。
ユーフォなら教えることはできるけど、ユーフォ以外は音の出し方とか音程の切り替え方みたいな基礎中の基礎程度しか分からない。
コントラバスは完全に専門外だ。
「先輩は、居なかったの?」
「去年卒業した先輩は居たんですけど、特に指導とかは」
「……それは大変だったね」
詳しく事情を聴いたわけじゃないけど、漏れ伝わった話を集めていくと今の北宇治がこうなってしまったのは、去年の三年生に問題があったらしい。
私たちが卒業した翌月入学の新入生で、私がまったく知らない子達だ。
顧問の先生が全ての楽器に精通しているというわけもなく、楽器によって得手不得手はどうしてもでてしまう。
私の場合はユーフォ、滝先生の場合はホルンとトロンボーンが自身が演奏していた楽器で、それ以外の楽器となると担当外だ。
だからこそ、滝先生の知人であるはしもっちゃんこと橋本先生や、新山先生が合宿とかで顔を出して指導してくれていた。
専門家がいない普段は、どうしているのかといえば、先輩が後輩に教えている。
どこの学校にも必ずと言っていいほど各楽器が2台以上用意されているのは、予備というわけはなく、先輩と後輩で学年をバラバラにして指導できるようにするためだったりする。
同じ楽器を担当する先輩から後輩への指導というものは、とても重要なものだ。
それがどうやら破綻してしまっているらしい。
コントラバスの先輩は居た。でも、教えてくれなかった。
私がその環境に置かれたら途方にくれていたとおもう。
できれば、力になってあげたい。でも、私もコントラバスについては専門外で、人に指導できるほどのものを持っていなかった。
期待の眼差しが痛い。全国大会金賞の肩書が重く私にのしかかっている。
解決方法はある。でも、それを実行するべきかが悩ましい。
「……近藤さんは明日も練習に来れる?」
「はい」
「えっと、じゃあ、ちょっと個人練習してて」
現実では数秒、私の体感だと数分ほど考えた末に、私の覚悟は決まった。
こうなったらとことん付き合ってやろう。
私に指導できないのなら、指導できる人を頼るしかない。
まずは、職員室に向かい、副顧問として詰めていた松本先生に作戦を伝える。
「黄前先生らしいじゃないか。好きにしろ。何かあれば私が責任をとってやる」
さすがは軍曹先生。頼りになる。
なんとも気前のいい許可をもらって、今度はスマホを取り出した。
本当に好きにさせてもらおう。
私たちの代の部長は私だ。その特権を使い倒してしまえ。
ほとんど使われなくなっていた連絡網を駆使だ。
二十歳の成人式前後で止まっていた、同世代のグループラインを久しぶりに動かした。
後輩の指導のために、来れる人は北宇治に来るように呼びかける。
すぐに何件か反応が返ってきたのを尻目に、秀一には個別で来なくていいことを伝えておいた。今は秀一に会いたくない。というか、秀一のことを考えている余裕がないから来てもらったら困る。
30分後。
「明日、コントラバスの上手い子が指導に来てくれるって」
「ほんとですか」
「任せて」
幸い、一番来て欲しかった緑からは、二つ返事でOKをもらえたので、最低限はクリアだ。
その後も何人かは来てくれそうなので、どうにか指導の形を整えることができそうだった。
ほっと一息ついたところで、今度は別の問題が生じることに気づいて蒼褪めた。
今日の現役生の参加率は6割程度だ。低音パートが全員参加して6割なので、他のパートは半分も来ていない。楽器によっては一人もいない楽器もあったりする。
後輩を指導するために同級生を呼び出したら後輩が来ていない可能性がある。
これはまずい。できない指導に呼び出すとかどんなパワハラだ。
「藤原さん。全部の楽器じゃないけど、明日なら私の同期が何人か指導の応援にしてくれるから、できれば自主練に参加するように連絡してもらえないかな」
「連絡するだけでよければ」
「お願い」
低音パート以外の集まりがまばらなのは解消したい。
声をかけてせっかく来てくれたのに、担当楽器の子がいないみたいなことは起きて欲しくない。
自主練習に強制はできないけど、できるだけ多く集まって欲しい。
私の情熱が生徒に少しだけでも伝わることを願おう。
そのためにも、今日の指導を必死になってやらないとまずい。
結局、私は夕方の解散時間になるまで各パートを回り、できる限りの指導を尽くしつつ、今日来ていない子の説得を頼み込むのだった。
あとは、明日の出たとこ勝負だ。なるようになるしかない。
「黄前先生、来週の実習も忘れるなよ」
「はい」
指導終わりに、しっかりと松本先生に釘を刺されるほどに、吹奏楽部に掛かりっぱなしで日中が終わった。
資料作りは、これから頑張ろう。
気合を入れて机と向き合ったところで、スマホが震えていた。
『久美子ちゃん、ごめんね。私は午前中予定があって行けそうにないかも』
『いいよ。真由ちゃんは東京だし仕方ないって』
『もうちょっと早く言ってくれれば絶対に行ったのに』
真由ちゃんからは個別にメッセージが届いた。
グループラインで行けないことを伝えて場を盛り下げたくなかったらしい。
真由ちゃんらしいと言えばらしいのかもしれない。
『教育実習忙しい?』
これは、あのパターンだろうか。
『終わるまでは忙しいけど、終わった後なら大丈夫だよ』
『よかった。あのね、ちょっと恥ずかしいんだけど』
やっぱりあのパターンだ。
真由ちゃんからこの相談を受けるのは、何度目だろうか。
『どうしたの?』
『久美子ちゃんに紹介したい人がいるの』
『今度はどんな人?」
『25歳の浪人生』
『やめときなさい』
『医学部目指して頑張ってる人で久美子ちゃんに話して欲しいの』
『わざわざ話さなくていいんじゃないかなぁ』
『久美子ちゃんの言うことなら信用できるから、お願い』
『分かった。この話は教育実習が終わったらね』
やりとりを終えた私は、どっと疲労感に襲われていた。
高校時代は色々あった。思い出すだけで胸が苦しくなりそうなくらい本当に色々あったけど、真由ちゃんと私は、親友と呼べるかもしれない間柄に落ち着いていた。真由ちゃんにとって、私が一番仲の良いお友達らしい。
東京の大学に進学した真由ちゃんとは、東京と京都で離れてしまったので、会う機会は減ってしまったけど、真由ちゃんが何度か遊びに来る形で会っていた。
それだけじゃなくて、私が秀一という彼氏持ちだったのもあって、恋愛相談めいたものを度々受ける羽目になっていた。
羽目になっていたとはあまりにも失礼な言葉だけど、付き合わされる身にもなって欲しい。
最初の頃は心身になって付き合っていたけど、最近だと結構おざなりに対応している。
真由ちゃんはとにかくモテる。それも一癖も二癖もある男性ばかりがなぜか真由ちゃんの周りに集まってくる。
それを私が切って捨てて、切って捨てての連続だった。
最短だと前の男性から三日。最長でも半年で次の恋愛相談がスタートだ。
女子大生が55歳の税理士とどこで知り合うんだろう。
妻子持ちの教師に告白されたのは、私に相談するまでもなく断って欲しかった。
家庭教師の教え子の中学三年生は、犯罪になるからやめなさい。
タイミングが合えば、それがどんな男性か直接話して確認するけど、タイミングが合わないうちに自然消滅することもたびたびあった。
今回はどのパターンだろうか、と頭を悩ませたところで、作業の手が止まっていたことに気づいた。
「もう日付変わってるし」
北宇治を前に進めるためとはいえ、私の睡眠が犠牲になっている。
教師になる前から既にブラックに足を踏み入れつつあることからは目を逸らして、夜遅くまで資料作りに励むのだった。
◇◇◇
翌日。
「……こんなに集まったんだ」
少しだけでも自主練習に協力して欲しいという私のささやかな願いは──
「部長からの呼び出しですから」
「久しぶり久美子ちゃん」
「同窓会みたい」
──大勢の卒業生が集まるという事態を引き起こしてしまっていた。
目当てだった緑、葉月、どこから聞きつけてきたのか奏ちゃん、その他にも大勢が来てくれた。
って、いくらなんでも17人は集まり過ぎでしょ。
演奏会にでも出場するつもりだろうか。
終わった後でお礼におごるから食事でも行こうって、誘ったのは早まったかもしれない。
これだけの人数に来られたら私の財布が死ぬんじゃないかな。
17人の中に、来なくてもいいって言っておいた喧嘩中の秀一の姿もあった。来てくれて嬉しいって気持ちよりも来たんだっていう戸惑いの気持ちの方が強い。
再会を喜び合う輪の中にいるのに、私と秀一が直接話すことはない。
生徒に秀一との関係を知られたらめんどくさいことになりそうなので、この微妙な距離感は維持していきたいところだ。
よし、気持ちを切り替えて指導を頑張ろう。
そして次の曲がはじまるのです。