未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部 作:大好きのハグ
午後4時。
そろそろいい時間だった。
午前中から行われていた卒業生による熱がこもっていた指導も、すっかり集中力が切れていて、雑談の方が多くなっているパートも出てきている。
このままパート練で終わるべきか、最後に集まって合奏でもするべきか、奏ちゃんにでも相談しようとしたところで、彼女は現れた。
「久美子ちゃん、お待たせ」
このどこかおっとりとした母性を感じさせる声色は、一人しかいない。
「え? 真由ちゃん。今日予定あるって」
「午前中に用事終わらせて来たの」
「わざわざ東京から!?」
「みんなが集まるのに、私だけ仲間外れは嫌だから」
「真由先輩は、相変わらずですね」
「奏ちゃん、久しぶり」
「久しぶりです。お会いできるとは思ってませんでしたので、わざわざ東京から来てもらえるなんて嬉しいです」
「ありがとう」
「そうやって素直に受け取ってもらえるところ好きですよ」
「私も奏ちゃんのこと好きだよ」
午前中の用事が終わり次第、新幹線に飛び乗ってわざわざ京都まで来たらしい。
「久美子ちゃんも久しぶり、会いたかった」
「冬に会ったばかりでしょ」
「ええー、冬ってかなり前でしょ」
東京と京都の距離を考えれば、そこまで大げさに会っていなかったわけじゃないと思う。
最後に会ったのは、去年の12月に真由ちゃんが京都まで遊びに来てくれた時だ。
免許を取ったから運転してみたいという真由ちゃんの提案で、私、秀一、真由ちゃん、たまたま捕まったつばめちゃんの4人で日帰りでスキーに行ったわけだけど、初心者の運転する車でスキーに行くものじゃないというのが、教訓だった。
スキー自体は可もなく不可もなくって感じで終わった。
私もつばめちゃんも、あまり運動神経が良くないので、初心者コースでも厳しく、昼食後は諦めて雪遊びをして遊んで、それはそれでそれなりに楽しかったので、悪くはなかった。
また行きたいかは悩ましい感じだ。
秀一は最後まで頑張っていて、初心者コースならそれなりに滑れるようになったみたいで、もう一度行きたがっている。
雪国で暮らしたことがあるという真由ちゃんは、上級者コースでも余裕だった。
どちらかといえばスキーよりもナンパ避けに苦労していたっぽい。色んな意味でさすがだ。
最後に私達に合わせて実施されたソリのレースでは、真由ちゃんが優勝した。
結局、私はソリで真由ちゃんに勝てない運命なのかもしれない。
なお、真由ちゃんの運転する車には、二度と乗らないと行きの段階で決意したため、帰りの運転は秀一にしてもらった。
そのスキー以来の再会だ。
私達に会いに来てくれた気持ちは嬉しい。嬉しいけど。
「真由ちゃん、来てくれて嬉しいけど、そろそろ終わろうかなって」
「え、そうなの。ユーフォを用意してきたんだけどな」
「それはお疲れ様としかいえないけど」
ユーフォの重さは、なんだかんだで4キロくらいあったりする。
常に抱えているわけではないとはいえ、長距離移動で持ち運ぶのは一苦労だ。
真由ちゃんの苦労を思えば、申し訳なさでいっぱいになるけど、既に集中力が切れている中でこれ以上指導を続けることに意味はない。
「それでしたら最後に完成形として先輩方の演奏を聴かせるのはどうでしょうか?」
「奏ちゃん?」
「先輩方は、以前やってましたよね。全国大会で金賞を取ったユーフォとトランペットのかけあいの部分」
「あ、私やりたい。トランペットパートを私がやるから、久美子ちゃんはユーフォパートをお願いできるかな」
「あの曲は、今の私には荷が重いんだけど」
「久美子先輩ならできますよ。素敵な演奏期待してますから」
「本当に奏ちゃんって、いい性格してるよね」
「久美子先輩のこと大好きですから」
奏ちゃん一人ならまだどうにか言いくるめて終われたけど、真由ちゃんも参戦してきた時点で、流されることに定評のある私に勝ち目はなくなっていた。
真由ちゃんには、現役時代から色んな意味で勝てた試しがないんだけど。
あ、男選びでは勝ってた。
秀一と微妙な関係になってしまった今、それを勝ち誇ることもできないけど。
仕事のできる奏ちゃんの手によって、あっという間に楽譜が用意されてしまった。
「この教室まで呼んできます」
「大げさにしないで」
「久美子ちゃんとの演奏久しぶりで楽しみ」
「腕落ちてるからね」
結局、私の僅かながらの抵抗なんてあってなかったのごとく流されてしまい、卒業生による指導の締めとして、私と真由ちゃんのソリによる共演を披露することになってしまった。
低音パートの子達だけでも緊張したのに、今度は現役生がほぼ全員揃っている。
それに加えて同期と後輩の梨々花ちゃんと奏ちゃんだ。
よりにもよって演奏するのが深い因縁のある『一年の詩』のソリ部分。
おまけで私がユーフォ担当で真由ちゃんと一緒とか、どんなシチュエーションだ。
全国大会で金賞を取ることによって、部長として間違ったことはしていなかったと自信になったけど、ユーフォのソリを真由ちゃんに奪われたことは、おそらく一生消えない傷となって残っている。
麗奈とソリを吹きたかった。
麗奈の隣に立って、北宇治の音を響かせたかった。
部員全員によるオーディションで決めたことであり、私の実力が及ばなかったことが悪い。だから、真由ちゃんを恨んでいるわけじゃないけど、思うところがないかといえば嘘になる。
「久美子ちゃんから先行して、合わせるから」
オーディションの時は、トランペットパートからスタートして麗奈に合わせたんだっけ。
今日は私からか。
さすがに完全に覚えていなかったため、楽譜に視線を落とした。
ああ、そうだ。こういう曲だ。音を鳴らさずに指の動きだけで楽譜を追う。
毎日毎日、家に帰った後も、ユーフォを想像してまで練習を繰り返した曲。
ユーフォ奏者としての私の限界を嫌でも実感させられた曲。
私は演奏者としては、特別にはなれなかった。
でも、だからこそ部長として北宇治のためにできることを最大限にできたと思う。
真由ちゃんともこうして卒業しても会えるような関係になれたし、麗奈との関係も続いている。
まさか、区切りとなったこの曲をもう一度吹くことになるとは思わなかったけど。
奏ちゃんはどこまで意識して、吹くように振ったのかな。
奏ちゃんのことだから、全部分かっていてやられた気がする。
「…………」
「…………」
真由ちゃんと目が合うと、軽く頷かれた。
向こうの準備は万端みたいだ。
真由ちゃんに合わせるように2回呼吸を繰り返し、3回目で大きく息を吹き込んだ。
あの頃は麗奈の隣に立つ自分をイメージして音を奏でていた。
慎重すぎるくらいに慎重に入ってしまったユーフォの音を真由ちゃんの音が支えてくれて、すぐに緊張は抜けた。
最初さえ上手く走り出せれば、あとは音に集中していくだけだ。
ソリは相手との掛け合いが大事だ。
強調したいところを力強く吹けば、力強く返してくれる。
滑らかに響かせれば、それに応じた滑らかな音色が隣から響いてくる。
自分の演奏に集中するだけで、真由ちゃんが合わせてくれている。
それなら私は、自分にできる最高の演奏をするだけだ。
全国大会で吹くことが叶わなかったメロディーを吹き上げる。
二度と吹くことはないであろうこの曲。あの当時の思いとあの悔しさを励みに過ごした4年間の思いの全てを込めて、最後のソリを走り切った。
「……ありがとう、真由ちゃん」
「ううん。楽しかったよ」
やりやすかった。
生徒たちの前でユーフォを披露するのは二回目だ。
一回目は、腕が鈍っているのを嫌でも実感させられたけど、今回は自信を持って私のユーフォの音を届けられたように思う。
曲に対するブランクがあるのに、満足のいる演奏ができたのは、真由ちゃんが完璧に支えてくれたからだ。
この器量を麗奈が選んだんだ。こうして改めて真由ちゃんと一緒に吹くことによって、麗奈が真由ちゃんを選んだ理由が痛いほど分かってしまった。
ほとんど練習すらしていないであろうトランペットパートを吹いて、ここまで合わせることができる。これがユーフォパートだったらどれほどの演奏になるかと思うと、末恐ろしさすらも覚えた。
急に押し付けられるようにして、いやいや始まった演奏だけど、演奏した後は演奏して良かったと思えた。
たぶん、これが何よりで、はしもっちゃんの言うところの音楽を楽しむことができたんだと思う。
奏ちゃんにお礼を言うと調子に乗りそうだから、直接お礼は言わないけど、ありがとう奏ちゃん。心の中でだけお礼を言った。
「久美子先輩さすがでした。いいですか皆さん。今のが北宇治を全国大会金賞に導いたユーフォのソリです」
前言撤回。それ私じゃないし、何言ってるの奏ちゃん。
あ、全国大会金賞に輝いたユーフォのソリだった真由ちゃんと一緒に演奏したから、間違いとも言い切れないのか。
同期達は苦笑いしてるのに対して、現役生は目をキラキラに輝かせている。私への敬意が上がりまくっている。
本当に何をやってくれたのかなぁ。
結局、こういうときでも私は流されることを選び、否定しきれないまま、練習は終わったのだった。
◇◇◇
「お疲れ様、かんぱーい」
「かんぱーい」
「いやー、疲れた。私、楽器触ったの卒業以来だし」
「それでよく指導に来る気になったね」
「みんなに会いたかったし、意外と覚えててびっくりした」
「滝先生にめちゃくちゃ鍛えられたから」
「レベルバラバラだったけど、上手い子もいたよね」
「いたいた。もうちょっと層があればコンクールも面白そうだけど」
「初心者抱えてたら無理だろ」
「その初心者を鍛えるべく集まったんでしょ」
ここのお代って、やっぱり私が出さないといけないのかな。
いくらくらいになるんだろう。
下手したら一ヵ月のバイト代とは、さよならしそうな気がする。
盛り上がっているみんなと盛り下がる私の対比だ。
高校時代ならファミレスとかファーストフードで済んだものの、さすがに二十歳を超えてまでそういう店を選べるわけもなく、20人近い人数との兼ね合いもあって居酒屋が選ばれていた。
そこまで飲まないでくれることを願うしかない。飛び込みかつ人数も多かったので、飲み放題ではない。
和気藹々と話す様子は、すっかり同窓会だ。
盛り上がるのは、ほどほどでお願いします。
「久美子ちゃんお疲れ」
「お疲れ、久美子」
「葉月、緑、お疲れ。今日はありがとね」
「いえ、楽しかったですよ」
「子供にものを教えるのと比べたら、楽勝だったし」
保育士の仕事は、いろいろと大変らしい。
本当に頭が上がらない。
「私も任せてください。連絡先を交換したので、いつでも質問に答えますよ」
「緑が教えてくれると助かる」
「ちょっと私だと助からないみたいな」
「葉月も助かってるって、ただコントラバスは特殊だから」
「経験者自体が少ないですからね。良い楽器なのに」
コントラバスは人気がないわけじゃないけど、大きく場所を取るためか、値段的な問題か、コンクールに必要なのが一人か二人なせいか、学校に用意されている数自体が少なく、イコール経験者の少ない楽器となっている。
北宇治の場合は2台しかなかった。
私の知り合いで、緑ほどコンバスが上手く詳しい人はいない。
これほど頼りになる相談者は、見つける方が難しいと思う。
大学で入ったサークルにもコンバスの子がいたけど、緑と比べたら明確に下だと言えるくらいの差があった。
最高の置き土産を残すことができた。
私の教育実習は、あと一週間で終わる。それまでに今の北宇治をどうにかするのは難しいと思う。それでも、できることはやっておきたい。
すっかり吹奏楽部のことで頭がいっぱいになっていた。
「あれ? 久美子ちゃんは飲まないんですか」
「授業の準備があるから」
「へー、久美子先生の授業なら緑も受けてみたいな」
「勘弁して。緑の方が成績良かったのに、教えにくいって」
私の仲が良かった周辺だと、進学クラスだった麗奈と秀一が抜けていて、それを追いかける形で緑。私は上の下というべきか、中の上というべきか判断に悩むような成績だった。
一番成績が悪かったのは葉月で、テストの度に補習に呼ばれないように勉強会をしたのも懐かしい思い出だ。
真由ちゃんとは親しくなるまでに時間が掛かり過ぎたせいで、学力がどの程度だったのかは知る機会がなかった。苦労する姿は見たことがないし、国立大に進学したので、優秀だったんだと思う。
このあとは思い出話に花を咲かせて、楽しい時間は過ぎていった。
「本当にいいんですか?」
「責任は取るから好きにしろって言っただろう。頼るべきところは頼る。一人で抱え込むと苦労するぞ」
「……ありがとうございます」
一人当たりで言えば3000円届かずといった程度で済んだ。
ただ人数が人数だけに、これから一ヵ月節約生活を強いられるような金額に遠い目をしていると、横から松本先生が伝票を奪って会計を済ませてしまった。
慌てて財布を取りだしたものの、受け取り拒否だ。
松本先生の優しさに甘えさせてもらおう。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
店の前で全員で並んで改めて礼を言う。
こういうときに声が揃うのも高校時代を思い出して、少し面白かった。
言われた松本先生は、恥ずかしそうにしていたけど。
「二次会行く人ー」
「久美子ちゃんはどうする?」
「明日の準備があるから、ごめん」
ここから先は、いくつかのグループに分かれて違う店に行ったりするみたいだ。
久しぶりに会った人もいるので参加したいところだけど、結局土日は吹奏楽部で潰れたため、教育実習の準備が遅れている。
これ以上は、時間的に限界だ。
「もうお前たちは大人だ。厳しくは言わんが、あまり羽目を外し過ぎるなよ。塚本。黄前を送ってやれ」
「えっ」
「はい」
意趣返しじゃないんだろうけど、最後に爆弾を放り投げて松本先生は去っていった。
「久美子先輩、頑張ってください」
「奏ちゃんは私に何を頑張れって言うのかな」
「分かってるくせに」
「来てくれてありがとう」
「はい。またお会いしましょう」
可愛い後輩は、最後の最後まで私の背中を押してくれた。
緑や葉月からは何も言われなかったけど、私と秀一がおかしなことになっているのは、バレバレだったと思う。
何も言わないでいてくれたことが二人の優しさで、その優しさには応えないとならない。
まだ一ヵ月というべきか、もう一ヵ月というべきかは悩ましいけど、そろそろ曖昧なままにしておくのは限界が近い。私は覚悟を決めて、一ヵ月ぶりに秀一と話す。
「……久しぶり」
「帰るか」
「うん」
「あ、私も駅まで一緒していい」
「真由先輩はこっちですよ」
二人で並びかけたところで割って入ろうとした真由ちゃんを奏ちゃんが引っ張っていった。
真由ちゃんらしいといえばらしいけど、そこはさすがに空気読もうよ、真由ちゃん。
そして次の曲がはじまるのです。