未来へ響け! 北宇治高校吹奏楽部 作:大好きのハグ
「……久しぶり」
「帰るか」
「うん」
テイク2。
「…………」
「…………」
二人の間で会話がないまま電車に乗り込んだ。
話したいことがないわけではない。
ただお互いにどのタイミングで話すかの意思疎通ができていただけだ。
言葉に出さなくても分かりあえていた。心の中を整理する時間だった。
最寄り駅についた。
二人で並んで帰路を歩く。
そこで今さらながらあがた祭りの告知のポスターが貼られていたことに気づいた。
秀一との喧嘩と教育実習のドタバタですっかり忘れていたけど、来週はあがた祭りだ。
このポスターはいつから貼られていたんだろうか。ここ最近の私がどれだけ視野が狭くなっていたのかが分かる。
祭りの準備でどこか非日常に近づく景色とは裏腹に、私の心は冷ややかなまま高揚感は生まれなかった。
もう少し歩けば、二人の関係がどうなってしまうのかが決まってしまう。
この道を二人で歩くのは何度目だろうか。
付き合う前、付き合った後、別れていた間、そして再びくっついた後。
二人の立場は高校時代を切り取るタイミングで様々だったけど、常に近い位置に秀一がいた気がする。
それだけ秀一が隣にいるのが当たり前の存在で、恋人以前に幼馴染だったせいだろうか。
私が覚悟を決めて、大きく一呼吸置いたところで、秀一の足が止まった。
やっぱり同じことを考えていたようだ。そんなちょっとしたことが嬉しかった。
目の前を流れる宇治川は、昨晩降った雨の影響か、やや濁って増水しているけど、絶えず流れ続けている。
「悪かった」
「何が?」
「いろいろと」
「いろいろとじゃ分からないし」
宇治川にかかる橋を渡る途中で、私も足を止めて二人で向き合う。
久しぶりに顔を正面から見る。前よりも少し日に焼けた気がする。ずっと顔をつきあわせていたらそんな些細な変化は見落としそうで、会わなかった期間の長さを実感させられてしまった。
別に顔で好きになったわけじゃないけど、カッコいいと思ってしまう。
いつから好きだと自覚したのかは、正直よく分かっていない。
高一の頃、葉月が秀一に惚れていることを知った時のもやもやとした気持ちは、今振り返れば恋心から生じる嫉妬だったのかもしれない。
「はなしかけんなブスって言ったこと?」
「あれはもういいだろ。思春期だったんだよ」
「ショックだったなぁ」
「これ一生言われるのか、俺」
「流しただけでべつに許すとは言ってないし」
「すみませんでした」
もちろん冗談だ。
こういう軽口を叩き合うのも久しぶりで、ちょっとだけ曇っていたものが晴れた気がする。
中三の頃も、当時はショックというよりムカついて秀一死ねって思っていたけど、今は私が悪かったと思っている。
好きとか嫌いとか意識した後だと、他に友達がいる中であれはない。
私の思春期が秀一よりも遅かっただけだ。
秀一が反発したのも理解できる。
でも、やっぱりブスとまで言ったのは許さないけど。
「反省し過ぎ」
「本当に悪かったと思ってるし」
「あれで私より秀一が傷つくのはおかしいでしょ」
「仕方ないだろ。一年間ずっと無視されて」
「無視はしてないし」
「話しかけてこなかっただろ」
「言われた通りしただけだし」
「だから悪かったって」
中学時代の私は、自分で言うのもなんだけど、暗黒期に近かった。
色々あって吹奏楽が嫌になりかけていたし、北宇治を選んだのは学力的に丁度良かったのもあるけど、一番は同じ中学から進む生徒が少ないからだという消極的な理由だった。
麗奈に対して「本気で全国行けると思ってたの?」と無自覚に嫌味を言ってしまうような状態から、抜け出したかった。
「私が北宇治に通うって親経由で聞いたんだって」
「知ってたのかよ」
「直接聞いてくれれば、べつに教えたのに」
「よそよそしさ全開だっただろうが」
秀一と私が疎遠になったとしても、同じマンションで家族ぐるみの付き合いだった親同士の交流が止まるわけがない。
私の母親から秀一の母親に、私が北宇治を受けることが流れ、それを秀一が聞きだして北宇治に進路を決めたらしい。
北宇治で再会したのは、たまたまだと思っていたのは私だけだったのはくやしいけど、けなげで可愛く思ってしまうのは彼女びいきなんだろうか。
中学の頃の私が秀一に進路を教えたのかどうか、本音を言えば教えなかっただろうな、と思う。
私が北宇治に進学したのは、何もかもリセットしたかったからだ。
まさか、吹奏楽の強豪校に進むと思っていた麗奈と再会するとは夢にも思っていなかったし、幼馴染の秀一もいるとは思わなかった。
嬉しい誤算というより、なんでっていう戸惑いの方が強かった気がする。
「秀一は、北宇治のことをどこまで知ってたの?」
「楽器が足りなくなっておかしくなったってことは知ってた」
「旧三年が問題児だったことは?」
「問題児っつーか、今の三年と二年は希望する楽器から外されたらしいって話は聞いた」
「それなら」
「聞いたからって、俺達に何かできるわけじゃねえし、確証もなかった。それに、相談して変わるのなら相談したけど、そういう問題じゃないだろ」
「そうだけど……」
秀一の言うことが正しい。
奏ちゃんが私が状況を知るまで何も言わなかったのも、同じ理由だと思う。
それでも知りたかったって思ってしまうのは、私のワガママでしかない。
知っても、心が苦しくなるだけで、プラスになることなんかないのに。
質問を変えよう。
「秀一はどう思ってるの?」
「分からん」
「はい?」
「正直、滝先生がなんで放置してるのかが分からない。俺達には何もできなくても顧問は違うだろ」
「…………」
「滝先生のことを悪く言いたくないけど、何やってんだよってのが練習を手伝った感想。大体なんで今日の練習に出てないんだ」
「自主練習だから」
「自主練習にしても、監督役の顧問がいないのはおかしいだろ」
私達が現役の頃は土日も練習するのが当たり前で、いつも滝先生がいた。
昨日も今日も松本先生が監督役で職員室に詰めている。
「私が教育実習で、松本先生が私の担当だからじゃないかな」
「本気で言ってるのか?」
「……ごめん、私もどうしたんだろうって思ってる」
なんとかひねり出した理由も、ひねり出さないといけない時点でおかしい。
素直に白旗をあげて、秀一の主張を認めるしかなかった。
目を逸らしていたわけじゃないけど、滝先生がおかしい。
そこからはじめないといけないのかもしれない。
自主性に任せるにしても、演奏が成り立たないようなレベルで放置するのはおかしい。
滝先生はどうしてしまったんだろうか。
副部長が指摘し、部長の私が認めた。
でも、滝先生に関することだけに、最後の幹部のドラムメジャーには相談できそうにない。
「娯楽室送りになりそう」
「ん?」
「ううん、なんでもない。来週は、滝先生と向き合ってみる」
娯楽室送り。
麗奈の滝先生パトロールに引っかかった生徒が麗奈から受けた仕打ちで、娯楽室から出てくると滝先生に批判的だった生徒が「滝先生は素晴らしい顧問です」と口にするようになるとかなんとか。
さすがにそれは冗談だけど、北宇治を震わせたのは間違いない。
「久美子」
「何」
「滝先生と向き合うって、そこまでやらないとダメなのか」
「…………」
「今日のこともだけど、無理してないか? 松本先生がお前のことを心配していたぞ」
「なんて言ってた?」
「無理し過ぎないように、支えてやってくれってさ」
「そっか……」
打ち上げ代を出してくれたのも、私のことを心配しての行動だったのかもしれない。
結局、この土日は吹奏楽部の手伝いに奔走していた。
明日までに用意しないといけない資料がまだ完成していない。
日付が変わるまでに終わればいいけど、睡眠時間を削り過ぎて教育実習中に眠くなったりしたらアウトだ。
目の下のクマは化粧で誤魔化せるけど、眠気を誤魔化すのは大変になりそうだ。
「無理はしてる」
「なら」
「私は北宇治高校の吹奏楽部が好きだし、大事だから無理だってする」
「…………」
「好きなことをしているんだから、どうにかするよ」
私が動くことで何かが変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。
どちらに転ぶのかは分からないけど、動くことによって少しでも可能性が広がるのなら、私は動きたい。
北宇治は、強豪校にはなれなかったけど、今ならまだ間に合うかもしれない。
56人のメンバーがいる。
A編成で出場できるだけの人数が揃っている。
北宇治の音を響かせるチャンスがある。
それなら動かないと、私が私じゃなくなってしまう。
私の誇りがなくなってしまう。
北宇治が好きだ。そのことを胸を張って言えるようになって、私は自分のことも前向きになれた。それくらい私にとっては大事なもので、そこは譲れない。
「久美子がそう決めたのなら、止めないけど。困った事があれば言えよ、何でも手伝うから」
「分かった。頼りにしてるよ」
北宇治の話はこれで終わりだ。
先に北宇治の話をしてよかったと思う。
本題と向き合う前に、自分の気持ちを整理することができた。
秀一は、優しくて頼りになる最高の彼氏だ。
たまに優柔不断で、食事で何が食べたいのか決めきれなかったり、その反面一度これと決めたら同じものを徹底して選んだり、細かいところで不満がないわけじゃないけど、私にとって秀一は出来過ぎた彼氏だと思う。
でも、私が一番優先させたいと思うのは、秀一ではなく北宇治だ。
自分でもズルいと思う。秀一には、仕事と私のどっちが大事なのか迫ったくせに、私は秀一よりも仕事を大事にしたいと思っている。
結局、高二で一度別れたときから、私は成長していなかった。
北宇治を優先させるために、彼氏彼女という関係を解消した。
その頃より秀一のことをもっと好きになったと思う。それでも、北宇治のことをそれ以上に好きになってしまっている。
北宇治の指導で頭がいっぱいで、秀一のことを考えたくないから、来て欲しくなかった。
これが私の嘘偽りのない本音だった以上、言い逃れはできない。
秀一は大事だ。でも、私にとっては二番目だ。
それが許されるのなら、秀一との関係を続けたい。
二番目だと気付けたからこそ、遠距離恋愛になってしまったとしても我慢することができる気がする。
そこから先は自然な流れに任せてしまえ。
東京に行く秀一を彼女として応援する。
私の結論が決まった。
あとはそれを言葉にして伝えるだけだ。
「俺、やっぱ東京行くの止めるわ」
「え……」
目を見開いた私の視界の先、川の暗い水面で何かが跳ねた気がした。
そして次の曲がはじまるのです。