スマホのアラームに覚醒を強制され、夢から覚める。まだ眠いと訴える脳に抵抗しながら洗面台に立つ。また濃くなった隈にため息が漏れつつ、身支度を済ませ、部屋を出る。
「いってきます」
誰もいない部屋にそう言い残して。
――――
「おはようー!」
「おはよう透」
「ねぇねぇー、今日もお願いしていいかな?」
「大丈夫だよ。いつもの場所でいい?」
「うん!」
朝一に出会ったのは透だった。彼女はUSJの件から頼まれて拘束術を教えてる仲だ。透明化の個性を持つ透は隠密と偵察が得意。しかし、透明故に何も装備が出来ず、武術の心得がないとヴィランに文字通り手も足も出ない。USJでそのことを実感したからと、放課後に拙いながらも指導しているという訳だ。
「ヒーロー殺し、大変だったね」
「私が行った時はもう終わってたから……。3人が無事で良かったよ」
それから教室で響香や猿尾とも一緒に職場体験のことを話し合った。続々と賑やかになる教室に一際大きな笑い声が響く。
「「ブハハハハハ!! マジか爆豪!?」」
「? かつ……」
堪らずこの目を疑った。あのボンボンヘアーの勝己が……野性味ある風貌してた勝己が……
「ピッチリ82ヘアーとか正気か勝己?!」
「うるせえ!! 癖づいちまって洗っても治んねえんだ。おい笑うな、ぶっ殺すぞ!」
笑ってた範太と鋭児郎がのされた。
「勝己の体験先はベストジーニストだっけ? どうだった?」
「うるせぇ! 話しかけてくんな英護!」
「……………………、……ッッ!!!」
勝己がわた、私の名前ををを喋ったァぁ?!
「ベストジーニストの所で何があった??!!」
「うるせえ! 明日の放課後空けとけやクソが!」
範太と鋭児郎を雑に離して席に着く勝己。放課後の自主訓練は不定期だが体育祭翌日からしていたこと。でも、私を翼野郎以外で呼んだのは今日が初めてだった。
「爆豪の奴、変わったのか?」
「ベストジーニストつったら後進の育成とか矯正に力入れてるって話だぜ。変わってもおかしくねえよ」
鋭児郎も範太も勝己の変化に気付きつつも、遠くからその様子を見守る。誰かに肩を叩かれ、振り向くと指が私の頬に刺さる。よくあるイタズラに気恥しさを感じながらも、視界の端でチラつく制服に透だと気付く。
「なに?」
「そういえばさ、英護くんネットニュースになってたよ!」
「……?」
「ほらこれ! 『あのミルコについにサイドキックが?! 今大注目の超若手ヒーローに迫る!』、これ英護くんだよね!」
透のスマホの画面には確かにそうデカデカと見出しがされたネットニュース記事が載っていた。掲載されている写真は私が職場体験の時のものだ。
「へぇー」
「あれれ、興味無い感じ?」
「ネットニュースはあまり馴染みがなくてね。でも過大評価じゃない? 大袈裟に書きすぎだよ」
「そんなことないよ!」
グイッと顔を近付けられる。透明化で見えないけどそこにはきっと可愛い顔があるんだろうな、なんて呑気に考える。
「だって英護くん凄い強いし、体育祭だって1位獲ってたし、USJの時だって―」
「葉隠」
私と透の間に響香が割り込んできた。クラスのほとんどがヒーロー殺しに深く関わった3人に集まってる。響香もそっちに居たはずだ。響香の様子は、あの日病室で私に掴みかかった時と同じものをしていた。
「それはデリカシー無いんじゃない?」
「ご、ごめん」
「謝らないで。私を褒めようとしてくれたことは分かってるから」
「ねえ、千刃」
耳から脳に絡みついてくるような声に背筋が震えた。ハイライトの消えかかった瞳は私だけを映してる。いや、他の何物も映そうとしない。透との推定の顔の距離より近い顔は悲しいと書かれており、逃げないよう両手で私の顔を挟む。
「無理してない? しようとしてない? ボロボロにならない? ……身を挺して庇おうとしてない?」
瞳孔は揺れ、呼吸が乱れてる。また無意識なのか、彼女のイヤホンジャックが身体に巻き付く。まるで死人の幽霊を逃がさんとばかりの様相の響香。
「ヒーロー殺しのこと、聞いた瞬間、あの日のことが頭をよぎった。ヒーローを目指す上で危険が伴うのはウチもわかってる。でも……でも、血溜まりで氷みたいに眠るあんたの姿が夢に出てくる」
止められなかった涙が流れていく。私のせいだ。私が弱くて未熟だったから彼女をここまで追い詰めた。
「大丈夫」
ハンカチで響香の涙を拭いてやる。少しは安心したのか、イヤホンジャックが解かれる。
「私は大丈夫だから。今回のヒーロー殺しの件だって、私は無傷だったんだぜ?」
――――
彼が大丈夫と言って、分かってくれたんだと思った。もう二度とあんな事件起こしてはいけない。彼が理解してくれたなら、ウチがもっと守ってあげられる。まだまだ弱くても、いつかきっと彼のことを守れるようになると思った。
「私は大丈夫だから」
そう言った彼の表情は、あの時と何も変わっちゃいなかった。また彼は、誰かの傷を一身に受けようとしてしまう。ヒーローとしては正解だ。でも、英護 千刃という一人の人間としては正解にしてはいけない気がした。
「…………そうだよね。ごめんウチ急に、ロックじゃなかった」
また庇って
――――
「はい、私が来たー。てな感じでやっていく訳だけどね。はい、ヒーロー基礎学ね。久しぶりだ少年少女、元気か」
回を重ねるごとに雑になってくオールマイト先生。もうネタ切れなんだろうか。
今回の授業は救助訓練レースを行うことに。複雑に入り組んだ密集工業地帯を再現した運動場γで早くオールマイトの元に辿り着いた者が勝ちというシンプルなレース。組み分けは5人4組となった。
―1組目。
メンバーは出久、猿尾、天哉、範太、三奈。クラスでも機動力の高い者が集まった。他の人はモニター前で見学。普通に見学してもあれなんで、レース予想に熱が入る。
「トップ予想な、俺瀬呂が1位」
「んー、でも尾白もあるぜ?」
「オイラは芦戸。あいつ運動神経すっげーぞ」
クラスの意見はかなり割れた。速度だけで言えば天哉の圧勝だが、入り組んだ工業地帯であれば立体機動の範太が優勢か。猿尾と三奈も動ける方だ、当然割れる。
「英護は誰が勝つと思う?」
「うーん、範太か出久かなー」
「緑谷?」
範太が1位をキープしたまま終わると思われたレースに、緑のダークホースが嘶く。障害物を利用し、跳ねるように駆け抜ける出久。優勝候補の範太を抜かし、1位に躍り出る。
「フルカウル、って言ってたっけ? 焦凍」
「ああ、言われて見りゃなんだあの動き」
「思ったより速いな。このまま1―」
―ズルっ。
「「あ」」
このまま1位……と誰もが予感した途端、出久は着地を謝り転落。結局、範太が1位という結果で終わった。
「出久の超パワーは腕限定故の出力だと思ってたんだが。指だけとか工夫してたし出力を調整できれば全身で使うのも訳ないか。あの時も良い動きするなとは思ってたんだけど意識だけの問題じゃなかったんだな。出力の調整、出力先の限定が出来るなら可能性がグンと広がるぞ。オールマイトと似てるとは思ってたけど、より近くなったな」
「英護くん! 緑谷くんみたいだよ!」
「おっと。移っちゃったかな。出久は他人の個性から着想を得て自分のものにするのが上手い。私の個性もまだ拡張性があるから、そういう姿勢は習っていこうと思って」
「まだ強くなるんだ」
「私自身、この“個性”のことよく分からないからね」
「……英護くん、大丈夫?」
私のレースは1位で終わった。ミルコの元で鍛えられればそりゃ、って感じだった。個性の強化が今後の課題かな。
――――
男子更衣室。
「出久の個性って腕限定じゃないんだよな?」
「う、うん。フルカウルは全身に力を入れて、それを維持して機動力を上げてるんだ」
「前からさ、個性で腕を壊してるよな? もっと全身で戦おうとは思わないのか?」
「もっと……全身で……?」
「私を参考にしろとは言わないけどさ。友人が傷付くのは見たくないんだよ」
「全身……そうか、脚も―」
着替えながら出久と個性について話してるといつものブツブツに入った。分析と予測、それが咄嗟に出来るのが出久の強み。邪魔するのは悪いと思い離れると、実が呼んできた。
「おい英護。やべぇことが発覚しちまった」
そう言って壁に付けられたポスターを外す。そこには穴? がある。
「見ろよこの穴。恐らく先輩方が頑張ったんだろう。隣の、そうさ、分かるだろ? 女子更衣室!」
その時、男子更衣室に電流走る。
「峰田くんやめたまえ。覗きは立派な犯罪行為だ!」
「オイラのリトル峰田はもう立派なバンザイ行為なんだよ! 八百万のヤオヨロッパイ! 芦戸の腰つき! 葉隠の浮かぶ下着! 麗日の麗らかボディに! 蛙吹の意外おっぱあああああ!」
嗚呼、友よ、越えようと言うのだな。
「実!」
「止めてくれるな英護おおおおお!」
実の頭を鷲掴みにして足が地面につかないくらい浮かせる。力を少しづつ入れていけばミシ、ミシ……と音が鳴る。
「あぎゃああああああああ!!」
「実! お前の下品な言動には多少目を瞑っていた。しかし、犯罪は駄目だ。お前が性犯罪者になってしまえば、私は一体誰と性癖について語り合えばいい?」
「英護くん?! 音、音が不味いよ!」
それに、お前にこれだけは言わなくてはならない。
「クラスの女子をそういった目で見るのは思春期だからわかる。凄くわかる。だが……」
「あびゃびゃびゃびゃびゃ」
「もっと純粋な目でも見れないのか? 例えば、響香は三白眼が素敵だ。ずっと見つめたくなるし、ふとした瞬間に目尻が下がった表情はつい口角が釣り上げられる。クールな雰囲気なのに柔らかく、親しみやすい所も嬉しい。
百は気品ある佇まいが素敵だ。彼女の背筋の真っ直ぐさは心の強さを表していると言っても過言じゃない。ペンを持つ指先とか、話してる時と手の位置とか、一々綺麗だと見惚れてしまう。
三奈は肌が素敵だ。一滴の穢れのない綺麗な肌。聞けばケアは怠っていないと、努力の賜物すぎる。そんな努力をコツコツと欠かさない彼女の肌は今日も綺麗なピンクだ。
透は仕草が素敵だ。正直可愛すぎてドギマギする。顔が見えなくて、目を合わせられないのが残念だけど可愛さだけは暴力的に伝わってくる。
梅雨ちゃんはオーラが素敵だ。人を惹きつけるフェロモンかなんかだと思ってる。指を顎に当てる仕草だったり、蛙特有のケロケロ語尾だったり、魔性に似た魅力を振り撒いてる」
「峰田くーん!」
「あ、ごめん。力入れ過ぎた」
「わかった……オイラ……わかった……オイラ」
「峰田くんが壊れた!」
「ごめん実。……あれ? なんか……」
視界がグラりと揺れ歪む。平衡感覚が乱れて膝を着く。なんだ? 力が入らない?
「どうした? 顔赤いぞ?」
「熱あるんじゃない?!」
「大丈夫。私は頑丈だから。次の授業もあるし、さっさと」
立とうとしても手足が鉛みたいに重くて鈍い。泥のような倦怠感が脳から重力に従って垂れ下がったみたいだ。
「しょうがない奴だな」
立てない私を目蔵がおんぶする。これじゃあ私は病人か怪我人じゃないか。
「俺が保健室まで連れて行く」
「よろしく頼んだぞ障子くん!」
「天哉まで……」
「体調が悪いなら何故言わなかった?」
「……さあ?」
皆が凄い睨んでくる。病は気から、私は大丈夫なのに。
「私は……大丈夫……」
目蔵の背中は逞しく、安心する。気を緩めると強烈な眠気が私を襲った。寝たくなんてない。夢を見るのはうんざりだ。
――――
「……保健室か」
外を見れば学生はもう帰宅を始めている。夕方だ、授業はとっくに終わってるだろう。黄昏てると、リカバリーガールが様子を見に来た。
「体調はどうかね?」
「……大丈夫です」
「良いか悪いかを聞いてるんだけどね……。今日はもう帰んな。歩けるまでは回復しただろう。家でゆっくり休んで、万全の体調にするんだよ。期末試験も迫ってるしね」
「ありがとうございました。リカバリーガール」
私は睡眠不足による免疫力の低下で体調を崩したとリカバリーガールは説明してくれた。
保健室を出ると、扉の前に透と響香が立っていた。
「ごめん英護くん。気付いてあげられなくて」
「ごめんなさい、千刃。体調悪いのにあんなこと言って……」
「2人が謝る必要なんて無いよ。私の自己管理が甘かっただけだから」
「千刃、家に誰か居る?」
「居ないよ。それがどうしたの?」
「ウチが看病しに行くから。そっか……居ないんだ」
突然の展開に頭が追いつかない。響香が、私を、看病?
「それじゃ、早く帰ろ。歩ける?」
「え、あの」
「なんで? 耳郎ちゃん……?」
「なんでって、あんだけ近くで顔見てたのに気付けなかったウチの責任だし。ついでに家何処か知りたいし」
なんか距離感バグってない? それは恋人一歩手前の距離感じゃん。私そんなに響香から好意持たれてる実感無いんだけど!
「そう、なんだ……。じゃあ、またね! 英護くん!」
「またね……」
そう言って透は帰っていく。放課後は透と訓練する約束してたのに、私のせいで……。また埋め合わせしないと。
「家何処らへん?」
「……遠くはない」
やっぱ距離近いって! これは恋人が手を繋いで歩く距離じゃん! 顔めっちゃ熱い。いや私今熱あるんだった。紛らわしいな!
――――
雄英から徒歩30分、普通のマンションの一室。ガスコンロの上でコトコト沸く鍋。そろそろかと火を止めて味見をする。
「ウチにしては上出来」
深めの食器にお粥を移してお盆の上に置いておく。ベッドで横になってる千刃の様子を見に行けば、静かに眠っている。でも浅い眠りなのか、近付けば目を開いた。いつもはギラギラと輝く金色の瞳も今は弱々しい。ウチだけが千刃の弱い姿を知ってる事実に背徳感を覚える。
「お粥できたけど食べる?」
「食べる……」
冷却シートをおでこに貼って語彙もなくなった千刃はかなり幼く見えた。昼間とは別の守ってあげたくなる衝動に駆られそうになる。
「はい」
「あー」
出されたお粥をなんの躊躇いもなくあーんされる千刃。これはあれだ、餌を待つ雛鳥だ。黙々と食べて、時々美味いと呟いてる。
「にしても……」
改めて部屋を見渡す。千刃の家は狭く、白く、何も無かった。白い机にベッド。テレビもない。最低限の料理器具はあったけど冷蔵庫の中に食材はなく、調味料の類は少なかった。どうやって今日まで生きてきたのか不思議になる。
「やっぱり……」
洗面台で予想通りの物を見つけた。隈を隠す為の化粧道具。どうしてあの時気付かなかったんだ。
「うぅ……あ……」
「……千刃」
風邪薬の副作用でようやく寝てるけど、酷く魘されてる。心音も正常じゃない。体調のことといい、千刃は普通じゃない。話を聞くに、男子更衣室で突然倒れたらしい。それまで誰も彼の不調に気付くことはなく、普通に話していた。
リカバリーガールが保健室に誰も入れなかった理由がわかった。こんな……こんな苦しそうに魘されてる千刃を見たら確実に
「いつか……話してくれるよね?」
彼が何を抱えているのか知りたい。でも、多分今じゃない。魘されてる彼の右手を握ると、少し落ち着いた。呼吸も規則正しくなり、顔色も少し良くなった。彼には支えが必要なんだと実感する。
「あんたを守れるヒーローになるよ」
次の日、手を握ったまま寝落ちしたせいで大変なことになった。