1.01 終わりと始まり
春高バレー準々決勝、烏野高校対鴎台高校の試合は最終セットも半ばに差し掛かり、思いもよらない波乱の展開を迎えていた。無数の観客の目に映っていたのは、烏野高校の選手が倒れる姿だった。その選手の名前は、日向翔陽。
彼に声をかけるのは、チームメイトや顧問、そして相手チームの選手で、しかしその誰もが気がついていなかった。日向翔陽の命が、今まさに失われようとしていることに。誰よりも体力のあった日向翔陽が、本当に体調を崩している様子をこの場の誰も見た事がなかったのだ。
普通であればすでに意識を手放し、緊急搬送されてもおかしくない体調の中で、日向翔陽はバレーへの愛、あるいは渇望でもって意識を保っていた。いや、保ってしまっていた。汗で濡れたユニホームを着替え、他校の友人からタブレット端末を借り、マネージャーとともにタクシーに乗る。身体は、まるで体調不良なんて大したことのないように動いてしまう。
しかし、それにも限界がやってくる。朦朧とする意識の中で、バレーへの執念に突き動かされ、なんとか保たれていた彼の意識は、試合終了のホイッスルによって打ち砕かれてしまう。それは烏野高校の、日向翔陽の敗北を告げる鳴き声のようだった。
今この瞬間も「バレーボール」だ
君こそはいつも万全で
チャンスの最前線にいなさい
「俺の方が長くコートに立つ」
今回も俺の勝ちだ
俺は!!
お前を待っている!!!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「まさに"小さな巨人"!!」
その声に呼び戻されるようにして、日向翔陽の視界は光を取り戻した。いつか聞いたはずの声、いつか見たはずの背中、いつか目指したはずの景色。日向は初め、その映像は自分自身を映しているものだと思ったが、すぐに違和感に気がつく。テレビの中の選手の髪色、対戦相手の高校名、空気の匂い、今着ている服。その全てが、目の前の光景が過去のものだということを示していた。
そう、日向翔陽は高校一年の一月の東京から、小学五年の三月の宮城へタイムスリップしていたのだった。なぜタイムスリップしているのか、そもそもこれは現実なのか、わからないことだらけではあったが、一つだけわかっていることがあった。それは、まだバレーができるということだった。頭は追いついていなかったが、心にはすでに火が灯っていた。まだ、バレーができるということに感謝していた。
「翔ちゃん、早く行かないと!」
遊びへ行こうと急かす友人、泉行高へバットとグローブを投げ渡し、日向はハンドルを強く握る。
「ごめん、イズミン」
「……便所行ってくる!」
そう言って自転車を漕ぎ出し明後日の方向へ向かう日向に対して、泉は困惑することしかできなかった。
「トイレならすぐそこにあるのに……」
日向が自転車を漕いで向かったのは、隣町へ続く県道の入り口で、彼にとってはもはや見慣れた通学路だった。つまり、日向は烏野高校へ向かって自転車を走らせていたのだ。
「……キャプテン、菅原さん、旭さん」
高校一年生の身体であれば滑らかに進んでいたペダルが、今日は重い。
「田中さん、
それは単に体力が小学生程度まで落ちているからだろうか。
「……武田先生、コーチ、清水先輩、谷地さん」
それとも……。
「山口……、月島……」
山道を漕ぎ続けることすでに30分以上、商店街で生まれた熱は陰りを見せていた。いや、少なくとも日向の身体それ自体はとうに冷え切っていた。それでも、歩みを止めないのは、ペダルを漕ぐ足が止められないのは、彼を突き動かす火が燃え盛っているからだった。
「……影山!!」
その場にいない相棒の名を叫び、軋むペダルを乱暴に踏みつける。その熱はすでに、「やり直し」への感謝などではなくなっていた。
「負けたんだ!」
ぶ厚い雲が太陽をさえぎる曇天の下で、一人叫ぶ。
「また、勝てなかった……!」
「やり直し」に感謝していた、感謝してしまっていた自身を恥じるように喉を嗄らす。
「また、おれはコートに立ってない!!」
いつか言われた言葉を思い出しながら。
「まだ、たりなかった……!」
届かなかった高い壁に手を伸ばして。
「まだ、バレーボールが
ぽつりぽつりと降り出した雨を顔で受け止めながら車輪を回し続けた。身体の熱が奪われていき、日向の動きも止まる。
「そりゃ、入れるわけないよなぁ」
止まったのは烏野高校に到着したからだった。しかし、いつも使っていた通用門は閉まっており、校内に人の気配はなかった。もちろん春休みだからというのもあるだろうが、なによりバレーボール部の応援のために人が出払っていたのだ。
雨宿りをする場所もなく、雨に打たれながら日向は無言で立っていた。いや、待っていたのだ。自分と同じように、「やり直し」の夢を見ている仲間がそこに来るのを待っていた。だが、どれほど待っても仲間が来ることはなかった。
「ひまだな……」
手持ち無沙汰になった日向の目に留まったのは、自転車のかごに入ったサッカーボールだった。バレーボールよりも硬く重いそのボールを手に取り、おもむろにトス練習を始める。
「おっと、よっと」
「あれ、おかしいなっ……っと!」
思った通りに動かない身体に戸惑いながら、たどたどしい動きでボールを上げ続ける。鍛えてもいない身体で慣れないボールを使っているのだから、それは当然のことだった。
「よしっ、いいぞ!」
しかし、生来の運動神経か練習の賜物か、次第に動きが滑らかになっていく。雨で滑る中、正確にボールを上げ続けられるようになってきていた。そうしてボールは違えど「バレーボール」をしていく中で、冷え切っていた身体は再び熱を取り戻し始めていた。
「……18、19、20!」
「よっしゃー!」
時間を忘れてボールを上げ続け、気がつけば日は沈んでいた。しかし、その中にあって、たしかに太陽は再び輝き出したのだ。
「やばっ、今何時だ?!」
暗くなった辺りを見渡して、焦り帰路につく。再びの山道、疲れ切った身体。だが、さっきよりもペダルは軽くなっていた。
「ただいまー!」
勢いよくドアを開け、玄関に入る。
「翔陽~!!」
「あんた、こんな時間までどこにいたの?!」
怒りに燃える母は、息子の身体が雨と汗、それとたぶん涙、それらでドロドロになっていることに気づき絶句した。
「翔陽、お前……」
食事の手を止め、様子を見に来た父もまた、息子の放つ熱気に圧倒されていた。
「おれ、バレーがやりたいんだ」
謝罪も言い訳も投げ捨てて、気持ちを吐き出す。
「今度は、誰よりも高く飛んで、誰よりも早く跳んで」
「ブロックもトスも全部できるようになって」
「そんでもって、誰よりも長くコートに立っていたい」
息を吸って吐く。
興奮と高揚で激しく脈打つ心臓が、小さな身体をめぐる血液が、脳へ酸素を回す。
「だから、……バレーが
気がつけば、雨は上がっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから数週間が経ち、日向翔陽は小学六年生になっていた。この期間、四六時中バレーのボールを触っていたおかげか、ボールを扱う感覚は高一の春高の頃まで戻ってきていた。もちろん筋力や身長の関係で未だイメージ通りに動かないところは多い。特に、跳躍に関してはまだまだ足りていない。それゆえ、今後はより本格的なトレーニングを積んでいかなければならないだろう。しかし、日向翔陽は大きな問題を抱えていた。それは、指導者がいない、という問題だ。
最初に思いついた指導者は烏養繋心コーチだったが、彼はまだ大学生のはずで、小学生の相手はしてくれないだろう。次に思いついたのは烏養一繋監督だったが、彼は彼で現在は烏野高校の監督として現役だ。日向翔陽自身が高校一年のときのように小中学生向けのバレー教室はやっていないだろう。当然、白鳥沢の鷲匠監督は論外だ。また、白鳥沢での合宿以来興味を持っていたビーチバレーの練習というのも、現実的ではない。そもそもビーチバレーの指導者との繋がりがないからだ。
あの夜、家族会議が開かれた後、習い事としてジュニアチームに入るか、という話も出たが、自力で通える範囲にジュニアチームは存在せず、両親が送迎できる時間に活動しているジュニアチームもなかった。実のところ、日向翔陽の頭の中には全てを解決するとある名案があったが、それはまだ小学生である現在、実現が難しい案であった。そうして色々と考えた結果、彼は同級生よりも一年早く、雪ヶ丘中学校の正門をくぐっていた。
「今日はよろしくお願いします!」
そう言って日向翔陽が頭を下げた相手は、雪ヶ丘中学校女子バレーボール部の顧問及び部長だった。事前にアポイトメントをもらっていた顧問も、何も聞かされていなかった部長も、目の前の小さな少年を前に呆然としていた。部長としては寝耳に水、先に話を聞いていた顧問としてもその身体の小ささに驚いていたのだ。
「えっと、君が日向翔陽くん……?」
おそるおそるといった様子で尋ねる顧問に対して、日向翔陽は元気よく答える。
「はい!」
「ポジションはMB、それとボール拾いです!!」
「おれ、なんでもやります!!」
聞いていないポジションの話を聞かされた顧問と部長の二人は、ひとまず目の前の少年を連れて体育館へ行くことにした。
そして知ることになる。
――日向翔陽という怪物を。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ……」
少し前から様子の変わった息子のことを思い出して、思わずため息が出てしまう。別に、困りごとがあるわけではない。むしろ、勉強や家事手伝いなどの今まで嫌がっていたことにも積極的に取り組む姿勢には、我が息子のことながら感心してしまうほどだった。それに、金銭面でも今のところ苦しくなるような出費は生じていない。ボールとシューズと、その他こまごまとした物を買っただけである。旦那にいたっては、「まぁ、そういう時期もあるだろう。飽きるかもしれないし、続けるかもしれない。それは翔陽自身が決めればいいさ」なんて呑気なことを言う始末だった。
それでもため息が出てしまうのは、中学・高校と続けた場合の出費を見据えてか、あるいは知らぬ間に大きくなっていく息子の背中を思い浮かべてしまっているからか。そんなことを考えながら子供たちの帰りを待っていると、家の中に着信音が響く。音の発生源は家の固定電話だ。見覚えのない電話番号に戸惑いつつ、恐る恐る受話する。
「はい。日向ですが……」
「突然のお電話、失礼いたします。わたくし、雪ヶ丘中学女子バレー部顧問の日下部と申します。日向翔陽さんのお宅でよろしかったでしょうか」
「えぇ、まぁ……。翔陽はわたしの息子ですので」
電話相手の女性は中学校の先生だというが、息子はまだ小学生であり、この中学校に入学するのは来年のはずだ。そう訝しんでいると、日下部先生とやらが話を続ける。
「お母さまもご存じの通り、翔陽くんがウチの部活を見学・体験入部してくれまして」
「……翔陽が、そちらへ?」
寝耳に水である。
「は、はい。先日お電話でアポイントをいただき、本日実際に部活動に参加してもらったのですが……」
寝耳に水である。
「寝耳に水です」
思わず声に出してしまう。その後、謝り倒す日下部先生をなだめ、落ち着かせ、話の続きをうながす。聞きたいのはこの電話の目的・用件であり、謝罪ではない。そうして話を続けさせると、信じられないような言葉を並べられる。
いわく、3m近くジャンプしていたとか。
いわく、跳躍の高さだけでなく、ブロックアウト(?)やフェイント(?)のレベルも高いだとか。
いわく、ディグ(?)もレセプション(?)も上手だとか。
いわく、今すぐ中学男子県代表のスタメンでも通用するレベルだとか。
半分以上は何を言っているのかわからなかったが、とにかく息子は小学六年生にしては規格外に優秀なのだということだけはわかった。
「翔陽くんは現在どちらのジュニアチームに所属されているのでしょうか?」
「ぜひともウチの練習に参加していただきたいのですが、そちらのチームとの兼ね合いなどもあるだろうと思いまして……」
「いえ、翔陽はジュニアチームには入っていません」
色々と探したが、どこも都合が合わなかったのだ。
「そうでしたか!」
「それでは、練習はご家族の方が見られているのでしょうか?」
「いえ、家の者は翔陽以外バレーに関して全くの無知ですので」
しかし、今日の話を聞いて保護者としてもっと勉強しなければ、と思ったわけだが。
「……では、翔陽くんは今までずっと一人で練習してきたということでしょうか?」
なぜか日下部先生の声は震えていた。もう四月だが、職員室はまだまだ寒いのかもしれない。
「今までずっと一人で、といえばたしかにそうですが……」
「そもそも翔陽がバレーを始めたのはつい数週間前のことですから」
「なので……」
なので、「今までずっと」というのは変かもしれない、と続けようとしたが、私の声はかき消されてしまう。
「え……?」
「えええぇぇぇぇぇ?!?!?!」
日下部先生の絶叫によって。
〇オリジナルキャラ
日下部 翼(くさかべ つばさ)
新山女子高校バレーボール部出身、24歳。
ポジションはセッター。
周辺にジュニアチームが存在しないにもかかわらず、雪ヶ丘中学に女子バレーボール部だけ存在する理由は、日下部先生がいるから。
担当教科は英語科で留学経験あり。
今後特に出番はない(予定)。
感想、高評価待ってます!!!!!
書き溜めはないので反応を見て筆が乗ったら次の話を投稿するつもりです!
行間とか文字が詰まっていて読みにくいとかあれば、ぜひ感想かメッセージでお知らせください。
ちょっと早いけど……日向、誕生日おめでとう!
日向の誕生日か8月19日までにはある程度進めたいと考えています。